174話・この世界で生きていく
イナトリが元の世界に戻った。
その後空間魔法による手紙のやり取りを始めたが、ここで新たな問題が発生した。
元の世界に戻った瞬間から、イナトリはこちらの文字が読めなくなってしまったのだ。書くことも出来ないらしく、僕が間に入って翻訳係を務めている。
アーニャさんの手紙を日本語に訳し、イナトリからの手紙をこちらの言葉に直す。手間の掛かる作業だけど、これは異世界人である僕にしかできない。七日に一度のやり取りの度に司法部の研究塔に出向き、手紙を訳している。
もちろん異世界研究も続いている。
イナトリを転移させるために使用したので『元の世界に戻ろうとする力』は失われてしまったが、遺物自体は残っている。まだ目を通していないものもあり、学者貴族さんやバリさんと一緒に確認している。
シヴァの定期入れはイナトリが持っていった。
定期券や写真を元に、シヴァ……柴居將の生い立ちを調べたいとイナトリが言い出したからだ。どういう人物だったのか。何故ああなってしまったのか。間者さんやセルフィーラの父親のことだし、僕も興味がある。
異世界研究と翻訳のおかげで僕は司法部の職員扱いとなり、なんと給料が出るようになった。これを機に自立しようかと思ったんだけど……
「やめたほうがいっすよ。ヤモリさんには今も王様が護衛の隠密つけてるんで」
「え」
「イナトリがいなくなった今、この世界にいる純粋な異世界人はヤモリさんだけになったじゃないすか。イナトリとのやり取りにはヤモリさんが欠かせないし、万が一のことがあったら困るんで」
「そ、それもそうか」
隠密さん達の護衛対象には間者さんも含まれてる気がするけど、これは言わないでおく。
もし市街地に移り住んでも隠密さん達に余計な手間をかけさせるだけ。そういうわけで引き続き王宮でお世話になっているが、分不相応な暮らしであることには変わりない。
「それに、家借りて生活するなら飯も用意しなきゃなんないんすよー?」
そうか、今の上げ膳据え膳状態は当たり前じゃない。食事の支度も洗濯も掃除も自分でやらねばならないのだ。一切家事をやったことがない僕にできるのか?
「自分はひと通り出来るんで、フツーに暮らしていくぶんには何とかなると思いますけど」
「え。間者さん、ついてきてくれるの!?」
「トーゼン! 自分はヤモリさんの護衛なんで、どこまでもついてくっすよ」
ニッと笑みを浮かべ、間者さんは出されたお菓子を僕より先に食べた。何度も止めた毒見役だけど、護衛の意地と言わんばかりに、彼はずっと続けている。
どこまでもついてきてくれるのか。それは頼もしいような、少し怖いような。
「まあ、最初からアテにしてたけどね」
「言うと思った」
久しぶりに再開された外交の講義の後、マイラと二人で話す機会があった。他に誰もいない王宮のサロンで並んでソファに座る。住む場所について悩んでいると言ったら笑い飛ばされてしまった。
「それなら辺境伯邸に戻ってきたらいいのに。アケオの部屋、そのままにしてあるのよ」
それは嬉しいけど、エーデルハイト家には散々お世話になってきた。これ以上甘えるわけにはいかない。
「アケオは元の世界に帰らなくて良かったの?」
「……あー、うん。今回はね」
「でも、いつかは帰っちゃうのよね。……この前、イナトリを送った時に思ったの。もしあれがアケオだったら、あたし協力できないかもしれないって」
ちらりと目線を向け、マイラの横顔を盗み見た。
いつも明るくて強気でしっかり者の彼女が見せた寂しげな表情。こんな顔を以前に一度だけ見たことがある。魔力が暴走しそうになって司法部送りになった時だ。あの時もこうして並んで座った。
「マイラは強くなったよね」
「な、なによ急に」
「ほんの数ヶ月前まで魔力操作で悩んでたのに、カサンドールでは大活躍だったし」
「あれはアーニャ長官がついててくれたから……ラトスやシェーラ様も支えてくれたし、ひとりじゃとても無理だったわ」
確かに、マイラひとりでは暴走しがちだった。
「外交も。隣の国まで行って交渉するなんてすごいよ。めちゃくちゃ助かった」
「あ、あれも、ヒメロス様と先生がお膳立てしてくれて、それにアドミラ様が一緒に行ってくれたから」
「周りの協力も含めて、全部マイラの力だよ」
「そっ……そう、かしら」
照れ笑いを浮かべるマイラ。この小さな女の子は短期間で本当に成長した。
それに比べて、僕ときたら。
「僕は全然成長できてない」
「アケオ?」
「元の世界に帰らなかったのは、……帰れなかったのは、まだ自分の問題を克服できてないからなんだ。だから、イナトリに無理を言って先に帰ってもらった。情けないよね」
僕の言葉にマイラの表情が曇った。
しまった。こんな弱音、言うつもりじゃなかったのに。咄嗟に話題を変えようとしたけど、その前にマイラが動いた。
「そんなことないわ!」
袖を掴まれ、思わず顔を上げた。すぐそばにマイラの顔がある。怒ったような表情で僕を見上げている。
「あたし達がどれだけアケオに助けられてきたか分かる? いつもアケオがそばにいてくれたし、欲しい言葉をくれた。ホントは家から出たくない癖に、あんな遠くまで行って戦争を終わらせるために頑張ったじゃない!」
「マイラ……」
「どんな問題だか知らないけど、アケオならきっと乗り越えられるわ。だから、そんな風に俯いてちゃダメよ!」
そう言いながら、マイラは僕の背中を思いきりバンと叩いた。
身体強化を掛けているのかと思うくらい、小さな手のひらで叩かれた場所が熱くて痛い。反動で曲がっていた背筋がピンと伸びる。近かった目線が少し離れて、逆にマイラの顔がよく見えた。
物怖じしない真っ直ぐな瞳。
こっちの世界に来てから、マイラはいつも僕を元気づけてくれた。出来るだけ側にいてくれた。守ってくれた。
それがどれだけ僕の支えになったことか。
「……初めて会った時も背中を叩かれたよね」
「そうだったかしら」
「そうだよ。マイラはいつもこうやって僕に気合いを入れてくれるんだ」
「アケオが下を向いてたら、いつでもあたしが叩いてあげるわよ」
マイラはぐっと拳を握りしめた。
ものすごく頼もしい。強い意志と自信に満ちた笑顔。これは全部マイラが悩み苦しみ、努力して勝ち得たものだ。
「お、お手柔らかに……」
「優しく叩いたら意味ないじゃないの!」
こんなところばかりエニアさんに似てきた。
しばらくして、仏頂面のラトスとニヤニヤ笑みを浮かべたアドミラ王女とシェーラ王女がサロンに戻ってきた。やっぱり、わざと二人にさせられていたんだな。不自然にも程がある。
「ボク達は今から帰るけど、たまにはアケオも来ないか」
「……うーん、行きたいけど遠慮しとく」
ラトスの誘いは嬉しいが、僕には行けない理由がある。セルフィーラが辺境伯邸に滞在しているからだ。
先日ついにノルトンからメイド長さんがお世話係としてやってきた。毎日念入りに磨かれ、会う度に綺麗になっていく。表情が豊かになってきたから、そのぶん魅力も増した。時々ヒメロス王子が辺境伯邸を訪れては何も言えずに帰っていくらしい。
貴族学院の特別講義で足りてなかった基礎知識を教わり、他人との関わりを増やし、僕や間者さん以外とも笑顔で話せるようになった。彼女はもう自分の生きる道を自分で決められる。
それなのに、セルフィーラは僕や間者さんの姿を見つけると他のことを全部放り投げてしまう。周りに馴染み始めたばかりだ。僕が顔を出してしまったら、せっかくの努力が台無しになる。
だから避けていたんだけど──
「ヤモリ様、近頃はなぜ訪ねてきてくださらないのですか」
痺れを切らしたセルフィーラが司法部の研究塔にまで押し掛けてくるようになってしまった。
「え、あー、うん。司法部の仕事が忙しくて」
「昨日は職人通りにいたと聞きましたけど」
「バレてる!!」
メイドさんを中心に周りの人を味方につけ、僕や間者さんの情報を集めさせているらしい。市街地での行動まで把握しているとは、恐るべし女性の情報網。
職人通りにはトマスさんに会いに行っていたのだ。魔獣の脅威がなくなったから、近いうちにキサン村へ帰って革細工の工房を作るんだって。ようやくキサン村に活気が戻る。こんなに嬉しいことはない。
「わたしもご一緒したかったのに」
「いや駄目でしょ。街は危ないよ」
「あら、ヤモリ様よりは危なくないと思いますけど」
セルフィーラにはシヴァから仕込まれた護身術がある。だから自分の身は自分で守れるんだよね。間者さんや王様が付けてくれた護衛の隠密さん達に頼りきりの僕よりよっぽど強い。
でも、万が一セルフィーラが怪我でもしたら僕がメイド長さんから怒られるんだぞ。
「セルフィーラ、あんまヤモリさんを困らすな」
「も、申し訳ありませんお兄様」
僕には割と強気なセルフィーラも間者さんの言葉には素直に従う。何故だ。
「ほ、ほら、研究塔はいつ爆発が起きるかわかんない危険な場所だからさ。こんな所より、王宮に寄ってヒメロス王子に会いに行ってきたら?」
「王宮は堅苦しくて好きではないです。あと、ヒメロス様には特に用はありません」
きっぱり言い切った!
確かに、セルフィーラが押し掛けてくるのは司法部にいる時だけだ。同じ敷地にある王宮にいる時には絶対に来ない。宰相や長官達に見つかると必ず王子との縁談を持ちかけられるからなあ。
「おや、こんな所たぁ聞き捨てならないねェ」
アーニャさんが僕の言葉に反論した瞬間、外から派手な爆発音が響き、研究塔がやや揺れた。
「空間魔法を使うはずが何故か爆発したぞ!」
「やめなよカルカロスぅ。おまえには繊細な魔法は向いてないんだってー」
「やってみねばわからんだろうが!」
今の衝撃でひび割れた窓の向こうから聞き慣れた声がする。どうやら学者貴族さんが研究塔の脇にある空き地で空間魔法を習得しようと努力しているみたい。完全に失敗してるけど。
「こらアンタ達! これ以上研究塔を壊すんじゃないよ!!」
窓から顔を出してアーニャさんが叱りつけると、学者貴族さんとバリさんは一目散に逃げていった。たぶん懲りずにどこかでまた魔力を暴発させるのだろう。
「……ほらね、危ないでしょ」
「でも、王宮よりは楽しいです」
にこにこしながらそう言われると、これ以上なにも言えなくなる。ヒメロス王子に聞かれたらまたヤキモチを焼かれそうだ。
「それよりヤモリ。翻訳は出来たかい?」
「あ、はい」
イナトリからの手紙と、こちらの言葉に直したものをアーニャさんに手渡す。
すると、アーニャさんはまず日本語で書かれたほうをじっと見つめた。イナトリが書き記した字が愛おしいのだろう。たとえ読めなくても必ず目を通している。僕が翻訳したほうを読むのはその後だ。
「……おや、ようやく復学できたみたいだねェ」
「そうみたいです」
元の世界に戻った時、イナトリは転移直前までいた病院近くの大きな公園に出た。(遺物の中で、車椅子が一番質量が大きかったからだろうとアーニャさんは推測している)
そこで気を失って倒れているところを通行人が見つけ、すぐそばの病院に運ばれた。元々サクラちゃんが入院していた病院だ。意識を取り戻してすぐに実家に連絡し、その日のうちに両親と再会。
サクラちゃんのことは「わからない」で通している。一緒に行方不明になったが、その間の記憶がないフリをして誤魔化しているらしい。「ドラゴンになったけど元気だよ」とは言えない。正直に言ったところで信じてもらえるわけがないし、おかしくなったと思われるだけ。
そこから数日間検査入院し、警察からも事情を聞かれたが、記憶がない、覚えてないの一点張りで切り抜けたんだとか。ちなみに、異世界から持ち込んだ物は病院で覚醒して以来隠している。下手に見つかるとややこしくなるものばかりだ。
将英学園では休学扱いになっていた。しかし、ほぼ一年授業を受けていないので留年となった。「四月からまた三年生だよ」という嘆きの言葉で今回の手紙は締めくくられていた。
全寮制の学校への復学、つまりイナトリが自由に動けるようになったということだ。これから、往緒への協力要請と美久ちゃんの遺族探しを進めていく。
「じゃあ、今度はこちらの近況を送ろうか」
そう言って、アーニャさんはまっさらな便箋を取り出した。
こちらからは、主にサクラちゃんの様子や調べてほしいことなどを中心に送っている。
前回のやりとりで味噌と醤油の作り方を調べて送ってくれたので、早速アリストスさんに伝えた。うまくいけば、近いうちにこっちの世界でおみそ汁が飲めるかもしれない。
サクラちゃんは引き続きアーニャさんのお屋敷でお世話になっている。真っ白な鱗がとても綺麗でおとなしいから、王都の人達から人気がある。割と自由な行動が許されていて、時々どこかへ飛んでいく。……たぶん一人で泣いているんだと思う。
そんな中、カルスさんが王国軍を辞めた。
軍務長官直属部隊は遠征任務が多い。サクラちゃんから離れるのが嫌で、エニアさんとクロスさんに直談判して退役をもぎ取った。その後はアーニャさんに自らを売り込みに行き、現在はサクラちゃん専属の護衛として雇われている。たまに遠方への偵察の仕事を王国軍から請け負い、サクラちゃんと二人で出掛けていく。
イナトリには教えたら怒りそうな内容だけど、まあいいか。なんだかんだでサクラちゃんは幸せそうだし。
ティフォーとナヴァド、ランガは辺境伯のおじさんと共にノルトンに移った。罪滅ぼしにクワドラッド州や国境付近の後片付けや整備をして、空いた時間にリーニエのお墓に立ち寄る生活を送っている。
僕の近況はあまり変化がない。
王宮で暮らし、司法部で異世界研究を手伝うくらい。
そういえば、やっと戦後処理が一段落したとかで、王様と話をする時間ができた。オルニスさんの発案で、交流のある全ての国に『異世界人保護法』の導入を要請したらしい。今後、転移後に不幸に見舞われる異世界人を一人でも減らすための策だ。
それ以外はほぼ美久ちゃんの話だった。同席した王妃様も同じ。王宮で保護していた数年間、美久ちゃんと王妃様が一番仲が良かったらしい。亡くなって十数年経った今も、美久ちゃんはこっちの世界の人に大事に思われてる。
それはイナトリも同じだ。
イナトリがいなくなって一ヶ月以上経った。アーニャさんはイナトリからの読めない手紙を眺め、字を指でなぞっている。
「ヤモリがいなかったら、ここに何が書いてあるのかすらわからなかったんだねェ……」
異世界の人と言葉が通じるのは奇跡だ。どういう原理かはわからないけど、世界を渡った者だけに現れる不思議な能力。
この力のせいで様々なことが起きた。
人語を解する魔獣の誕生。
異世界人の血を引く者たちの苦悩。
国が滅ぶほどの争い。
言葉が通じても止められないことがたくさんあった。今でも過去の選択のひとつひとつが正しかったのか自信がない。もっとうまくやれたのではないかと、自分を責めない日はない。
「まーた難しい顔してる。イナトリになんて書くか迷ってるんすか?」
「あ、ううん。もう書けたよ」
僕の手から便箋を受け取り、食い入るように見つめた後、間者さんは大きな溜め息をついた。
「……はー、やっぱ読めねぇ。ホントに自分、異世界人の血ィ入ってんのかな」
異世界人との混血である間者さんとセルフィーラ、あとクロスさんは日本語が全く読めない。
「これじゃ異世界研究で役に立てないし。この字で書かれると内容がわからなくて困る」
僕の護衛として常に側にいるけど、最近はトラブルもなく、やることがなくて暇らしい。ユスタフ帝国が滅び、刺客を送ってくるような相手がいなくなったからだ。
「じゃあ、教えるから覚えてみる?」
「いーんすか」
「ヤモリ様、わたしも!」
なぜかセルフィーラも乗り気だ。
ひらがなとカタカナくらいなら多分すぐに覚えられるだろう。……あれ? そもそも、なんで日本語が読めないと困るんだ? まさか、僕が内緒で日記を書いてるのがバレてるんじゃないだろうな。
「ヤモリ! なぜ小生を真っ先に誘わん!!」
「うわ来た」
「カルカロス! いい加減にしな!!」
長官室の扉を勢いよく開き、学者貴族さんが飛び込んできた。さっきまで爆発ばっかしてた癖に何を言ってるんだ。そこにアリストスさんまで乱入し、アーニャさんが文字通り雷を落とした。
僕の日常はこうして騒がしく過ぎていく。
いつか自由に世界を行き来できる日が来るまで、ずっと。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました
ヤモリ君の異世界生活はまだまだ続きますが、この物語はここで終わりとなります
当初の予定より長いお話になりました
読んでくださった方の心に何か残れば嬉しいです
書いている間、いただいた感想にとても励まされました
この場で改めて御礼申し上げます
アッもちろん今からの感想も大歓迎であります
よろしければお気軽にどうぞ〜!
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外伝にて、主人公ヤモリ君以外の登場人物に焦点を当てたお話を書いております
こちらは内容が重めなので、章の合間に本編終了後のヤモリ君達の閑話を挟むことにしました
こちらも読んでいただけると嬉しいです
よろしくお願いいたします
2020/08/26
みやこのじょう




