閑話・学者貴族さんのひとりごと
「義母上、どういうおつもりですか!」
「あら。予想より早かったわね、カルカロス」
王都アヴァールの中心部に位置する貴族街。その更に中心にあるアールカイト侯爵家の本宅は、近隣にある他の貴族屋敷が霞む程の豪奢な佇まいである。
庭園の片隅にある四阿に義理の母の姿を見つけ、そのまま怒鳴り込んだ。
義母上は驚きもせず、こちらに視線を向けて微笑む。そして、ゆったりとした動作で茶器を置き、向き直った。
「……やはり、わざと黙っておられたのですね」
「私が貴方にそんな意地悪をした事があって?」
白く滑らかな指先が向かいの椅子をすい、と指した。強制はされていないが、何故か逆らえない。逸る気持ちを抑えて腰を下ろすと、義母上は目を細めた。
生まれながらの高位貴族。アークエルド侯爵家の出であり、同じ位を持つアールカイト侯爵家に嫁いできた義理の母・マリエラ。か弱い女性であるはずなのに、他者を従える何かを持っている。
愛人の子という立場の小生に対し、義母上が辛く当たった事は一度も無い。アリストスと分け隔てなく接して貰った。本宅を出ると決めた際も無理に引き止められたりはしなかった。有り難い事だと思っている。故に、逆らった事はない。
しかし、今回ばかりは別だ。
「何故、ヤモリが帝都に向かったと教えて下さらなかった! 私の側付きに口止めまでして」
「貴族の要らぬ噂が市井に流れぬよう指示しただけよ。離れて暮らす貴方には、ついうっかり伝え忘れてしまったけれど」
扇で口元を隠し、優雅に微笑む。
王都外れの別邸に移り住み、本宅に近付こうとしない義理の息子を軽く咎めるような言い回し。うっかりも何も、その別邸付きの隠密や従者に指示が届いている時点で意図的であったと分かる。
昨晩、エーデルハイト家の嫡男・ラトスが誘拐された。犯人はラトスを人質に取り、異世界人・ヤモリの身柄を要求。人質交換の場に指定されたのはユスタフ帝国の帝都。今朝早くヤモリを連れた一団は王都を発ったという。
貴族の誘拐事件ともなれば話に尾ひれが付き、良からぬ噂となって国中に蔓延してしまう。それを防ぐ為の口止めと言われてしまえば、これ以上文句を言う訳にもいかない。
ヤモリはサウロ王国に存在する唯一の生きた異世界人であり、我が異世界研究の要である。そのヤモリが居なければ、せっかく進んだ異世界研究が全て無駄に終わってしまう。
ヤモリを失う訳にはいかない。
「義母上は私に行くなと仰るのか」
「まあ。そんな風に思われては心外だわ」
「では何故そのような──」
その時、物凄い勢いで馬車が庭園に侵入し、四阿の目の前で急停止した。扉が開き、中から慌てた様子のアリストスが現れた。
「まっ、間に合いました……!」
「危ない所でしたよ、アリストス」
小生の姿を見つけるなり、その場にへたり込むアリストス。随分と急いで来たようで、肩で息をしている。
「……話が見えないのですが」
「御免なさいね。この子にどうしてもと頼まれたから、貴方に情報が行かないようにしていたのよ」
「も、申し訳ありません兄上」
つまり、こういう事だ。
ヤモリが帝都に向かうと知れば真っ先に小生が付いていくと考え、アリストスが足止めを依頼していたのだ。お陰で、側付きの隠密からは何の情報も得られなかった。別邸付近の森で王国軍の兵士が巡回しているのを偶然見掛け、話を聞かなければ何も知らないままであった。
「一体、何の為にそのような真似を」
「それは勿論、私が兄上と帝国へ参る為です!」
パッとその場で立ち上がり、アリストスは懐から何かを取り出した。
「まず、元王宮騎士団の者達を王国軍から脱退させた際に第二師団長モルレゼシア卿から一筆頂いたもの。こちらは元王宮騎士団を王宮警備に再任させる為に宰相イルゴス様から、あと私が王宮警備の責任者から外れる事を直接陛下に申し出、承認を得ております」
アリストスは何枚もある書類を四阿の机に広げ、小生と義母上に示した。見れば、アリストスの言った通りの内容が記載され、全て承認されていた。
此奴は一体何を言っておるのだ?
「滞りなく済ませたようですね」
「抜かりはありません」
「……話が見えんのだが、どういう事だ」
小生の問いに義母上が笑った。普段は見せない、本心からの笑みである。
「アリストスは貴方と帝国に向かえるように自ら考え、後々困らぬ様に仕事の引き継ぎを済ませてきたのです。その手続きが終わるまで貴方を引き止めるのが私の役目。……ふふっ、短慮で突っ走ってばかりだったアリストスが、一人でここまで出来るようになるとは」
確かに、以前のアリストスならば思い立ったら即行動に移していた。これだけの手続きを僅か半日の間に済ませるとは。王宮勤めをしている内に、アリストスも成長したという事か。
「事実を知れば、兄上がヤモリ殿を追う事は分かっておりました。ならば、その手助けをしたいと思ったのです」
「……そうだったのか」
「ほほほ、貴方が本宅に寄らず、そのまま王都を発っていたら危ない所でした」
てっきり帝国行きを阻止されていると思い込んでいたが、そうでは無かった。むしろ後押しされていたとは。
「ヤモリ様は我がアールカイト侯爵家にとって大切な御方。まだ受けた御恩に報いておりません。帝国に奪われるなど以ての外。既に旅支度は整えてありますから、すぐに出発なさい」
義母上が片手を軽く上げると、すぐ側に黒尽くめの隠密四人が現れ、地に膝を付き頭を垂れた。
「この者達は我が家に仕える隠密の中でも指折りの手練れ。連れてお行きなさい」
あれよという間に旅立つ事となった。
国境までの護衛として王国軍の小隊を借りた(この手配もアリストスが事前に済ませていた)。愛馬を引き連れ、クワドラッド州へと向かう。
ノルトンを過ぎた辺りから、駐屯兵団の兵士を多く見掛けた。国境付近では、第四師団が魔獣の群れ相手に戦っていた。既に魔獣の死骸が山の様に積まれていた。魔獣の襲撃には波があるらしく、その合間を縫って国境の壁を超えた。
帝都までの道程は遠い。
最短で帝都へ続く街道は、魔獣と敵兵で溢れている。その為、かなり迂回をして向かう事となった。
何度か魔獣に遭遇したが、その都度アリストスが一掃した。仮とはいえ、王宮警備の責任者を務めていたのは伊達ではない。アリストスは強い。背中を預けて、これ程安心出来る相手は居ない。
小生は魔法は使えるが、剣の才は無い。魔力が尽きれば戦えなくなる為、アリストスが率先して魔獣を相手にしている。
貴族学院時代は弱みを見せぬ様、苦手な剣術も努力で並以上の腕に見せていた。卒業して自由の身となってからは剣を捨て、魔法を極める為に司法部へと入った。その選択自体に全く後悔は無いのだが、こういう時に無力さを痛感する。
しかし、アリストスが側に居る事がこんなに心強く思える日が来るとは思わなかった。
「……お前、以前はヤモリを排除しようとしていたではないか。どういう心境の変化だ」
休憩の際に、そう尋ねてみた。
当初のアリストスは、別邸に来ていたヤモリに短剣を突き付けたり、エーデルハイト家から勝手に連れ去り監禁する等かなりの嫌がらせをしていた。小生からヤモリを引き離そうと躍起になっていた。
しかし今は、ヤモリを取り戻す為に協力してくれるという。どのような心境の変化であろうか。
「ヤモリ殿は、兄上との仲を取り持って下さいましたから。あの時の私は、本当に迷惑ばかり掛けていて、思い出すとこう……恥ずかしさのあまり叫び出したくなるくらいです」
迷惑を掛けていた自覚はあったのだな。
「王宮警備の責任者になってから割と顔を合わせる機会がありまして。ヤモリ殿は裏表のない、お優しい方であると改めて分かりました。それに比べて自分は何と身勝手だった事か」
目を伏せるアリストス。過去の自分の振る舞いを恥じ、後悔しているようだ。
「エーデルハイト家の嫡男が拐われた際も、ヤモリ殿は少しも迷う事なく人質交換に応じると決められました。……兄上の為という理由もありますが、私自身が、ヤモリ殿を帝国に奪われたくないと思ったのです」
そうだったのか。
アリストスはヤモリの人柄に触れ、未熟な自分を見つめ直し、人間として成長した。侯爵家当主として一番大切な資質が備わった。義母上が喜んでいたのは、こういう事だったのだ。
ならば、小生は?
「……考えるまでもないか」
ヤモリが現れてからというもの、小生の生活は一変した。行き詰まっていた異世界研究が進み、腹違いの兄弟間のわだかまりが無くなり、疎遠にしていた本宅へ出入り出来るようになった。思い出のある亡き母の部屋で過ごせるようになった。
これは全て、ヤモリが異世界人だからではない。ヤモリの人柄に拠るものだ。
「おや、カルカロスじゃないか」
帝都へ向かう途中、アーニャ長官とオルニス文政官に出会った。先行させていた互いの隠密同士が鉢合わせたのだ。シェーラ殿下まで居たのには驚いた。
「帝国側の奴等に見つかったら不味いからねぇ、もう少しで魔法ブッ放すトコだったよ」
「それは洒落にならんぞ長官……」
「ま、アンタなら来るだろうと思ってたよ」
帝国兵との遭遇を避けて街道をやや外れた場所を移動していたのだが、それは向こうも同じだった。
酷く疲れた様子である。聞けば帝都で色々あり、人質のラトスを救う為にヤモリが敵の元に残ったのだという。助け出されたラトスが弱り切っている為、ヤモリを取り返す事も出来ず、一旦引き上げたのだとか。
「ヤモリ君を助けに来てくれたんだね。済まないが、私達からも頼む。……ラトスの為に、身代わりとなって帝都に残ってくれたんだ」
オルニス文政官の腕に抱かれているラトスの顔を覗き込めば、確かに酷く衰弱している。以前、辺境伯邸で見た時より痩せて顔色が悪い。一度意識は戻ったらしいが、まだ危険な状態だ。早く医者に見せねばならない。
長官達と別れ、暫く進んだ先にあるコルビという街の手前で見知った顔に会った。確か、ヤモリ専属の護衛だ。何故、ヤモリからも長官達からも離れているのか。
「あ、どーもー。あんま会いたくない顔触ればっかだけど、今回ばかりは有り難いっすねー」
うちの隠密達に首根っこを掴まれ、小生達の前に引き摺り出されても軽口を叩くヤモリの護衛。ヤモリが一番頼りにしていた人物だ。
「さっきオルニス様達に会った? そんなら話は早いっす。ヤモリさんを助けに行きたいんすけど、自分一人じゃ難しいんで、連れて逃げようにも馬がないし、どーしようかと困ってたトコで」
まず、ヤモリが何処でどのように囚われているか、見張りの数や強さ等を偵察する。そのまま助け出せるようなら実行する。もし手数が必要であれば小生達を連れて行くという。
その案に賛同し、帝都の外壁に程近い場所に身を隠して待つ事にした。
数時間後、戻った護衛の話を聞いて頭を抱えた。
身を守る魔道具を所持しているにも関わらず、監禁場所の周辺住民を危険に晒さないよう逃げるのを遠慮している、と。
そう聞いて、ヤモリらしいと納得しつつ呆れてしまった。前々から考え方が甘いと思っていたが、まさかここまでとは。
「なんとも、ヤモリ殿らしいですな」
アリストスは素直に感心しているようだが、怒りがふつふつと湧いてきた。
身代わりになると決めた事。
何も言わず出て行った事。
自分の身を顧みない事。
それが全て腹立たしい。
何故そこまでヤモリが自分を犠牲にせねばならないのか。何故そうせねばならないと思わせてしまったのか。苛立ちが募る。
後は機を見計らい、監禁場所まで行くだけだ。
この怒りをぶつけても、ヤモリは困惑して平謝りするだけだろう。どう伝えれば本心から理解してもらえるのか。
それが当面の課題だ。
以上、学者貴族さん目線のお話でした。
自分の趣味全開でやらせていただいております。
次回から第8章がスタートします。
今後とも応援よろしくお願い致します!




