122話・特別な魔獣
キサン村近くの森で偶然ティフォーに遭遇。しかし、彼女は生きる気力を失っているように見えた。
大型の鳥型魔獣は既に力尽き、地面に倒れ伏している。帝国で戦った時、無数の傷を負っていたのに、無理をしてティフォーをここまで運んだからだろう。よくこんな状態で国境を越えられたなと思うくらい、魔獣の翼はボロボロだった。
「もういい……リーニエが死んじゃったら、アタシが戦う意味なんてない」
ティフォーは魔獣リーニエの側から離れられずにいた。僕達が見つけなければ、このままここで餓死するつもりだったのだろうか。少し歩けば村があるのに、一歩も動かず、魔獣の死骸に寄り添っている。
何故この魔獣に執着しているのか。
「聞きたい事がある。死ぬのはその後にしろ」
学者貴族さんとアリストスさんは、ティフォーから一定の間合いを取った。シェーラ王女は馬に乗ったまま、後方で隠密さん達に守られている。
彼女がその気になれば、これだけの数の魔法使いと隠密からも逃げられる。それだけの力がある。それなのに、ティフォーは動かない。先程の発言通り、ここで死んでも構わないと思っているようだ。
「縛り上げてノルトンに連行するか。駐屯兵団の牢にでも入れて──」
「イヤよ! ここから動かないからね!」
ティフォーは魔獣の羽根を掴んで喚いた。無理やり引き剥がして抵抗されたら危険だ。
「仕方ない。では、ここで済ますか」
取り敢えず声がガラガラで聞き取りにくいので、隠密さんが携帯していた水をティフォーに飲ませた。これで少しは話しやすくなるだろう。
「そこの魔獣だが、お前の指示に従ったり、命令される前に自ら判断して動いていたな。魔獣というのは、飼い慣らせば人間の命令を聞くようになるのか」
リーニエと呼ばれた大型の鳥型魔獣は、ティフォー達の言う事をよく聞いていた。時には三人を守るような動きを見せた。もし、全ての魔獣がそのように人間の命令を聞くのであれば、かなりの脅威だ。これは確認しておかなければならない。
「……飼い慣らすですって? この子は特別よ」
「特別?」
特別とはどういう事だ?
「リーニエは、アタシ達の大事な家族。可愛い末の妹なんだから」
そう言いながら、ティフォーは冷たくなった魔獣の体を何度も何度も撫でた。魔獣に向けられた眼差しは優しく、そして深い悲しみに満ちていた。
「……アタシ達が生まれ育った村は小さくて、みんな親戚みたいなものだった。年の近いアタシ達は、いつも一緒に遊んでいたわ」
何処にでもある田舎の村。本当の兄弟姉妹ではないけれど、親や祖父母の代では血の繋がりがあったのだろう。
「村が獣の群れに襲われた時、足の遅いリーニエは逃げ切れなかった。……それで、何故だかわからないけど、この魔獣にリーニエの意識だけが乗り移ったの」
「え?」
食べられた人の意識が魔獣に?
そんな事が有り得るのか?
「アタシ達はこの子のお陰で他の魔獣から逃げる事が出来た。でも、こんな姿じゃ一緒に人里で暮らせない。だから、魔獣を人間に戻す方法を探していたのよ」
「……」
ティフォーの話をまとめると、こうだ。
何年か前に住んでいた村が獣に襲われた。その際に、真っ先に食べられたリーニエの意識がこの大型の鳥型魔獣に移った。その魔獣の働きによって、ティフォー達は間一髪難を逃れた。
それ以来、彼女達はリーニエを元の人間に戻す方法を探していたのだという。
「その話と、お前がイナトリの下に付いていた事に関係があるのか?」
「あるわよ。……だって、イナトリ様も魔獣を人間に戻す方法を探してたんだから」
イナトリは、一緒にいた竜を『サクラ』と呼んでいた。まさか、あの竜の魔獣にも人間の意識が残っているのか。確かに、あの竜は人の言葉を完全に理解しているように見えた。
じゃあ、『サクラ』って──
「ね、ねぇ。なんでイナトリが帝国側にいるのかずっと不思議だったんだけど、もしかして、帝国は今も魔獣の研究をしてるの?」
僕の問いに、ティフォーは「詳しくは知らないけど」と頷いた。
イナトリは魔法に興味がある癖に、何故かサウロ王国ではなくユスタフ帝国に身を寄せていた。空飛ぶ竜がいれば国境をすぐ越えられるのにも関わらず、だ。
二十年前に辺境伯のおじさんが研究施設を破壊したはずだけど、研究者が残っていたとしたら。
魔獣をただ増やすだけでなく、新種を創り出す事に成功している。研究が進めば、取り込まれた人を復活させる事も出来るかもしれないと期待しているのか。
「……もういいでしょ。アタシはもうここで死ぬの。早くどっか行ってよ」
喋る事に疲れたらしく、深く息を吐いてティフォーは顔を伏せた。僕達を追いやるように、しっしっと手を振っている。これ以上は何も聞き出せそうにない。
アリストスさんが腰の剣を抜いた。今度こそティフォーを殺すつもりだ。よりによって、シェーラ王女の目の前でやる気か。
しかし、シェーラ王女はアリストスさんの行動を黙って見守っている。目を反らそうともしない。ティフォーはラトス誘拐の実行犯だ。ラトスが死にかけたのは彼女のせいでもある。自らの手を下したいくらい怒っているのかも。
ティフォーは弱ってはいるが、体の怪我や火傷は治ってきている。ここで見逃せば、後で気が変わって再度帝国の為に働く可能性もある。本人が無抵抗でいる間に、さっさと殺してしまった方がいい。
これまで僕の甘い考えで、みんなを散々危険な目に遭わせてきた。人が死ぬのを見たくないという感情だけで止めてはいけない。こちらの世界は戦争中で、命のやり取りが当たり前に行われているのだから。
でも、さっきの話を聞いた後では。
「剣を下ろせ、アリストス」
何も言えずに立ち尽くす僕に代わって、学者貴族さんがアリストスさんを止めた。
「その女の回復力に興味がある。まだ殺すな。有益な情報が得られるかもしれん」
「……兄上がそう仰るなら」
すぐに剣を鞘に収め、アリストスさんが一歩引いた。相変わらず、兄の決定には逆らわない人だ。
「厳重に縛り上げて運べ」
「ちょっと、やめてよ! アタシはリーニエの側に居たいのよ!」
命令を受け、手持ちの縄でティフォーを縛ろうとする隠密さん達。ここから動きたくないティフォーは激しく抵抗した。しかし、弱り切った体では振り解く事は出来ず、すぐに両手を後ろに回した状態で縛り上げられた。
「いや、いや。リーニエ!」
魔獣の死骸から無理やり引き離され、ティフォーは取り乱して涙を流した。必死の形相で、魔獣の側に戻ろうとしている。
僕達から見れば魔獣だけど、ティフォーにとっては大事な妹……家族なんだ。敵地で死に別れ、自分だけ生き残ってしまった悲しみは計り知れない。
家族を放置していくなんて、出来ないよな。
「あの、ここにお墓を作るのはどうかな」
「墓?」
「うん。あ、でも、この魔獣は大き過ぎて運べないから、このまま上から土をかけるくらいしか出来ないと思うけど」
僕の提案に、全員が目を丸くした。
遺体がそのままの姿で残っているから、いつまでも気持ちの整理がつかないんだ。だったら、きちんと埋葬して区切りをつけてあげればいい。
「お墓……」
ティフォーは目を瞬かせ、困惑している。
それを見て、アリストスさんはすぐに隠密さん達に指示を出した。キサン村から農具を借り、数人がかりで周辺の土を掘り起こす。折れた木々はアリストスさんが燃やし、邪魔な落ち葉はシェーラ王女が風で退かしてくれた。
こうして、作業に取り掛かって一時間もしないうちに、魔獣のお墓が完成した。お墓というか、小さな山みたいなものだ。
「リーニエ……」
ティフォーは静かに涙を溢し、お墓の前で項垂れている。完全に魔獣の姿が見えなくなった事で、少し落ち着きを取り戻したみたいだ。もう暴れたり泣き叫んだりしていない。
「ちゃんと埋めたから、獣に荒らされる事はないと思うよ」
声を掛けると、ティフォーは小さく頷いた。
魔獣の匂いは弱い獣を遠避ける作用があるらしいから、余程の事がない限り大丈夫だと思う。
「思わぬところで時間を食ってしまったな」
「早くラトス様にお会いしたいわ。そろそろノルトンへ向かいましょう」
捕虜となったティフォーを連れ、僕達はキサン村を後にした。
弔う事は死者の為でもあり、残された人の為でもあります。




