145話・潜入捜査
帝国領に侵入してから約一日半。
ようやく帝国軍の野営地と思しき天幕群を発見した。あまり近付くと向こうから気付かれてしまう為、少し離れた岩山地帯に降りる。あちらまでの距離は一キロくらい。
岩陰から野営地の様子を窺いながら、どうするか話し合う。
「帝国軍に間違いはないけど皇帝旗がない。多分あれは別働隊だ」
「そういや数も少ないっすね」
以前、国境を挟んでサウロ王国軍と対峙していた際の野営地はもっと規模が大きかった。現皇帝セルフィーラが居たからか、大きな天幕が幾つもあった。先程発見した野営地には大型天幕は見当たらない。
「サウロ王国軍から逃げる途中で二手に分かれたんだろう。あそこにシヴァはいない」
「じゃあハズレかぁ」
また一から探さねばならないのかと思ったら、イナトリが意外な事を言い出した。
「いや、あそこの奴らにシヴァの行き先を聞けばいいんだよ。こっちの世界には携帯電話とか無いし、ボクが寝返った事はまだ伝わってないはずだ。味方のフリして行けば気付かれない」
「え、危なくない?」
「大丈夫。咲良もいるし」
そう言ってイナトリがサクラちゃんの身体をポンと叩くと、応えるように小さな声でギャアと鳴いた。
「いや、そーじゃなくて、あんたがまた寝返らないかって聞いてるんすよ」
「ちょ、間者さん!」
数日前のノルトン襲撃時まで、イナトリはユスタフ帝国側に付いていた。今はオルニスさんの部下となったけど、再び寝返らないとは言えない──と、間者さんは指摘しているのだ。
「……まあ、そこは信じてもらいたいけどね」
「あんたと竜が同時にあっちに付いちまったら、帝国領のど真ん中で放り出されるこっちがヤバくなるんすよ。だから、あの野営地への調査は自分が行く」
そう言いながら、間者さんは胸元から指輪を取り出した。盗聴阻害の魔導具だ。気配を消す事に長けた間者さんがこれを使えば、誰にも気付かれずに野営地に入り込む事が可能だ。
しかし、イナトリは一歩も退かない。
「あれぇ、君はシヴァの息子なんだろ? 帝国軍側に付きたいのは、むしろ君の方なんじゃないの?」
「は?」
正面から対峙して、バチバチと火花を散らす二人。初めてまともに会話したと思ったら、何故か滅茶苦茶険悪なんですけど!
お互い信頼関係が築けていないまま旅に出てしまったから仕方ないとはいえ、この状況はマズい。仲違いしている場合じゃないというのに。
「ケンカはやめよう? 野営地にはイナトリとサクラちゃんに行ってもらうから!」
間に入って止めると、間者さんが明らかに不機嫌になった。逆効果か。
「ヤモリさん、そいつの方を信じるんすか」
「違うって。間者さんは僕の護衛でしょ? 側から離れたら駄目だよね?」
「……それは、まあ……」
例え気配を消して潜入しても欲しい情報が手に入るとは限らない。イナトリならばピンポイントで直接情報を聞き出せる。今回は彼が適任だろう。
ようやく鎮まったかと思えば、今度はイナトリが鼻で笑った。明らかに間者さんを挑発している。
シヴァの息子というだけで毛嫌いしているようだ。無理もない。でも、今は同じ目的に向かって協力し合う仲間だ。出来れば仲良くしてもらいたい。
「イナトリ、お願いしていい?」
「……あのさあ、前にも言ったよね。ボクは一応明緒クンの部下でもあるんだよ? そんな下手に出てちゃ示しがつかないじゃん。『お願い』じゃなくて『命令』しなよ」
呆れ顔で淡々と説教してくるイナトリ。
部下だのなんだの言いだしたのはそっちだし、僕は未だに認めてない。十八年間の人生で他人に命令なんかした事ないし。『さん』付けをやめてるだけでも僕的にはかなり頑張っている方だ。
「命令なんかしなくても大丈夫だって信じてるから。だから、危ないと思ったらすぐに戻ってきて」
「…………分かったよ」
小さく息を吐いて、イナトリはサクラちゃんに乗った。先程の話し合い(という名の口喧嘩)の最中に、カルスさんがサクラちゃんの背中の上に括り付けられていた木箱を降ろしてくれている。サウロ王国軍の焼き印付きの木箱だ。怪しまれる材料は極力無くした方がいい。
「じゃ、探りを入れてくる。そこで待ってて」
そう言い残し、イナトリはサクラちゃんと共に野営地に向かって飛んでいった。たった数度の羽ばたきで巨体をふわりと舞い上がらせ、あっという間にその姿は小さくなった。
ここから先はイナトリの働き次第だ。
「随分アイツを信用してるんすね」
間者さんの言葉が刺々しい。イナトリの意見を優先したように思われただろうか。
「今はイナトリに動いてもらうのが一番確実でしょ? 最初から疑ってたら何にも出来ないし、それじゃ僕達の事も信じてもらえなくなるよ」
「……」
まだ納得いかないようだ。
人と人の関係って難しいな。知らない相手だから信じられない。それは当然の事だ。でも、そこから先に進むには、どちらかが先に歩み寄らなくては。
僕には信じて頼る事しか出来ない。
「あいつがサウロ王国側についたのがバレなくても、別働隊がシヴァの行き先を知らないかもしんないっすよね」
「いや、知ってるはずだよ。別働隊には必ず役割がある。定期的に連絡を取り合っているだろうし、多分何処かで合流すると思う」
サウロ王国軍を撒く為に、無計画に分かれたのではない。目的が何かは分からないけれど。
「……あれ。ねぇ、小隊が合流しそうだよ〜」
辺り一帯を警戒していたカルスさんから報告がきた。恐らく伝達係だ。本隊と情報を共有する為に、定期的に行き来していると思われる。つまり、最新の情報を持っている可能性が高い。
「あ、やば。イナトリがこっちの味方になったのがバレちゃうかも」
僕の言葉が終わる前に、カルスさんが長剣を携えて駆け出した。風を切る程の速度で、上体を低く構えて野原を走り、一直線に帝国軍の野営地へと向かっていく。
しばらくして、野営地の方で動きがあった。
サクラちゃんの灰色の巨体が浮かび上がり、何度か天幕に体当たりをして潰していく。耳を刺すような咆哮が軍馬を恐慌させる。繋いでいた縄は切られていて、怯えた馬達が四方に散り散りに逃げていくのが見えた。
その後、イナトリとカルスさんを乗せたサクラちゃんがこちらに戻ってきた。二人と一匹は無傷だけど、ひどく疲れた様子だった。
「バレる前にシヴァの行き先は聞き出せた。すぐには追って来れないだろうけど、ここから早く移動した方がいい」
「わ、分かった」
三人で木箱をサクラちゃんの背中に積み直し、前脚にロープを掛ける。そして、すぐに岩陰から飛び立った。
「はぁ、カルスが来なかったら危なかったよ」
「竜のお嬢さんを守る為だからね〜」
やはり、後から合流した小隊によって寝返った事が知らされたらしい。それまでに聞き出した情報から、シヴァの向かう先が判明した訳だ。
「シヴァの目的地は旧カサンドール領だ」
「……カサンドール……」
間者さんが呻くように繰り返した。
二十数年前にユスタフ帝国により侵略され、今は一地方として支配されている地域。そして、間者さんの母親・タラティーアさんの生まれ育った場所。
帝国を棄て、カサンドール領に逃げ込んだか。
それとも──
「……よし。じゃあ、サウロ王国軍に一旦合流してエニアさん達に伝えよう!」
「分かった。現在地がこの辺で、えーと……サウロ王国軍はこの辺まで進んでるかな?」
手にした地図を見ながら、イナトリが合流予定地を予測する。ノルトンを出る前にオルニスさんから仕入れた情報から、更に時間が経過している。魔獣の大群を倒しながらではあまり進んでいないはずだ。
僕達は帝国領の東側にいる。旧カサンドール領のある西に向かって飛べば、そのうちぶつかるだろうとアタリをつけた。
「そういえば、今は帝都ってどうなってるの?」
「自分が行った時はまだサウロ王国軍も来てなかったんで、住民はフツーに暮らしてましたね。街の外の情報の一切が遮断されてたし。まあ、今はもう制圧されてると思うけど」
帝国軍がどれくらいの規模なのかは分からない。将軍シヴァと現皇帝セルフィーラが不在ならば、警備も最低限なのではないか。という事は、帝城制圧時に間者さんの母親も身柄を確保されている可能性が高い。
間者さんは親子の情を完全に押し殺している。物心つく前に親元から引き離され、この年齢になるまでその存在すら知らなかったのだ。でも、先日ついに顔を合わせ、言葉を交わした。何も思わないはずがない。
不安や心配を誤魔化す為か、間者さんの口数が増えた。
「外務大臣のプレド、カサンドールの貴族の出らしーっすよ。カサンドールが滅びた後に帝国側に媚び売って生き延びたんだとか」
「へえ。そういえば、帝国であの人以外の貴族って見た事ないな。他にもいるんだよね?」
「二十年前にだいぶ粛正してかなり数は減ってるって言ってたっすよ。だからアイツでも大臣になれたんすよね。セルフィーラがあんな状態だから、自分に取り入って引き立ててもらう気満々で。勘弁してもらいたいっすね」
シヴァが異世界人の身で帝国を牛耳る為に、有力な貴族から取り潰していったんだろう。逆らう気概と能力を持った者を消し、自分に従う者だけを残した。
戦争の責任を取って処刑されたという先々代皇帝。おそらく正統なユスタフ帝国の皇帝の血筋はそこで絶えてる。セルフィーラは帝国皇帝を名乗っているだけ。全てが計画通りに進んだら、適当なところでユスタフ帝国を滅ぼしてカサンドール王国を再建する。
そうすれば、後の世に書き記される歴史にはユスタフ帝国の悪名だけが残る。
セルフィーラに幾らおべっかを使っても何の効果もない。この先を考えて、シヴァとタラティーアさんの息子である間者さんに恩を売っておきたいんだろう。
「じゃあ、お前が代わりに皇帝になればぁ?」
イナトリの煽るような発言が原因でまた言い合いが始まった。お願いだから空飛ぶドラゴンの上で喧嘩はやめてほしい。
喧嘩するほど仲がいい。




