106話・帰還と混乱
捨て身の策で窮地を脱した僕達の元に、第一師団長アークエルド卿率いる騎馬隊が駆け付けてきた。
帝国兵達は慌てて放心状態のイナトリを助け起こし、後退した。その側で、威嚇するかのように翼を広げるドラゴン。翼の付け根に裂傷を負っているため飛べはしないが、巨体と長い尾はそこに在るだけで脅威だ。
騎馬隊の馬はドラゴンを恐れ、近付く事を完全に拒否し、離れた場所で立ち止まった。サウロ王国の兵士達も、初めて間近に見るドラゴンの姿に恐れ慄いている。
一定の距離を置いているものの、騎馬隊の存在は帝国兵達を牽制するには十分だった。兵の数もほぼ同じ。どちらも動けないまま睨み合う。
そんな中、アークエルド卿が馬から降り、僕達の方へ歩み寄ってきた。
「ヤモリ殿、無事のようですな」
「あっ、ありがとうございます。二人が助けに来てくれたので、何とかここまで戻って来られました」
僕は側に立つ学者貴族さんとアリストスさんを引き合いに出して答えた。しかし、二人は何故か気不味そうな表情を浮かべている。
「……伯父上。どうも」
「二人とも、帝都まで行ったそうだな? よくぞ無事に戻った。マリエラから手紙が届いた時は心配したが」
そういえば、アークエルド卿はアリストスさんの母親・マリエラさんのお兄さんだ。つまり、アリストスさんから見ると伯父さんな訳だ。学者貴族さんにとっては義理の伯父さん?
にこやかに話し掛けているアークエルド卿に対し、二人は何故かぎこちない態度だ。仲が悪いのかな。
「やはり、男子たるもの戦場に出んとな! どうだ、アリストス、カルカロス! この機に王国軍に入ってみんか!」
「え、いや、それはちょっと」
「何度もお断りしておりますが……」
「そう言うな! ウチの一族は軍人家系だというのに、倅も孫も軍には入らんとゆーのだ! せめてお前達だけでも」
アークエルド卿が軍隊勧誘おじさんと化した。
普段は割と傍若無人な二人だけど、身内かつ目上の人が相手だからか、ものすごく歯切れが悪い。しどろもどろながらも断っているのに、アークエルド卿は全く話を聞かず、何度も誘っている。
というか、ここ敵地だし、今も絶賛敵対中なんだけど。勧誘している場合ではない。
「こら、なにやってんだいエクセレトス。ここは戦場だよ! 無駄話なら他所でやりな」
「無駄話とはなんだ、大事な話だぞアーニャ!」
兵士を掻き分け、突っ込みを入れてくれたのはアーニャさんだった。アークエルド卿の頭を軽くはたき、長話に付き合わされていたアリストスさん達を解放してくれた。
「ヤモリ、よくここまで戻ってきた。迎えにくるのが遅れて済まなかった、もう大丈夫だからね」
「い、いえっ」
そう言って、僕の頭をわしわしと撫でてくれた。帝都の廃教会で別れて以来の再会だ。まだ帝国領内だというのに、安心感がすごい。
その時、帝国兵の上を飛び越し、黒い影が側に降り立った。間者さんだ。
野営地で騒ぎを起こして兵を引き付けて貰っていたのだが、ドラゴンの登場で逃げ損なってしまったのだ。周囲を見渡して、状況を悟ったようだ。何度か頷いてから、間者さんは僕の隣に立った。
「一応、時間稼ぎは出来たって事でいっすかね」
「ごめんね、予定通りにいかなくて」
「ま、野営地は火消しで忙しーんで、これ以上兵の増援はないっすよ」
放火してきたのか。
皇帝が来ているという話だから、必要以上の兵をこちらに割く事が出来ないのだろう。それに消火作業まで加われば尚更だ。
こちらには、第一師団長に王国一の魔法使い、王国軍の騎馬隊百名が加勢に来てくれている。一時はもう駄目かと思ったけど、何とかなりそうでホッとした。
しかし、隠密さんから何か耳打ちされた後、間者さんの態度が一変した。
「ヤモリさん! また危ない事したってホントっすか!! なんでそーゆー事ばっかするんすか!?」
「だ、だって」
めっちゃ怒られた。
仕方ないじゃないか。ドラゴン相手に何とかする方法が他に思い付かなかったんだから。
「んも〜……よりによって、自分が側に居ない時にやんなくてもいいじゃん……」
その場にしゃがみ込み、何度も大きな溜め息を吐く間者さん。
要らぬ心配を掛けてしまった。反省はするけど、もしまた同じような事態に陥ったら、多分自分に出来る範囲の事ならやると思う。……なんて言ったら、めちゃくちゃ怒るんだろうな。
「さて」
気を取り直したアリストスさんが真っ先に刃を向けたのは、イナトリ。
僕に謀られたのがショックだったのか、イナトリはまだ放心状態だ。虚ろな目で、何事かブツブツ呟いている。さっきまでの高圧な態度から一変していて、周りの帝国兵も戸惑っているようだ。
ドラゴンには剣も魔法も効かないが、イナトリはただの人間だ。倒そうと思えば倒せる。
でも、まだ大事な事を伝えていない。
「あの、アリストスさん待って」
「ヤモリ殿、止めないでいただきたい」
「イナトリは僕と同じ異世界人なんだ。ドラゴンを従えてるけど、普通の学生で」
「なにッ!?」
僕の言葉に、学者貴族さんが反応した。興味を持ったのか、イナトリを凝視している。
イナトリの衣服や眼鏡は異世界から持ち込まれた物だ。もしかしたら、他にも何か所持しているかもしれない。異世界研究者である学者貴族さんなら、絶対に関心があるはずだ。
しかし、すぐに目線を外した。
「異世界人だろうがなんだろうが、我らを陥れ、ヤモリを害そうとした奴だ。そんな奴は要らん」
「え」
「どのみち、帝国側の人間なんだろ? 大人しく研究に協力してくれるとは思えないねぇ」
異世界人ならなんでもいいかと思ってたけど、どうやらそうではなかったらしい。学者貴族さんもアーニャさんも、イナトリを保護してサウロ王国に連れ帰るつもりは一切無いようだ。
これは予想外の反応だった。
「兄上の許可が下りた。始末する」
アリストスさんが剣を抜き、刃に炎を宿した。炎の斬撃で、周りにいる帝国兵ごと焼き払う気だ。
しかし、ドラゴンがそれを阻止した。
甲高い声で嘶き、騎馬隊の馬を再びパニックに陥らせたのだ。風の障壁を至近距離で受け、口内がズタズタに傷付いているはずなのに、イナトリを守る為に叫ぶドラゴン。怯えた馬達は、乗っていた王国軍兵士を振り落としたり、国境の方へ逃げ出したりしている。
それが切っ掛けとなり、兵の均衡が崩れた。
混乱に乗じ、イナトリを担いだ帝国兵達が野営地に向かって走り出したのだ。追おうとしたアリストスさんの前に、残った帝国兵が人垣を作って阻む。
このまま戦闘になるかと思った時、上空からギャア、と鳥の鳴き声が響いた。
次の瞬間、遠く離れた森や茂みから無数の魔獣が飛び出し、こちらに向かってきた。少なく見積もっても二、三百匹は居る。帝国領にいる王国軍の数は百騎。魔法を使える者が居るとはいえ、馬がドラゴンに怯えて恐慌状態に陥っている今は分が悪い。
「一旦退くぞ!」
アークエルド卿の指示で、兵士達は馬をなんとか宥めつつ国境へと引き返した。僕達がもともと乗ってきた馬は、隠密さん達が保護してくれていた。学者貴族さんとアリストスさんは、雷と炎で魔獣の侵攻を止め、逃げる時間を稼いでいる。
僕はアーニャさんの馬に相乗りさせてもらい、何とか無事に国境の壁を越える事が出来た。
壊された扉の跡地を潜り抜け、サウロ王国領に戻った僕が目にしたのは、辺り一面に転がる魔獣の死骸だった。
積み上げられた死骸の山が至る所にある。
何百、もしかしたら千を超えているかもしれない。それくらい大量の魔獣が、サウロ王国内に侵入してきていたのだ。
現に後方では、先程の魔獣達が僕達を追って壁に殺到している。待機していた王国軍の兵士達が次々に倒してくれている。
「お前達を送り出した後から、魔獣が度々壁を乗り越えて襲ってきてな。片付ける前に次の群れが来るから、対応に追われておる」
死骸の山を避けながら馬を進める。拠点に向かいながら、アークエルド卿がぽつぽつと説明してくれた。
「こちらから増援を出したくとも出せん状況でな。あちらに気付かれんよう、甥達に少数精鋭で行ってもらう他なかったのだ」
僕達が帝国領に入ってすぐ、近くの森から魔獣が溢れ、国境の壁を乗り越えていったのを見た。こちら側には第四師団がいるし、二、三百匹位なら平気だろうと考えていた。あの後、魔獣がこんなにたくさん襲ってきていたなんて思わなかった。
第四師団の仮設拠点に入ると、包帯を巻いている兵士の姿が目に付いた。魔獣相手に引けを取らない腕を持つ兵士達だが、数で押されて負傷したのだろう。
そして、その魔獣による波状攻撃は現在も続いているという。
ラトスや僕が無事に帰ってきたから終わり、という訳にはいかない。
戦争はまだ続いているんだ。
第7章終了から10日ほど間が空きましたが
今回より第8章がスタートいたしました。
サウロ王国対ユスタフ帝国の戦争がメインです。
今後ともよろしくお願い致します!




