140話・世界の闇 2 *挿し絵あり
カサンドール王国復興の為に自国民を犠牲にしているって、一体どういう事?
生き別れの母親との再会を果たし、無事サウロ王国へ戻ってきた間者さんは、その時の事を振り返りながら話し始めた。
「ヤモリさん、プレドって覚えてます? 代表者会談の時にいた……」
「あ、うん。ちょっと太めのおじさんだよね」
プレドさんはユスタフ帝国の外務大臣だ。迂闊な言動が多く、とても外交に向いているとは思えない人だった。間者さんの存在を知って喜び、彼の母親の事を教えてくれた。多分、皇帝の身内である間者さんに取り入ろうとしている。
「帝都手前辺りで馬車で移動中のプレドを見つけたんで、母親への取り次ぎを頼んだんすよ。なんかシヴァと別行動してたんで」
将軍シヴァと現皇帝セルフィーラは帝都に戻っていないと聞いた。辺境伯のおじさん達から逃げているのか、何か目的があるのかは分からないけど。
単独で帝都に戻るプレドさんを見つけたのは運が良い。流石に敵対国の城内でうろうろ人探しをする訳にはいかない。内部に手引きしてくれる人がいれば手間が省ける。
「自分ひとりで行っても息子だって信じてもらえないかもしんないんで、そのプレドを介して会わせてもらったんす。……まあ死んだと思われてたんで、めちゃくちゃ驚かれたんすけど」
「そ、そっか。そうだよね」
そもそも二十年前に生き別れた当時は戦争の真っ最中だ。間者さんのお母さんも、子供は死んだものと諦めていたようだ。当時赤ちゃんだった間者さんを手放したのは、やはりお母さんではなかったんだ。じゃあ誰がそんな事をしたのだろう。
「病弱だけど優しそうで上品な感じのキレイな女性で、生きててくれて良かったって言ってくれて、再会を喜んでくれたんだけど」
「うん」
「……戦争とか、シヴァの話になると人が変わったみたいになって、すんごい怖くて」
カサンドール王国は二十年以上前にユスタフ帝国によって侵略され、今は一領地扱いになっている……と、以前アーニャさんが言っていた気がする。
その際に王家は取り潰され、王女だったタラティーア姫がシヴァに嫁いだ、って事だよね。敵国に嫁ぐのが嫌だったのかな。でも、間者さん以外にセルフィーラも産んでいる。夫婦仲は悪くなかったのでは?
「元お姫様らしーから、気位が高いのは仕方ないんすけどね。でも、物の捉え方っつーか、考え方がまともじゃなかった」
「それは、どういう……?」
「……カサンドール王国の復興の為に、シヴァと取り引きしてた。元カサンドールの国民を魔獣の餌として差し出して……国の再建が最も重要で、その為なら何してもいい、当然だって」
「え……」
そんな馬鹿な話があるか。国民あっての国だろうに、自分が王族として返り咲く為に犠牲にするなんて。
「娘のセルフィーラを皇帝に即位させたのも理由があったんすよ。戦後、帝国領の街に元カサンドールの国民をまるっと移住させて、王国再建の象徴としてセルフィーラの姿をお披露目する名目で郊外まで全員連れ出して」
「それって、ガルデアとキュクロの……」
黙って頷く間者さん。表情は硬い。
以前、誘拐されたラトスを助ける為に帝国領を通った時、不自然に無人となっていた二つの街。荒らされた様子もなかったから不思議に思っていたんだ。
二十年前のサウロ王国との戦争の時に、多くの帝国民が近隣諸国へ亡命した。その後、もぬけの殻となった街に、カサンドール王国の国民を移住させた。
そこにセルフィーラが各街の近くに皇帝旗を掲げて現れる。白髪はカサンドール王家の証。純粋に喜び、歓迎した人々を郊外に誘き出し、そこで獣に喰わせた。
何故危険な前線にセルフィーラを連れて来ているのか疑問だったけど、これで合点がいった。魔獣を効率良く造り出す為に利用していたんだ。
「多分、自分達が寄ってない街でも同じような事が起こってる、と思う」
それはつまり、十数万人規模で住民が犠牲になっているという事だ。でも、まさか進んで差し出しているのが王族だなんて。
「ハハ、有り得ないっしょ? それを母親本人から聞いた時、なんも言えなかった。だって、それが当然だって信じ込んでんだよ。もう意味わかんなくて、引き止められたけど、そのまま帰ってきちゃった」
「……うん。帰ってきてくれて良かった」
そう答えると、間者さんは深く息を吐いた。泣いてはいないけど、眼の周りが赤くなっている。
彼が話すのを躊躇した気持ちがやっと分かった。自分の親がこんな酷い真似を平気でやっているなんて言いたくないはずだ。
「移動中も、無人の街を見掛ける度にツラくて」
「うん」
「自分の親がこれやったんだ、と思ったら、なんか申し訳なくて」
「……うん」
「もし二十年前に辺境伯に保護されなかったら……もし親元から離れてなかったら、自分もああいう人間に育っていたかと思うと、怖くて」
以前見た時は無関係だと思っていた郊外の惨劇跡。まさか自分の親がやっていたなんて信じたくないよね。
帝都へ行かせるべきではなかったかもしれない。母子の再会はともかく、この残酷な真実は知らなくても良かったものだ。間者さんの母親が、この事を少しでも後ろめたく思っているのなら明かさなかっただろう。でも、そうじゃなかった。
特に、間者さんはキュクロに取り残された子供達を数日間世話していた。その子供達の家族を奪ったのが、他ならぬ間者さんの両親だった訳だ。
こういう時、なんて声を掛ければいいんだろう。
僕が何を言おうと事実は変わらない。下手に慰めたりするのも違う気がする。気を使えば間者さんは表面上を取り繕って、僕に心配掛けまいとするだろう。
「エーデルハイト家の人達見て育ったから、家族って優しくてあったかいもんだって思ってた。……父親も母親も酷い人間って、予想以上にキツいっすね……」
間者さんが抱いていた家族への憧れは崩れ去った。将軍シヴァも、母親のタラティーアも人の命を軽んじている。自分の目的の為に他者を傷付ける事に、微塵も疑問を持っていない。
そんな二人と血が繋がっている事自体に嫌悪感を抱いている。
──血の繋がり……
そうだ、間者さんの家族は他にもいる。
「……セルフィーラだ」
「ヤモリさん?」
「間者さん覚えてる? 代表者会談でシェーラ王女がガルデアとキュクロの話をした時、その時だけセルフィーラは反応を示した。それ以外はずっと上の空だったのに」
「……それは……確かに」
ユスタフ帝国の現皇帝であるセルフィーラは間者さんの妹だ。代表者会談中、彼女はずっとぼんやりしていて僕達とはほとんど言葉を交わさなかった。でも、無人の街の名前が出た時だけは違った。
セルフィーラは単なるお飾りだと思っていたけど、ちゃんと意思を持った子なのかもしれない。善悪の区別がついていて、ガルデアとキュクロで何が行われたのか理解しているとしたら?
自分の存在がカサンドール王国の元国民を死に追いやってると知っているとしたら?
それはどれだけ辛い事だろう。
「シヴァもお母さんも酷い人かもしれないけど、間者さんの妹は、セルフィーラは多分違う。ずっとぼんやりしてたし、精神的に幼いのかなって思ってたけど、あれは現実から目を逸らして、心を閉ざしているだけなのかも」
「あ……」
ずっと伏せられていた間者さんの目が見開かれた。
この間までお互い存在すら知らなかった。でも今は違う。家族を渇望し、現実に打ちのめされた間者さんに残された最後の希望。
「…………もしそうなら、助けてやらないと」
「うん。僕もそう思う」
暫く考えて、間者さんは気持ちを吐き出した。
数回顔を合わせただけの妹だ。何の思い入れもない。でも確かに血は繋がっている。今この瞬間も、狂った環境に置かれて必死に耐えていると思うと胸が痛いのだろう。
「でも、今どこにいるか分かんないっすよ」
「……あー、そうだったね」
帝国軍は国境付近の野営地を放棄し、追ってきたサウロ王国軍に魔獣の群れをぶつけている隙に姿を眩ませた。もちろん、セルフィーラを連れたままだ。何処へ向かったのかは分からない。
帝国領は広い。当てもなく探し回るには時間が掛かる。そこら中に魔獣が溢れているし、ある程度見当をつけてからでないと調査も難しい。
「すぐには無理かもしれないけど、絶対助けよう」
僕の言葉に、間者さんは黙って頷いた。
当面の目標は『セルフィーラの救出』に決まった。セルフィーラさえ押さえれば、シヴァは効率良く魔獣を増やせなくなる。つまり、サウロ王国や近隣諸国を守る事に繋がる。
僕は何にも出来ないけど、幸い頼れる人は周りにたくさんいる。話せば力になってくれるはずだ。
「取り敢えず今日はゆっくり休んで、みんなに相談して今後の方針を決めよう。ね?」
「……ありがとう、ヤモリさん」
やっと笑った。
まだ気持ちの整理がついてないみたいだけど、少しでも前向きになれたのなら良かった。
しかし、ノルトンに再び混乱が訪れた。
「街の食料庫内に魔獣の血が撒かれていた。全てではないが、保管していた穀物の半分程が駄目になっている」
翌朝、辺境伯邸に戻ったオルニスさんが教えてくれたのは衝撃的なニュースだった。
魔獣の血は臭いがキツく、腐敗も早い。食べ物に付着したら食べられなくなってしまう。
「え、誰がそんな事を」
「恐らく、昨夜の刺客が練兵場に行く前にやったのだろう。食料庫にも警備はいたが、音も無く侵入されたので気付けなかったようだ」
これは非常にまずい。ただでさえ差し迫っていたノルトンの食料事情が更に悪化したという事だ。
魔獣の大量発生時から農村地帯の住民は近隣の大きな街に避難している。駐屯兵団が巡回時に畑の手入れをするなどしていたが、当然生産量は落ちている。
それに、長引く戦争で普段の倍以上の兵士がクワドラッド州にいるので、例年より食料の消費量が増えている。
先日ノルトンを襲撃した魔獣の群れによって近隣の家畜を全て食い荒らされたばかりだ。
「さて、どうしたものかな。国内の備蓄は大規模遠征時にかなり減ってしまっている。エニア達に送る食料を削る訳にもいかないし」
眉根を寄せて思案するオルニスさん。
どんなに策略が得意でも、ゼロから食料を生み出す事は出来ない。食べ物がなければ人は生きていられない。屈強な兵士も腹が減っては戦えない。
「……どうなるのかな」
「まあ、なるよーにしかならないっすね」
一難去ってまた一難。
この危機を乗り越える方法は、まだない。
第9章『ひきこもり、世界の闇に触れる』は
今回のお話で終わりとなります。
普段は章の間に閑話を挟んでおりましたが、
第9章は他の章より話数が多いので今回はありません。
次回から第10章が始まります。
これからも『ひきこもり異世界転移』をよろしくお願い致します。




