172話・帰りたくない理由
イナトリの気持ちが落ち着くのを待ち、僕達は今後のことを話し合った。
王都貴族街にあるアーニャさんのお屋敷。その庭に作られたサクラちゃん専用厩舎(竜舎?)の中に場所を移し、今だけ二人にしてもらった。いや、サクラちゃんが目の前にいるから三人か。
間者さんやティフォー達は近くにいるだろうけど姿を消している。
イナトリが元の世界に戻る意志を伝えたら、サクラちゃんは目を細めて何度も頷いた。それを見て、イナトリの覚悟が決まった。
サクラちゃんの足元に並んで腰を下ろし、膝を抱えて座る。もうすっかり日は落ちていたが、厩舎に灯されたランプのおかげで暗くはなかった。
「向こうに帰ったらやってもらいたいことがあるんだ。お願いできるかな」
「……ん、わかった。何をすればいいの」
まだ僅かに赤みの残った目で、イナトリは僕を見た。
さっきまでの危うさは感じられない。アーニャさんの説得で、彼は自分の命を大事にする意味を知った。もう大丈夫だ。
「二十年前の異世界人、松笠美久ちゃんの遺族を探し出して、遺骨と遺髪を渡してほしい」
美久ちゃんはユスタフ帝国との戦争中に危険区域に転移した。大怪我を負ったところを辺境伯のおじさんが見つけ、後に王宮で保護された異世界人の少女だ。家族を恋しがり、精神的に弱って僅か数年で死んでしまった。
いまわの際、王様は「かならず家族の元に帰す」と美久ちゃんと約束をした。それを叶えてあげたい。
遺骨と遺髪の一部は小さなケースに入れられ、今も王様が大切に保管している。
「事情は分かった。でも、異世界に来てたなんて信じてもらえるかな」
「美久ちゃんがこっちに来てから書き残したノートがある。ご家族に見せたら分かってもらえるかも」
美久ちゃんは多くの遺物を残している。ランドセルの中には教科書やノート、落書き帳などが入っていた。転移後、日記代わりにしていたノートがあったはずだ。
「もし無理そうだったら往緒に相談して。たぶん往緒なら良い方法を思いつくと思う」
「そうだね。ボクひとりじゃ難しいかも」
無事に元の世界に帰れたとしても、イナトリは一年近く行方不明になっていた。親も心配するだろうし、すぐに単独行動を許されるなんてことはない。世間からは好奇の目を向けられ、当分の間は自由に動けないはずだ。
「明緒クンこそ、ホントにいいの? もう元の世界に戻るチャンスはないかもしれないんでしょ?」
反応を窺うように、イナトリが僕の顔を覗き込みながら問う。
遺物にある『元の世界に戻ろうとする力』は一度使えば失われる。人ひとり分の遺物が再び集まるなんてことは奇跡でも起きないと無理だ。つまり、僕が元の世界に帰れる可能性は限りなくゼロに近い。
何もしなければ、の話だ。
「魔法の力で異世界の座標がわかったように、元の世界の科学でなんとかなるんじゃないかって考えてるんだ。往緒なら不可能を可能にしそうな気がするし」
「……なにそれ。結局どう転んでもボクは往緒クンに会いに行かなきゃいけないじゃん」
呆れ顔で笑うイナトリ。
「こんなこと頼めるの、イナトリしかいなくて」
「いいよ。下手したら半殺しにされるかもしれないけど、それくらいの罰は甘んじて受けるよ」
「えっ、なんで」
「だってボク、明緒クンのこと何度か本気で殺そうとしたからね」
「その辺は黙っておけばよくない?」
「アレに嘘や誤魔化しが効くと思う?」
「……………………思わない」
何度シミュレーションしても、僕との関係についてイナトリが問い詰められる未来しか見えない。
往緒は聡い。空気を読まずに他人の小さな嘘まで暴くものだから、昔からトラブルが絶えなかった。思い出すのは、ムスッと口を真一文字に結んだ往緒の顔。最後に笑った顔を見たのは幾つの時だったか。
僕が困らせてばかりだったからだ。
「でも往緒クンに頼むなら、なおさら明緒クンが帰ったほうが良くない?」
普通の兄弟だったらね。
僕達は違う。
天才と凡人。
尊大と卑屈。
自由と不自由。
双子なのに常に対極の位置にあった。
嫌い合ってるわけじゃないのに相容れない。
「──ごめん、イナトリ。色々理由をつけたけど、本当は僕が元の世界に帰るのが怖いだけなんだ」
ひきこもりになったきっかけの事件。
あの時に感じた恐怖は今も全く薄れていない。他人から八つ当たりで攻撃されたことなんて大したことじゃない。
往緒が僕のために他人を死ぬまで追い込もうとした、そのことだけが怖い。
もし次に僕に何かあったら、往緒はまた報復するだろう。今度こそ誰にも気付かれないようにひっそりと。それが怖くて外に出られなくなった。
「僕は五年前から往緒と直接顔も合わせてないし、扉越しですら言葉を交わしてない。……僕が他人と関わることで、往緒が何をしでかすか分からないから怖いんだ。だから、もし元の世界に戻ったとしても頼れない。僕じゃなんにも出来ない」
往緒が進学と共に家から出たのは、自分が居たら僕の気が休まらないからだ。それ以来、長期休暇でも家には帰ってこなくなった。
喋りながら震える僕を見て、イナトリは察してくれた。そっと手を伸ばし、隣に座る僕の肩をポンポンと叩く。その手があたたかくて、涙があふれて止まらなくなった。
「ホントにごめん。身勝手だよね。こっちに来て少しはマシになったと思ったんだけど、まだ駄目みたい」
「はは、戦場のど真ん中で何回も死にそうな目に遭ったのに、それでもまだ往緒クンのほうが怖いなんてね」
イナトリの言う通りだ。
こっちの世界で命を狙われたり死に掛けたりしたことより、自分を守ろうとしてくれる実の兄のほうが怖いなんてどうかしてる。
「いいよ、ボクが代わりに全部やる。だから、ボクが往緒クンに殺されないで済むように、なんか手紙でも書いといてよ」
「……うん。ありがとう、イナトリ」
アーニャさんの屋敷から馬車で王宮に戻り、王族の居住区内に用意された部屋に向かう。廊下ですれ違う警備の騎士さんや官僚の人達がわざわざ立ち止まり、僕に頭を下げていく。
おかしな話だ。ただ王宮で保護されているだけなのに、まるで自分が偉くなったかのように錯覚させられる。これが当たり前だと勘違いしてしまいそうになる。いつまでも特別扱いを受けるわけにはいかない。
「そんな深く考えなくてもよくないすか」
今の扱いに疑問を感じると言ったら、間者さんは呑気な口調でそう答えた。
「他人事みたいに言うけどさ、君だって最近『カサンドール王家の末裔』って肩書きついたじゃん。それで特別扱いされたらどう思う?」
セルフィーラがひと目でカサンドールの王族だと分かる風貌をしているから、今は間者さんはあまり注目されていない。でも間違いなくカサンドール王家の血を引く男子だ。いずれ由緒ある血筋を目当てに近付き、担ぎ上げる者が出てくるだろう。
「……あー。イヤっすね、それは」
「でしょ」
カウチソファに寝転がり、高い天井を見上げる間者さん。僕もつられて上を見た。
キラキラ輝くシャンデリアには埃ひとつ付いてない。しばらく留守にしていたのに部屋の隅々まで手入れが行き届いている。遅い時間にも関わらず、侍女さんが熱いお茶とお菓子を用意してくれた。
果たして自分はこの扱いに見合う存在なのかと考えてしまう。
「僕も『異世界人』ってだけで、ここまで優遇されてるのはちょっと怖いよ。……だって、なにも出来ないし、なにも返せないのに」
「ヤモリさんは実績あるじゃないすか」
「僕がやったのはみんなを巻き込むことだけだよ。シヴァを倒したのだって、みんなの力だし」
「……なるほど、そう思ってんだ」
僕の向かいの椅子に座り直し、間者さんはテーブルに置かれたお菓子をつまんで食べた。
王宮に来たばかりの時、勝手に毒見役をした彼に怒ったことがある。今もこうしてさりげなく出されたものを先に食べて、万が一にも僕に危険がないように気を配ってくれている。そんな必要ないのに。
「間者さんに何かあったら僕がプレドさんから恨まれちゃうよ。もう僕を守るために危ないことしなくていいからね」
そう言うと、間者さんはビクッと肩を揺らした。
「……そっ……それ、護衛クビってことっすか」
ノルトンでの護衛一時解任が相当堪えたみたいで、彼は用済みとされるのを一番恐れている。青ざめた顔で僕の様子を窺っている。
「あ、ごめん。クビとかじゃなくて、これからは間者さんが守られるべき立場になるのかなって思ったんだけど」
慌てて弁解すると、間者さんはホッと息をついた。
「……カサンドールはとっくに滅びてるし、復興するとしてもいつになるかわかんないし。そもそもあんなことやらかしたんだから、王家の血ィ引いてても王になるとか有り得ないっしょ」
「そうかなあ」
母親のタラティーアさんが元国民を犠牲にしたのは確かに許されないことだ。でも、プレドさんのあの様子を見た限り、王族に対する忠誠心は少しも揺らいでいない。生き残った他のカサンドールの民も同じ気持ちだとしたら、いつかは。
「サウロ王国じゃ自分はただの孤児で、エーデルハイト家に仕える隠密で、今はヤモリさんの護衛。それでいいじゃないっすか」
「うーん……まあ、今のところはね」
こっちの世界に残ると決めた以上、きちんと役割を得て、自分の力で居場所を掴み取らないと。
なんにも出来ないけど、この世界で生きていくしかないんだから。
イナトリやヤモリ君、間者さんの
現在の立場や心境を残しておきたくて書きました
往緒はブラコンというより
双子の弟である明緒が何かされると
自分が傷付けられたと感じて報復するタイプ
あと加減を知りません
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最終回まで、あと2話となりました
よろしくお願いいたします




