105話・ vs. ドラゴン
あと少しという所で思わぬ相手に道を阻まれた。
ユスタフ帝国に味方する異世界人・イナトリ。
彼が連れているドラゴンには剣も魔法も効かない。巨大な空飛ぶ怪物だ。
ティフォー達がイナトリに従っていたのは、彼がドラゴンを使役しているからだ。獣じみた強さを持つ彼らが何故イナトリに対して畏怖の感情を抱いているのか不思議に思っていたけれど、これが理由だったんだ。
魔獣大量発生前、辺境伯のおじさんが送り込んだ手練れの偵察を倒したのもドラゴンの仕業かもしれない。
チートを持たないはずのイナトリがドラゴンを自在に操っている点に疑問は残る。でも、それは今考えるべき事じゃない。
なんとかイナトリとドラゴンにダメージを与えて追ってこれないようにしなくては。
みんなを危険に晒してしまった責任を取るんだ。
僕は双子の兄の往緒を思い出した。
イナトリを出し抜くなんて僕には不可能だ。勉強はそんなに出来ないし、運動神経も悪い。自分に自信がないから、僕が考えた策にみんなの命運を賭けるような無謀な真似は出来ない。
でも、往緒の思考を想像する事なら出来る。
往緒なら、どんなに追い詰められていても活路を見出して実行出来る。
今だけ、往緒の度胸と機転の早さを借りる。
「アリストスさん、あれの足元を燃やせますか」
「ああ。しかし竜に炎は……」
「燃やし続けて下さい、お願いします」
了承の返事の代わりに、アリストスさんは大きな炎の塊を出した。同時に風を操り、ドラゴンの足元の地面に炎を導いてゆく。下草が綺麗に刈られているので燃えるものは一切無いが、これは魔法だ。薪や枯れ草が無くても、魔力が供給され続ける限り消える事はない。
ドラゴンには炎は効かないが、熱は伝わる。つまり、ドラゴンの肩に乗っているイナトリには効く。
「バッカだねー。こっちは飛べるんだよ」
熱気が上に届く前に、イナトリはドラゴンに指示を出して飛んだ。これで地上の炎は届かない。
「学者貴族さん、雷を」
「分かった」
すぐに学者貴族さんが雷を空に向けて放った。稲妻が走り、ドラゴンを襲う。しかし、巨体の割に動きが素早い。高度を上げ、自分の胴体で下からの雷を受けている。これも分厚い鱗に阻まれ、ほとんど効いていない。
「どうしたのー? 自棄になっちゃった?」
揶揄うような笑い声が頭上から落ちてくる。
効いてはいないが、それでも魔法を使い続けるように二人に頼んだ。
魔法を使っている間はドラゴンも迂闊にこちらに近付けない。それに、ゲームのドラゴンとは違い、火を噴いたりする事は出来ないようだ。空から急襲して圧し潰す、爪で引っ掻く、噛み付く等が主な攻撃手段なのだろう。
そうこうしている内に帝国兵達が集まってきた。さっきのドラゴンの咆哮を聞き付けて来たのだ。味方とは言え馬がドラゴンに怯えるせいか、兵士達はみな徒歩で駆け付けている。
ここまでは予定通りだ。
アリストスさんが地面の炎を操り、僕達の周りをぐるりと囲んだ。流石に炎を踏み越えて来る者は居ないが、代わりに炎の外縁にいる帝国兵の数が増えていった。
学者貴族さんは雷でドラゴンを牽制し続けている。
「アハハ、そんなに魔法連発していいのぉ? MP無くなっちゃうよー?」
イナトリはドラゴンの背に乗った状態で、時折僕を挑発してくる。圧倒的強者であるドラゴンと多くの兵士を従えているからこその自信と驕り。
対する此方は、僅か少数でたくさんの敵兵に囲まれ、頼みの魔法も決定打とならず、魔力切れを起こせば即負ける状況。
時間が過ぎれば過ぎる程不利になる。
「むっ」
先ずアリストスさんの魔力が切れ始めた。
帝国兵から距離を置く為、広範囲に渡って炎を出し続けていたからだ。僅かに残る魔力を使って最低限の炎のラインを形成しているが、消えるのも時間の問題だ。
「こちらもだ」
続いて、学者貴族さんにも魔力切れの兆候が現れ始めた。既に何十回も雷を空に放っている。雷を放つ頻度が減り、威力も目に見えて落ちている。
このままでは、炎の壁が完全に消えた途端に帝国兵に捕縛されるだろう。
どこからどう見ても、僕達が不利。
ついに、アリストスさんの炎が消えた。完全に魔力を使い切り、疲れ果てた表情でその場に片膝をつく。咄嗟に歩み寄り、僕はアリストスさんに肩を貸した。
「くっ、最早ここまでか」
学者貴族さんの雷も打ち止めとなった。最後の方は、空中に弱々しい光を走らせるばかり。こちらもガクリと膝をついた。
隠密さん達が僕達の周りに立ち、帝国兵の接近を防いでいるが、多勢に無勢。数が足りな過ぎる。
アリストスさんは隠密さん達に抵抗を辞めさせ、帝国に投降すると宣言した。これで帝国兵も無闇に此方を傷付ける事は出来無い。
周りに居た隠密さん達も残らず捕縛された。
「やったー! 魔法使いゲット!!」
無邪気にはしゃぐイナトリ。
大人しく縄を掛けられているアリストスさん達を横目に、僕はイナトリに向かって声を掛けた。
「……イナトリさん。ちょっといいですか」
「なーに? 明緒クン」
圧倒的な勝利を収めたからか、機嫌が良い。
「前に、コレ欲しがってましたよね」
上着の袖を捲り、左手首に嵌っている腕輪を見せた。イナトリの視線が釘付けとなる。まだ興味は失っていないようだ。
今しがた魔法使いを二人も捕虜にしたばかりだ。魔道具と魔力供給源が揃って目の前にある。
「負けた以上、この魔道具は差し上げます。でも、流石に手首を斬られるのは困るので……なにか金属を切断出来るものってありますか?」
「え、くれるの? ボクも好きこのんで同郷のキミの手を切り落としたいワケじゃないからさ。進んで譲ってくれるんなら、その方が助かるよ」
嬉しそうに笑うイナトリ。
彼はようやくドラゴンを地上に降ろした。しかし、無闇に近付くような真似はしない。僕の腕輪の、攻撃を防ぐ機能を警戒しているのだ。
「その魔道具、まだ魔力残ってるよね」
「あと少し残ってると思います」
「発動されたら壊すどころか近付けないし、先に魔力を消費させてもらうよ」
イナトリは周囲の兵士に対し、離れた場所から僕に石を投げつけるよう命じた。石は僕に当たる直前にバチッと弾かれ、地面に落ちる。
攻撃を察知して、腕輪に追加された機能である『風の障壁』が発動したからだ。腕輪内の魔力が切れるまで、僕に対する攻撃はこの障壁によって全て弾かれる。
何度か石を弾いた後、突然風の障壁が消えた。内蔵魔力が尽きたのだ。投石の中断が間に合わず、幾つかの石が僕の身体に当たった。
「ヤモリ、大丈夫か!」
「う、うん。ちょっと痛いけど平気」
石の直撃を受けた僕を心配して学者貴族さんが駆け寄ろうとしてくれたが、周りの兵士に動きを制されている。
右肩と足に石が当たったけど、着衣の上からだったからそこまでダメージはない。
「今ので魔力は全部使い切りました。何か、金属を切断するような工具とかありますか? この青い石さえ傷付けなければ、魔道具として機能しますよ」
ドラゴンの肩に乗っているイナトリに対し、腕輪の石がよく見えるよう左腕を高く掲げた。
腕輪に嵌め込まれている石は、元の世界ならお目にかかる事も出来ない程の大きさだ。これだけでも価値がある。それに加えて腕輪には身を守る機能まで付いている。魔法使いを捕虜にした今、動力源である魔力供給の心配も要らない。
イナトリの欲に火がついた。
「うーん……工具かぁ。こっちの世界、ロクな道具が無いんだよねー」
鍛治屋や細工物工房になら工具自体は有りそうだが、ここは街中では無い。野営地にも置いてはないだろう。もしあったとしても、ペンチやニッパーのような道具が関の山だ。指輪くらいの細い金属なら切断出来るが、腕輪のような幅広な物は難しい。
「あ、サクラにやってもらえばいいのか」
イナトリはドラゴンの頭を軽く撫でた。
名前があったのか。しかも『サクラ』って。もしかして、このドラゴンはメスだったりするのかな。
「えっ……そのドラゴンに? 怖いんですけど」
「だいじょーぶだよ。こう見えてサクラは賢いんだ。結構器用なんだよ。ねー?」
イナトリの問い掛けに、サクラと呼ばれたドラゴンは小さく鳴いて応えた。確かに言葉を理解しているようだ。大きくて見た目も怖いけど、大人しくしていればペットのようなものかもしれない。
「どうやって? 見ての通り、腕輪には隙間が少しもないんだけど」
「これこれ。サクラの牙は鋭いし、噛む力も強いから、ちょっと噛むだけで簡単に壊せると思うよ」
自慢気にドラゴンの牙を見せてくるイナトリ。鋭い牙が並び、八重歯の位置には一際大きな牙があった。少しでも力加減を間違えば、僕の手首ごと噛み切る事も可能だろう。
「ほ、他の方法はないですか?」
「嫌ならいいよ。ここで腕を斬り落として貰ってくだけだから」
怯えた表情で懇願してみたが、イナトリは時間を掛ける気がないらしい。一刻も早く魔道具を手にしたいようだ。
「……じゃあ、牙でお願いします」
イナトリはドラゴンを前傾姿勢にした。前脚が地面につき、四つん這いの体勢を取る。肩に乗っていたイナトリは、少し移動してドラゴンの首に跨った。
間近に迫るドラゴンの顔。
眼の周り、首元に至るまで細かな鱗に覆われているが、翼に鱗は生えていない。口腔内は赤黒く、より近くで見ると牙の一つ一つが大きい。本気で噛まれたらひとたまりもないだろう。
あたたかくて生臭い呼気が僕の顔に掛かった。
怖い怖い怖い怖い怖い。
逃げたくなる気持ちを抑え、必死に耐える。
「腕を出して。下手に動くと怪我するよ」
恐怖に青褪める僕を間近で見下ろし、ニヤニヤと笑うイナトリ。僕が無様に震えている様を見て、心底喜んでいる。
意を決して、ドラゴンの口内に腕を突っ込む。
僕が動かないように、帝国兵が二人で僕の体と腕をがっちり掴んで固定した。
青い石に牙が当たらないよう腕の角度を少し調整してから、兵士がイナトリに目配せをした。すると、ドラゴンが少し口を閉じ、腕輪の金属部分に牙を当てた。牙の先端が腕輪に食い込む。
この状態になっても腕輪が発動しない事に、イナトリは安堵した。
「んじゃ、サクラ。ソレ噛みちぎっちゃって」
腕輪だけ、という約束を早々に反故にし、僕の腕を噛み切るようにドラゴンに命じた。
より確実に噛み切る為、ドラゴンが口を一旦大きく開けた。左右から兵士に身体を掴まれている為、僕は腕を引き抜く事も後退する事も出来ない。
やっぱり、イナトリは冷酷な人間だ。
笑顔で軽く嘘を吐く。
さっきまで話をしていた相手も簡単に裏切る。
そういう人間だから──
予定通り反撃させてもらう。
ドラゴンが口を開け、再び閉じるまでの短い時間に、黒い影が僕の側を通り抜けた。
魔力貯蔵魔道具を僕に渡す為に。
黒い影……隠密さんが、僕の上着のポケットにキューブを放り込む。その瞬間、キューブから腕輪に魔力が供給された。
ドラゴンの牙が僕の腕に突き刺さる直前に風の障壁が発動する。風の障壁は、僕から半径約一メートル程の範囲の物を跳ね返す。
つまり、ドラゴンとイナトリ、兵士二人だ。
「ッ!?」
至近距離に居たドラゴンと僕を掴んでいた兵士は、風の障壁をまともに喰らった。まるで鎌鼬に襲われたかのように身体に無数の裂傷を負った。イナトリは鎌鼬の直撃は免れたが、衝撃でドラゴンの背から地面に落ちた。
僕は一切傷付いていない。これは僕の身を守る為の特別な魔道具なのだから当然だ。
「な、なんで? 魔力は使い切ったはずなのに」
地面に這いつくばったまま、顔だけを上げてイナトリが呻いた。そんな彼を気遣わしげに顔を寄せるドラゴン。ドラゴンは体に傷こそ付いていないが、口内と翼の根元に裂傷がある。しばらくは食べたり飛んだり出来ないだろう。
僕は、普段猫背気味の身体を真っ直ぐに起こし、地べたのイナトリを見下ろした。
「──詰めが甘いんだよ、伊奈鳥」
「……なに?」
「聞こえなかったのかよ。お前如きが俺に勝とうとか、百年はえーんだっつの」
「ゆ、往緒、クン……ッ?」
イナトリは目を見開いて僕を見た。
おっと、往緒の思考をトレースし過ぎて口が悪くなってしまった。僕が他人にこんな言葉遣いをするなんて、まず有り得ない。
ここまでのイナトリの言動から、往緒に対してコンプレックスを抱いているのは簡単に予想出来た。
彼は往緒を『友人』ではなく『クラスメイト』と言った。その程度の間柄にも関わらず、異世界で断片的な情報を元に無理やり僕を帝都に来るように仕向けた。友好的な相手ならば、ティフォーに手紙を届けさせるだけで済んだというのに。彼が一方的に執着しているのだとすぐに分かった。
恐らく、イナトリは元の世界に居た頃は往緒に何一つ敵わなかったはずだ。
ドラゴンを使役し、ユスタフ帝国で圧倒的な強者となった今なら勝てるとでも思ったんだろう。
サウロ王国の異世界人が往緒でなく、弟の僕だと分かってからも、イナトリは僕を解放しなかった。往緒の身内を支配下に置く事で憂さ晴らしをしたかったのだ。
強い者に諂い、弱い者に偉ぶる。往緒はそういう人間が大嫌いだ。元の世界に居た時は、さっき僕が口走ったような態度で低く扱われていたに違いない。
つまらない優越感を得る為だけにラトスを誘拐し、マイラを泣かせ、エニアさんやオルニスさん、辺境伯のおじさんを悲しませた。その罪は重い。
「何をしてる、早くコイツらを捕まえろ!」
ドラゴンの脚に掴まって身体を起こしながら、イナトリは周囲の帝国兵に命じた。呆気にとられていた兵士約百人が一斉に剣を抜いて殺到した。
しかし、誰も僕達に近付く事は出来ない。
アリストスさんの魔法が再び地面を焼き、炎の壁が現れたからだ。先程まで後ろ手に縛られていたが、魔法の炎で縄を焼き切っている。学者貴族さんの縄も切れ、とっくに自由になっている。
「ま、魔力切れを起こしてたはずじゃ……」
「すまんな、あれは芝居だ」
「ヤモリ殿の筋書き通りになりましたな!」
「ッ!?」
そう。
ドラゴンに乗ったイナトリが現れた後、僕が考えた策を伝え、それを実行してもらったのだ。
腕輪の本来の機能である盗聴阻害を使えば、気付かれずに指示を出す事が可能だ。
本当に魔力切れを起こす可能性はあった。でも、王様がくれたキューブの魔力量が想像以上に多かったのだ。おかげで、わざと捕縛されている間に魔力を補充する事ができたのだ。
腕輪の魔力を一時的に使い切る必要があった。
だから、僕が持っていたキューブはアリストスさんに肩を貸した際に預かってもらっていた。その後タイミングを見て、こっそり縄抜けをした隠密さんを通じて返してもらったのだ。
タイミングが少しでも遅れれば、僕の左腕はドラゴンの牙に噛みちぎられていただろう。
そういう経緯で、短時間とはいえキューブはアリストスさんと学者貴族さんの手元にあった。追加で魔力を補充するには十分だ。
「お迎えも来たみたいだし、悪いけど帰らせてもらいますね」
学者貴族さんが放っていた雷。あれは単なる攻撃手段ではない。此処は国境の壁から程近い。魔法を連発すればサウロ王国側が気付くと踏んで、ワザと空に向かって撃ってもらったのだ。
国境側から鬨の声が上がる。
サウロ王国王国軍、第一師団長アークエルド卿率いる騎馬隊が、こちらに向かっているのが見えた。
これで第7章は終わりです。
一番動き回り、一番戦った章でした。
一番物語の核心に迫った章でもありますね。
閑話を挟んでから第8章に移ります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今後も是非お付き合いください。




