108話・謝罪と弁解
「しかし参りましたな。相手側の陣に皇帝が来ておるという事は、正に国家間の戦争ではないか!」
「うむ。我が国も陛下にお出まし願う他あるまいて」
難しい顔して相談し始める師団長達。
ユスタフ帝国の野営地に皇帝が来ていると分かってから、何やら様子が変わってきた。
どういう事なんだろう。元々辺境伯のおじさん主導で戦争やる予定だったよね?
何が違うんだろう。
「国家間の争いに於いて、その責任は全て国の代表者にあります。つまり、帝国では皇帝、サウロ王国ではお父様に。片方が代表者を掲げたのであれば、もう片方も代表者を出す。それが、この世界の戦争の礼儀のようなものなのです」
「ああ、なるほど……」
疑問に思う僕に気付いて、シェーラ王女がわざわざ解説してくれた。
そういう意味合いがあるのか。
自ら戦場の空気に触れ、時には敵国と直接交渉する。それこそが求められているリーダーの在り方なのだ。
戦争と呼べないレベルの国境での小競り合いや、一方的な侵略等には代表は出さないらしい。その辺りの基準はよく分からないけど。
「殿下。大変申し訳ないのですが、陛下がご到着されるまでの間、陛下の名代として、我が国の陣に残って頂いてもよろしいですかな」
「わかりました」
アークエルド卿が尋ねると、シェーラ王女は一切迷う事なく快諾した。
一時的な措置とはいえ、十一歳の少女が王様の代理になるなんて。僕だったら突然の重責に耐えられず、泣きながら部屋に閉じ籠るレベルだぞ。
「だ、大丈夫?」
「ええ。帝国に行くと決めた時から、こうなる可能性も視野に入れておりました。最悪、私の身一つで片が付くならそれも有りかと」
「全ッ然大丈夫じゃないやつじゃん!?」
流石王族と言うべきか。シェーラ王女は僕なんかより何段階も上の覚悟を決めていた。多分、ラトスを助ける為に必要ならば、帝国側に身を差し出す事すら厭わなかっただろう。
それに比べれば、短期間の名代くらいなら平気らしい。周りの兵士が全力で守ってくれるし、余程の事がない限りは安全だから、だそうだ。
実戦経験は無いものの、兵法書を何冊も熟読し、戦争の作法は心得ている。たくさんある可能性の一つとして、王族が必要な場面が出てくるかもしれない、と予想していたのか。
「では、すぐに王宮に連絡を。長官、頼めるか」
「ちょいと待ちな。いま文面を考えてる」
天幕の隅にある座卓では、アーニャさんが便箋を前にうんうん唸っていた。畏れ多くもこの国で一番偉い人を戦場に呼び出す訳だから、一言二言で済ます訳にもいかない。
そこへ、シェーラ王女が近付いてペンを取った。そしてサラサラと何かを書き付ける。
「これを見たらすぐに来るわ」
見れば、便箋には『すぐ国境に来ないと嫌いになります』という言葉とシェーラ王女のサインが書き込まれていた。
確かに、可愛い末娘からこんな手紙が届いたら、支度もそこそこに王宮から飛び出してきそうだな王様。
小難しい文面を考えずに済み、アーニャさんは喜んだ。そこへ箇条書きで情報を追記した上で、空間魔法による手紙の転移を始めた。
あらかじめ、空間転移に必要な条件を満たした紙を幾つも用意してから来たのだろう。王宮宛ての手紙の受取手は司法部の副長官さんだ。念のため早馬も出すそうだが、恐らく手紙はちゃんと届くだろう。
「あ、忘れてた。帝国の野営地を仕切ってんのは白髪の子じゃなくて、黒髪の、四十半ば位のオジサンでした」
「ふむ。帝国軍の司令官か何かだろうな」
間者さんの追加報告によれば、少女皇帝はお飾りで、実際に兵に指示を出しているのは、その黒髪の人なんだとか。
そこから先は完全に軍議っぽい話になったので、僕と間者さんは別の場所で休ませてもらう事にした。
天幕から出た直後、アーニャさんから呼び止められる。
「ヤモリ、腕輪を見せな」
「あ、はい」
上着の袖を捲り、よく見えるように左腕を差し出す。腕輪を見て、アーニャさんが顔を顰めた。
「アンタ、こりゃなんだい」
「え。あー……ドラゴン、じゃなくて、竜の牙に噛まれた跡……ですね」
アーニャさんが指差したのは、僕の腕輪の傷だった。青い石の脇の金属部分が五ミリ程凹んでいる。ドラゴンが軽く腕輪を噛んだ時に付いた跡だ。
借り物を傷付けてしまった。あまり数が出回っていない、貴重な司法部特製の魔導具だ。怒られても仕方がない。
「すみません、傷を付けてしまって。あっ、でも、ちゃんと風の障壁は使えましたよ? 壊れてないから大丈夫かなー……なんて」
先回りして謝罪と言い訳を並べると、アーニャさんの大きな手が僕の左腕を掴んだ。鉄拳制裁かと身構えたが、その逆で、アーニャさんは少し辛そうな表情を浮かべていた。
「馬鹿だねぇ。危ない真似するんじゃないよ」
「……は、はい」
「近いうちに修理するからね! これ以上傷を付けるんじゃあないよ」
そう言って、アーニャさんは僕から手を離し、再び天幕へと戻っていった。
普段の豪快で姉御肌なアーニャさんとは違った態度。もしかして、心配させたのかも。
「もしかしてじゃなくて、かなりっすよ。自分も聞いた時は死ぬ程びっくりしたし」
「そう? ……そうだよね。僕も改めて思い出したら死にそうなくらい怖くなったんだけどどうしようホントよく生きていられたよね僕」
「やっと自覚したんすか」
今更ながら、手脚の震えが止まらない。立っていられなくなったので、近場に置いてあった丸太を借りて腰を下ろした。間者さんは隣に立っている。
「ヤモリさん、そんなんでよく竜に手ェ噛ませられたっすね」
「だ、だって、あの時は非常事態だったし」
呆れ顔の間者さんに弁解しながら、当時の事を振り返る。
あの時は、イナトリの裏をかいて状況を打開する為に、双子の兄の往緒に成り切っていた。そうでなければ、あんな大きなドラゴンを前にして、立つ事も喋る事も出来なかった。
「その非常事態を乗り切った、偉大なる異世界人殿に話があるんだが?」
「ひっ!」
突然背後から聞こえた低い声に飛び上がる。振り返ると、そこには眉間に皺を寄せ、仁王立ちでこちらを見下ろす学者貴族さんの姿があった。
これは間違いなく怒っている。
「か、間者さん」
「良い機会だし、ここらで反省しといてもらいたいんで、めちゃくちゃ怒られてほしいっすね」
「えぇ〜……」
助けを求めたが、この件に関しては間者さんも怒っているらしい。僕を庇うつもりは無いようだ。
学者貴族さんと入れ替わるように、間者さんは姿を消してしまった。見えないだけで、多分側にいて護衛してくれているんだろうけど。
僕の隣に腰掛ける学者貴族さん。
空気が重い。
もしオーラが見えたなら、恐らく学者貴族さんの背後はドス黒い靄が渦巻いているはずだ。隣に居るだけで冷や汗が止まらない。
「何故黙って帝国へ行った」
「えーと、そのー、」
これは、ラトスとの人質交換の為に帝都へ向かった時の事を怒られているのか?
あの時は、ただただ必死で、誰かに連絡を取るなんて全く思い付かなかった。後からアーニャさんに指摘されて、ようやく気が付いたくらい。
「……まあ、慌ただしかっただろうし、それは良い。だがな、さっきのアレはなんだ。竜の口に手を突っ込むなど、先に聞いておったら絶対止めたぞ」
「ああ、それは、えーと」
ですよねー。我ながら、なんであんな真似したんだろうって思う。
でも、あの時はああするしか無かった。帝国兵に囲まれていたから、手短かに指示を出すだけで精一杯。僕が何をするかまで詳しく説明する時間が取れなかった。そもそも、上手く事が運ぶかどうかも分からなかったし。
「人質交換に応じたり、周りを気遣って脱出を諦めたり、小生達を守る為に竜と対峙したり、……そういう危ない真似ばかりするんじゃない」
「……はい」
「まあ、方法はともかく、正直助かった。ヤモリのおかげで無事帰って来られたからな」
怒鳴り散らされるかと思ったけど、そんな事は無かった。言い聞かせるように、危ない事はやめろと繰り返された。アーニャさんからも念を押されたし、ホントに周りに心配ばかり掛けてしまっている。
「あの、……もう一人の異世界人はいいの?」
「うん?」
「イナトリは進学校の生徒だし、僕より絶対頭が良いよ。学者貴族さんが知りたがってる知識をたくさん持ってるだろうし。……だから、えー、うまく説得するとかして、サウロ王国側に付いてもらうとか」
「……ああ、成る程」
必死に言葉を選ぶ僕に、学者貴族さんの表情が呆れ顔に変わった。
「ヤモリよ。貴様、そのイナトリとやらに自分の立場が奪われるとでも思っておらんか?」
「ウッ」
図星だ。しかもその感情のせいで、一時みんなを危険に晒した。
「良いか。小生はな、異世界人なら何でもいい訳ではない。あのような、他者を傷付ける事を厭わん輩は好かん。それは、長官や王も同じだ」
「うん、うん」
「第一、我の強い奴は扱い辛いしな!」
「……うん?」
それって、僕は扱いやすいって事か?
まあ、流されやすい性質であるのは認める。ていうか、貴族や王族相手に平民が逆らえる訳ないじゃないか。
でも、僕だって保護してもらえるなら誰だっていい訳じゃない。住民の命を何とも思わないような人には絶対に従いたくない。
それを考えると、ドラゴンという強力な味方であり移動手段を持ちながら、イナトリが帝国側に付いていた理由が分からない。逃げたければ逃げられたはずだ。
「……心配掛けてごめんなさい」
「謝るな。もう二度とやらんのなら良い」
「……」
「何故そこで黙る! 顔を背けるな!!」
やっぱり怒鳴られた。




