25話・異世界人の遺物2
学者貴族さんと研究仲間のバリさんは、何故か僕の両脇に座っている。
僕を挟んだ状態で物騒な会話を交わす二人。
「ねえカルカロスぅ。この前貰った髪の毛は毛先の方だったし、毛根付きのが一束欲しいよね」
「そうだな。よしヤモリ、この辺りから引っこ抜いてもいいか?」
「よくないです!!」
僕の髪に触れる学者貴族さんの手を振り払う。
優しげな雰囲気に騙されたが、一番危ないのはバリさんだ。にこにこしながら、サラッととんでもない事を言い始めるし。
「ふふ、生きた異世界人って貴重な研究材料だけど、意志があるから厄介だねぇ」
「何に抵抗感があるかを調べるには丁度いいがな! 気弱そうに見えてなかなか強情な奴だ!」
二人は愉快そうに笑っているが、その間に挟まれた僕は全く笑えない。
さっきから人間扱いされてない気がする。
天井裏か本棚の陰かは分からないけど、この部屋の何処かにいるであろう間者さんの存在だけが心の支えだ。
「あの、美久ちゃんの遺品は……」
「おおっ、そうだった!」
僕が切り出すと、学者貴族さんはようやく今日の目的を思い出したようだった。
さっき別室から持ってきた大きな木箱はテーブルの上に置かれたままだ。
「マツカサ・ミクの遺物は全てこの中に入っている。何に使うのか分からん物が幾つかあってな。それをヤモリに見てもらいたい」
そう言いながら、学者貴族さんは木箱の蓋をそっと持ち上げた。
箱の中には、紙の束と洋服、小さな手提げ袋、赤いランドセルが収められていた。二十年前の物なので、多少色褪せている。転移の時に付いたものだろうか、ランドセルの表面には大きな傷があった。
紙の束は、美久ちゃんが書き残した落書きや日記。洋服は、こっちの世界に転移した際に着ていたもので、黄色の半袖Tシャツと紺色のキュロット、膝下丈の靴下、運動靴。Tシャツには血のシミがついている。飾りの付いた髪留めのゴムもあった。
手提げ袋には上靴、ランドセルには教科書やノート、筆箱が入っていた。側面にはキャラクターもののキーホルダーが付けられている。
僕がこっちの世界に持ち込んだ物は、着ていたスウェットと靴下、トランクスだけだった。それに比べると、美久ちゃんが残した物はかなり多い。
見た感じ、小学校の登下校中に異世界に来てしまったのだと予想出来た。
「ヤモリよ、コレは一体なんなのだ?」
学者貴族さんがランドセルから取り出したのは下敷きだった。ひと昔前に流行ったであろうファンシーキャラクターのイラストが入ったものだ。
「これは下敷きと言って、ノート……これに字を書く時に、紙の間に挟んで使います。こうすると、筆圧で裏の紙がへこむことがないので」
実際にノートに挟んで見せたら、二人から歓声が上がった。ただの絵画だと思っていたらしい。
「ねぇ、これは? 何に使うのか分かる? 靴を二つも持ってるのおかしくない?」
バリさんは上靴を指差している。
美久ちゃんの履いていた靴は別にある為、何故もう一組あるのか意味が分からないらしい。
「これは上靴です。学校の中で履く為の物です」
「は? 学校で靴を履き替えるってこと?」
「はい。日本では基本的に建物の中は土足禁止なので、下駄箱で外用の靴から中用の靴に変えます」
「何でマツカサ・ミクは中用の靴を持ってたの?そんなの学校に置いておけばいいのに」
「えーと、週末学校が休みの間に自宅に持ち帰って洗うので。ランドセルもあるし、異世界に飛ばされた時が休み前日の帰り道か、休み明けの登校中だったんじゃないかな」
「なるほど、持ち物で世界を渡った日や時間帯が予測出来るとは面白い」
日本語が全く読めない為、教科書やノートを見ても何の本かも分からなかったという。流石に全部読み上げるのは時間が掛かるので、何を教える為の教科書かをザッと教えてあげた。
「やっぱ生きた異世界人がいると助かるねー」
「全くだ! ヤモリのおかげで、今日だけでかなり研究が前進したぞ!」
ずっと謎だった品物の使用目的が判明し、二人とも機嫌が良い。
僕は美久ちゃんの自由帳をパラパラと捲ってみた。途中までは楽しげな落書きばかりなのに、後半の頁から急に細かな文字で埋め尽くされていた。恐らく、前半部分は転移前に書かれたものだ。
文字を読んでみると、急に知らない世界にたった一人で放り出された事への怒りや悲しみ、焦り、諦めなどが延々と綴られていた。
最初から王宮で保護されていた訳じゃないだろうし、きっと色々大変な事があったんだと思う。
ノートの端に書かれた言葉が目を引いた。
『かえりたい』
それを見た途端、涙が溢れてしまった。
美久ちゃんは、僕みたいなひきこもりじゃない。毎日小学校に通う元気な女の子だった。親との仲も、僕みたいに微妙ではなかっただろう。仲の良い友達もいただろう。
どれだけ無念だったか想像も出来ない。
美久ちゃんの親はある日突然娘を失くした。元の世界では、きっと犯罪に巻き込まれたか神隠しかと大騒ぎになって警察も捜査をしただろう。
何処を探しても痕跡すら見つからない。
──だって、全部こっちの世界にあるんだから。
そういえば、僕が居なくなった事は、元の世界でどういう扱いになっているんだろう。
五年ひきこもっていて、外には一度も出ていない。いつでも外に行けるように、母は靴を度々買い換えて玄関に置いてくれていた。外に着ていける服も揃えてくれていた。
それらを一切使う事なく、自宅の部屋の中から僕だけが居なくなって、母はどう思っただろう。
警察に届けたかな。
僕を探してくれてるのかな。
今まで考えないようにしていたのに、美久ちゃんの遺品を見た事で、気持ちが揺さぶられてしまった。
ノートを手にしたまま泣く僕の顔を、バリさんがハンカチで拭いてくれた。
優しい、と思ったら「遺物が濡れる」と言われた。ああ、こういう人だったよ。悲しい気持ちが一瞬で消し飛んでしまった。
「すいません。ちょっと感情移入しちゃいました」
「構わん。そういう反応も全て記録しておく」
「え、ちょっと。それはやめてほしいんですが」
一緒にしんみりとしてほしい訳じゃないけど、もう少し気を使ってくれてもいいんじゃないかなぁ。
少しささくれた気持ちでノートや紙束を片付ける。
この二人にとって、僕はあくまで生きたサンプルなんだよな、と思うと何だか悲しい。
まあ、美久ちゃんの日記になんて書いてあるかすら分からなかった訳だから、彼らには異世界人に感情移入のしようがない。だから、多少ドライな反応をされるのも仕方ない事なんだ。
「百年以上前の異世界人の遺物もあるぞ」
別の木箱から取り出されたのは、着物と袴、それと短い刀だった。草鞋もあったが、古過ぎて朽ちてしまったという。
これは、間違いなく江戸時代とかそれくらい昔の物だよな。多分護身用の懐剣だと思う。慎重に鞘から抜いてみると、多少くすんでいたが、その鋭さは鈍っていないように感じた。
「これは古過ぎて文献も残っておらん。ただ、この剣の切れ味は再現出来ないと鍛治士に言われた」
まあそうだろうな。日本の刀鍛冶の技術は現代でも再現するのが難しいらしいから、こっちの世界ではまず無理だろう。
それにしても、こんな昔の人まで異世界に転移していたなんて驚いた。
記録にも残っていない異世界人も居ただろうし、平民に紛れて暮らしたり、人里に辿り着く前に魔獣に襲われて亡くなった場合もあっただろう。
僕だって、もしロフルスさんが見つけてくれなかったら、森で歩き回ってるうちに魔獣に襲われていた可能性もあった。
最悪死んでいたかもしれない。
そう考えると、僕は本当に運が良かったんだな。
「小生が保管している異世界人の遺物はこれで全てだ。あと一人分は王宮にある。さて、マツカサ・ミクの書き残した言葉の解読を進めたいのだが、頼めるか? ヤモリ」
「あ、はい。分かりました」
「いずれ異世界に行けるよう、研究を進めよう」
学者貴族さんは、世界を渡る方法を探すと言っていた。それが実現したら、僕は元の世界に帰れる。
その為に、自分に出来る事を頑張ると心に誓った。




