120話・ひきこもりの境地
軍議は一旦中断となり、間者さんは会場の大型天幕から逃げるように外に出た。物陰に隠れ、深い溜め息をついている。
エニアさんが一喝してくれたから、あれ以降誰も間者さんについてどうこう言ってくる人はいなかった。しかし、第一師団や第四師団の兵士長さん達は関心はあるようで、その後もチラチラと見られていた。
間者さんは後ろに控えてたから、前に座っている僕に視線が集中してしまい、かなり辛かった。敵対国の要人の血縁という事もあり、あまり好意的な雰囲気ではなかったから尚更だ。
「ヤモリ、あまり遠くへ行くでないぞ」
「ごめんごめん。外の空気が吸いたくてさ」
僕と間者さんが移動すると、護衛に付けられたアリストスさんと学者貴族さんも自動的に付いてくる。
貴族の現当主とその兄が護衛ってどうなんだろうと思ってたけど、恐らくアークエルド卿の人選は正しい。
ユスタフ帝国に良い感情を持つ一般兵士はまず居ない。恨みを抱いている人も当然いるだろう。もし間者さんの出自を知られたら、最悪の場合寝首を掻かれる可能性もあるのだ。
その点、学者貴族さんは何度も顔を合わせているし、帝都では僕を助ける為に協力した仲だ。アリストスさんは兄の意向に逆らわないので、学者貴族さんが間者さんを守ると決めたらそれに従う。
そして、高位貴族である二人が僕達に付きっきりになる事で、周囲への牽制となる。贅沢な布陣ではあるが、拠点内の秩序を保つ為だ。
「なんかこう、普段人から注目される事ないんで、すんごいツラいっす……」
「そうだね」
「ヤモリさんが部屋に閉じ籠もる気持ちが理解出来た気がする……」
「……ついに『解って』しまったんだね……」
ようこそ、ひきこもりの境地へ。とか言ってる場合じゃない。これはかなりの重症だ。
そこへ、同じく休憩の為に辺境伯のおじさんがやってきた。間者さんの姿を見つけると、足早に駆け寄り、首根っこを捕まえた。
「ま〜だ辛気臭い顔をしとるのぉ」
「あ、辺境伯……」
いつも通り振る舞う辺境伯のおじさんに、少しホッとした顔をする間者さん。でも、まだ普段通りには戻れない。確認しなければならない事がある。
「え、ええと、辺境伯。自分は、その」
「なんじゃ、お前までヤモリみたいな喋り方しおって! 人見知りが移ったんじゃなかろうな?」
「……悪かったですね、僕みたいな喋り方で」
言い澱む間者さんに対し、辺境伯のおじさんは極めて明るく、茶化す様に話し掛ける。物心つく前から親代わりで育て、鍛えてくれた人だ。
「帝国の将軍が、辺境伯が赤ん坊だった自分を無理やり連れ去った……みたいなコト言ってたんすけど、嘘ですよね?」
言葉を交わすうちに緊張がほぐれてきたらしく、間者さんはようやく言いたかった事を口にした。
それを聞いた辺境伯のおじさんは、一瞬口元の笑みを消した。そして、顎に手を当て、首を傾げる。
「……さっきも軍議の最中に当時の事を思い返しておったんじゃが、儂はお前を連れ去った訳ではない。とある女性から託されたのじゃ」
「じゃあ、それが間者さんのお母さん?」
「いや。それがな、栗色の髪をした女性だったんじゃ。現皇帝は白髪で、その母親も白髪なんじゃろ? 白髪は珍しいからのう。もし見ておったら流石に覚えとるわい」
どういう事だ?
辺境伯のおじさんの様子からは嘘を言っているとは思えない。それに、生まれながらの白髪はカサンドール王国の王族に見られる特徴だと聞いた。当時、もし白髪の女性を見かけていれば必ず印象に残るはずだ。
連れ去りに関してはキッパリ否定してもらえて、間者さんはホッと息を吐いた。肩から力が抜けている。
「……なんか安心したっす」
「詳しい理由は知らんが、あのまま帝都にいたら子供の命が危ないとか何とか言っておった。敵方の儂に託すくらいじゃから、余程切羽詰まった状況であったのかもしれん」
「えっ」
本来なら敵将から遠避けるべきなんじゃないのか。その女性というのは侍女か何かで、赤ちゃんの身が危険を感じてわざわざ他国の人に預けたっていうこと?
当時の帝国は一体どうなってたんだ。
大型天幕から離れ、要人エリアへと移動する。流石に僕の天幕は狭過ぎて四人は入れないので、アリストスさん達の天幕にお邪魔させていただく事になった。
さすが侯爵家、野営用の天幕なのに天井が高くて広い。ベッドは置いてないが、それ以外の細々とした家具はひと通り揃っていた。
「もしかして、二人で一緒に使ってるの?」
「その通りですヤモリ殿。帝国領にいた時も含め、もう何日も兄上と同じ空間で寝食を共に……こういう生活も悪くないですな!」
アリストスさんはめちゃくちゃ嬉しそうだけど、学者貴族さんは浮かない顔をしている。元々研究者だから、こういったアウトドアな生活自体向いてないのかも。決して四六時中アリストスさんと一緒なのが嫌とかではなく。
「先程伯父上とも少し話したのだがな、軍務長官や辺境伯も合流した事だし、我らはノルトンへ移ろうと思う」
「ノルトンへ?」
「そうだ。シェーラ殿下も連れてな。陛下も到着した事だし、もう国境付近に残る理由は無いだろう」
確かに。これまでは拠点の戦力にやや不安があったし、魔力保有者が少なかったから二人は拠点に残留していたんだ。
魔力に関しては王様とアーニャさんが居る。国境の壁沿いの罠も継続可能だろう。辺境伯のおじさんとエニアさん、あと王様が連れてきた第一師団の半数が居るし、戦力は足りると思う。
シェーラ王女はともかく、僕がここに残っていても役に立てないし、何より危険な場所から離れたい。あと、元気になったラトスに会いたい。
「でも……」
僕は隣に座る間者さんをちらりと見た。このまま彼を帝国から引き離して良いものか、まだ迷いがある。
「手の届く範囲に居るから向こうの良い様に利用されるのだ。距離が開けば、おいそれと手出しは出来まい。其奴はともかく、ヤモリには戦う力もないのだから、安全な場所に移るのが一番だ」
「う、うん。そうだよね」
「小生も、これ以上戦争に関わりたくないからな」
という訳で、僕達は翌朝ノルトンに行く事となった。シェーラ王女も乗り気で、久々に会った父親を放ったらかしにして早速荷造りを始めている。
拠点を離れる前に、お世話になった人達に挨拶に行った。間者さんは出歩きたくないらしいので、アリストスさんと天幕に残り、僕と学者貴族さんだけで拠点内を歩き回る。
アーニャさんは新種の魔獣に対抗出来る為、戦力として残留する事が決まっている。
「ノルトンに腕の良い彫金師がいる。エーデルハイト家の出入りの職人だから、腕輪の修理はそいつに頼むといい。一応魔導具だから取り扱いの注意事項を書いておいたよ。これを見せれば良い」
「あ、ありがとうございます」
「アタシも早く王都に戻りたいんだがねェ、なかなかそうはいかないらしい」
そう言いながら、アーニャさんは肩を竦めて笑った。
状況によっては、戦争が終わるまで前線から離れられないかもしれない。軍人ではないが、サウロ王国で最も多種多様な魔法を使えるアーニャさんは貴重な戦力だ。今更手放してはもらえないだろう。
「ヤモリ、シェーラ、もう行くのか。まだ碌に話をしておらんのだぞ?」
「お父さま、しつこいですよ」
翌日の早朝、出発前に王様に挨拶に行ったら引き止められた。が、シェーラ王女が間に入ってくれた。早くラトスに会いたい一心で、父親の事はどうでもいいらしい。王様、ちょっと不憫。
「聞いたぞ。他にも異世界人が居たそうだな。しかも、帝国側について、お前達を害そうとしたとか。けしからん奴もいたものだ。……異世界人が皆ミクやヤモリのように大人しい訳ではないのだな」
「僕みたいなのは少数派だと思いますよ」
美久ちゃんが大人しかったのは親元から離れて意気消沈していたからで、僕は元からひきこもりだ。イナトリみたいに、異世界に来てはっちゃける方が普通なのかも。
「全て片が付いたら、ゆっくり話す時間が取れると思うのだが……」
「陛下。戦後処理というものがございますよ」
「あー聞きたくない、考えたくない。余はいつになったら暇になるのだ!」
「さ、先ずは目の前の問題からやっつけていきましょう。王宮から離れていても政務は出来ます。ノルトンのオルニス殿から決済待ちの書類が届いておりますよ」
「ちょ、待っ、ヤモリ! シェーラぁ!!」
別れの挨拶が長過ぎて、ついに王様はアークエルド卿に引き摺られていってしまった。それを見送ってから、僕達は馬車に乗り、ノルトンへ向けて出発した。
これにて第8章は終わりです。
閑話と登場人物紹介を挟み、第9章に移ります。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
物語は終盤に差し掛かりました。
今後もヤモリ君達の事を見守ってやって下さい。




