22話・ひきこもりと学者貴族
「御機嫌よう! 約束通り小生が来てやったぞ!」
誰も待ってないし約束も一方的だったし。
昨日と同じ応接室で僕と学者貴族さんは対面していた。時間は昼食後。マイラ達は学院に行っている為不在。間者さんが部屋の何処かに居てくれてるはずだけど、気配を消しているので僕には全く分からない。
つまり、僕一人で相手する羽目になっている。
「さて。色々聞きたい事があるのだが」
「ど、どうぞ」
瞬きもせず、一度も僕から視線を外さない。丸眼鏡の奥で怪しく光る目が怖い。出来るだけ目を合わせたくないので、僕はテーブルの上の紅茶をスプーンで延々と混ぜ続けた。
「まず、年齢と性別を教えてくれたまえ」
「十八歳で、性別は男ですけど」
「ふむ、見た目通りの年齢性別。いや、男にしては肌が白くて細い。ハッ! もしや、これは異世界人の特徴!? やや猫背なのも異世界人特有の」
淡々と質問していたかと思えば、急にテンションを上げてブツブツ呟き始めた。出だしからこの調子じゃ先が思いやられる。
「あの、異世界人にも色々あるんで。全部が僕と同じな訳ではなくてですね」
「ほうほう。つまり色白で華奢で猫背なのはキミ個人の体質又は習慣からそうなっていると」
「えっ。あ、まあ、そうです」
否定したらアッサリ受け入れてくれた。 これはちょっと意外だ。人の話を聞かないタイプだと思ってたけど、一応聞いてはくれるみたいだ。
「成る程、個人差有り。では次。キミの名前だが、ヤモリとアケオ、どちらが家名になる?」
「ヤモリが名字で、アケオが僕個人の名前です」
「ふむ、つまりキミ個人を呼ぶならば『アケオ』と言った方が良いのだな。だが、この国には他にヤモリ姓はおらん。どちらで呼ぼうとキミを指す名前だな」
「そう、ですね……」
この国には他に家守は居ない。分かっている事だけど、改めて言われるとちょっとショックだ。
学者貴族さんは、カバンから取り出した紙束に聞いた内容をガリガリと書きつけている。
「食べ物や飲み物も、我々と同じ物で良いのか」
「はぁ。用意してもらった食事を食べてますけど」
「何かこう、異世界特有の食べ物があるのでは?」
「えっと、僕のいた国では味噌や醤油という調味料がありました。こっちの世界では、まだ似たような味の料理は食べたことがないです」
「ミソ、ショーユ……うん? 確か以前記録で見たような。今度来る時までに探しておこう」
え、味噌と醤油の事が記録に残ってるの?
僕の前に来たっていう異世界人も日本人なのかな。こっちの世界の料理は基本洋食で味は美味しいんだけど、そろそろ和食も恋しくなってきた。流石に味噌の作り方は知らないから再現は出来ないけど、誰かそれっぽい調味料を開発してくれたら嬉しい。
「食事が違えば体質も違う可能性がある。さて、それを調べる為にキミにも協力を願いたい」
「な、なんでしょう」
「先ずは毛髪や皮膚組織、血液などを資料として採取したいのだが構わないかね?」
髪の毛や皮膚はともかく、血? 血を採るの!?
そんなので何を調べるっていうんだ。こっちの世界にはDNA検査なんかないだろうし、それが出来る程医療が発展してなさそうなのに。
あまりの事に絶句している僕を無視して、学者貴族さんはカバンから注射器や小瓶、ハサミなどを取り出し始めた。
注射針が太い!
直径が五ミリくらいある!!
あんなの刺したら痛いどころじゃ済まない。こっちの世界の技術では、まだ極細の注射針は作れないのだろうか。
逃げたいけど、学者貴族さんは辺境伯より高位の貴族の家らしいし、逆らったらどんな目に遭うか。 マイラ達に迷惑を掛けるのも困る。
激痛を伴う献血だと思って我慢するしかない。
目の前では、学者貴族さんが注射器を手に持って恍惚としていた。口の端を上げ、ギザギザの歯を覗かせて笑っている。
「ククク……、血を採るのは初めてだ。心が躍る」
だ、ダメだ。採血し慣れてる訳じゃないんだ。何の練習も無しに、いきなり僕で試す気か? それで上手く出来ると思ってるの? まさか、血管とか関係なく闇雲に刺すつもりじゃないだろうな?
消毒用のアルコールも無いし、衛生面も心配。
僕の安全とか痛みとか全く考慮してくれてない。
やっぱりマッドサイエンティストだ。
後ずさる僕を追い、にじり寄る学者貴族さん。走って逃げたら走って追い掛けてきそう。
一進一退の攻防が数分続いた。
無理やり刺されるより、自ら腕を差し出した方が早く解放されるかもしれない。逃げるのを諦めかけた時、庭が騒がしくなった。
窓ガラス越しに外を見ると、黒毛の大きな馬が庭園内を所狭しと走り回っていた。 屋敷で飼っている馬が厩舎から脱走したのか?馬のお世話係と思われるおじさんが一生懸命追い掛けてるけど、馬に全然追い付けていない。
大変だなーと思って眺めていると、その光景を見た学者貴族さんが驚いて注射器を床に落とした。
「シュバルツ! 何をしている!!」
窓を開け、学者貴族さんは馬に声を掛けた。
なんと、脱走馬は学者貴族さんの愛馬だった。ここに来る為に乗ってきて、辺境伯邸の厩舎に預けていたのだろう。それが訪問先の庭園を我が物顔で走り回っていたので、マイペースな学者貴族さんも驚いたようだ。
シュバルツと呼ばれた大きな黒馬は主人の存在に気付くと、嬉しそうに鼻を鳴らしながら窓辺に近寄ってきた。
「た、大変申し訳ございません! 柵を越えられてしまいまして」
馬の世話係のおじさんが青い顔で謝りながら馬を捕まえている。それを見て、学者貴族さんは楽しそうに声を出して笑った。
「構わん。シュバルツが元気過ぎるのが悪いのだ」
馬を逃した世話係のおじさんを責めず、逃げ出した馬を叱る事もしない。思ったより学者貴族さんは寛大な人なのかもしれない。
騒ぎに気付いたプロムスさんやメイドさん達が応接室に、他の使用人さん達は庭に駆けつけてきた。
「シュバルツが帰りたそうにしているし、注射器も割れてしまった。今日はこれで帰るとしよう。済まないが、片付けを頼む」
プロムスさんにそう申し付け、学者貴族さんは紙束や小瓶をカバンに仕舞い始めた。
良かった、極太針を刺されずに済んだ。
安心したのも束の間、去り際に学者貴族さんが僕の肩に触れながら、
「また明日来る。次は邪魔が入らぬようにせねばな」
と言い残していった。
プロムスさんが学者貴族さんを玄関ホールまで送り、メイドさんが床を片付けて出て行くまでの間、僕は応接室のソファーで放心していた。
明日もこんな攻防をするのかと思うと気が重い。
それにしても、僕が血を採られる直前に起きたあのアクシデント。絶対偶然じゃない。
「間者さん、いるんでしょー?」
天井に向かって声を掛けたが、反応はなかった。それでも助けてくれたのは間者さんだと分かった。昨日の約束を守ってくれたんだ。
恐らく学者貴族さんも、何者かがわざと馬を逃した事に気付いていた。だからこそ、馬の世話係のおじさんを責めなかったし、あっさりと引いてくれた。
夕方帰ってきたマイラ達に今日の事を話したら、めちゃめちゃ憐れまれた。学院で授業を受けている間も、僕の事を気に掛けてくれていたらしい。
間者さんが僕を助けてくれるのも、辺境伯の孫であるマイラとラトスが僕の事を心配してくれているからだ。
人との繋がりが自分を助ける事になるなんて、元の世界にいた時は全く実感出来なかった。
欲を言えば、間者さん自身と仲良くなって自発的に助けてもらいたい。でも、僕は何の役にも立たないから、ギブアンドテイクが成り立たないんだよな。
助けられるだけじゃなく対等に仲良くなりたい。
この世界で、僕に何か出来る事はあるんだろうか。
2020/09/03
シュバルツの毛色を白→黒へ




