134話・最後の一匹
色々あったけど、ノルトンを囲んでいた千匹を超える魔獣の群れは無事殲滅出来た。
今は騎馬隊が付近を見回り、討ち漏らしがないかの確認をしている。魔獣は回復力が高いので、仕留め損なうと後から復活する可能性がある。念の為、既に倒れている魔獣に剣を突き立ててしっかり息の根を止めるのも重要な仕事だ。
その様子を城壁の上から眺めていたら、急に手足の震えが止まらなくなった。そのままその場にへたり込む。
ドラゴンに狙われた時、もう駄目かと思った。
大きな爪が眼前に迫ってくる恐怖。
僕自身に向けられた明確な殺意。
絶対死んだと思ったのに、すんでのところでみんなが助けてくれた。
あの時、逃げ出したい気持ちを必死に抑えていた反動で、恐怖感が今まとめて襲ってきた。心臓がバクバクするし、震えと脂汗が止まらない。
「アケオ、大丈夫?」
「う、うん。でも、ちょっと立てない」
心配したラトスが声を掛けてくれた。
僕が助かったのは、ラトスとシェーラ王女が風の魔法でドラゴンの動きを止めてくれたからだ。あんな魔法が使えるなんて知らなかった。
「さっきはありがとう。魔法、凄かったね」
「うん。ボクもアレは初めてやったんだ。うまくいってよかった」
ん? 今なんて?
「理論的には可能なのは分かってたけど、事前に試す機会がなくて。ほんとはもう少し離れた位置で止めるつもりが魔力が足りなくて、とっさにシェーラ様に手伝ってもらったんだ」
え。なにそれ。
ぶっつけ本番だったの?
震えが止まらなくなったんだけど???
「さて。魔獣退治も一段落した事だし、そろそろ兵舎に戻ろうか。もう一人の異世界人に尋問したいし」
そうだ、イナトリ!
さっき、オルニスさんが首に針を刺して気絶させていた。イナトリから事情聴取出来れば、ユスタフ帝国の情報が手に入る。素直に教えてくれればの話だけど。
謎の小瓶を飲ませたドラゴンは死んだのかな。生け捕りにしたとしても、あれだけ大きいと扱いに困るよな。
みんなが石段から城壁の内側へと降りていく。何とか自力で立ち上がり、その後を追おうとした時。
おぎゃあ、おぎゃあ──
再び上空から鳴き声が響いた。
そういえば、あの鳥の存在を忘れていた。数人の兵士さんが弓を射掛けるが、高度があってなかなか届かない。学者貴族さんが雷で撃ち落とそうとしている。城壁の上にいた全員の視線が上に向けられた。
その時、僕のすぐ後ろで何かが動いた。顔だけを後ろに向け、その姿を確認する。
腹から足元にかけて赤く染まった、新種の魔獣がそこにいた。狒々だ。誰にも気付かれないよう城壁を這い登ってきたのだ。胸壁の隙間から、長い腕を伸ばし、上半身を覗かせていた。
みんなは少し離れた場所で真上を飛ぶ鳥に気を取られている。魔獣の接近に気付いているのは、至近距離にいる僕だけ。
どうしよう、今すぐ何とかしなきゃ。
城壁を乗り越えられたらマズい。
助けを求める余裕はない。
すぐ何とかしないと魔獣が街に侵入してしまう。
それだけは絶対駄目だ。
考えると同時に身体が動いた。
狒々の魔獣を体当たりで突き飛ばし、僕はそのまま城壁の上から落ちた。
「ッ! ヤモリ、何を──」
僕の動きに気付いた学者貴族さんが驚いて声を上げたのが聞こえた。
狒々を巻き込み、共に落ちていく。
走馬灯なんてない、ただ迫り来る地面が見えるだけ。
……あーあ、今度こそ死んだな。
魔獣は落ちたくらいじゃ死なないだろうけど、下で巡回してる兵士さん達が何とかしてくれるはず。
最後の最後に役に立てて良かった。
もう怖いから目を閉じていよう。
痛くないと いいな──
「ヤモリさん!!!」
聞き慣れた声にぱっと目を開ける。
地面に激突するほんの一瞬前、駆け寄ってくる黒い影が見えた。落ちる直前の僕の身体を抱えるようにして庇い、地面に転がる。勢いが凄くて、何度かバウンドした挙句、城壁にぶつかってやっと止まった。
「いった……」
膝や肘が地味に痛い。
あれ、痛みを感じるって事は……
僕、生きてる?
「……ヤモリさん、だいじょぶ? 生きてる?」
「か、間者さん?」
目の前に居たのは間者さんだった。
トレードマークの黒い服が砂埃まみれになっている。僕を助ける為に、一緒に地面を転がったせいだ。落下直前、側面からタックルするようにして激突を防いでくれたらしい。間一髪のところだった。
ギィヤアアぁアアァ!!!!!
城壁越えを阻止され、落とされた狒々の魔獣が怒りの声を上げる。こちらは自力でうまく着地し、ほとんど無傷だ。全身の毛を逆立てて、牙を剥いて飛び掛かってくる。
避ける余裕がない。
でも、魔獣の攻撃が当たる事はなかった。
間者さんが身に付けていた魔導具の腕輪、その機能のひとつ『風の障壁』が発動。攻撃を跳ね返すと同時に、風の刃が魔獣を切り裂いたからだ。
悲鳴を上げて飛び退く狒々の魔獣。
流石は新種、顔や手先に多少裂傷が出来たものの、丈夫な毛皮に覆われた胴体部分はほぼ無傷。しかし、突然傷を負わされた事で更に火に油を注いだ状態となった。怒り狂い、再度突っ込んでこようとする。
間者さんは僕を庇うようにして前に立つ。
その時、轟音と共に目の前が真っ白になった。
落雷。
まともに雷の直撃を受けた狒々の魔獣は、感電してその場に崩れ落ちる。
「アリストス!」
「はっ!」
城壁の上にいる学者貴族さんから指示され、周辺を巡回していたアリストスさん率いる騎馬隊が駆け付けてきた。すぐに数人掛かりで剣を突き立て、念入りにトドメを刺す。
これで、ノルトンを囲んでいた魔獣は全部やっつけた。危機は脱したんだ。
「よ、良かった……」
「よくない! なんで危ない事してんすか!」
魔獣の死骸に囲まれた南門前。
へなへなと座り込む僕を引っ張り上げながら、間者さんは不機嫌そうな顔を隠さずに問い質してくる。
好きでやった訳じゃない。間者さんが助けてくれなければ、良くて大怪我、最悪死んでいた。
「お前にヤモリ君を怒る資格があるとは思えないが」
いつの間にか、城壁から降りてきたオルニスさん達が側まで来ていた。オルニスさんから釘を刺された間者さんは、ビクッと肩を揺らして動きを止めた。怖いんだな。
ラトスとシェーラ王女が青褪めた顔で僕を見る。が、大した怪我をしていないのを確認して、やっと笑顔になってくれた。
「済まない、ヤモリ君。危うく魔獣の侵入を許すところだった。おかげで助かったよ」
「い、いえ」
「早く手当てをしよう。歩けるかい?」
「はい、大丈夫です……あっ」
立とうとしたが、再び地面に座り込んでしまった。怪我のせいじゃなく、今度こそ腰が抜けたみたいだ。間者さんとアリストスさんが肩を貸してくれた。
「そういえば、帰ってくるの早かったね。ちゃんと帝都まで行った?」
「あー……その話はまた後で。帰りに国境近くの拠点に寄ったら、竜が北上していったって聞いたんで慌てて戻ったんすよ。駐屯兵団の小隊ひとつ借りて」
「え?」
確かに、今朝まで居なかった小隊が居た。
拠点から馬を借りて同行し、つい先程ノルトンに残っていた兵士達と合流したらしい。今は他に討ち漏らしがいないか周辺を見回ってくれている。
「遠くから城壁をよじ登る魔獣見つけて、慌てて駆け寄ったらヤモリさんまで落ちてくるし……もうちょい遅かったらマジで手遅れになるとこだったし……」
「そ、そうだったんだ」
まさに間一髪だった訳だ。
駐屯兵団の兵舎に戻り、広間の片隅でアトロスさんに傷の手当てをしてもらう。
包帯を巻いてもらっていたら自警団のお兄さん達がやってきた。みんな怪我はないようだ。神妙な顔付きで、僕の前に十数人が並ぶ。一緒に南門上部で見張りをした人達だ。
「兄ちゃん、すげえ怪我してんじゃねーか! ……オレらを先に逃したからだよな」
「あー……、いや、これは別件で」
ドラゴンから負わされたのは背中の打ち身くらい。他の怪我は落下から助けられた際のものだし。ていうか、アトロスさんが大袈裟に包帯を巻くから大怪我してるみたいに見えるのかも。
「ホントに済まねえ!」
「あっ頭を下げないでください! 僕なんにもしてないから、ちょっと!」
「いや、さっき侯爵様から聞いたんだ。竜だけじゃなく、アンタが魔獣の侵入を防ぐために身を呈してくれたって!」
ま、またアリストスさんが話を広めてる〜!
あの人すぐ話を盛るし、自警団の人達もそれを信じ切っているみたい。感謝を通り越して、畏敬の念を抱かれている気がする。これは非常にまずい。
実際の僕は何にも出来ないひきこもりで、そんな風に思われるほど立派じゃないのに。
「ヤモリ君の治療はもう終わったかな?」
ひょい、と広間の入り口から顔を出すオルニスさん。先程までの黒服ではなく、普段の服装に戻っている。その姿を見て、自警団の人達がどよめいた。
「オルニス様が直接呼びに来られたぞ!」
「やっぱオルニス様の知り合いだったんだな!」
ああ〜、今は何をしても盛り上がってしまう。
恥ずかしくていたたまれない。早くこの場から離れなくては。
「生け捕りにした敵将と竜の取り調べをしたいから、ヤモリ君が立ち会ってくれると助かるんだけど」
あっ、今そんな事言ったら!
「り、竜を生け捕り……兄ちゃんスゲぇな……」
「僕じゃないから! オルニスさんとラトスとシェーラ王女がやったんですから!!」
辺境伯邸の居候は素手で竜をねじ伏せる、みたいな噂がノルトン中に広まった。しにたい。




