171話・最初で最後の命令
王宮の敷地の一角にある司法部の研究棟。その長官室には、これまでに集められた異世界人の遺物が集められていた。
王宮で保管されていた和綴じの本数冊。
百年以上前の短刀、着物、袴、足袋。
美久ちゃんのランドセルや衣服、その他色々。
僕のスウェット上下とスリッパ、靴下。
イナトリの私服と学生証。
サクラちゃんの車椅子。
そして、シヴァの定期入れ。
一ヶ所にすべてが集められたのは今回が初めてだ。
「へぇ、百年以上前に転移してきたのはお侍さんだったのかな?」
「時代劇でしか見たことないよね、刀なんて」
短刀を手に取り、イナトリは興味深そうに観察している。僕は隣で受け答えしながら、この後のことを考えていた。
旧カサンドール領から帰還して数日。
その間にイナトリは王宮に呼び出され、ラトス誘拐の件やノルトン襲撃、ユスタフ帝国との関わりについて事情聴取を受けていた。オルニスさんやアーニャさんの弁護もあり、二日ほどで解放され、今は自由の身となった。現在は貴族街にあるアーニャさんの屋敷に住んでいる。
イナトリを庇護下に置くと決めた時、アーニャさんはすぐに屋敷に連絡を入れていたらしい。庭にサクラちゃん用の大きな厩舎を作らせ、迎え入れる準備を済ませていたのだ。アーニャさんの本気度を知り、イナトリは若干引いていたが嬉しそうでもあった。
セルフィーラは辺境伯邸にお世話になることに決まった。僕と一緒に王宮にいたらヒメロス王子の気が休まらないからだ。エーデルハイト家で保護していれば、下心のある他の貴族から手を出されることはない。今は辺境伯邸でマイラ達が相手をしてくれているはずだ。
つまり、この部屋にいるのは僕と間者さん、アーニャさん、イナトリ、そしてティフォー達だけ。学者貴族さんには席を外してもらっている。
「この前『引き合う力』について説明しただろう? 覚えているかい、イナトリ」
スリッパを両手に持ちながら、アーニャさんが問い掛けた。異世界研究について既に説明していたらしい。
「対となるもの同士が持つ力……ですよね。そのスリッパも、片方を異世界から呼び寄せたって。時間経過と共に引き合う力は薄れていく、とか」
「その通り。でも、それだけじゃないことがわかったのさ」
「え、どういうことですかアーニャ様」
スリッパを机の上に戻し、アーニャさんが軽く手を叩いて合図を送る。すると、部下の人が木箱を抱えて運んできた。
蓋を開け、布に包まれたものを取り出す。
中身は女児用の靴とゴムボール、ナイロン製の肩掛けポシェットだった。子供用の小さなもので、かろうじて形は残っているが、かなり傷みが激しい。ボールは空気が抜けて萎んでいるし、既に弾力が失われている。
「僕がティフォー達に頼んで探してもらったんだ」
「明緒クン、いつのまに」
ティフォー達の妹分であるリーニエは、故郷が獣に襲われた際に逃げ遅れ、人語を解する大鷲の魔獣となった。人語を解する、つまり彼女には異世界人の血が流れていたということだ。
何か残っているんじゃないかと思い、カサンドールから帰る前に彼らに頼み、廃墟と化した故郷の村に変わったものが残ってないか探してもらった。予想通り、こうして遺物が発見されたというわけだ。
「……でもコレ、かなり古いものだよね。三十……四十年位は経ってる気がする。引き合う力はもう残ってないんじゃない?」
「さっきも言っただろう? 引き合う力だけじゃないって。これだけの遺物を集めた理由はそこにある」
アーニャさんがイナトリをまっすぐ見据えた。
「対となるもの以外にも引き合う力がある。そう仮定して調べた結果、先日その答えがわかった」
「対となるもの以外……?」
「そう。異世界の遺物は異世界に、つまり、ヤモリやイナトリのいた世界と引き合う性質があると判明したのさ」
「……!」
「これだけの数の遺物を調べてようやく分かった。遺物には『元の世界に戻ろうとする力』がある。これは時間の経過によって薄れることはない。異世界の物質、つまり、ここにある遺物すべてにその力が宿っているんだよ」
信じられないといった表情で、イナトリは目の前に並ぶ遺物とアーニャさんの顔を交互に見た。
「その力を利用すれば、元の世界に戻れる?」
「理論的にはね。空間を繋げるのにかなりの魔力が要るが、まあ陛下や殿下達にも協力してもらえればなんとかなる」
「……それは……凄いね」
まるで他人事のように呟くイナトリ。
この反応を見て、アーニャさんは眉根を寄せた。これから彼にとって大事な話をしなくてはならない。それを伝えて、イナトリがどう出るか。
「これらの遺物の『元の世界に戻ろうとする力』を使って世界を渡れるのは、たったひとりだ」
遺物の質量と同等のものしか世界を渡れない。サクラちゃんの車椅子、追加で靴とボール、ポシェットが発見された事で、ようやくひとり分の枠が確保出来たのだ。
「ひとり? じゃあ明緒クンが」
やっぱり。イナトリは絶対にそう言うと思った。
「世界を渡るのは君だよ、イナトリ」
僕の言葉に、イナトリは数度目を瞬かせた。そして、すぐ苦笑いを浮かべて首を傾げた。
「え、なんで?」
「イナトリ。ほとぼりが冷めたらドラゴンを探しに行こうとしてるだろ。ティフォー達が教えてくれたよ」
それを聞いて、イナトリはバッと後ろを振り返った。壁際に控えていたティフォー、ナヴァド、ランガは、バツが悪そうに顔をそらしている。
「三人を怒らないであげてね。そういう話が出たら教えてくれるように頼んでおいたんだ。……あれだけ言ったのに、魔獣になるのを諦めてくれなかったんだね」
「……だって、そうでもしないと咲良が」
「サクラちゃんはそんなこと望んでないよ」
そう言うと、イナトリは唇を噛んで僕を睨みつけた。掴みかかろうとする手を間者さんが止める。しばらく睨み合った後、イナトリは手を振り払って距離を取った。
「知ったようなこと言うな! 明緒クンに咲良の何がわかる!!」
怒りの形相で喚くイナトリ。こんな風に睨まれるのはノルトンで対峙した時以来だ。
「わかるよ。直接聞いたから」
「…………え?」
イナトリが王宮に呼ばれて事情聴取を受けていた間、僕はアーニャさんの屋敷に出向いてサクラちゃんと対話を試みた。用意してもらった数十枚の板に五十音を一字ずつ書いて、それを鼻先で指してもらうことで意思の疎通を図った。
いわば巨大なコックリさんみたいな感じで。
「ホントはもう事情聴取なんて必要なかったんだ。イナトリ抜きでサクラちゃんと話がしたくて、オルニスさんに頼んで場を設けてもらったんだよ」
「なんで、そんなこと」
「イナトリの家は他に兄弟いないんでしょ? イナトリもサクラちゃんもいなくなって、ご両親はどうしているだろうね」
「……それは……」
僕の家は出来の良い往緒が残ってる。ひきこもりで何の役にも立たない僕が消えてもそんなに支障はない。
イナトリの家は違う。子供が二人とも行方不明になってどれほど悲しんでいることか。きっと今でも必死に探しているはずだ。
「サクラちゃんは『お兄ちゃんだけでも帰ってお母さん達を安心させてほしい』って言ってた。『早くしないと私のせいでいつか魔獣になっちゃう』って」
サクラちゃんの言葉を伝えると、イナトリは膝から崩れ落ちてうなだれた。肩を震わせ、涙を堪えているように見える。
「……それの何が悪いんだよ。知らない世界で、咲良だけが喰われて魔獣になって、その咲良を置いて帰れだって!? ……よくも、そんなこと……」
「ごめん、酷いことを言ってるって自分でもわかってる。イナトリがどう思うかも。でも、こっちの世界にいたら、君は絶対魔獣になろうとするでしょ」
「アタシらは、それを止めたいんだよ」
床に座り込むイナトリの前に膝をつき、アーニャさんはその体をぎゅっと抱きしめた。
「アンタは良い子だ。妹がああなったことに責任を感じているんだろう? だからって、アンタまで命を投げ出さないでおくれ」
「……アーニャ様は、ボクがいなくなってもいいの?」
「いいわけあるかい! ずっとウチにいてもらいたいくらいだよ。だけど、アンタの帰りを待つ親御さんの気持ちを考えたら、そんな我儘は言えないねェ」
「……ッ」
あやすように優しく背中を撫でられ、イナトリは涙を流した。そろそろとアーニャさんの背中に腕を伸ばし、そっと服を掴む。
こちらの世界の人に、イナトリは初めて縋り付いた。
アーニャさんの肩越しに、イナトリと視線が交わった。息を吸い込み、握る拳に力を入れる。ついにこれを言うべき時が来た。
「元の世界に戻って。これは『命令』だよ」
「……ここで使うのかよ……、ひどいな」
これまで何があってもイナトリに対して『命令』はしなかった。いくら示しがつかないと言われても『お願い』という形を取ってきた。
イナトリと仲良くなりたかったからだ。
でも、これだけは譲れない。嫌われてもいいから、生きて元の世界に戻ってほしい。そして僕が出来ないことを成してほしい。
「…………わかったよ。ボクが、帰る」
長い沈黙の後、イナトリはそう答えた。
イナトリ初登場時から
こうなる事は決まっていました
あと3話で最終回です
引き続き応援よろしくお願いいたします




