23話・異世界人の記録
翌日、宣言した通り学者貴族さんがやってきた。
「これは過去に保護した異世界人の記録だ」
テーブルの上に広げられた紙束は、数十枚毎に紐で綴じられていた。
過去に保護されたという異世界人の特徴や話した内容などが書き込まれている。綴じられていない紙も何枚かあった。
小さな女の子が描いたような、可愛い動物やドレスを着たお姫様の絵だ。
「キミ以前に三人、その存在が確認されている。一番最近では、二十年前に保護された十歳位の少女だな。王宮で保護したらしいが、数年で死んでしまった。実に残念な事だ」
紙束を捲りながら、学者貴族さんは溜息をついた。
二十年前に十歳だったという事は、生きていれば三十歳。もし存命なら会う事も出来たのに。そんな若さで亡くなっただなんて、病気か怪我が原因だろうか。
王宮で保護していたなら、この国で一番の治療が受けられたはずだけど。
「もしや、異世界人というのはみな短命なのか?キミもそろそろ寿命とか言わないだろうな!?」
「ち、違いますよ。事故とか病気でも無い限り八十、九十くらい生きます」
「それを聞いて安心した」
生きた研究材料が長持ちするかどうかっていう心配しかしてないだろ。
「ああ、これだ。昨日キミが言っていた『ミソ』と『ショーユ』。この少女、マツカサ・ミクも当時そんなような事を言っていたと記録されている」
「……ホントだ。ここに『オミソシルが飲みたい』と書いてある」
見せられた紙束には、当時彼女が口にした言葉が書き込まれていた。今の学者貴族さんみたいに、二十年前にも異世界人の事を知ろうと調べている人が居たんだろう。些細な事も全て記録として残されていた。
紙の端に彼女が自分で書いたらしき字を見つけた。
小さな女の子らしい丸っこい字で『松笠美久』と書かれている。
久し振りに目にする日本語だ。
「ところで、先程キミが言った『オミソシル』とはなんだ?飲み物か?どんなものだ」
「えっ、うーんと……大豆ってこっちの世界にもあります?大豆を元に作った調味料が味噌で、お味噌汁は味噌を使ったスープです」
「スープ!なるほどなるほど。それは異世界人にとって特別な料理なのか?」
「……そうですね。日本人にとって、お味噌汁は日常的に飲むものなので」
「ふーむ、何とか再現して味わってみたいものだ。帰ったら料理人に相談してみよう」
学者貴族さんは、紙束を捲りながら唸った。
お母さんのお味噌汁、毎日当たり前のように飲んでたけど、もう二度と飲めないのかな。
美久ちゃんも、こっちの世界に来た頃はまだ小学四年生位だし、きっと僕よりショックを受けていたと思う。親元から離れて異世界に飛ばされてしまうなんて、十歳の女の子には辛過ぎる出来事だ。
ひきこもって一人に慣れていたつもりの僕でも、時々家族を思い出して悲しくなるくらいだ。
本当に何故僕達は異世界に来てしまったのだろう。
「あの、美久ちゃんがこっちの世界に来た切っ掛けって、何か記録は残ってますか?」
「それが、前後の記憶はないと書かれていた。これはキミもそうだったらしいが」
「はい。……あれ?僕それ言いましたっけ」
「キミの事はあらかた調べた。ほれ、この通り」
そう言って学者貴族さんがカバンから取り出したのは、僕がこっちの世界に来てからの記録だった。
キサン村の事件の詳細や、遺族に話した内容をまとめたもの、辺境伯のおじさんと団長さんに描いた車と電車の絵、マイラ達に描いてあげた洋服や武器の絵まであった。
どうやって入手したんだろう。マイラ達が渡すような機会はなかったはずだ。
こっちの世界にストーカー規制法ってないのかな。無性に怖いから、可能なら訴えたい。
「これらの絵は非常に興味深い。小生にも何か描いてくれるのなら、血を採るのは暫く延期しよう」
ちらりと注射器を見せる学者貴族さん。弧を描く唇の合間からギザギザの歯が見えた。
昨日僕が採血を嫌がっていたから、延期を交渉材料に新たな情報を要求してきた。
あの極太の注射針を刺されずに済むのなら、なんだって描いてやるぞ。
「わ、わかりました。何を描いたらいいですか」
「そうだな。こちらの世界には無くて異世界にしかないもの。以前描いたもの以外で何か無いかな?」
新しい紙と付けペンを差し出された。
さて、何を描いたら満足してもらえるだろう。少し迷ってから、僕はペンを手に取り描き始めた。
学者貴族さんの目がペン先を追っている。瞬きもせず凝視しているのが気持ち悪い。
描き上がったものを見て、学者貴族さんは唸った。
僕が描いたのは、飛行機のイラストだ。あまり上手くないが、大体の形は描けている。
「この妙な形のものはなんだ?さっぱり分からん」
「これは、飛行機といいます。金属で作られていて、中に人をたくさん乗せて空を飛びます」
「!?……人を乗せて空を飛ぶ?魔法か?」
「僕の世界には魔法はないです。これは機械の力で風を起こして飛ぶんです」
「機械……クルマやデンシャも機械で動くと言っていたようだが。何をどう作ればそんなものが作れるのだ」
「あー、僕もどんな仕組みかは全く分からないです」
僕には技術的な知識は全くないので、異世界に現代のものを再現する事は出来ない。
一般人程度の知識では、簡単な構造の機械すら作れない。設計図が書けるくらいの技術者が転移してきたら良かったのに。
まあ、こういうものがあるという情報を与える事で、いずれこっちの世界でも、誰かが発明してくれるだろう。
飛行機について色々聞かれたので、大体の大きさや速度、乗客数とかを分かる範囲で教えてみた。
ものすごく驚かれた。そりゃそうか。こっちの世界では、どんなに魔法を駆使しても、大勢の人を一度に運ぶ術はまだ無いらしい。
「うむ、やはり異世界は素晴らしい!知れば知るほど興味が湧いてくる!可能ならば異世界に行ってみたいものだ」
僕が提供した情報は大変お気に召したようだ。
学者貴族さんは、飛行機の描かれた紙を大事そうに胸に抱えている。
「あの、異世界に行く方法ってないんですか」
「現時点では判明していない。もし異世界に行けるのであれば、小生はとっくに行っている!」
「……ですよね」
やっぱり帰る方法はないか。
自由に行き来出来るなら、僕に聞き取りなんかせず、直接調べに行ってるよなあ。
「だが、異世界人の研究を進める事によって、いつかは世界を渡る事が可能になると考えている。それにはキミが必要だ。協力してくれるか」
真面目な表情で僕を見つめる学者貴族さん。
口元の笑みも消えている。
ちょっと怖いけど、唯一異世界人の研究をしている人だし、帰る術は学者貴族さんに委ねるしかないのかもしれない。
「はい、僕に出来ることでしたら」
了承すると、学者貴族さんは再び不気味な笑みを浮かべ、カバンからまた注射器を取り出した。
それを見て、僕は咄嗟にソファーの後ろに隠れた。
「では早速協力してもらうとしよう」
「や、約束が違うじゃないですか!絵を描いたら採血しないって言ったのに!」
「それとこれとは別だ。研究を早く進めるには、異世界人のあらゆる情報が必要だ。さあ、早く腕を出したまえ」
少しでもこの人を信じた僕が馬鹿だった! 何だかんだ言って僕の血を採るつもりだったんだ。
また昨日と同じ展開になってきた。
昨日は間者さんが学者貴族さんの愛馬を逃す事で採血を免れたけど、今日もやってくれるだろうか。
「ククッ、昨日のようにはいかんぞ。今日はシュバルツを従者に連れて帰らせたからな。邪魔は入らん」
「えっ、そんなぁ」
間者さんは、他家の人には姿を見せられない。
学者貴族さんは自分の関心があるもの以外目に入らないような人だ。今日は愛馬もいないし、気を逸らす事が出来そうにない。
注射器を手に、一歩ずつ近付く学者貴族さん。
怯える僕を見て、嬉しそうに口元を緩めている。
太い注射針を前に、もはやここまでと観念した時。
「──まあ、約束を違えるのは良くないか。これから長い付き合いになるのだから、キミとは信頼関係を築いていかなくてはな」
そう言って、学者貴族さんは注射器を引っ込めた。
なんと、何も起きてないのに採血をやめたぞ。
今度こそ駄目かと思ってたから、安心して腰が抜けてしまい、僕は床にへたり込んだ。
テーブルの上の紙束を片付け、学者貴族さんは帰り支度を始めた。ベルを鳴らしてメイドさんを呼び、来た時同様荷物運びを手伝うよう指示している。
そして、僕の脇を通り過ぎる時に、僕にしか聞こえないくらいの小さな声でこう言って帰っていった。
「小生に対して殺気を隠さんとは、随分と面白い護衛を付けているな」
それが誰の事を指しているかすぐ分かった。
侯爵家の人に殺気を向けるって、大問題なんだと思う。でも、学者貴族さんは面白がっていたようだし、あっさりと引いてくれた。
わざわざ僕に伝えて釘を刺していったから、多分次にやったら怒られるだろうけど。
ていうか、学者貴族さん殺気とか分かるんだ。僕は全く分からなかった。貴族ってみんなそうなのかな。
その後、学院から帰ってきたマイラ達に今日あった事を言おうとしたら、間者さんに止められた。
やっぱり上位貴族に殺気を向けちゃったのはヤバいらしい。
外出してたから投稿時間ズレちゃった(´・ω・`)




