154話・乱戦 *挿し絵あり
シヴァとセルフィーラの移動を防ぐ為、僕達はサウロ王国軍の到着を待たずに王城内に侵入した。
その結果、玉座の間で真紅の魔獣二匹と赤毛の強化人間に囲まれ、ずっと攻撃され続けている。魔導具の機能『風の障壁』で全て撥ね返しているけど、それもいつまで保つか分からない。
魔力貯蔵魔導具の魔力が尽きるのが先か、真紅の魔獣達が力尽きるかのが先かの持久戦だ。
拮抗状態の中、先に疲れを見せたのは魔獣の方だった。魔獣はセルフィーラの命令を受け、最初から全力でこちらに攻撃を続けている。風の障壁に弾かれても傷は負っていないが、少しずつダメージが蓄積していたようだ。
このまま真紅の魔獣が戦線離脱してくれれば、こちらの負担が軽くなる。
ところが、シヴァがそれを許さなかった。
魔獣の攻撃頻度が下がった事に気付き、すぐにセルフィーラに耳打ちをした。セルフィーラは玉座から立ち、後ろのバルコニーへと向かう。進路を塞いでいた大盾持ちの帝国兵達がザザッと動いて道を開けた。
まさか、外にいる魔獣を呼び寄せようとしている?
セルフィーラは大きく外に張り出したバルコニーに歩み出た。白いワンピースが海風で大きく揺れる。
下は広場で、正面には海が広がっている。ここで大きな声で呼び掛ければ付近にいる魔獣達がすぐ駆け付けるだろう。魔獣が増えれば、それだけ風の障壁の負荷が増えて魔力が尽きるのが早まってしまう。
止めなくてはならないのに、この状況では動けない。
セルフィーラはバルコニーの手摺に手を掛け、すう、と息を吸い込む。
その時、何者かが王城の上からバルコニーに舞い降りた。素早くセルフィーラの両腕を捻り上げ、もう片方の手で口を塞ぐ。
「こんにちは、綺麗なお嬢さん。ちょっとの間だけアタシに身を任せてもらうわよ」
ティフォーだ。
セルフィーラの顔に頬擦りしそうなくらい密着して話し掛けている。動きを封じ。そのまま少しずつ後退していく。セルフィーラは抵抗もせず、されるがままになっていた。ちらりと困惑したような視線がシヴァと、その後ろに控える女官さんに向けられる。
「何をしている、侵入者を捕らえよ!」
「は、しかし……」
シヴァが周りの帝国兵に怒鳴り散らすが、皇帝が人質にされている状態では下手に動けない。帝国兵は大盾を前面に構えてティフォーの周りを取り囲むしか出来ない。
「チッ。……アグニ、こちらが優先だ。出ろ」
「……」
小さく舌打ちをして、シヴァが新たな指示を出した。すると赤毛の少年が僕達に背を向け、バルコニーへと跳躍した。帝国兵の上を軽々と飛び越え、ティフォーの前に着地する。
幾らティフォーが強くても、この赤毛の少年の腕は段違いだ。人質を抱えたままでは満足に戦えない。どうするのかと思っていたら、更に上から二つの人影がティフォーの両隣に降りてきた。
「オウ、おまえの相手はオレ様だぜ。くそガキ」
「おいおいおい、見た目と違って強そーな匂いがするじゃねーか。燃えるねぇ」
細身の軽そうな男、ナヴァド。
大柄で筋肉質な男、ランガ。
それぞれ拳を鳴らしながら、アグニと呼ばれた赤毛の少年とティフォーの間に割って入る。好戦的な態度と特徴的な物言い、あの二人に間違いない。
「……え、嘘。死んだはずじゃ……」
帝都から脱出する途中、ナヴァドとランガは学者貴族さんの雷に撃たれた上にアリストスさんの剣でとどめを刺されて死んだはずだ。それなのに、目の前にいる二人は何故かピンピンしている。
「あー、そういやアールカイトの当主、殺してなかったっすよ。変態学者の人が止めてたんで」
「そうなの? なんで」
「……ヤモリさんが止めたからじゃないすか」
間者さんが呆れたように肩を竦めた。
確かに、彼らにとどめを刺そうとするアリストスさんの前に立ちはだかって止めた。でも、迫力に圧されて退いてしまった。その後は、怖くて倒れてる二人を見る事も出来なかった。
僕の意志を尊重して、黙って殺さずにいてくれたんだ。それなのに、僕はずっと心の奥にわだかまりを残したままでいた。
国境での戦いでサクラちゃんが負傷している間、シヴァの手からイナトリを守ったのは彼らだったのか。だから、イナトリはナヴァド達の安否を聞いて来なかったんだ。
赤毛の少年とナヴァド達の戦いは目で追うのがやっとな程の速さだった。素早いナヴァドが先に仕掛け、ランガがその合間に重い一撃を繰り出す。恐らく能力的には赤毛の少年の方が高いが、二人が組む事で何とか互角に渡り合えている。
というか、ティフォーはともかく、ナヴァドとランガは僕達の味方って事でいいのか?
その横を悠々と歩き、シヴァがティフォーに近付いていく。動きと声を封じられているセルフィーラは、ほぼ無抵抗でティフォーの腕の中に収まったままだ。
「おまえらは確かイナトリの……この俺に逆らうとは良い度胸だ」
じりじりと距離を詰めてくるシヴァに対し、ティフォーは更に後退した。背中にバルコニーの手摺が当たる。一人ならどうとでもなるが、人質を抱えたままでは逃げられない。
その時、急に玉座の間が翳った。
「逆らう? こいつらはおまえの部下じゃない」
イナトリの冷めた声が響く。
陽射しを遮るようにバルコニーの向こうに現れたのは灰色のドラゴン、サクラちゃんだ。翼を広げて羽ばたき、シヴァを睨みつけている。突然現れた巨大な魔獣に帝国兵は驚き、無意識のうちに後ろに下がった。
サクラちゃんの背に乗ったまま、イナトリはシヴァを見下ろしている。
「……生きていたか」
「お陰様でね」
短いやり取りの中に様々な感情が渦巻いている。ユスタフ帝国での二人がどんな関係だったかは知らないが、今この状況を見る限りかなり険悪だ。
人数だけなら帝国側の方が多いが、これで戦力的にはこちらが上回った。このまま一気に畳み掛けてシヴァを倒せば僕達の勝ちだ。
しかしドラゴンが姿を見せた事で、下の広場にいた帝国兵達が騒ぎ始めた。矢が射掛けられるが、サクラちゃんの鱗に弾かれ、全て下に落ちていった。
「その竜、無事だったか。案じていたぞ」
「材料として、だろ。咲良は絶対おまえの好きにはさせない」
イナトリの怒りの感情に応えるように、サクラちゃんが大きな声で鳴いた。それだけで玉座の間にいる帝国兵達は身体を竦ませ、持っていた剣や盾を取り落とした。
「役立たずどもが。……セルフィーラ、いつまでそうしているつもりだ」
シヴァが声を掛けると、それまで大人しく捕らわれていたセルフィーラがビクッと体を揺らした。そして、口元を覆っていたティフォーの手に思い切り噛み付き、僅かに離れた隙を突いて声をあげた。
悲鳴のような叫び。
甲高い、不安を掻き立てる絶叫が場の空気を一瞬で塗り変えた。ティフォーが慌てて再び口を塞ぐが、もう遅い。
僕達を執拗に攻撃し続けていた真紅の魔獣二体が反応し、狂ったように吠えながらセルフィーラの元へ駆けていった。赤毛の少年も、ナヴァド達との戦闘を中断してそちらへ向かう。
「コラ、どこに行く気だァ!」
ナヴァドが追うが間に合わず、少年の拳はセルフィーラを避け、ティフォーの横腹に撃ち込まれた。
「ぐっ……」
痛みに顔を歪めるがティフォーは手を離さない。少年はそのまま攻撃を続けるが、ナヴァドとランガが庇うように間に入り、魔獣を加えての乱闘となった。
セルフィーラの叫びは海風に乗って王都中に響き渡った。それにより、海岸側の広場と裏の市街地にいた全ての魔獣が活性化し、声の主の元へ集まり始めた。至る所から魔獣の遠吠えと足音が聞こえてくる。
この状況に、カルスさんが苦笑いを浮かべた。
真紅の魔獣があちらに行った事で、僕達の周りにいるのは大盾を持った帝国兵のみ。バルコニーの方に気を取られている彼らを、鞘に収めたままの長剣で次々に殴って気絶させていく。間者さんも、服の下に隠し持っていた長針を投げて周囲の帝国兵を無力化していった。
それオルニスさんの武器では?
「君の妹、あれ厄介だね〜。生かしておくと危ないかもしんないよ?」
「うるさい」
「今のうちに殺しとく〜?」
「……手ェ出したら許さないっすよ」
折り重なって倒れている帝国兵達のど真ん中で睨み合うカルスさんと間者さん。
効率重視のカルスさんからすれば、セルフィーラは真っ先に排除すべき存在だ。それでも女好きである彼からそんな言葉が出る事自体が意外だった。
「セルフィーラは悪くない。悪いのはシヴァだよ。それより、カルスさん最近ちょっとおかしくない?」
「俺が? そう? ……そうかな」
僕の言葉に答えながら、カルスさんは首を傾げた。自分の言動の変化に気付いていないようだ。とにかくセルフィーラに剣を向ける事だけはやめてもらわないと。
シヴァとイナトリも睨み合っている。ドラゴンの巨体が間近にあるにも関わらず、シヴァは全く臆する素振りを見せない。肝が座っている。
「てっきり向こうで縛り首にでもされていると思っていたが、靴でも舐めて取り入ったか? イナトリ」
サクラちゃんの背に跨がるイナトリを見上げ、鼻で笑うシヴァ。終始尊大な態度を崩さない。
「……やっぱり。ボクをサウロ王国に差し出して、怒りの矛先を向けさせたんだね」
「おまえは小賢しいから傀儡にならん。御せないならそれなりの使い方をするまでだ。竜を差し出すならまた使ってやってもいいが?」
「ふざけるな!」
イナトリの怒りに呼応して、サクラちゃんが翼を大きく羽ばたかせた。それにより、玉座の間に嵐のような突風が駆け抜けた。手前にいた帝国兵は重装備にも関わらず吹き飛ばされ、包囲の陣形はガタガタに崩れた。
だが、シヴァは僅かに身を屈めただけでその場に立ち続けていた。重心を低くして風をやり過ごしたか。
「帝国にいる間、ずっと気が休まらなかった。隙を見せれば殺されるような場所にはもう戻りたくない。だからボクはサウロ王国に付いたんだ」
「そういう所が小賢しいというのだ。思考を放棄しろ。俺に従え。そうすれば妹共々可愛がってやる。魔獣としてな」
「……ッ、この野郎!」
イナトリの忍耐が限界を超えた。
駄目だ、シヴァの挑発に乗っては。僕達の方が優勢に見えるこの状況下でシヴァが考え無しに喧嘩を売るわけがない。何か策があるはずだ。
激昂したイナトリがサクラちゃんに特攻を指示した。バルコニーに居るシヴァや帝国兵を巨体で押し潰す気か。ティフォー達が居るがお構い無しだ。
しかし、王城に最も接近した瞬間、四方からロープが投げ掛けられた。サクラちゃんの身体は身動きが取れなくなり、そのままバルコニーに乗り上げてしまった。
「おまえの欠点は短慮なところだ。目先の事に囚われて周りが見えなくなる」
くつくつと笑うシヴァの周りに、数人の男女が姿を現した。全員赤毛で、アグニと同じ黒い服を着ている。
まさか、この人達も強化人間?
「さあ、躾の時間だ」




