161話・最期の指示
「殺す気で来い。でなければ、そいつを殺す」
そう言ってシヴァは真っ直ぐ僕を指差した。
完全にロックオンされている。最強の魔獣を造り出す計画を狂わせた元凶が僕だと思われているからだ。結果としてそうなってしまっただけなんだけど。
「セルフィーラを竜に喰わせてしまえば俺の意のままに動く最強の魔獣が手に入る。あと少しだ」
ぶつぶつ呟きながらシヴァが近付いてきた。
その眼は狂気に彩られていたが、決して投げやりになっている訳ではない。今もナヴァド達やアリストスさん達の攻撃を一人で捌いている。将軍の座に就いていただけあって強い。
少しずつ距離を詰められていく。
僕の周りにはアーニャさんとティフォーがいる。それに魔導具の腕輪もある。王様が同じ部屋にいるおかげで魔力切れの心配もない。
それなのに、怖い。
シヴァは本気で僕を殺す気だ。殺意を向けられるのがこんなに恐ろしいなんて知らなかった。今までも何度か死にそうな目に遭ってきたけど比べ物にならない。
これだけの人数を相手取っているのに、何故シヴァは怯まないんだろう。まだ何か奥の手を隠し持っている?
「ヤモリに手出しはさせないよ!」
正面からアーニャさんが連続して火弾を放つ。しかし、魔法を無効化する竜の鱗の盾で弾かれた。
「ヤモリ殿の命を狙うとはけしからん!」
「おまえが言うなアリストス!」
その間に背後からアリストスさんと学者貴族さんがそれぞれ炎と雷を撃つ。しかし、シヴァに当たる前に掻き消された。今回は鱗の盾を使ってないのに、どうやって魔法を無効化したんだ?
「ふふ、言っただろう。魔法使いと戦うのに何の対策もしていない訳がない、と」
え、竜の鱗の盾だけじゃないの?
シヴァはバサッとマントを翻してみせた。真っ黒で分厚い素材で作られたものだ。さっき背後からの魔法を弾いたのはこれのせいか。
「もしや、竜の飛膜か」
「御名答」
王様が指摘すると、シヴァは振り向きもせずに短く応えた。
あの竜を捕獲した際に、先に翼の飛膜を切り取ってマントに加工していたのか。装備が全部黒いから気付かなかった。
さっき学者貴族さんの雷撃が効いたのは、避雷針代わりに刺した長針があったからだ。それが取り払われてしまった今、シヴァにはほとんど魔法が効かない。
「随分と気に入られているようだな。おまえを殺せばサウロ王国の奴らに痛手を負わせる事が出来るのは間違いないと見た」
嫌がらせで殺されてたまるか!
こうしている間にも、シヴァはどんどん近付いてくる。アーニャさんの前にティフォーが立ち、ナヴァド達に加わった。三人の息のあった連続攻撃がシヴァを襲う。
しかし。
「ぐあっ!」
「ナヴァド!!」
シヴァの剣先がナヴァドの右手首を薙いだ。以前の切断面から更に数センチ斬り落とされる。ぼとぼとと血が溢れ、白い石の床が赤く染まった。すぐに腕に力をこめて自力で止血をするが、古傷を抉られた彼は怒り狂った。
一旦飛び退いてから素早く間合いを詰め、ランガとティフォーの攻撃の合間を狙って蹴りを放つ。シヴァからは死角。だが、これは何かに弾かれた。
さっきから、なにかおかしい。
剣や盾、マント以外にもなにかある。
「こりゃあ妙だね」
「ですよね。今のは、まるで……」
アーニャさんも違和感に気付いたようで、いつでも魔法を放てるように身構えつつ、僕を背に庇った。
駄目だ。僕が狙われてるのに隠れたままじゃ。シヴァは魔法を防ぐ手段を二つも持っている。このまま対峙したらアーニャさんが危ない。
「あ、こら、ヤモリ!」
シヴァから一定の距離を保ちつつ、アーニャさんから離れ、玉座の間の壇上から駆け降りる。僕には魔導具の『風の障壁』がある。今は魔力の心配もないし、万が一接近されても攻撃は全て跳ね返せる。
「掛かったな」
一人になった僕を狙い、シヴァは進路を曲げて追いかけてきた。
恐怖で足がすくんで早く走れない。
追い付かれる!
でも、魔導具があるから大丈夫。
そのはずだった。
ギイイィン!!!
嫌な音を立て、風の障壁が軋んだ。
なんだ、この音と衝撃は。
「……ハッ、魔導具とやらは便利だな」
至近距離で、シヴァがニヤリと笑った。
風の障壁は確かに展開している。なのに、シヴァの側だけ消えている?
違う、これは二つの風の障壁がぶつかって、そこだけ相殺されているんだ!
間近に見たシヴァの腕には、僕の腕輪に似た魔導具があった。
「俺がサウロ王国に何度か刺客を放ったのは知っているだろう。その時、密かに奪ったものだ。……もっとも、今までは魔力がなくて発動しなかったがな」
そうか、今この玉座の間には王様の魔力が満ちている。だから、シヴァでも魔導具が使えてしまう。
風の障壁が無ければ、僕に身を守る術はない。
みんなが慌てて駆け寄ってくるのが見えたけど間に合わない。もう完全にシヴァの間合いに入ってしまっている。
「死ね」
「ヤモリ!!」
学者貴族さんの焦った声が聞こえた。
シヴァの剣が僕目掛けて振り下ろされるが──
キイィン!
乾いた音を立て、剣先はなにかに弾き返された。
相殺された風の障壁の中に、もう一つ小さな風の障壁が発生したからだ。
「初見でコレをやられたら、絶対僕は死んでた」
「……なに?」
「こんなの、事前に分かればどうって事ない。ナヴァドが身をもって見つけてくれたヒントを、僕は無駄にはしないよ」
見開かれたシヴァの目に映るのは、僕の腕輪と指輪。
違和感に気付いてアーニャさんの側から離れた時に、カバンから取り出して装備したイナトリの分の魔導具だ。イナトリは遠慮して身につけてくれなかったけど、それがここにきて役に立った。
互いの腕輪が発生させた風の障壁は相殺されたけど、指輪の風の障壁は有効だ。それでシヴァの剣を弾く事に成功した。
そして、完全に虚を突かれて動きを止めたシヴァの腹部に、僕の背後から現れた間者さんが小刀を突き立てた。小さな柄を両手で握り、力一杯押し込む。小刀は鎧の隙間に深く突き刺さり、そのまま腹に残された。
「……ぐっ……」
苦悶の表情でシヴァは腹の傷口を押さえた。口の端から血が滴り落ちる。小刀の刃部分がほぼ刺さっているのだ。内臓まで達しているに違いない。
無力な僕相手に、最後の最後まで油断してくれた。これはシヴァの慢心が招いた当然の結果だ。
「なぜだ、クドゥリヤ。なぜ父の邪魔をする」
肩で息をしながら、シヴァは間者さんの腕を掴んだ。指先に力が入らないようで、軽く振り払っただけでその手は離れた。
「いまさら親父ヅラすんな。自分には立派な育ての親がいるんで」
赤ちゃんだった間者さんを引き取って育て、ここまで鍛えたのは辺境伯のおじさんだ。血の繋がりはなくても、エーデルハイト家のみんなが間者さんの家族だ。
「は、はは……そうか。本当に、辺境伯の躾はなっとらんな……」
腹部からの出血が止まらない。剣を杖代わりにして身体を支えているくらいだ。竜の鱗の盾は既に床に落ちている。シヴァは戦う力を失った。
僕達の勝ちだ。
「どうやら間に合ったようだね」
「オルニスさん」
さっき危ないところで間に合ったのは、オルニスさんが直接間者さんを呼びに行ってくれたからだ。間者さん自身がきちんと片を付けられるように。
だが、これで終わらなかった。
突然シヴァが走り出し、近くの大窓から身を投げたのだ。
完全敗北の前に自ら命を絶つ気か?
そうじゃなかった。落下前に大きな声で「セルフィーラ!」と叫び、最期の指示を出したのだ。
辺境伯のおじさん達に囲まれて身動きが取れなくなっていたセルフィーラは、シヴァの意を瞬時に汲み、側にいた魔獣を落下地点に走らせた。
魔獣は大きな口でシヴァの身体を受け止めて咥え、ドラゴンの元へと走った。イナトリとサクラちゃんが止めようとするが、周りの魔獣が妨害してきてうまくいかない。クロスさんとカルスさんも必死に進路を阻むが、魔獣は死に物狂いで間をすり抜け、そのままドラゴンの口の中に突っ込んでいった。
「ざまあみろ」
嘲笑うようなシヴァの声を、その場にいた全員が聞いた。
口内のものを反射的に噛み砕くドラゴン。硬い金属製の鎧ごと咀嚼され、シヴァは真紅の魔獣とともにドラゴンの腹の中に飲み込まれていった。
そして、劇的な変化が訪れた。
ドラゴンの鱗の色がまた変わり始めた。白と赤から、じわじわと赤く染まっていく。ボコボコと全身が波打ち、ひと回り身体が大きくなった。
ドラゴンが真紅の魔獣に進化してしまった。
これこそシヴァが造りだそうとしていた最強最悪の魔獣。しかも、異世界人であるシヴァを生きたまま喰らった。つまり『人語を解する真紅の竜の魔獣』だ。これまで相対したどんな魔獣よりも手強いのは確実。
「ど、どうしよう」
「どうもこうも、倒すしかないっすよね……」
最強の魔獣に最凶の意識が宿った。
いよいよ物語の終わりが見えてきました。




