32話・カルカロスとアリストス
トイレ帰りに突然隠し部屋に連れ込まれ、僕は知らない男の人に短剣を突き付けられた。
間一髪のところで助けに来てくれた学者貴族さんによると、この人は弟で、しかもアールカイト侯爵家の当主だという。
何故弟が当主なのか。
何故僕を狙ったのか。
「──さて。ヤモリよ、怪我はないか」
黙ったままの弟のアリストスさんに背を向け、僕を気遣う学者貴族さん。僕の手を取り、体に傷が付いていないか確認する。
心配してくれているのかな。
「血が出ていれば採取出来たのだがなぁ」
無傷なのを残念そうに言われた。
まだ血を狙われてた。神よ、ここに僕の味方はいないのか。
「……助けに来てくれたんじゃないのかよ」
思わずボソッと呟いたら、それまで黙っていたアリストスさんが急に顔を上げ、こちらに近付いてきた。
「兄上に生意気な口をきくな、異世界人めが!」
物凄い勢いで罵倒された。
そんなアリストスさんの前に立ちはだかり、また僕を庇う学者貴族さん。
「ヤモリの自然な反応を阻害するんじゃない。こういった問答も大事な研究材料だ」
「くっ……」
窘められ、悔しそうに僕を睨むアリストスさん。
なんか、庇われれば庇われるほど僕が恨まれる負のスパイラルに陥ってる気がするんだけど。
いまいちこの二人の関係が掴めない。仲が良いとは言えないけど、憎み合ってる訳でもない。
下手に口を開くと噛み付かれてしまうので、僕は黙っておく事にした。
隠し部屋から出て、アリストスさんは改めて学者貴族さんに向き合った。
「兄上。このような素性の怪しい者をお側に置くのはどうかと思いますが」
「それを決めるのは私だ。お前ではない」
「……それと、こんな辺鄙な場所にある別邸より、本宅の屋敷に住まわれた方が安全ではありませぬか」
「あそこは最早私の家ではない」
「またそのような事を」
「くどいぞ。私はこの別邸が気に入っているのだ」
「ッ、しかし──」
別邸の玄関ホールで言い合う二人。
言葉遣いや態度は偉そうだけど、アリストスさんは、兄である学者貴族さんに気を遣っている。
それに対し、毅然とした態度で断りながらも、学者貴族さんはアリストスさんに遠慮しているように思えた。
兄弟の会話にしては、何処かぎこちない。
貴族ってこうなのかな?
「とにかく、今日のところは帰るがいい」
「──仕方ありません、出直すとしましょう」
帰り際、アリストスさんは僕を睨んでから出て行った。 だから、何で僕が敵視されなきゃならないんだ。
玄関の扉が閉まってから、学者貴族さんは大きく息を吐いて振り返った。
「小生の研究をよく思っていないのだろう。時々ああして邪魔に来るのだが、今日は特別酷かったな」
表情も口調も普段の調子に戻った。
さっきまでの真面目な学者貴族さんには違和感しかなかったから、なんかホッとする。
今後もアリストスさんが来るかもしれないと聞いて、僕は凹んだ。また剣を向けられたりしたらどうしよう。
相手がアールカイト侯爵家の当主なら、別邸のメイドさんや使用人の人は逆らえない。もし見掛けても、間に入ってくれる事はないだろう。
今回はたまたま学者貴族さんが気付いてくれたから助かったけど、誰も来なかったら隠し部屋で始末されていたかもしれない。
二人で図書室に戻ると、ソファーで資料を読んでいたバリさんが顔を上げた。
「カルカロス、御当主さま帰ったー?」
「うむ、先程追い返した!」
「そっかー、今度はヤモリ君が標的なんだねぇ。良かった、相手にするの大変だったからさ。あはは」
「アリストスにも困ったものだ!」
なんと、以前はバリさんに脅しを掛けていたらしい。バリさんは平民だから、尚更風当たりは強かったに違いない。にも関わらず、この調子でのらりくらりと躱していたんだろうなあ。
繊細そうに見えて図太いからな、この人。
次また脅されたら、僕なら言いなりになりそう。
さっきは誰だか分からなかったから、つい反抗してしまったけど、侯爵家の当主って辺境伯より偉いんだよね?機嫌を損ねたら何をされるか。
僕はここに居るだけで恨まれている訳だけど。
確か異世界人を害してはいけないっていう法律があったはずだ。前にエニアさんがそんなような事を言ってた。
なら、直接危害を加えられる恐れはないのかも?流石に、この国の王様の決めた法律には従ってくれると思いたい。
「アリストスは短慮な所があるからな。後先考えずに動いてしまうのが悪い癖だ」
つまり、怒らせたらどうなるか分からないって事だ。次に会ったらダッシュで逃げよう。
「そういえば、あんな所に隠し部屋があるなんて、今日初めて知ったんだけど」
「ああ、角を曲がったとこだよね。あと何箇所かあるよ。俺の知らない隠し通路とかもあるよね?カルカロス」
苦笑いする僕に、バリさんは肩を竦めて笑った。
なんと、まだ他にもあるという。
「当主のみに伝えられる隠し部屋もあるからな!今回使われたのは小生も知っている部屋だったが」
貴族の屋敷、怖っ!
そういう部屋、辺境伯邸にもあるんだろうか。高位貴族だし多分いっぱいありそう。
「それにしても、ヤモリの護衛が呼びに来なかったら間に合わんかったな!」
「ねー。さっきはビックリしたよね」
「えっ」
なんと、間者さんが直接学者貴族さんを呼びに行ってくれたらしい。あれほど他家の人に姿を見せたがらなかったのに。
ちなみに、学者貴族さんについてる隠密的な人達は動けなかったそうだ。みんなアールカイト家の家臣だから、当主のアリストスさんの意向に背く様な真似は出来ないという。
もし間者さんが助けを呼んできてくれなかったら、最悪僕は殺されてたかもしれない。
命を取られなくても、刃物で脅されて別邸への出入りをしない約束をさせられたかもしれない。
なんにせよ、間者さんには感謝しかない。
「今度からは、屋敷の中を移動するのも小生と一緒にいた方が良いかもしれんな!」
毎回トイレに付いてきてもらうって事? 命には変えられないとは言え、それはちょっと。
別邸に居る間はトイレに行くの我慢しよう。
帰宅して自分の部屋に戻ると、間者さんがカウチソファーで膝を抱えて項垂れていた。
「間者さん、今日はありがとう。助かったよ」
僕がお礼を言うと、間者さんは顔を伏せたまま首を横に振った。かなり落ち込んでいるみたいだ。
「えーと。あの、やっぱ学者貴族さん達に姿を見せたの嫌だった……よね?」
側ににじり寄って聞くと、コクンと頷いた。
そんなに嫌だったのか。
「ご、ごめんね。僕のせいで」
「……や、仕事なんで」
「他家の人に姿を見せちゃったら、お仕事やりづらくなっちゃうよね。ホントごめん」
カウチソファーの前に座り、頭を下げた。
きっと間者さんなら、姿を見せずに助けを呼ぶ方法はあったはずだ。天井からメモを落とすとか、大きな音を立てるとか。
それなのに、少しでも早く助けられるように、直接学者貴族さんの前に出て、僕の危機を伝えてくれた。
「……ヤモリさんが刺されるかと思って、慌てた」
間者さんがボソッと呟いた。
「アールカイトの当主、今までは陰から見てるだけだったんで。直接手出ししてくると予測出来なかったのは、自分が油断したせいで」
前々から居たのかアリストスさん。たまーに妙な視線を感じたのはそれか。
今まで無害だったんだから、僕に注意しそびれちゃったのは仕方のないことだろう。
ちゃんと助けを呼んできてくれたし。
間者さんは、他家の人に姿を見せてしまった事より、最良の手段を取れなかった事を悔やんでいるようだ。
もっとも、事前に注意された所で僕が上手く立ち回れる保証はない。どの道ああなっていた気はする。
元々、高位貴族の屋敷に行くなら何も出来ないと渋る間者さんに無理を言って付いてきて貰ってる訳だから。
「一応、自分でも気を付けるから。……次から別邸に付いてくるの、どうする?やめとく?」
「や、行くっす。自分が行かなきゃヤバいし」
やっと顔を上げてくれた。
少しだけ気を取り直したようだ。
「いつもありがとう」
改めてお礼を言うと、間者さんはクルッと飛んでカウチソファーの脇に降り立った。
「それが自分の仕事なんで」
それだけ言うと、パッと姿を消してしまった。多分照れてるんだろうな。




