150話・王城潜入
王城の庭園に忍び込んだところを女官さんに見られたが、何故か見逃してもらえた。すぐ側に帝国兵が二人付いていたのだから彼らに告げれば僕達を捕まえられたのに、黙って城の中に戻っていった。
あの年配の女官さんには見覚えがある。
「あの人、セルフィーラの側付きじゃないっすか」
「あ、そうか。代表者会談にいた人だよね」
という事は、向こうも僕達の顔を知っている。敵対している国の人間が近くまで迫っているのに放置するなんておかしい。気付いていないフリをして態勢を整え、飛び込んだところを一網打尽にするつもりかもしれない。
「帝国軍が兵を固める前に、セルフィーラの確保を急ごう」
「分かりました」
裏口の木戸の鍵を壊し、間者さんの誘導で城内に潜入する。警備の兵士は海岸側の広場に集まっていて、屋内にはほとんど人影はない。柱の陰や空き部屋に身を隠しつつ、少しずつ内部を探索する。
「……うーん、なんか兵の数が少なくない?」
「そういやそーっすね」
以前、国境近くの野営地には最低でも二千人は居た。しかし、今広場にいる兵士の総数は二、三百人くらい。先日潰した別働隊と合わせても、その数には届かない。
「他にも別働隊がいるのかもしんないっすよ」
「じゃあ、逆に今ここが手薄なのかな」
そうだとしたらチャンスだ。
今のうちにセルフィーラを見つけ出し、シヴァから引き離す。それさえ出来れば、これ以上魔獣は増えない。
しかし、そううまくはいかなかった。
「上から全部の部屋見てきたけど、白髪の女の子なんていなかったよ〜」
「え、一階と広場にもいなかったんだけど」
これは予想外。
合流したカルスさんによれば、上階には最低限の警備兵しかいないらしい。隠し通路や隠し部屋、使用人用の作業部屋まで隈無く探したにも関わらずだ。まだ侵入者に気付いた様子はないみたい。
さっき僕達が見た女官さんは、掃除に使う水を汲みに来ていたらしく、今は上階にある貴人用の部屋を磨いているという。セルフィーラ付きの女官さんがいるなら本人も居るはずだと思ったんだけど。
「じゃあ、セルフィーラは」
「……もしかして、また魔獣を増やす為に?」
兵士の数が異様に少ないし、旧カサンドール領の別の街に魔獣を増やしに出掛けているのかもしれない。
そうさせない為に急いで来たのに、また居場所を探すところから始めないといけないのか。王都にいないなら、カサンドールの他の街か?
「一度イナトリのとこに戻ります?」
当てもなく探し回るには時間が掛かり過ぎる。それなら、リスク覚悟で動くしかない。
「……いや。知ってる人に聞こう」
「は?」
「セルフィーラの女官。たぶん、あの人なら行き先を知っているはずだ」
「……次は兵士を呼ばれるかもしんないっすよ」
確かに。さっきは何故か見逃してもらえたけど、次もそうとは限らない。もし騒がれたら帝国兵に見つかってしまう。
でも、これが一番手っ取り早い。
カルスさんに案内してもらい、上階へと移動する。城内にいる警備兵との遭遇を避ける為、さっき見つけたという隠し通路を利用する事にした。成人男性が通るのがやっとの狭い空間だ。長年使われてなかったらしく、蜘蛛の巣と埃だらけだが、兵士に見つかるよりはマシだ。
なんとか件の部屋の近くまで来た。
「あそこが年配の女官の人が居る部屋だよ。でも、扉の前に警備兵が立ってるんだよね〜」
少し離れた柱の陰から覗き見る。部屋の扉の前には二人の帝国兵が陣取っていた。さっき水汲みの時にも居た護衛の兵士だ。でも、なんだかおかしい。
「あの二人、護衛っていうか見張りっぽくないすか」
「うん。僕もそう思った。なんか、中にいる人が出ないように扉を塞いでいるように見える」
監禁経験があるから分かる、という訳ではない。なんとなく感じる違和感だけが根拠だ。
護衛ならば、別の場所に誘き寄せてその隙に部屋に侵入、という手が使える。しかし見張りだとすると、何かあっても持ち場から離れない。
「めんどくさいから気絶させちゃう〜?」
「出来ます?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
何を考えたか、カルスさんは上衣を脱ぎ、魔導具を外して僕に渡し、身を隠していた壁の陰から出て廊下のど真ん中を歩き始めた。
突然現れた見知らぬ金髪の青年に、帝国兵はギョッとしつつも動けないでいる。振る舞いが堂々とし過ぎていて、不審者だと思われていない。ヒラヒラした薄地の衣服はカルスさんの雰囲気に合っていて、黙っていれば貴族の青年にも見えるからだ。普通、侵入者はこんな服着ないしね。
「やあ、お仕事ごくろうさま」
「はっ」
軽く微笑みながら労いの言葉を掛けると、帝国兵二人は反射的に姿勢を正して応答した。完全に雰囲気に飲まれている。
そのまま歩いて部屋の前を通り過ぎると見せかけ、帝国兵との距離が一番近くなった時、カルスさんが素早く動いた。スッと踏み込み、一人のうなじを手刀で打つ。振り返り様にもう一人の首を掴んで壁に押し付け、気道を押さえる。声を上げたり抵抗する隙も与えず、一瞬のうちに二人とも気絶させる事に成功した。
え、こわ。
手招きされ、僕達も壁の陰から出て扉の前に駆け寄る。泡を吹いて倒れる帝国兵の懐を探り、鍵を奪う。いつ目覚めるか分からないので、間者さんが手早く猿轡を噛ませ、手足を縛り上げて廊下の柱にもたれ掛けさせた。
扉を開けると、女官さんは窓際まで下がってこちらと距離を置いていた。先程の廊下のやり取りが聞こえていたのか、警戒されている。
「……何のご用でしょう」
動揺はしていない。毅然とした態度でこちらを見据える年配の女官さん。後ろでひとつにまとめられた髪は白髪混じりの栗色。神経質そうな、線の細い女性だ。
「えー、さっきは見逃してくれてありがとうございました。それで、ちょっとお尋ねしたいんですが……」
僕が声を掛けると、女官さんは小さく息を吐いた。
「陛下ならおりません。お引き取りを」
「行き先を知りたいんですけど」
「……」
黙秘された。
まあ、そうなるよね。侵入者にすんなり情報を与えるようでは貴人の側付きには向いていない。
「貴女は皇帝陛下が利用されてる事、知ってますよね? 僕達はそれを止める為に来たんです」
「……」
「お願いだから教えてください。早くしないと、また沢山の人が死んじゃうかもしれない」
「そのような事……」
無表情が崩れた。
やはり、この人はセルフィーラが何をさせられているか知っている。知っているのに見て見ぬ振りをしているんだ。
「……今、外がどうなってるか知ってますか。ユスタフ帝国も旧カサンドール領も魔獣だらけですよ。あれは全部、元はカサンドールの国民なんじゃないですか」
「……」
聞きたくないのか、女官さんは僕から視線を逸らした。良心がない訳ではなさそうだ。
このまま説得して聞き出そうとした時、間者さんが一歩前に出た。
「……アンタ、もしかして二十年前に赤ん坊を辺境伯に預けた人じゃないっすか?」
間者さんの表情は硬い。少し震えた声で、でもしっかりと尋ねる。
その言葉に、女官さんは身体を強張らせた。ゆっくり視線をこちらに戻し、床に膝をついて項垂れた。そして、諦めたように口を開いた。
「…………その通りです、クドゥリヤ様。まだ一人で歩けない幼い貴方様を、この私が……」
「……やっぱ、そーじゃないかと思った」
という事は、この女官さんが間者さんを親元から引き離した張本人?
「間者さん、いつから気付いてたの?」
「辺境伯に当時の事を聞いた時かな。思い返してみれば、代表者会談の時に自分がシヴァの子だって聞いて、プレドは驚いてたのにこの人は全然驚いてなかったし。確信したのはついさっきだけど」
そう言われてみればそうだ。
あの時、この人は同席していたのに一切動揺していなかった。皇帝の生き別れの兄が現れたのなら、普通はプレドさんのように取り乱してもおかしくはない。
驚かなかった理由は、最初から知っていたからか。
「──ええ、ひと目で分かりました。シヴァ様譲りの黒髪とタラティーア様と同じの瞳の色、見間違うはずがありません」
「なんでそんな事……」
この人がそんな真似をしなければ、間者さんはユスタフ帝国で両親や妹と共に過ごせた。物心つく前に家族と引き離された反動で、彼は今でも家族の愛情に飢えているというのに。
「あのまま帝都に居れば、貴方様は間違いなく殺されておりました。それで、仕方なく……あの時は、ああするしかありませんでした」
殺される?
一人歩きも出来ない赤ちゃんが?
『詳しい理由は知らんが、あのまま帝都にいたら子供の命が危ないとか何とか言っておった。敵方の儂に託すくらいじゃから、余程切羽詰まった状況であったのかもしれん』
辺境伯のおじさんの言葉が蘇る。
一体誰がそんな真似をするというのか。
これは僕が聞いてもいい話なのか?
「クドゥリヤ様を殺そうとしたのは、シヴァ様でございます」
命を狙っていたのは、実の父親。
そう告げられ、間者さんは拳を握り締めた。




