129話・ノルトン防衛戦 2
突如、魔獣の群れに囲まれてしまったノルトン。
その数、およそ千匹。
街の中心部にある辺境伯邸にいる僕達に詳しい状況を教えてくれたのは、カルスさん。エニアさんの部下で、軍務長官直属部隊の副隊長だ。
「ほんと、どこから湧いてきたんだろうね〜魔獣」
結構緊迫した状況だと思うんだけど、現場を直に見てきたカルスさんがこんな感じなので、そこまで大変じゃないのかなと思ってしまう。
「今のノルトンは戦える者が少ない。お前にも働いてもらうぞ」
空いてるソファーにだらりと凭れかかるカルスさんに対し、クロスさんが釘を刺した。
駐屯兵団の半数はクワドラッド州内の集落に分散して魔獣の警戒をしている。残りは、国境の防衛だ。つまり、ノルトンに居る兵士は数百名程度。しかも、その半数以上が負傷兵だ。
エニアさん直属部隊の副隊長なら相当強いはずだ。こちらとしては助かる。しかし、肝心の本人のやる気が全くない。
「へ? やだ。俺、帝国領から走って来たんだよ〜? クロスが行ってよ。俺はここで暫く休むからぁ」
「その休む場所の安全を保つ為だ。それと、俺は今、ラトス様護衛の任務で此処から動けない」
「何それズルい! 俺も護衛だし、交替したっていいじゃん!!」
「駄目だ。お前は女が側にいると任務を忘れる」
クロスさんがこんなに喋るの初めて見た。
再びカルスさんの首根っこを掴み、窓際に引き摺っていくクロスさん。おや、まさか。
「南門にオルニス様がいる。指示を仰げ」
「え、ちょ、アッ──!」
窓からカルスさんが放り出された。やっぱりそうなるか。ここ三階なんだけど大丈夫かな。
下を覗き込んだら、普通に着地したカルスさんが何やら文句を言っていた。ひとしきり喚いた後で庭園を突っ切り、最短距離で南門に向かって駆け出していった。
「……なんだったのかしら」
「さあ……」
嵐のように過ぎ去っていったからね。
クロスさんは寝室の扉の前に立ち、部屋の警備に戻った。が、すぐに位置を変えた。
「……なんの騒ぎ?」
寝室の内側から扉が開かれ、昼寝から目覚めたラトスが出てきたからだ。頭を下げ、手短に「何でもありません」とクロスさんは答えた。
いやいや、色々報告する事はあるだろう。
「あれ、アケオ。シェーラ様も」
「おはよう、お邪魔してるよ」
「あ、あの、ラトス様、す、すみません私」
部屋に僕達がいるのに気付き、ラトスが声を掛けてきた。シェーラ王女は話し掛けられてまたテンパってしまい、しどろもどろになっている。クロスさんも無口モードに戻ったし、説明する役は僕しかいない。
「どうしたの。お父さまは?」
「あー、それが、その。……実は、この街に魔獣が攻めてきてるらしいんだ。オルニスさんはその対応をする為に出掛けてる」
「魔獣が?」
すぐに窓に駆け寄り、外の様子を確認するラトス。しかし、ここからでは現場は見えない。
「魔獣の数は?」
「千匹以上だって、さっき報告が」
「……」
それを聞いて、ラトスは顎に手を当てて考え始めた。恐らく、ノルトンの兵士の人数やら何やらを計算しているのだろう。その表情は明るくない。
「クロス。僕の事はいいから、お父さまの側で手助けをしてくれないか」
「いえ。エニア様から、ラトス様の側を離れるなと厳命されておりますので」
「……うーん」
クロスさんはエニアさんの部下なので、ラトスを守りはするが、その指示に従う事はない。まずエニアさんの命令が第一で、それに反するような真似は絶対しない。
それが分かっているからこそ、ラトスは歯痒い思いをしている。貴重な戦力を、安全な場所にいる自分を守る為だけに使うのは勿体ないと感じているのだ。
「失礼致します。……あら、お目覚めでしたか坊っちゃま」
「エレナ、屋敷は大丈夫?」
「まだ中心街まで混乱は届いておりません。警備の関係で、皆様にはこのお部屋で固まって過ごしてもらう事になります。今から幾つか家具を運び込ませて頂きますね」
メイド長さんは落ち着いている。終始にこやかで、とても差し迫った状況に置かれてるとは思えない。
廊下に面した扉が開かれ、使用人さん達がベッド二つと衝立を次々と運び込んでいく。あっと言う間に、部屋の支度が整えられた。
「ああっ、やはり此処で夜を過ごすのですね!」
真っ赤になった顔を両手で覆い隠し、きゃあきゃあと騒ぐシェーラ王女。ラトスと一緒にいられる嬉しさと恥ずかしさがせめぎ合っているようだ。
「出来るだけお部屋から出ないように。もし出る時は、必ず護衛をお連れ下さい」
「うん、わかった」
そう言い残し、メイド長さんは退室していった。
しかし、いざこの部屋で過ごせと言われても、ここには暇潰しの道具がない。仕方ないので、自分の部屋に本やら何やらを取りに行く事にした。
「間者さ──、あ」
無意識の内に間者さんを呼ぼうとしてしまい、すぐに口を噤む。こっちの世界に来てから、ほとんど一緒に行動していたから、離れている事になかなか慣れない。
「ラトス、僕ちょっと屋根裏部屋に行ってくるね」
「じゃあクロスを」
「屋敷内だし、すぐ戻るから大丈夫」
さっきのやり取りを見た限り、クロスさんは絶対にラトスの側を離れないだろう。それに、護衛は他にもいる。門や庭園、玄関、廊下に至るまで、辺境伯邸には数十人の私兵が常駐している。一部はオルニスさんが連れて行ったから、残りは三十人くらいか。
しかし、わざわざ僕の為に持ち場を離れさせる訳にもいかない。廊下を通る時に何度か声を掛けられたけど、護衛は断った。
屋根裏部屋に通じる階段の手前に差し掛かった時、何処からか大きな溜め息が聞こえてきた。
そっと近寄り、廊下の角から先を覗く。そこには壁に手を付いて俯くメイド長さんの姿があった。
「……ああ、駄目。私がしっかりしなきゃ」
自分に言い聞かすように、何度も何度も繰り返して呟くメイド長さん。深呼吸をして気持ちを落ち付けようと努めている。僕達の前では絶対に見せない、不安げな表情だ。
こんな状況になって、怖くない訳ないよな。
僕は気付かれないように廊下を引き返し、ラトスの部屋へと戻った。ちなみに、後で一人で部屋を抜け出した件がバレて、めちゃくちゃ怒られたのは言うまでもない。
時間が経つにつれ、中心街の方まで騒ぎが伝わってきた。大通りから絶え間無く聞こえる住民の騒めき。外の様子が分からず、みんな落ち着かない様子だ。しかし、それも徐々に落ち着いてきた。恐らく、家に閉じこもっているのだろう。
日没前、オルニスさんの部下の人が着替えを取りに来た。その際に、状況を少し聞くことが出来た。
オルニスさんは南門近くにある駐屯兵団の兵舎に詰め、そこで状況把握と住民への対策を講じている最中だという。アリストスさんや学者貴族さんも一緒だ。
魔獣はノルトンの城壁をぐるっと取り囲んだまま。特に目立った動きはない。特に、出入り口のある東西南北の門の前に多い。数はやはり千を軽く超えていて、少しずつ増えてきているとか。
今のノルトンには戦える者が少ない。各門を閉じた後、城壁の外にいる逃げ遅れた住民の救助を優先して行っている。その為、攻勢に出る事が出来ずにいた。近くには家畜の牧場があったが、そこは魔獣に襲われ、既に食い尽くされてしまったらしい。
「違う種類が一箇所にいるにも関わらず、魔獣同士で争ったりせずに大人しくしてて、なんか不気味な光景でしたよ」
そう言い残し、部下の人は戻っていった。
情報収集の為に放った隠密さんによると、周辺の集落には魔獣は一匹も現れていない。つまり、ノルトンだけに集まっているという事だ。
なんだろう、この違和感は。魔獣がノルトンだけを狙うなんて、そんな事が有り得るのか。
いや、出来る。
『我が帝国は魔獣を養殖しているし、意のままに動かす術を持っている』
代表者会談の時に、ユスタフ帝国の将軍シヴァは確かにそう言った。魔獣を意のままに操れるとするならば、今のこの状況も納得出来る。
ティフォーは身内を喰った魔獣に意識が移り、意思の疎通が出来るようになったと教えてくれた。もし、血の繋がりでそういう事があるとしても、千匹以上の魔獣全てにそれは当てはまるとは思えない。
もっと違う命令系統があるんじゃないか?
「シェーラ様は女の子だし、僕の寝室を使って。大体のものは揃ってるから不便はないと思うけど」
「え、わっ私がラトス様の寝室にっ!? そ、そんな、ラトス様が普段使われている寝具を使うなんて、やだ、まだ心の準備が」
ラトスの申し出に、シェーラ王女はより一層挙動不審になった。
護衛が居るといっても、流石に王女様と同室で寝るのは憚られる。寝室なら扉で隔たれているから、着替えや就寝時もプライベートが守られる。メイドさん達がシーツや枕を新しいものに取り替えてくれている。
しかし。
大好きなラトスの部屋、しかも寝室のベッドを借りるというのは、思春期真っ只中のシェーラ王女には刺激が強過ぎたみたい。
室内を右往左往しながらきゃあきゃあ騒ぐシェーラ王女を眺めながら、ラトスは首を傾げた。
「……シェーラ様って、ちょっと変な人?」
気付くのが遅い。




