144話・それぞれの思い
夜の闇に紛れ、ドラゴンの背に乗って飛び立つ。
城壁を乗り越えた先はしばらく集落もない。僕が飛行に慣れるまで超低高度で飛んでくれた。それでも地表から十メートルくらいの高さだ。万が一落ちたら、死にはしないだろうけど大怪我は免れない。震える手でロープを掴み、風の抵抗を減らす為に上体を伏せる。
イナトリは慣れたもので、スタスタと首の方へと移動してサクラちゃんに話し掛けたり、無駄に鱗を撫でまくるカルスさんを叱りつけたりしている。こっちの世界に来てからずっとこうやって移動していたから全く怖くないらしい。
しばらく南下していたが、徐々に向きが変わってきた。街道から外れ、東の方へと飛んでいく。
「オルニス様からサウロ王国軍が調べ終えた地域を聞いている。ボク達は大河との境い目からぐるりと回ってシヴァ達を探すよ」
翼が上下に動く度に座った背中部分が波打つ。木々に掠らない程度の高さを維持して飛び続けること数時間、国境の壁に到達した。サウロ王国とユスタフ帝国を隔てる石の壁だ。それを飛び越え、帝国領へと侵入する。
「それぞれ周りを見て、何か見つけたらすぐ教えて。街とか野営地とか、明かりがついてれば分かるから」
「わ、分かった」
返事をした途端、ぐわっと高度が上がった。急に地面が遠くなり、上空の冷えた空気が肌を刺す。上着の前を合わせて風が入り込むのを防ぎながら、目を凝らして眼下の大地を見回してみた。
月明かりを反射する大河の流れ。岸辺に集落らしき場所が幾つもあったが、ひとつも明かりは灯っていない。夜中だからではなく、廃虚と化しているからだ。こういった集落跡地は珍しくないらしい。
「きっちり壁で囲われてる大きな街以外は大体ああだよ。昔は栄えてたんだろうけど、今は国民の数もかなり少ないし」
そう言いながら、イナトリは地図に印を付けていく。シヴァの下で働いていた時に帝国領を回った事があるんだろう。廃墟と化した集落は珍しい光景ではないということだ。
その後も夜明けまで飛び続けたが、何処にも明かりは見つからなかった。水場の近くに降り、休憩を取る。
真っ先に降りたカルスさんが手早く火を熾し、持参した荷物から食料を出して朝食を用意してくれた。めちゃくちゃ手際が良い。
「遠征先でいっつもやってたからさ、四人分なんて大した手間じゃないから気にしないで〜」
軍務長官直属部隊の副隊長という肩書きなのに世話好きとは。エニアさんやクロスさんはこういうの苦手っぽいしな。
間者さんは川で全員分の革袋に水を汲んでいる。僕だけやる事がない。アウトドアとかした事ないし、何をすべきかが分からない。完全にお荷物だ。いや、野営に限った話ではないけれど。
翼を休めていたサクラちゃんが急に顔を上げ、何処かへ飛び去っていった。
「近くに魔獣がいたんだろ。それが食事代わりになるんだ。すぐ戻ってくるから安心して」
「そ、そうなんだ」
ドラゴンになってからの食事は専ら魔獣らしい。普通の食事も食べれるが、巨体を維持するには量が要る。魔獣を倒して食べた方が早いんだとか。
適当な岩に腰を掛け、鉄鍋で作られたトマトスープに堅パンを浸して食べる。そのままだと歯が欠けそうな鋼鉄のようなパンだが、水分を含ませるとふやけて食べやすくなる。塩気が効いてて美味しい。
せめて後片付けを、と鍋や食器を洗う役を申し出る。川べりで洗い物をしていたらカルスさんから話し掛けられた。
「君さあ、竜のお嬢さんと同じ異世界人なんだろ〜? そっちの世界の年頃の女の子って何が好きかなあ」
「え、……さあ?」
「なんだよ、君もイナトリみたく意地悪すんの? あいつも全然教えてくれないんだけど〜」
そりゃイナトリは教えたくないだろうな。
勘違いされては困るが、僕は教えたくても分からないだけだ。そもそも思春期に入ってから外に出た事がないんだから、好きそうなものを知らないどころか女の子と会話した事すらないんだぞ。
「サクラちゃんのこと、本当に好きなんですね」
「うん。そりゃ最初はびっくりしたけどさぁ、見慣れると可愛いし、こっちの言う事にちゃんと反応してくれるし〜」
洗いあがった食器を拭きながら、機嫌よく答えてくれるカルスさん。ただの女ったらしとは違うみたい。
「サウロ王国ってバエル教が浸透してるじゃん? そのせいか、あんま竜に抵抗感ないんだよね〜。練兵場に出入りしてる兵士のひと達も、竜のお嬢さんが大人しい子だって分かったら怖がらなくなったし〜」
バエル教の宗教書は挿し絵にドラゴンが描かれていた。実際に生きたドラゴンを目にする事はなくても、その存在はみんなが知っている。そういう下地があるから親しみを持ち易いのかも。
「俺って見た目と性格がこんなじゃん? モテるはモテるんだけど、死ぬほど好かれるか超嫌われるかの極端でさ。まぁ、寄ってきた人もすぐ離れてくんだけど。クロスの方がフツーにモテてんだよ、信じられるぅ?」
「はあ」
同じ美形なら、チャラチャラしたカルスさんより寡黙なクロスさんの方が信用出来そうだもんな……とは口に出さないでおく。
「……竜のお嬢さんはさ、俺を拒絶したりしないんだ。なに言ってるか俺には分かんないから、ホントんとこは嫌われてるかもしんないけど、それでも嬉しい。だから、もっと喜ぶ事してあげたいんだ」
驚いた。その派手な見た目や言動に反して、カルスさんはすごくまともな人だった。真剣にサクラちゃんの事を想っているのが伝わってくる。
「それ、そのまま言ったら喜ばれると思いますよ」
「え、そういうもん?」
顎に手を当て、うーんと唸るカルスさん。数秒考えた後、パッと表情を明るくした。
「うん、今度言ってみるよ。ありがと!」
後片付けが終わった頃にサクラちゃんが戻ってきた。ノルトンから夜通し飛んできたので、この場で少し仮眠を取る事になった。
間者さんが小型天幕を張っておいてくれた。僕とイナトリが中で、カルスさんと間者さんが外で見張りをしながら休む。人や魔獣が近付けば気配で分かるらしい。サクラちゃんが居れば、弱い魔獣や野生動物は近寄って来ない。人間だけ警戒すれば済む。
天幕の中は狭いので、背中合わせで寝転がる。
「……明緒クンは、オルニス様が怖くないの?」
「え?」
横になって暫くしてから、イナトリが口を開いた。質問の意味が分からなくて答えられずにいたら、そのままイナトリは言葉を続けた。
「貴族だっていうけど、ボクと咲良を制圧した時の身のこなしは只者じゃなかったよね。しかも頭も切れるし、あんな恐ろしい人とよく平気でいられるね」
「あー……そういえばそう、かな?」
城壁からドラゴンに乗り移り、針でイナトリを気絶させたりしてたな。普通の貴族はあんな事しないんだっけ。頭が良いのはトップの文官だからかなーとしか。規格外の人ばかり見てきたから、そこまで疑問に思わなかった。
本人が側に居ないのに『様』付けで呼んでる所をみると、かなり恐れているんだろう。
「怖くないといえば嘘になるけど……いつも助けてくれるし、友達のお父さんだし、僕はオルニスさん好きだよ」
「……図太いね」
「そ、そうかな」
呆れたように小さく息を吐くイナトリ。敵対した者しか分からない何かがあるのかも。
「そんなに図太い神経してるのに、なんでひきこもりなんかやってたの? 話してて思ったけど、明緒クンて別に頭悪くないよね。人付き合いに失敗するようにも思えないし」
「……ええと」
「もしかして、往緒クンのせい?」
ズバズバ聞いてくるなぁ。
イナトリの話は前に聞いたし、僕だけ黙っているのもフェアじゃないか。あまり気は進まないけれど。
「……往緒のせいじゃないよ。僕が精神的に弱かっただけなんだから」
あんまり思い出したくないけれど、ほんの少しだけ記憶の蓋をズラして当時を振り返る。
双子の兄が優秀過ぎて常に比較されていた事。
往緒が反感を買う度に僕に皺寄せが来た事。
一時期、虐めに近い状況に陥った事。
相談した大人達に取り合って貰えなかった事。
大人に話したのがバレて報復された事。
往緒が仕返しして相手が病院送りになった事。
示談が成立してからも噂が消えなかった事。
聞いた側が不愉快にならないよう言葉を選びながら、僕がひきこもりになった経緯を掻い摘んで話した。
当時は本当に辛くて、他人の姿が視界に入るだけで過呼吸になり、身動きが取れなくなった。見兼ねた両親が休学手続きをして、自宅で勉強出来るように環境を整えてくれた。
高校進学の際に、往緒は遠くの学校を選んで家を出た。多分、地元を離れる事で僕を守ろうとしてくれたんだと思う。それなのに、僕は家から出られないままだった。
こっちの世界に来てから出会った人達は、気弱で何も出来ない僕を尊重してくれた。比較対象である往緒を誰も知らない世界だからこそ、伸び伸びとひきこもり生活が送れた。少しずつ他人と話す事に抵抗が無くなってきた。
この世界で、僕の時間は再び動き出したんだ。
「…………なにソレ。やっぱ往緒クンのせいじゃん! 完全にとばっちり受けてるじゃん!」
「往緒と勘違いして帝都まで人質交換に呼び出した人に言われてもね〜……」
「ホントだ! ボクもやっちゃってる!」
まさか異世界に来てまで往緒絡みで何かされるとは思ってもみなかった。
「……もし異世界に来たのが往緒クンだったら、まず人質交換に応じなさそうだよね」
「それどころか、チートないのに普通にティフォー達を制圧しそう。てか、攫いに来るのを先読みして返り討ちにしそう」
「やば。ホント明緒クンで良かった……」
僕達は背を向けたまま、クスクスと笑い合った。
イナトリは悪い奴じゃない。腹を割って話してみると、すごく面白くて楽しい。こういう友達が欲しかったんだ、と今更ながらに気が付いた。
「……あのさ、国境の手前で明緒クンにしてやられた事あったよね。あの時、やられたのに全然悔しくなかったんだ」
「え、そうなの?」
「あの時、往緒クンになりきって声を掛けてくれたよね。元の世界では、ああやって真正面から往緒クンに話し掛けてもらった事なくて、……実はちょっと嬉しかったんだ」
あれ、かなりの罵倒だったんだけど???
やられたのがショックだからではなく、嬉しくて放心状態になってたのか。なんだそれ。つまり、イナトリは往緒からの反応が欲しくて色々画策していた訳か。
なんか感情を拗らせ過ぎてない?
そんな感じで、貴重な仮眠時間の半分が終わった。
再びサクラちゃんの背に乗り、上空から帝国軍を探す。昼間なので、今度は向こうからもドラゴンが視認出来てしまう。見落としがないよう、十分気を付けて探し続ける。
時折魔獣の姿を見つけた。白や新種の魔獣の姿はない。強い魔獣だけがいない状況が不自然に思えた。
魔獣は基本単独行動で、他の個体をみるとすぐ争い始める。この前、魔獣の群れがノルトンを包囲した時がおかしかったんだと改めて感じた。
「魔獣化した後に進化する事ってあるの?」
「強い個体を食べるとランクが上がるらしいよ。滅多に起こらない現象だって聞いた事がある」
「……サクラちゃん、魔獣食べてるよね?」
「咲良より強い個体はまず居ないからな。弱いのをたくさん食べても意味ないんじゃないかなぁ」
レベルMAX状態で序盤の雑魚モンスターを倒しても経験値があんまり貰えないみたいなものか。
その後も何度か休憩を挟みながら、大河沿いに南下しつつ上空からの探索を続けた。折り返して内陸部に差し掛かったところで、サクラちゃんが反応を示した。すぐにイナトリが頭部に移動し、肉眼で確認する。
「見つけた」
数キロ先に天幕が建つ場所を見つけた。真紅の帝国旗が掲げられている。
探していた、逃走中の帝国軍だ。
ヤモリ君がひきこもりになった経緯。
ここで語られたのは差し障りのない部分のみです。
本当の理由はいつか明かされます。




