130話・ノルトン防衛戦 3
魔獣の大群がノルトンを包囲してから丸一日が経過。
その間、魔獣は特に動きを見せず、大人しくその場に留まり続けている。猿の魔獣もいるのに、石壁を登ろうとする素振りも見せない。外部から街に近付こうとする荷馬車などは追い払われたが、魔獣が深追いする事はなかった。
魔獣はノルトンだけを狙っている。
「──という訳で、膠着状態が続いとるから交替で辺境伯邸に戻って休む事になったのだ」
最新の情報を教えてくれたのは学者貴族さんだ。
あの時、魔獣の群れの接近に気付いて南門に駆け付けた後、アリストスさんと門外にいた一般の住民を避難させる手助けをしていたらしい。門の開閉時に魔獣が侵入してこないよう魔法で威嚇したりとか。
数が多い上にどんどん増えていくので、その場で倒すのは早々に諦めたという。
今はアリストスさんが駐屯兵団の兵士を率い、南門の石壁の上で外を警戒している。魔法が使えるアリストスさんと学者貴族さんは貴重な戦力だ。交替での警戒態勢は理に適っていると思う。
学者貴族さんにはラトスの隣の部屋が用意された。護衛としてアールカイト家の隠密が一人付いてきている。一晩中屋外で働いていたせいか、学者貴族さんはすぐに寝に行った。
聞いた限り状況は良くない。
「出入りが出来ないって事は物資が届かないって事だよね。大丈夫なのかな」
「備蓄はあるから住民が飢える事はないと思う。でも、ノルトンから前線に食糧を送ったり、負傷兵を受け入れたりしているから……」
届かないだけじゃなく、送れないのか。
保存がきく穀物や芋、豆類は街の各所にある倉庫に大量に備蓄されている。その代わり、肉や魚、葉野菜、果物は外部からの仕入れに頼っている。ただでさえ最近は不穏な情勢で滞りがちだった。それが、今回の件で完全に流通がストップしてしまったのだ。
前線、つまり国境や帝都へ向けて進軍しているサウロ王国軍へは、主にノルトンから物資を送り届けている。完全に止まれば死活問題だ。
「これはノルトンというより進軍中のサウロ王国軍に対する兵糧攻めですわね、ラトス様」
「ボクもそう思う。最前線まで食糧が行き渡らなくなれば、兵が弱って負けてしまう」
「このまま何日も様子を見ていてはユスタフ帝国の思うツボです。早く打って出なくては」
難しい顔を突き合わせ、何やら相談をしているラトスとシェーラ王女。
十一歳と幼いが、この二人はただの子供ではない。貴族学院で学年トップの優秀さを誇り、将来を見据えて学院で習う以上の事を自主的に学んでいる。
ラトスはクワドラッド州を治める辺境伯、そして祖父や母の跡を継いで軍務長官になる為に。
シェーラ王女はラトスを支えるべく、領地経営はもちろん軍隊運用についての勉強を欠かしていない。
すぐに執事さんを呼び、ノルトン各所の食糧備蓄量、現在の住民数、避難民の数などの最新情報を報告させる。大雑把な辺境伯のおじさんに代わり普段から面倒な書類仕事を任されている執事さんは、質問された事に淀みなく答えていく。
「──遅くとも明々後日までには魔獣を殲滅し、街道を安全に通れるようにしなくては」
あらゆるデータを元に二人が導き出したタイムリミットは三日。それ以上この状況が続けば、前線の物資が無くなり、手遅れとなってしまう。
それに、ノルトンだけの事を考えても、備蓄が無限にある訳ではない。早くしなければ、前線に送る分まで住民が食べ尽くしてしまう。
しかし、魔獣を殲滅させる手段がない。
「ノルトンにいる兵士の数はおよそ三百。そのうちの半数が怪我で治療中です。重傷者を除けば、動ける者は二百に満たないと思われます」
シェーラ王女はノルトンにいる駐屯兵団の数を把握していた。僕達が地下牢でティフォーに面会している間、兵士さん達と雑談しながら集めた情報だという。無駄がない。
「うーん……千を超える魔獣を相手にするには兵の数が足りないね。かといって、ノルトンに篭っていても解決にはならないし」
顎に手を当て、考え込むラトス。こうしていると、思案している時のオルニスさんに瓜二つだ。
「打って出るなら、ノルトン内にいる戦える者は全員参加で一気にやらないといけないよね」
「ええ、それしかないですわ」
それって、つまり。
「至急お父さまに連絡を。魔獣殲滅にはボクとシェーラ様も参加する」
ラトスの命を受け、辺境伯家の隠密さんが一人、即座に駐屯兵団の兵舎に向かった。
「え、ラトスとシェーラ王女も戦うってこと?」
僕が狼狽えながら尋ねると、ラトスは迷いのない表情で頷いた。シェーラ王女もだ。
二人とも、経験は浅いが魔法が使える。現在ノルトンにいる魔法使いは、アリストスさん、学者貴族さん、そしてラトスとシェーラ王女の四人だけ。貴重な戦力だ。
そんな事オルニスさんが許す訳ないと思っていた。けれど、隠密さんが持ち帰った返事は「参加要請」だった。余程切羽詰まった状況という事だ。
オルニスさんとしても、ラトスやシェーラ王女に頼るのは最終手段だと考えているはずだ。しかし、ノルトンが落とされたら意味がない。
「ボクが前に出れば、クロスも戦ってくれるから丁度いいよ」
「……ラトス様から離れはしません」
そうか。腕の立つ護衛を無理やり戦闘に参加させる為に敢えて危険な場所に行こうというのか。当のクロスさんは不服そうだけど。
ラトスは肝が座っている。誘拐された時も、自らマイラの身代わりを申し出たくらいだ。
王族の隠密さん達も強い。シェーラ王女が前に出るなら彼らも戦う事になる。
メイド長さんは大急ぎでラトスとシェーラ王女の身支度を整えた。魔獣の革で作られた、軍服に似た衣装。動きやすさと防御を重視しつつ、見た目も損なっていない。
「これはエニア様が幼い頃に身に付けていた軍服を仕立て直したものです。昔から向こう見ずで、大暴れしてましたからね」
「お母さまが子供の時の服?」
「まあ、エニア様の!」
「ええ……お二人とも、とてもよくお似合いです」
着付けが終わり、嬉しそうにくるくるとその場を回るラトスとシェーラ王女を見つめるメイド長さん。
僕と同じで、二人を危険な場所に行かせたくない気持ちと、頼らざるを得ない気持ちが混ざり合った複雑な表情を浮かべている。けれど、決して悲観的ではない。
装備を改めたラトスが僕に向き直る。
「アケオは危ないからここに居て」
「え」
僕の方が年上なのに。
ラトスはやっと回復したばかりなのに。
自分が何も出来なさ過ぎて、現場で足を引っ張るのが目に見えている。自分の身さえ守れないのだから。戦う力を持っていない事を悔しく思う。
でも、今度は引き下がらない。
「……僕も行く」
「え、危ないよ?」
「街の中ならどこでも一緒だよ。そりゃあ僕には戦う力はないけど、出来る事なら何でもやるから」
渋るラトスに食い下がる。
年下で身分が高いラトス達が戦うのに、居候の僕だけ安全な場所で守られている訳にはいかない。役に立てるとは思えないけど、じっとしていられない。
「ヤモリよ、よく言った! では共に行くとするか!!」
いつの間にか起きてきた学者貴族さんが僕の肩を強く叩いた。
「……そうだね。じゃあ、アケオも行こう」
「あ、ありがとう」
学者貴族さんの賛同に押される形で、ラトスも折れて同行を認めてくれた。今回ばかりは助かった。
メイド長さん達に見送られ、僕達は馬車で駐屯兵団の兵舎へと向かった。
まだ昼間にも関わらず、大通りは閑散としている。外出禁止令が出されたのか、あらゆる店が閉まっていて、一階の窓には全て鎧戸が下されていた。歩いているのは、戸締まりを確認する為に巡回する兵士のみ。
兵舎に着くと、普段は負傷兵で溢れていた広間は武具と物資の保管場所になっていた。ここが前線基地になるので、戦えない重傷者は中心街近くの安全な場所に移されたらしい。
兵士さんの案内で二階に上がり、団長室に入る。
室内には、オルニスさんと複数の兵士、それと何故か彫金師のおじさんと街医者のアトロスさんまで居た。何やら取り込み中のようだ。
「取り敢えず店にあった在庫をお持ちしました。また工房に帰って増産して参ります」
そう言いながら、彫金師のおじさんが机の上に並べたのは、金属製の長針数十本。これは、もしかしてオルニスさんが懐に隠し持ってる武器と同じ物じゃないか?
次に、アトロスさんが小瓶を取り出す。
「こちらが注文の品です。危険ですので、くれぐれも取り扱いにはご注意ください」
え、なに? なんの話???
「ああ、来てくれたか」
僕達に気付いて、オルニスさんが軽く手を挙げた。いつもの穏やかな笑みを浮かべているが、その手には長針と謎の小瓶を持っている。笑顔が逆に怖い。
彫金師のおじさんとアトロスさんが退室していったのを見届けてから、オルニスさんが僕達に座るよう促した。
「彼らは私の専属でね、いつも色々と用意してもらっているんだよ」
尋ねる前に教えてくれた。オルニスさん専属ってどういう事だ。長針はともかく、あの小瓶の中身は間違いなく毒だよね?
「時間が無い。済まないが、すぐ作戦会議をしたいと思うが、良いかな?」
「はい、お父さま」
「勿論ですわ」
ノルトンを守る為の話し合いが始まった。
ノルトン防衛戦、まだまだ続きます




