128話・ノルトン防衛戦 1
ティフォーとの面会を終え、辺境伯邸へ帰る途中。
異変に気付き、アリストスさんと学者貴族さんは馬車から降りて来た道を走って戻っていった。
行く先は、南門。先程まで居た駐屯兵団の兵舎がある辺りだ。
迫り来る獣の咆哮と、大地を揺るがす程の無数の足音。間違いなく、数百を超える魔獣がこのノルトン目掛けて接近している。
「ど、どうしよう。アリストスさん達が」
「あの御二方なら大丈夫です。それより、私達は早く辺境伯邸へ戻りましょう」
狼狽える僕に対し、シェーラ王女は落ち着いていた。御者に声を掛け、辺境伯邸へ向けて馬車を走らせる。
辺境伯邸に到着し、屋敷内に入ると、玄関ホールには既にオルニスさんが降りてきていた。使用人達に何やら指示を出していたが、すぐに僕達に気付いて駆け寄ってくる。
「殿下、ヤモリ君。無事で良かった」
「オルニス様、もう異変はご存知でしたの?」
「ええ。つい先程ウチの隠密から連絡が入りまして。これから私は辺境伯代理として街の混乱を収めねばなりません。殿下には屋敷に留まり、ラトスと一緒に居てもらいたいのですが」
「は、はい、わかりました」
辺境伯のおじさんとエニアさんが不在の今、この街のトップはオルニスさんだ。街を守る事はラトスを守る事と同じ。最も優先度が高い仕事となる。
「おや、ヤモリ君。アリストス君達は?」
「異変に気付いて、南門の方に行っちゃいました」
「そうか。あの二人にはどの道協力をお願いするつもりだったから丁度いい。現地で合流するとしよう」
そう言って、オルニスさんは何人かの護衛を引き連れて出掛けていった。
メイドさん達は何やら屋敷内を走り回っていた。忙しそうで、声を掛けるのも憚られる。取り敢えず、ラトスの部屋へと向かう。
ラトスの部屋にはメイド長と護衛のクロスさんが居た。
「シェーラ様、ヤモリ様! 無事に戻られて安心致しました」
「心配掛けてすみません。ラトスは?」
「午後の鍛錬の後、疲れてお休みになっております。ですので、まだ外の騒ぎを知りません」
良かったというべきか。でも、目が覚めてオルニスさんが側に居なければ、嫌でも異変に気付くだろうけど。
「出来るだけ、坊っちゃまのお部屋に居てくださると助かります。屋敷内の護衛の配置を最小限に抑えたいので」
辺境伯邸は広くて部屋数が多い。それぞれ別の部屋に居ては、守る方も大変だ。
しかし。
「え、あ、あの、ラトス様と同じお部屋で?」
急にシェーラ王女がテンパり始めた。
この部屋で過ごすという事は、騒動が長引けば、ここで寝泊まりするということだ。顔を合わせただけで赤面し、声を掛けられただけで舞い上がるようなシェーラ王女が、ラトスとずっと同室で居られるのか。
とはいえ、貴族の私室は広い。寝室と居間、書斎スペースはそれぞれ扉で隔たれている。衝立とか簡易ベッドとか運び込めば、多少はプライベートも守られるはずだ。
僕達がこの部屋で過ごせるように準備する為、メイド長さんは一旦退室していった。
なんかこう、気不味いな。
帝国から戻って以来、シェーラ王女は気さくに話してくれるようになったけど、そもそも身分が違い過ぎる。今はラトスの部屋で過ごすというだけでアワアワしているし、とても話せる状態ではない。
それに、この部屋にはもう一人いる。
「…………」
クロスさんは寝室の前で無言で控えている。
以前護衛をしてもらった時、何回か話し掛けたけど悉く無視された。多分、自分より上の立場の人の命令しか聞くつもりはないんだと思う。この部屋にいる限りは守ってもらえるだろうけど、無視されるのは辛い。
無理やり会話を試みるほどの度胸はない。
浮ついた状態のシェーラ王女を近くのソファーに座らせ、僕は庭園に面した窓に近寄った。この部屋は建物の三階部分にある。高さがあるので、ある程度は街の様子が窺える。
庭園の木々の向こうに広がるノルトンの街並み。異変を感じた住民達が大通りを右往左往している。そして、その遥か向こうに見えるのは、街全体をぐるりと囲う城壁。
窓を開けると獣の咆哮と地響きがしたので、慌てて閉め直す。やっぱり、何かの大群が押し寄せてきている。その正体が何なのかはまだ見えないけど、この時期だ。十中八九魔獣だろう。
「……どうしよう」
思わず零した呟きに自分で驚く。
僕には何の力も無いのだから、大人しくここで邪魔にならないようにしているしかないというのに。
現在ノルトンには戦える兵士の数が少ない。ほとんどが療養中の負傷兵だ。無事な者はみな国境に出向き、帝都に攻め込んでいる。戦力が足りない。
「あれ、君だれ?」
突然、目の前の窓ガラス越しに誰かに声を掛けられた。この窓はテラスに面していない。つまり、足場はないはずなんだけど、何故か向こう側に男の人が張り付いている。
「うわ、え? おばけ?」
「失礼な。この美形を見て言う言葉か?」
そう言うと、その男の人は窓を開け、ひょいと室内に飛び込んできた。白い肌にウェーブのかかった金髪の美青年だ。常に柔らかい頬笑みを浮かべている?
「前線は男ばっかでむさ苦しいから、ラトス様の護衛に回してもらったんだ〜。こっちにはお姫様もいるっていうし」
なんだこの人。
「カルス、やかましい。黙れ」
「なんだよ、照れるなよ〜。俺が来てあげたんだから、もっと喜ぶべきだろ〜?」
クロスさんの知り合いか?
見た目も性格も真逆だし、友達ではなさそうだけど、一体どういう関係なんだろう。
僕の視線に気付いて、カルスと呼ばれた美青年はその場でくるりと身を翻した。腰に巻かれた薄布がひらりと舞う。なんだ、何を見せられているんだ僕は。
「俺はエニア様直属部隊、副隊長のカルス。で、そこの地味な君。お姫様はどちらかな?」
え、これが直属部隊の副隊長?
まとまりが無さ過ぎるよエニアさん。ていうか帝都進軍中なのに、隊長と副隊長が側を離れてるってどういう事だよ。
呆然と立ち尽くす僕から視線を外し、彼はすぐお目当ての人を見つけ出した。まだ正気に戻っていないシェーラ王女だ。カルスさんは踊るような軽い足取りで近付き、ソファーの前に恭しく傅いた。
「これは可憐な姫君だ。僕はカルス、貴女の愛の下僕となる者です」
歯の浮くような台詞。
そっと手を取ろうとした瞬間、シェーラ王女がカルスさんの手を反射的に払い除けた。同時に、王族特有の威圧的な空気が部屋に満ちる。先程までとは違い、その表情は冷たい。
「下がりなさい」
「……嗚呼っ、失礼致しました姫君。どうか俺を嫌わないで下さい」
なんだこのやり取り。
それより、この接触が切っ掛けで、心ここに在らず状態だったシェーラ王女がやっと通常モードに切り替わったぞ。これで会話が成り立つ。
「──あら。ヤモリさん、こちらの方は?」
「ええと、エニアさんの部下のカルスさん。ラトスの護衛に来たんだって」
叩いてから存在に気付いたのか。僕が紹介すると、シェーラ王女は笑顔を見せた。
「まあ……! ラトス様を守る為に来てくださった方でしたのね。ごめんなさい、知らなかったものですから」
「構いませんとも。貴女に触れて頂けたのなら、どのような形でも光栄です」
よく分からないけど和解したっぽい。
そんなやり取りを離れた場所から見守っていたクロスさんは、呆れたように大きな溜め息を吐いた。つかつかと歩み寄り、カルスさんの首根っこを掴んで持ち上げる。
「カルス、いい加減にしろ。まずは報告だ」
「え? ……あー、そうそう。なんか街の周りに魔獣がいっぱい居たけど」
雑談のついでのような軽い報告。しかし、その内容は決して軽いものではなかった。予想通り、魔獣がノルトンを取り囲んでいるという。
「それでね、街の外にいて逃げ遅れた女性達を助けてから来たから遅くなっちゃって〜」
「……数は?」
「人妻三人と年頃のお嬢さん五人、幼女二人」
「そっちじゃない。魔獣」
なんか呑気な人だな。嬉々として伝えてくる内容が全部ズレてる。この差し迫った状況下で、何故助けた女性の内訳を聞かれたと思うのか。
会話しているクロスさんの苛々が伝わってくる。
シェーラ王女も、だんだんとこの人がおかしいと気付き始めたようで、笑顔が徐々に曇りつつある。
でも、カルスさんは今のノルトンの周辺を実際に見て来た人だ。僕達はまだ異変の全容を把握していない。貴重な情報源だ。
「なんだ、魔獣のこと? ざっと見た感じ、黒と灰の魔獣各五百くらい、白の魔獣百くらい。それと、赤と白が混ざったような変なやつが十くらいかな〜」
「最初からそれを言え」
やっぱり、かなり多い。
千体を越える魔獣。しかも、新種の魔獣もいる。多分、ノルトンに居る兵士の数より多い。尤も、今は負傷兵ばかりなんだけど。
そんな大量の魔獣が何故サウロ王国に?
国境沿いに張った罠は機能していないのか?
拠点にいる人達は無事なのか。
「そんなの知らないよ〜。まあ、いいじゃない! 全員強いから大丈夫でしょ!」
適当だな。緊張感がまるでない。
確かに、サウロ王国軍の戦力は十分だから心配はしてない。でも、何故大量の魔獣がこっちに雪崩れ込んできたのかが分からない。何か不測の事態が起きているんじゃないかって。
「ねーねー。この局面で俺が来たの、なんか運命的じゃない?」
この人、まさか厄病神なのかな。
新キャラ、カルスさん登場。
もうちょい前に出すつもりでしたがズレました。




