118話・代表者会談 3
「お前は俺の息子だ。……クドゥリヤ」
代表者会談の最中、ユスタフ帝国の実質的トップである将軍シヴァから爆弾発言が飛び出した。
『クドゥリヤ』と呼ばれた間者さんはフリーズしてしまい、立ち尽くしたまま茫然としている。
名前の響きがサウロ王国風ではない。ユスタフ帝国風の名前なのかな。
僕達以上に帝国の外務大臣であるプレドさんの方がショックを受けていた。取り繕う事すら忘れ、あわあわと狼狽えている。
「かかかかか閣下! 陛下以外に御子がいたのですか!! しかも男児が!!!」
「うむ。セルフィーラの前にな」
「ハァーーー!? 存じませんでしたが!???」
取り乱したプレドさんがシヴァに纏わりつきながら質問責めしてくれているお陰で、こちらは黙っていても情報を得る事が出来た。
この人、年配だけど昔からの重臣じゃないのかな。古くから仕えているなら知ってるはずの事も知らないみたいだし。
しかし、聞き捨てならない話が。
「ええと、よろしいかしら。……まず、将軍は、セルフィーラ様の父親? という事ですか」
「うむ」
シェーラ王女が尋ねると、シヴァはあっさりと頷いた。この件はプレドさんも知っているし、特に秘密ではないようだ。
先程までのセルフィーラに対する気安い接触も、実の親子だというのなら納得出来る。
現皇帝の父親。
単なる将軍という肩書きよりずっと地位が高そうなんだけど。だが、重要なのはその先だ。
「ヤモリさんの護衛も、貴方が父親だと?」
これにも、シヴァは頷いた。
という事は、セルフィーラの前に生まれた子が間者さんで、つまり現皇帝セルフィーラの兄???
「先日、帝国領内をこそこそ動き回る黒髪がいると聞き、素性を調べさせたのだ。そうしたら、二十年前に帝都で辺境伯に保護された赤子だというじゃないか。間違いない、お前は俺の息子だ」
「なんと……!」
プレドさんがわなわなと肩を震わせながら間者さんを見つめている。歓喜の涙まで浮かべて。
それに対し、端で控えているセルフィーラの女官は無反応だ。事前に知っていたのか、全く驚いた様子はない。セルフィーラ自身も特に表情は変わらない。
「本当は別の機会に個人的に呼び出して話をするつもりだったが、まあ良い。手間が省けた。……クドゥリヤ、帝国に戻ってくる気はないか」
立ち上がり、手を差し伸べるシヴァ。
「戦時中の混乱でお前を失ったと思っていたが、よくぞ生きていてくれた」
「……」
間者さんは黙ったままだが、かなり揺らいでいるように見えた。
これまで、僕が何度聞いても「覚えてもいない親兄弟の事はどうでもいい」としか答えなかった。でも、実際に目の前に父親と妹らしき存在が現れたのだ。しかも、敵対国のトップ。動揺しないわけがない。
シヴァと間者さんは、髪の色だけでなく顔立ちがなんとなく似ている。やや切れ長な目と眉の形なんかはそっくりだ。間者さんの瞳は深い青だが、これはセルフィーラと同じ色。恐らく母親が白髪、青い瞳なのだろう。
「……じゃあ……は、母親……は」
絞り出すようにして声を出す間者さん。その表情からは普段の余裕が消えていた。
「お前の母親は帝都にいる」
母親が生きていると知り、間者さんは思わず口元を手で覆った。必死に堪えてはいるが、目元が赤くなっている。
まだ赤ん坊の頃に辺境伯に保護され、家族と離れ離れとなった。その後、辺境伯のおじさんに鍛えられ、エーデルハイト家の間諜として生きてきた。戦災孤児のだと思っていたけど、違ったんだ。
生きているなら会いたいよな。
そういえば、両親共に健在なのに、何故間者さんは保護されたのだろう。
眉根を寄せ、辛そうにかぶりを振るシヴァ。
「戦争中帝都に攻め込んできた辺境伯によって、お前は奪われたのだ」
「え」
奪われただなんて言い方、まるで辺境伯のおじさんが悪者みたいじゃないか。
過去の事は僕達には分からない。
もし、ユスタフ帝国の要人の子供だと分かった上で無理やり攫ったとしたら。二十年前帝都に攻め込み、帝城を半壊させた時。その時に、城にいた赤ちゃんを連れ去ったのだとしたら。
「……ッ」
その可能性に思い至ったのか、間者さんは震える拳をぎゅっと握り締めた。顔色が悪い。育ての親である辺境伯のおじさんと、目の前にいる父親と名乗り出た男。どちらを信じていいのか分からなくなっているんだ。
重苦しい空気に包まれ、誰もが口を噤んだ。疑心暗鬼に囚われそうになる。
そんな中いち早く気を取り直したのは、年長者であるアークエルド卿だった。
「失礼。貴公がこの者の父親だとして、それはまた別の話。此度の会談には関係あるまい」
「そうだな。……いや、関係無くもない」
アークエルド卿は逸れまくった話の軌道を戻し、代表者会談を再開させた。それを受け、すぐにシヴァは姿勢を正した。
「先程の話だ。もし、セルフィーラとそちらの王子との婚姻を拒否するならば、クドゥリヤにサウロ王国の姫を娶らせようと思う」
「なんですって?」
あまりの事に、シェーラ王女が思わず声を上げた。王族の隠密さん達にも話の内容が聞こえたのか、天幕周辺の空気がざわついている。
「あくまで、クドゥリヤが帝国に戻る事が前提の話になるが……要は二国間で婚姻関係を持ち、不可侵条約を結びたいのだ」
「不可侵条約……」
随分と身勝手な言い分だ。
だが、この代表者会談が無ければ、明日には帝国に攻め込む予定だった。交渉を持ち掛けるなら今しかないと踏んだのだろう。
もし間者さんがユスタフ帝国に行くならば、皇帝の兄という立場になる。現皇帝セルフィーラがこんな状態だからといって、他国育ちの間者さんが帝位を継ぐ事はまずないだろう。それでも、ユスタフ帝国における高位貴族に相当する地位は与えられそうだ。
「まあ、クドゥリヤは平民として育てられていたようだし、流石に王族の姫は高望みかもしれんな。確か、辺境伯には孫娘が居ただろう? そちらでも構わん」
それって、マイラの事?
その言葉に間者さんはブンブンと首を振った。
よく知っている相手とはいえ、結婚となれば話は別だ。辺境伯のおじさん、エニアさん、オルニスさん、それとラトスから睨まれる事になる。特に、ラトスは重度のシスコンだ。マイラが政略結婚するとなれば、相手の男を殺しかねない。
相手がアドミラ王女やシェーラ王女、またはマイラだとしても、間者さんとは年齢差がある。こっちの世界での適齢期は知らないけど、二十歳が十三歳に手を出したら倫理的にマズいと思う。
というか、誰を選んでも保護者にタコ殴りにされる未来しか見えない。
「あぁ〜〜無理無理無理無理!!!」
「……だよね」
突然現れた血縁者の存在だけで、間者さんはいっぱいいっぱいの状態だ。今は他の事なんか考えてる余裕はなさそう。
「不可侵条約の為の婚姻、前向きに検討してくれると有り難い。よく考えて結論を出してくれ。……ああ、もちろん二組とも成立しても構わない」
シヴァは終始強気な態度を崩さない。他者に命令するのが身に染み付いている。それは他国の人間相手でも変わらない。自分の子供の結婚、しかも二人とも政治の道具にする事に何の疑問も抱いていない。
セルフィーラはずっとぼんやりしている。生き別れの兄が現れたというのに、何の感慨もない様子だ。
「待たれよ。そもそも、何故我が国がそちらの要望を聞かねばならんのだ。不可侵も何も、まずは帝国側が兵を引き上げるなり何なり行動で示すべきではないのか!」
会談が始まって以降、ずっと帝国側の言い分ばかり聞いていた。それに加え、将軍シヴァは態度が大きい。ラトス誘拐の件で非を認めたにも関わらず、だ。
「撤退はしない。我が軍は領内の魔獣退治の為にここまで来ている、と先程説明したはずだが?」
「まだ言うか! 帝国が魔獣を人工的に増やし、操っておる事はもう知っておるのだぞ!」
椅子が倒れんばかりの勢いで立ち上がり、目の前のテーブルを叩くアークエルド卿。その剣幕に、シェーラ王女と僕が気圧された。
怒るアークエルド卿を一瞥し、シヴァは薄く笑って肩を竦める。そして堂々と開き直った。
「ふん。生き証人も居るようだし、これ以上誤魔化しても仕方あるまい。……確かに、我が帝国は魔獣を養殖しているし、意のままに動かす術を持っている」
「やはり。そのせいで、どれだけの民や兵士が傷付いたと思っている!」
魔獣大量発生の折、アークエルド卿率いる第一師団は王領シルクラッテ州の守りを固めていた。各地に遠征に出て、傷付き戻ってきた他師団の兵士達を間近で見てきた。
僕と共に王都から国境に移動する途中、宿泊地の街が襲われ、住民が危険に晒された。
昨晩は、国境付近の襲撃と同時に拠点に魔獣が現れた。深夜に意表を突かれ、何十人もの兵士が負傷した。
諸悪の根源は、この男だ。
「まだ魔獣は増やせるぞ。これまでは小規模な襲撃を繰り返してきたが、もっと数を増やす事も可能だ。何やら対策をしたらしいが、一度に千匹の魔獣を投入したらどうなるか。それでも、交渉には応じないと言えるのか?」
「貴様……ッ!」
脅迫めいたシヴァの発言に、アークエルド卿は思わず腰の剣に手を伸ばそうとした。しかし、その手を隣に座る少女の小さな手が止めた。
「アークエルド卿」
一触即発のやり取りで激昂したアークエルド卿を、シェーラ王女が再び抑える。アークエルド卿は険しい表情のまま、大きく息を吐き出した。
敵陣営のど真ん中で剣を抜けば、それこそ只では済まない。あのまま相手の挑発に乗っていたら、交渉どころか一気に全面戦争だ。危ない所だった。
「……分かりました。どれも即答出来るものではありません。一旦持ち帰って検討します」
「殿下!」
「どちらにせよ、この場で結論が出せない以上、皆に相談しなくては。──よろしいですね? 将軍」
「流石、姫君は話が早い」
シヴァはにこやかに微笑むと、席を立って一礼した。交渉に応じたシェーラ王女に敬意を表したつもりか。
「ああ、そうだ。異世界人殿。うちのイナトリが大変失礼をした。近いうちに直接謝罪させよう」
「……いえ、謝るならラトスに」
代表者会談はそこで終わり、後日返答をする事となった。野営地の外まで見送りに来たのは外務大臣のプレドさんとその護衛の兵士だけだった。
上空で大きな鳥が旋回している。あれも魔獣なのかもしれない、と思うと恐ろしい。
「クドゥリヤ様、このまま帝国に残らないのですか! そちらに行ってもコキ使われるだけでしょうに!!」
「そんな名前じゃねーし。あと顔近っ!」
「いーえっ! クドゥリヤ様はクドゥリヤ様でございます!! 是非帝国に留まり下さい!!!」
プレドさんは抱き着かんばかりの勢いで間者さんに迫っている。現皇帝の兄だと判明したので、早速取り入ろうとしてるのかも。
逃げる間者さんを追いかけ回していたプレドさんだったが、急に立ち止まり、表情を引き締めた。そして、間者さんの服の裾を掴み、周りに聞こえないよう小声で囁く。
「……ここだけの話、陛下の母君であるタラティーア様は近頃お身体が弱り、臥せっておられます。侍医の見立てでは、そう長くはない、と」
「え」
「帝都に行かれる際は、是非私めをお供にお連れ下さい。それでは」
帰りの馬車の中では全員何も話さなかった。
国境の壁の手前で降ろされ、サウロ王国側に戻ってからも、暫く沈黙が続いた。
間者さんの過去を匂わす話は57話辺りでチラッと出しておりました。




