133話・ノルトン防衛戦 6 *挿し絵あり
「さあ、明緒クン。この前のお返しだよ」
以前、魔導具の機能のひとつ『風の障壁』を至近距離でぶつけた時の話だ。ドラゴンには剣も魔法も効かないが、僕の腕を噛み千切ろうとした瞬間に魔導具を発動させ、無防備な口内と翼の根元に裂傷を負わせたのだ。
あの後、イナトリは予想外の展開に混乱し、茫然自失状態で退場していった。完全に舐めていた相手にしてやられた事が相当ショックだったんだろう。
イナトリは僕に対して相当な恨みを抱いている。僕を殺す、又は屈服させる事が今回の目的とみて間違いない。
「魔導具がなきゃ、明緒クンなんてただの雑魚じゃん? こんなトコで死にたくなかったら命乞いでもしてみなよ!」
折られたプライドの仕返しに、僕の心を折りに来た。残念ながら、僕の自尊心は元々高くない。僕一人の命と、ノルトンの数万人の命、どちらを優先させるかなんて悩むまでもない。
イナトリに従うつもりはさらさらないが、取り敢えずドラゴンを暴れ出させないようにする必要がある。神経を逆撫でしないよう、落ち着いて対処しないと。
「……逆らうつもりはないよ。煮るなり焼くなり、イナトリさんの好きにしたらいい」
両手を上げ、降参のポーズを取る。僕が折れれば多少は満足するだろう。
しかし、何故かそれが裏目に出た。
「……随分とヨユーだね。ムカつくなぁ」
「え?」
「ムカつくんだよ、その態度。何とか今をやり過ごせば済むと思ってるんじゃない? 弱気な振りしてさぁ、そうやって周りを騙してきたんだろ」
随分な言われようだけど、弱気なのは演技じゃない。むしろ演じていたのは、前にイナトリと対峙した時だけだ。
「兄弟揃って、ほんっとムカつく!」
あ、これ僕カンケーないな。
完全に、双子の兄の往緒に対する恨みつらみの感情とごっちゃにされてる。性格は真逆だけど顔が同じだから、仕方ないといえば仕方ないけど。
「やっぱいいや。殺しちゃお」
イナトリの言葉にドラゴンが動いた。羽ばたいて一旦距離を取り、上空へと舞い上がる。
ヤバい、体当たりで城壁ごと僕を潰す気だ!
このままだと間違いなく死ぬ。
でも、逃げたら僕を見つけるまでドラゴンが街中で暴れ回ってしまう。そうなれば、ノルトンの住民が危ない。
どの道、逃げたくても足が竦んで動けない。
僕が死ねば、イナトリの気は済むかな。
斜め前方の上空から、ドラゴンが勢い良く滑空してくる。前回の油断と失敗を踏まえて、頑丈な鱗に覆われている脚部から。大きく鋭い爪が迫り来る。
怖い、怖い、怖い。
瞼を固く閉じ、衝突を待つ。
ドン、という大きな音と衝撃波が僕を中心に拡がった。
覚悟していたような痛みや衝撃はない。
恐る恐る目を開けると、僕にぶつかる寸前の位置でドラゴンが固まっていた。まるで時が止まったような光景に息を呑む。
「な、何だよこれ! 動け、ない……ッ」
ドラゴンの背に跨っているイナトリは、身体の自由が利かないようで、苦しげに顔を歪めている。
辺りに膜のようなものを感じる。魔導具の風の障壁とは少し違う。弾き返すのではなく、対象を包み込むなにか。
「くそ、明緒クン、魔導具隠し持ってたの!?」
「え、いや、持ってないって!」
僕が一番驚いてるんだけど。騙し討ちしたみたいに言われるのは心外だ。
でも、これは一体。
「……はあ、良かった。ちゃんと効いた」
「ラトス?」
背後の石段からラトスが姿を現した。その後ろにはシェーラ王女もいる。二人とも真剣な表情で両掌を前方に向けている。
じゃあ、これは二人が魔法でやっているのか。
城壁の僅か一メートル手前で、宙に浮いたまま止まっているドラゴンとイナトリ。その異様な光景に唖然としていると、傍から黒い人影が飛び出してきた。
人影はドラゴンの頭部へと降り立ち、手にした長針をイナトリの首筋に突き刺した。あまりの素早い動きに、イナトリは抵抗する間も無い。
「うあ、なにを、……」
「まだ命は取らないよ」
優しく、でも冷たい声で囁いたのは、オルニスさんだった。いつもの文官服ではなく、ぴったりした黒い服に身を包んでいる。
イナトリは呻きながら意識を失った。次にドラゴンの頭部に針を突き立てるが、鱗が硬くて通らない。早々に針を諦め、懐から取り出した小瓶の蓋を開け、ドラゴンの口に放り込む。ドラゴンが苦しそうに唸り声を上げた。
あれ、アトロスさんが用意してた小瓶だよな。毒じゃなかったか?
「ヤモリ君、もう大丈夫だからね」
そう言って、オルニスさんは再び跳躍し、ドラゴンの頭部から城壁の上へと飛び降りた。なんだこの身のこなし。忍者みたい。
「アケオ、そこ退いて!」
「危ないですよ!」
ラトスに言われてその場から離れると、宙に浮いていたドラゴンの身体がゆっくりと城壁の上を通り越して兵舎の方へと移動していく。兵舎の隣には高い壁に囲まれた練兵場がある。ラトスとシェーラ王女は、魔力を操作しながらドラゴンを練兵場へと運んだ。
ズゥン、と重い音が響く。
「……ふー、うまくいった」
「初めての共同作業でしたわね、ラトス様」
すごい。初めて見る魔法の使い方だ。
空中でドラゴンの動きを止めたのも、浮かせて場所を移したのも、恐らく風の魔法の応用だ。あんな使い方が出来るなんて知らなかった。
「ありがとう。助かったよ」
「アケオ、怪我は?」
「おかげで無傷だよ」
そう答えると、ラトスは安堵の表情で大きく息を吐いた。どうやらかなり心配させてしまったようだ。
「身体の自由を奪っている間に鎖で縛り上げるよう指示を出している。これで暫く大丈夫だ」
城壁の上から練兵場を見下ろせば、兵士さん達が太い鎖を手に恐る恐るドラゴンに近付いているところだった。背に乗るイナトリも縄で拘束されている。
随分と手際がいいな。
「あの、これって」
「ヤモリ君、話は後だ。これからこの辺りの魔獣の殲滅に取り掛かる」
オルニスさんが手を挙げると、それを合図にバチっと弾けるような音がした。付近の魔獣は、何故かその場で固まっていて動かない。目を凝らしてみれば、地面の至る所に長針が突き立てられ、それを結ぶように雷が走っていた。地に脚を着けている魔獣は痺れて動けなくなる。
この雷は学者貴族さんの魔法だ。少し離れた城壁の上からオルニスさんの合図を待っていたらしい。
碁盤の目状に走る稲光を避けるようにして、舞うように飛び交う黒と白の影があった。両手に長剣を携えたクロスさんとカルスさんだ。二人は流れるような動きで端から魔獣の首を斬り落としていく。あっという間に、南門の前に陣取っていた数百もの魔獣が屍の山と化した。
「こ、こんなに簡単に倒せるなら、なんでもっと早くやらなかったんですか」
「済まないね。魔獣を操る者が姿を現わすのを待っていたんだよ」
「え。それって、イナトリが来るのを待っていたって事ですか」
さっきの段取りといい、事前にイナトリが現れるのを知っていたような物言いだ。
「私が狙っているのは、その上だよ」
積み上がる魔獣の屍を前にしながらも、オルニスさんの視線は遥か南、ユスタフ帝国へと向けられていた。静かな声色なのに、何故か激しさを感じる。
あらかた魔獣の群れが片付いたところで、雷の魔法が解除された。隠密さん達の手によって、地面に突き立てられた長針が回収されていく。
全て回収し終えた頃に門が開かれ、完全武装した騎馬隊百五十名、盾兵と槍兵三十名が一斉に飛び出した。西、東、北門前に残る魔獣を一気に叩く為だ。こちらはアリストスさんが陣頭指揮を取っている。
城壁の上から学者貴族さんが魔法で援護しているので、そこまで手こずる事なく殲滅出来るだろう。
しかし、それは並みの魔獣に限った話だ。
おぎゃあ、おぎゃあ──
不意に響く赤ちゃんの泣き声。
これまで何度も聞いた、魔獣を操る声。
「ま、まだです、オルニスさん! 魔獣を操っているのはイナトリじゃない、あれです!」
見上げれば、ノルトン上空をぐるぐると飛び回っている大きな鳥の姿があった。鳴き声は、間違いなくあの鳥から聞こえてくる。
その鳴き声に呼応するかのように、残っていた魔獣が急に凶暴化した。白の魔獣と新種の魔獣、合わせて三十匹ほどの群れ。これまでの動きとは違う、後先を考えない死に物狂いの突進。
まるで特攻指示を受けたかのように、近くにいた騎馬隊の方へと突っ込んでいく。
白の魔獣は兵士が数人がかりでやっと仕留められるくらい。更に新種の魔獣に至っては、辺境伯のおじさんやアークエルド卿が手を焼く程の相手だ。駐屯兵団は強い兵士の集まりだと聞いているけれど、勝てる訳がない。
と、思っていたが。
「盾兵、槍兵、前へ!」
城壁の上からシェーラ王女が声を掛ける。風の魔法で拡声され、離れた場所にまで瞬時に届く。
「魔獣を右手に誘導、構え!」
シェーラ王女の指示に合わせ、騎馬隊の間から大盾と長槍を携えた三十名ほどの部隊が前面に出た。盾の隙間から槍を構えて腰を落とす。勿論、魔獣も馬鹿正直に突っ込むような真似はしない。走りながらも槍の穂先を避けるように進路を変えていく。
俯瞰した位置からの的確な誘導。
それにより、魔獣の進路が無秩序で無軌道なものから一つの流れへと変わった。兵士の集団を避け、右に流れていく。再び乱れぬよう、アリストスさんが炎の魔法を放った。地を這うように炎が走り、魔獣の左右に炎の壁が現れた。
「このまま討ち取る!」
炎の壁に囲まれて逃げ場を失った魔獣は騎馬隊に正面から飛び掛かり、大剣で斬り伏せられていった。毛皮が厚くダメージが通り難い為、一撃目を受けて失速した魔獣を狙い、後方に控えていた槍兵が突き殺す。これを何度も繰り返し、確実に仕留めていった。
あんなに手強い魔獣をアッサリと。
シェーラ王女の采配とアリストスさんの魔法で魔獣の流れを制限して正面から叩き、留めを刺す。非常に効率のいい倒し方だ。
「え、なんで。新種の魔獣、辺境伯のおじさんがあんなに苦戦してたのに」
呆気ない殲滅戦にただただ驚いていると、オルニスさんが笑った。
「ヤモリ君。お義父さんが新種の魔獣と戦ったのって夜だっただろう?」
「え? はい、そうですけど」
新種の魔獣が拠点を襲ったのは、確かに深夜だった。
「アークエルド卿もだけど、お義父さんはお歳だから暗がりではよく見えていないんだよ」
それって、老眼のせいで苦戦したってこと!?
「新種だろうがなんだろうが、お義父さんが魔獣如きに手こずる訳がないからね」
ヤモリ君以外が無双する回でした。
挿し絵は今回活躍したシェーラ王女とラトス。




