135話・助命嘆願
ノルトン南門側に建つ駐屯兵団の兵舎には兵士用の宿舎や広間、地下牢などが備えられている。その隣には兵士の戦力向上のための練兵場がある。広さは大体テニスコート約二面分くらいで、高さ五メートル程のレンガの壁で四方を囲まれている。
その練兵場のど真ん中にドラゴンがいた。太い鎖で厳重に縛り上げられ、ぐったりとしていて呼吸がやや荒い。時々苦しげに小さな呻き声を上げている。
ドラゴンの隣には後ろ手に縛られて膝をついているイナトリの姿があった。こちらは起きているが何故かずぶ濡れだ。
今この練兵場にいるのはオルニスさんと僕、間者さん。その他に出入り口と四隅には完全武装した兵士さんが十数人体制で警戒している。周りを囲む壁の上部にも弓を構えた兵士さんが待機している。万が一ドラゴンやイナトリが暴れ出したら即座に取り押さられるようにだ。
ちなみに、魔法使い組は魔力の使い過ぎのため別室で休んでいる。特にラトスとシェーラ王女は慣れない魔法の使い方をしたので疲れ切っているらしい。
「やあ、目が覚めたようだね」
「……」
オルニスさんが声を掛けるが、イナトリは応えない。捕虜にされて悔しいのだろう。僕達を凄い形相で睨みつけてくる。
「私はこの街の統治者代理だ。おまえには幾つか尋ねたい事がある。協力してくれれば、多少待遇を改善してもいい」
イナトリを見下ろすその表情からは、オルニスさんの感情は読めない。怒っているのか、それとも。
話し掛けられてもイナトリは相槌ひとつ返さない。だんまりを決め込むつもりか。
「おや、話せないかい? 針の効果は切れたはずだが。では、もう一度」
オルニスさんの合図で側に控えていた隠密さんが木桶の水をイナトリの頭からぶっかけた。昼間だし寒い時期ではないけど、水浸しのままでは冷える。イナトリは黙ったまま、ぶるっと体を震わせた。
温厚なオルニスさんがこんな直接的な方法を取るなんて。普段なら言葉だけで精神的に追い込むのに。僕の後ろにいる間者さんも何故か小刻みに震えている。トラウマでもあるのか?
やっぱり、オルニスさんはラトス誘拐とノルトンを危険に晒した件でめちゃくちゃ怒ってるな。
「話には聞いていたけれど、本当にヤモリ君に対して対抗意識を持っているんだね。お陰で計画通りに物事が進んで助かったよ」
「……ッ」
オルニスさんの言葉に眉間に皺を寄せるイナトリ。悔しそうに唇を噛んでいる。
計画ってなに?
「ヤモリ君を目立つ場所に配置すれば、おまえは必ず引っ掛かると思ったよ。ノルトン侵攻よりヤモリ君を打ち負かす方を優先させると予想はついていた。私の思惑通り、おまえは冷静さを欠いた上に折角の竜を全く活かせずに終わった訳だ」
確かに、ドラゴンに乗ったまま街中に突っ込むか門を破壊するとかしていればかなりの打撃を与えられたはずだ。しかし、イナトリはそうしなかった。これもオルニスさんの策だったのか。
「なっ……、オルニス様! それ、わざとヤモリさんを囮に使ったって事っすか?」
「ヤモリ君には悪いけどそうなるね」
僕が囮として使われた事に対し、間者さんは憤った。ノルトンを守る事を第一に考えれば、今回の采配は何一つ間違っていない。
アリストスさんや学者貴族さんから聞いたイナトリの言動から、今回の作戦を思い付いていたんだろう。ラトス達に応援要請を出せば僕も出ると見越して。見張り初心者の僕を一番魔獣が多い南門に配置したのは、イナトリを釣る為だったんだ。
「僕が何でもやるって自分から頼んだんだ。……まあ、囮とは思わなかったけどさ」
だから怒らないでと言えば、間者さんは黙った。でも納得してなさそう。これは後で叱られるとしよう。
「ハッ! 明緒クン、この腹黒にいいように使われてんじゃん」
「……まあ、そうだけど」
僕を憐れむように口元を歪めて笑うイナトリ。やっと喋ったと思えば憎まれ口か。
策略だろうが何だろうが、僕という存在を最大限に利用した結果、こうして強敵であるドラゴンとイナトリを捕縛出来ている。何でもやると無理に頼み込んだのは僕だ。危なくなる前に助けて貰ったし、ノルトンを守る為に役立てたのならそれでいい。
話している最中、横たわったままのドラゴンが突然大きく咳き込んだ。口の端からぼたぼたと血が落ちる。それを見て、イナトリの顔色が変わった。
「サクラ、苦しいのか? ……こんなに血が」
イナトリの呼び掛けにドラゴンは苦しげな顔を少し緩め、ぐるると小さく鳴いた。やはり意思の疎通が出来ている。人間の話す言葉を理解しているように見える。
「毒を飲ませた。放置すれば死に至る」
「なっ……」
アトロスさんから貰ったあの小瓶、やっぱり毒だったのか。しかも、こんなに体の大きなドラゴンに少量で効くなんてどんな劇薬だよ。
さっきまでの余裕が吹き飛び、イナトリは明らかに狼狽していた。ドラゴンに縋り付きたくても縄で縛られていて動けない。ここでようやく自分の置かれた状況に気付いたらしい。
「頼む、サクラを助けてくれ! こんな所で死なせる訳にはいかないんだ!」
「さて、どうしたものかな」
必死にドラゴンの助命を願うイナトリに対し、オルニスさんは顎に手を当てて薄く笑っている。
完全に二人の立場が定まった。
生殺与奪を握るオルニスさんは、イナトリが懇願する様を冷たい目で見下ろしている。このままドラゴンを放置して殺し、精神的な苦痛を与えた上でイナトリを尋問、処刑するつもりかもしれない。
「サクラ、サクラ! しっかりしろよぉ……!」
今のイナトリが先日のティフォーの姿と重なる。
このまま断罪していいのだろうか。
「……あ、あの、オルニスさん。もし彼が役に立てば、竜を助けてくれますか」
「うん?」
「ええと、ユスタフ帝国の情報をありったけ提供してもらって、その上でサウロ王国の味方になってもらうんです。……駄目ですか?」
僕の申し出に、練兵場に居た全員が目を丸くした。
魔獣の群れを率いてノルトンに侵攻してきた張本人の免罪を申し出ているのだ。自分でも無茶を言っているのは分かっている。それでも、僕には同じ日本人のイナトリを見捨てる事が出来ない。
「剣も魔法も効かない竜は非常に厄介な存在だ。生かしておく事自体が脅威。すぐにでも殺し、解体して素材を取るべきだと思うが」
「い、嫌だ、やめてくれ!」
素材を取るには全身切り刻む必要がある。解体と聞き、イナトリは蒼褪めて取り乱した。
こちらの世界の人間には冷酷な真似が平気で出来る癖に、このドラゴンにだけは態度が違う。それには必ず理由があるはずだ。
「イナトリさん。『サクラ』って誰ですか。もしかして、イナトリさんの大事な『人』ですか」
「……っ」
僕が尋ねると、イナトリはビクッと身体を揺らした。明らかに動揺している。
恐らく、このドラゴンに宿る意識はイナトリの身内のものだ。大切な家族を失う恐怖と悲しみは計り知れない。
「教えて下さい。悪いようにはしませんから」
「……」
しかし、話す気はないようだ。ちらりとオルニスさんに視線を向け、イナトリは顔を逸らした。この場の決定権はあくまでオルニスさんに有る。僕の口約束では信用出来ないという事か。
まあ、実際なんの権限もないからな僕。
無言を貫くイナトリ。どうにか心を開いて貰いたいけど、こんな状況では無理だ。でも、彼が本当にドラゴンを助けたいと思うのならば、必ず折れる。
そうこうしている内に、再びドラゴンが血を吐き出した。さっきより呼吸が弱々しい。その様子を見て、イナトリが涙を零した。
「あ、ああ……サクラぁ……」
これ以上返答を引き伸ばせば手遅れになる。そう悟ったイナトリは、額を地面に着けるようにして頭を下げた。
「お、お願いします。なんでもするから、サクラを助けて……!」
震える声での必死の懇願。
しかし、オルニスさんは承知しない。
「竜の解毒をしたら裏切る可能性がある。そうならないという保証がない。街を預かるものとして、それは許容出来ない」
「……っ」
オルニスさんの言い分は正しい。
ドラゴンが回復すれば、鎖の拘束程度では抑えきれない。確実に従わせるには、イナトリに命じさせる他ない。そのイナトリ自身が信用ならないのだ。
「ボクはどうなってもいい! サクラだけは」
何度も何度も頭を下げ続けるイナトリ。プライドの高い彼がここまでするとは正直思わなかった。それくらい『サクラ』が大事なんだ。そんな姿を見ていると胸が痛む。
「……オルニスさん、僕からもお願いします。竜の解毒をしてあげて下さい」
「しかし──」
「イナトリさんが頼めば、その竜は暴れたりしないはずです。強敵だけど、仲間になればこれほど心強い味方はいませんし」
「ううむ……」
唸るオルニスさん。愛息子ラトスと領地を危険に晒した張本人を簡単に許したくないのだろう。その気持ちは分かる。
でも、どうしてもイナトリを憎み切れない。
「お願いします」
イナトリの隣に膝をつき、並ぶようにしてオルニスさんに頭を下げる。頭を下げる事自体に価値はない。これは、僕の覚悟を示しただけだ。
「もし彼らが今後サウロ王国に反するような真似をしたら、連帯責任で僕も処刑して構いません。その代わり、今はどうか竜の手当てをしてあげて下さい」
「や、ヤモリさん!?」
「……明緒クン、どうして」
隣で頭を下げていたイナトリも驚いている。まさか僕が助け船を出すとは思わなかったのだろう。
「……本気で言っているのかい? ヤモリ君」
「勿論です。イナトリさんは僕の同郷。……同じ異世界人ですから」
僕の申し出に間者さんは狼狽し、オルニスさんは目を閉じて考え込む仕草を見せた。
担保が僕一人では足りないのは重々承知している。でも、差し出せるものが他にない。これで駄目なら仕方ない。
そう覚悟していたんだけど。
「……わかった。ヤモリ君に免じて、竜に解毒剤を飲ませよう。その代わり、おまえには帝国で知り得た情報を洗いざらい吐いてもらう」
まさかの承諾!
半ば諦めかけていたイナトリはパッと顔を上げ、涙で濡れた顔でオルニスさんを見上げ、か細い声で「ありがとうございます」と呟いた。そして僕の方に向き直り、深々と頭を下げた。
「サクラ、薬だ。口を開けて」
縄を解かれたイナトリは、オルニスさんから受け取った小瓶をドラゴンの口元に近付けた。ドラゴンが大人しく口を開ける様を見て、周りの兵士さん達からどよめきが起こった。人の言葉を解し、従う魔獣を初めて目にしたからだ。
解毒剤を飲み干したドラゴンは、しばらくすると乱れていた呼吸が平常に戻った。あくまで毒を中和しただけなので即座に治る訳ではない。吐血するほど内臓が傷付いているため安静にしなければならないが、命の危機は去った。魔獣の回復力があれば数日で治るはずだ。
大きなドラゴンは簡単に場所を移せない。このまま駐屯兵団の練兵場内で保護する事になる。イナトリが動かないように指示しても、鎖の拘束は外せない。今まで以上に厳重に拘束する必要がある。職人街の金属加工の店をフル稼動させ、頑丈な首輪や鎖を作らせる事になった。
ここは四方が壁に囲まれているの外から内部は見えないが、民間の住宅が近い。もし暴れられたら被害が出る可能性がある。万が一住民になにかあれば、イナトリは勿論、助命嘆願した僕も責任を取らねばならない。
「サクラ、ここで大人しく寝ているんだぞ。わかったか?」
イナトリが声を掛けると、ドラゴンは首をもたげて小さく鳴いた。間近で見るドラゴンの顔は相変わらず恐ろしいが、目を細めたその顔は微笑んでいるように感じた。
「……サクラの命を奪わないでくれて、ありがとう。今はあんな姿だけど、サクラはボクの大事な家族なんだ」
険しさの取れた、どこかサッパリとした表情で、イナトリが再度感謝を伝えてきた。僕に対しても、もう対抗心はないらしい。本来のイナトリとようやく対面出来た気がする。
取り調べは兵舎の二階にある団長室で行われる事になった。ドラゴンの側から離れ難そうではあったが、イナトリは素直に従ってくれた。
ずぶ濡れだったので、まずはお風呂と着替え。僕も助けられた際に砂埃まみれになったので、ついでに着替える事にした。身支度を整えたら事情聴取だ。
「詳しく聞かせてもらおうか。おまえとあの竜がどのようにして帝国の手先になったかを」
オルニスさんが折れました。
それは必死の嘆願に心を打たれたからか、
それとも別の理由か。




