159話・王族の務め
シヴァの目的は、戦争で勝つ事でもカサンドール王国の復興でもない。より強い魔獣を造り出す為の餌の確保と広大な実験場を得る、ただそれだけだった。
そんな事の為に、これまでどれほどの人々が犠牲になってきたんだろう。
「異世界人の血とカサンドール王家の血を引くセルフィーラは俺の最高傑作。カサンドールの元国民から成る魔獣を操り、制御するには欠かせない存在だ」
自分の娘を野望の道具としか見ていない。シヴァは誇らしげに語っているが、僕達は冷ややかな気持ちでその言葉を聞いていた。
「なるほど。おまえの目的は魔獣の改良か。だから自ら帝位につかなかったのだな」
「いかにも」
「──では、余の交渉相手としては釣り合わん。おまえと話しても無駄だ」
その言葉通り、王様はもうシヴァを見ていなかった。彼が裏で実権を握っていようが、ユスタフ帝国の代表は現皇帝であるセルフィーラだ。
全ての攻撃を跳ね返す『絶対障壁』を展開させながら、王様は玉座の間をゆっくりと進む。魔獣や帝国兵達は近付くことも出来ず、道を開けて通してしまう。
完全にシヴァを無視した行動だ。
「余はサウロ王国の国王ディナルス・ドゥアルテ・ファガナクス。ユスタフ帝国皇帝セルフィーラ殿に話がある」
壇の手前で止まり、王様はセルフィーラに直接話し掛けた。突然声を掛けられたセルフィーラは、ちらりと視線をシヴァに向ける。
代表者会談の時もそうだったが、公の場で話をする役目は全てシヴァがやっていた。セルフィーラはただそこにいるだけのお飾り。だが、王様はセルフィーラがお飾りの立場に甘んじている事を許さない。
「我が国は他国と争う気はないが、かかる火の粉は振り払う。このままでは帝国のみならず、旧カサンドール領をも滅ぼさねばならぬ」
「……」
「カサンドール王家の血を継ぐ者よ。王族の務めを思い出せ。王族の務めとは、国を守り、そこで暮らす民の暮らしを守ること。……其方はこれまで民を守ったか?」
セルフィーラは応えない。
ただ王様の言葉は響いているようで、徐々に顔色が悪くなっていく。表情は変わらないが動揺している。
「民を死の淵に追いやる者が皇帝や王を名乗ってはならぬ。今からでも間に合う。全ての魔獣を抑え、兵を引くのだ」
「……っ」
耐え切れず、セルフィーラは王様から顔を背けた。これまでしてきた事を責められたと思っているんだ。
「セルフィーラは俺の命令がなければ動かん。そう教育してある」
無視され続けて痺れを切らしたのか、シヴァが横から口を挟んできた。セルフィーラからの返事が期待出来ないと悟り、王様は渋々シヴァの方に向き直った。こうしている間にも何度か強化人間達が攻撃を試みているが、全て『絶対障壁』で無効化されている。
「まったく、サウロ王国は厄介な国だ。大人しく要らん魔獣の始末だけしてくれれば良いものを」
シヴァは苛立ちを隠そうともしない。
「念願の竜を手に入れ、これからという時に。あと二日、いや一日もあれば最強の魔獣が生み出せたのだが……こんなに早くカサンドールがバレるとはな。イナトリめ、余計な真似を……」
大量の魔獣を周辺国に放ったり、ラトスを誘拐したり、政略結婚を持ち掛けて混乱させたり……思い返せば、どれも時間稼ぎの手段だった。
唯一の誤算は、イナトリが処刑されずにサウロ王国側に寝返った事か。
イナトリがいなければシヴァの行き先は分からなかったし、サクラちゃんの飛行能力が無ければここまで早くカサンドールに到着出来なかった。
「ヤモリ君が庇わなければ、私は怒りのままにイナトリを処刑していたかもしれないね」
オルニスさんの言葉にシヴァがピクリと反応した。そして、振り返って僕を睨み付ける。
「……計算が狂ったのは全ておまえのせいか。目障りな魔法使いどもをここへ集めたのも、おまえの仕業だったな」
完全に目を付けられてしまった。
元はといえば、サウロ王国を巻き込んだシヴァが悪い。自分の事を棚に上げて僕を恨むなんてお門違いだ。
「決めたぞ。おまえは必ず始末してやる。異世界人の血は惜しいが見せしめだ」
そう言って再び剣を抜き、シヴァが直接こちらに向かってきた。前後左右に強化人間達を従わせている。
「アンタ達、行けるかい」
アーニャさんが声を掛けると、ナヴァドとランガが前に出た。
「オウ! やっとオレ様達の出番ってか」
「おいおいおい、体が鈍っちまったぜぇ」
少し休憩出来たからか、二人とも気合い充分だ。肩を回し、ウォーミングアップを始めている。
「あの、ナヴァド。手、無茶しないでね」
僕の言葉にナヴァドは目を丸くした。そして、盛大に笑った。
初めてこの魔導具を発動した時、不可抗力とはいえ攻撃を弾いた反動で彼の右手首から先を切断してしまった。片手では戦い辛いはずだ。
「ハァ? 誰がやったと思ってんだ」
「ご、ごめん……」
反射的に謝ると、ナヴァドはあきれたように肩をすくめた。そして、無事なほうの左手をひらひらと振って風の障壁から出て行った。
まず、アーニャさんが身体強化を掛け、二人の攻撃力と防御力を底上げした。それとは別に、迫り来る強化人間達に向けて小さな火弾を放つ。
「要はそいつが諸悪の根源なんだろ? なら倒してしまえばいいのさ」
「よし、小生達も行くぞ!」
「了解です兄上!」
タラティーアさんの登場で勢いを削がれていた学者貴族さんとアリストスさんも参戦した。近接戦闘はナヴァドとランガに任せ、攻撃と攻撃の合間を狙って中距離から魔法で攻撃する戦法を取る。
室内のため、強力な魔法は使えない。それを逆手にとり、強化人間達は避けることもせずに戦い続ける。そうシヴァが指示しているんだ。後の事を一切考えていないのか?
だが、その無茶な戦い方には理由があった。
「ヴォルク」
何度も攻撃を受け、動きが鈍くなった強化人間の一人にシヴァが声を掛けた。名を呼ばれた強化人間の青年は、負傷した腹部を押さえながらこちらに飛び掛かってきた。
隙を突いてセルフィーラを奪還するつもりか。そう思って守りを固めたが、違った。
ヴォルクと呼ばれた青年は、風の障壁の上を通り越してバルコニーから降り、外にいるドラゴンの魔獣の口内に自ら飛び込んだ。
ぐちゃり、と肉と骨が噛み砕かれる音が辺りに響く。
あまりの事に、玉座の間にいる僕達も、下の広場でそれを目撃したエニアさん達も声すら出せなかった。
なんで?
何故自分から食べられに行った?
さっきまで目の前で戦っていた青年は、ドラゴンに咀嚼され、その腹に飲み込まれてしまった。
異変はすぐに起きた。
さっきエニアさん達が苦労して付けたドラゴンの翼の傷が、みるみるうちに塞がっていく。明らかに回復速度が上がっている。クロスさんが慌てて閉じかけた傷口に剣を突き刺して翼の修復を阻止する。
「……むぅ、不味い。また進化しそうじゃ」
辺境伯のおじさんが唸った。
視線の先にあるドラゴンの鱗は白かったはずだが、僅かに赤い部分が出てきた。白の魔獣から新種の魔獣に進化し始めているんだ。
赤毛の強化人間は魔獣並みに強い。つまり、魔獣を効率よく進化させる『餌』として最適、ということ?
いやいやいや、それは駄目だろ!
いくらなんでも非人道的過ぎる。
「え、なぁに? どうしたの?」
「……ねえさま、なんでもないです」
「ほら、また魔獣が岸に上がってきそうですわ! もう一度沖へ飛ばしますわよ!」
幸いマイラ達は見ていなかった。ラトスとシェーラ王女は周りの人々の反応やドラゴンの状態を見て察したようだ。マイラの注意を海の方へと逸らしてくれている。
サクラちゃんに乗って王城上空を飛ぶイナトリとカルスさんも、さっきの現場を目撃したようだ。鱗の色を変えつつあるドラゴンの魔獣を、二人は険しい表情で見下ろしていた。
「これ以上進化されたら困るよね。それに、目の前で人が食べられるなんて嫌だ」
「そうっすね。次は力づくで止めねーと……」
下の広場に行くにはバルコニーから飛び降りるのが手っ取り早い。別の大窓の方にはオルニスさん達がいる。この二箇所を押さえておけばいい。
「ね、ねぇ、ちょっと」
珍しく戸惑ったような声で、ティフォーが僕達に助けを求めてきた。彼女の腕の中に収まっているセルフィーラの様子がおかしい。無表情のままガタガタと全身を震わせて涙を流す姿は、誰が見ても異常だった。
さっきのを見てショックを受けたみたいだ。やっぱり彼女は普通の感性を持っている。うまく表に出せないだけで、嫌なことや悲しいことも全部分かっている。
それなら、協力してくれるかもしれない。
「セルフィーラ、僕達はこれ以上誰かが傷付くのは見たくない。君もそうでしょ?」
「……」
「お願い、あの人達を止めてくれないかな」
「……」
言葉を返してはくれないが、セルフィーラはようやく顔を上げて僕を見てくれた。
頬に涙の筋が残るほど泣いている。青い瞳が揺れ、視線が僕から間者さんへ、そして離れた壁際で座り込むタラティーアさんと女官さんに移った。最後にシヴァを見て、彼女は首を横に振った。
シヴァには逆らえない、ということか。
セルフィーラは生まれた時から洗脳されてきた。シヴァの意に反する行為は許されず、これまで数え切れないほどの人々を死に追いやってきた。
でも、もう終わりにしないと。
決着をつけるなら、サウロ王国の主だった戦力が集結している今しかない。
「ブリード」
またシヴァが名を呼んだ。
女性の強化人間が負傷した右足を引きずりながら、こちらへ向かってくる。間者さんが手首を掴んで止めようとしたら、彼女はもう片方の手で自分の腕を切り落とした。愕然とする僕達を尻目に、肘から下だけを遺して彼女はバルコニーから飛び降りた。
「エニア! グナトゥス! その子を止めておくれ!」
慌ててアーニャさんが下に向かって叫ぶ。
辺境伯のおじさんがドラゴンの前に立ち塞がり、ブリードと呼ばれた強化人間が近付くのを阻止する。そして、エニアさんが彼女の鳩尾を殴って気絶させた。すぐに周りの王国軍兵士が縄で縛り上げ、切断された腕も止血した。
「……こんな若い娘が、なんで平気で死にに行けるのよ」
強化人間の女性は、ティフォーと同じ二十代半ばくらいに見えた。兵士達に安全な場所へ運ばれていく彼女を見送りながら、エニアさんは怒りと悲しみのこもった声で呟いた。
「ヤモリさん、ごめん……自分がうまく止めれなかったから」
「いや、僕もまさかあそこまでするとは思わなかったし」
全力で死にに行く人を止めるのは難しい。腕や足を失っても構わないと本気で思っている。無傷で助けたいなんて呑気なことを言ってる場合じゃない。それがよく分かった。
間者さんは責任を感じているようだが、悪いのはシヴァだ。
強化人間達を一定以上傷付ければ、シヴァはまたドラゴンに喰われるように命令を下す。下手に戦えばまた犠牲者が増えてしまう。
アリストスさんと学者貴族さんは完全に攻撃の手を止めた。ナヴァドとランガも自分の身を守る事に専念し、攻撃を仕掛けるのをやめてしまった。
しかし──
「ウルカ、ペトロ、ヴェスタ」
シヴァが再び名を呼んだ。それも三人同時に。
まだ負傷してない万全の状態の強化人間が、一斉に大窓とバルコニーに向かって駆け出した。
大窓前に陣取っていたオルニスさんが一人を針で刺し、身体の自由を奪った。
バルコニーではアーニャさんが魔法で突風を起こし、二人の勢いを削いだ。そして、その隙に間者さんが首の後ろを打って気絶させる。
今度は止められた!
と、思ったのもつかの間。
三人の対処に気を取られている隙に、残りの一人がいつのまにか下の広場に降りてしまっていた。
エニアさん達の必死の妨害も虚しく、赤毛の強化人間の少年アグニは自らドラゴンの口内に飛び込み、食べられてしまった。
名前付きの強化人間達は、真紅の魔獣に等しい力を持っています。魔獣を進化させるにはうってつけの餌。
苦戦しなくても、シヴァはいずれ彼らをドラゴンに喰わせるつもりでした。




