103話・陽動作戦 1
夜明けと同時に出発となる。
あまり眠れなかったけど身体を休める事は出来た。隠密さん達が常に周辺の警戒をしてくれているので、魔獣の襲撃に怯えずに済んだからだ。
学者貴族さんとアリストスさんも夜の間大人しくしていた事で魔力が回復したけど、まだ満タンではない。一応、魔力貯蔵魔導具のキューブをひとつ渡してある。もし戦闘中に魔力が尽きたら使えるように。使わないに越した事はない。
しかし、そう簡単にはいかない。
道中、魔獣の群れに何度も遭遇した。茂みの中に数十匹の魔獣が潜んでいた。まるで僕達を待ち構えているかのように。
気付かずに通り抜けようとしたら、一斉に飛び掛かられてしまう所だ。でも、隠密さん達が事前に察知して教えてくれるから、こちらから先手が打てる。
アリストスさんが炎の斬撃で茂みごと薙ぎ払い、学者貴族さんの雷で逃げた魔獣を残さず退治する。魔法ならば接近して戦わずに済むので危険は少ない。
しかし、回復するより多く魔力を使っている為、早くも魔力切れの兆候が現れ始めた。
「国境まではまだ距離がある。この頻度で魔獣の相手をするのはキツいな」
「出来るだけ戦闘を回避しましょう。兄上は魔力の回復に専念して下さい」
アリストスさんは隠密さん達にルート選びを慎重に行うように命じた。魔獣との遭遇回数を減らし、余計な戦闘を避ける事が目的だ。
多少外れているとはいえ、今通っているのはメインの街道のそば。国境が近付けば帝国兵がいる可能性もある。その時に魔力が尽きていたら、サウロ王国を目前にして敵に捕まってしまう。
「魔導具で魔力を補充しなよ」
「そうだな。使わせてもらうか」
コートの内ポケットからキューブを取り出し、強く握り込む学者貴族さん。指の隙間から光が漏れる。キューブの中にある魔力が学者貴族さんの体内に吸収されていく。
一気に他人の魔力を取り込むのはあまり良くないらしく、程々の所で補充は中断された。まだキューブには魔力が残っている。何回かに分けて補充すれば問題ないだろう。
僕の手元にあるキューブにもまだ魔力は残っている。学者貴族さん達と合流して以降、風の障壁が一度も発動していない。敵の攻撃が僕に来る前に、みんなが防いでくれているからだ。
馬を走らせ続け、日が傾く頃にはガルデアの街が見える辺りまで来れた。
隠密さん達が探索をした結果、キュクロ郊外と同じように街道から外れた場所で惨劇の痕跡が見つかった。大量の血が染み込んで黒くなった地面と、たくさんの獣の足跡。
ラトスを救出する為にオルニスさん達とガルデアに訪れた時、住民は居なかった。その時には既に獣に食い殺されてしまっていた、という事だ。
そういえば、帝国領に侵入してすぐの森から何百匹もの魔獣が出て来た事があった。たくさんの魔獣が居て驚いたけど、あれはキュクロやガルデアの住民を元に造られた魔獣だったんだ。
え、じゃあ今まで遭遇した魔獣も全部?
結構な数がいたぞ。
「日が暮れたが、今日は野宿はせず前進する」
一旦馬を止め、アリストスさんが今後について話し始めた。
「帝国兵が野営していれば、篝火などで遠くから位置が分かる。夜の方が都合がいい。ただし、派手な魔法を使えばあちらからも我々の位置が分かってしまう」
「つまり、魔獣に出くわしても魔法は使わん方が良いという訳だな」
「はい。私の炎や兄上の雷は闇夜では目立ちます。特に、帝国兵の野営地があると予想される場所では避けた方が良いでしょう」
アリストスさんは、ガルデアと国境の中間地点辺りに帝国兵の陣が敷かれていると予想している。国境に近過ぎると危険だからだ。皇帝が出陣しているのなら、野営地には天幕が幾つも建てられているだろう。
主戦力である二人の魔法が使えないのは正直言って厳しい。でも、魔力の温存は出来る。
隠密さんが先行して索敵してくれているから、魔獣との遭遇は最小限に抑えられる。うまく行けば、戦わずに国境まで辿り着けるかもしれない。
「では行くぞ」
暗闇の中、馬をゆっくり進ませる。音を立てると気付かれてしまうので、馬を全力疾走させられない。
更に街道から離れた平原を通り、魔獣が潜む場所を避けつつ、僕達は少しずつ進んでいった。
たまに群れからはぐれた魔獣に遭遇したけど、隠密さんが音も無く退治した。間者さんも、僕の側に付いた状態で周りを警戒してくれている。魔法に頼れない今、隠密さん達や間者さんが戦力的にも頼りになる。
そうして何時間か進み続けた頃、先行していた隠密さんから報告が来た。
「前方に帝国の天幕を発見、迂回します」
「む、分かった。魔獣への警戒も怠るな」
「はっ」
どうやら予想通りの位置に野営地を見つけたらしい。そこさえ迂回すれば、帝国兵との戦闘を避けられる。やや遠回りにはなるけど安全第一だ。
暫く進むと、遠くに篝火が見えた。
僕達の居る場所から、距離にして約一キロ。
隠密さんの話では、大きな天幕が幾つも設置されているらしい。正確な人数までは調べられないが、野営の規模からみて帝国兵が数百人から千人くらいは居るんだとか。絶対に戦闘は避けねばならない。
このまま気付かれないように迂回して、サウロ王国との国境を目指す。国境の壁さえ超えてしまえば、第四師団や駐屯兵団の兵士さん達が居るはずだ。
暗い内に国境まで行ければ良かったんだけど、魔獣との遭遇を避け敵の野営地を迂回していった結果、かなり時間が掛かってしまった。
空が明るくなってきた。夜明けだ。
まだ国境までは距離がある。目立たないよう、丈の高い草地を選んで地道に前進する。
「ヤモリさん、だいじょぶっすか」
「うん、へいき。馬に乗ってるだけだし」
後方を警戒しながら、間者さんが声を掛けてくれる。
最初の頃は脚が筋肉痛で辛かったけど、乗り続けてた結果、乗馬のコツが分かってきた。昨晩はゆっくりと進んでいたから負担も少なかったしね。
「見えたぞ。国境だ」
学者貴族さんが前を指差した。
遥か向こうに見えるのは、サウロ王国とユスタフ帝国を分断する国境の石壁だ。見渡す限り、途切れる事なく繋がっている。
問題は、国境付近までの間に遮るものが無い事。
国境から五百メートルくらいの範囲は全て綺麗に草が刈られていて、見通しが良くなっている。それに、巡回の帝国兵の姿が数多く確認出来た。
茂みに身を隠しつつ様子を伺う。
「兵が離れた隙に駆け抜けますか」
「うむ。しかし帝国兵も馬に乗っている。すぐに追い付かれるぞ」
「では、私が囮を務めます」
「駄目だ。お前は危険な真似をするな」
相変わらず、アリストスさんは兄の為なら我が身をも投げ出そうとするが、もちろん学者貴族さんはすぐ止めた。
離れた場所で騒ぎを起こし、そっちに注意が向いてるうちに通過するというのはアリだと思う。でも、それは高位貴族がやる事じゃない。
「自分がやります」
「え」
間者さんが挙手して名乗り出た。
「帝国の野営地でひと暴れすりゃ、少しは時間が稼げると思うんすよ」
「それ一番危ないやつじゃん」
「盗聴阻害の魔導具もあるし、姿を隠す場所さえありゃ察知されない自信あるんで」
「でも……」
よりによって敵の本陣に行くなんて。
止めたいけど、僕達には選ぶ余地がない。このままここでじっとしていても魔獣か帝国兵に見つかる可能性もある。早いうちに国境を突破して、辺境伯のおじさん達と合流したい。
「では頼む」
「代わりに、ヤモリさんをお願いします」
「言われるまでもない」
あっという間に話がまとまった。
馬に乗っている学者貴族さんと僕、アリストスさんは茂みに待機。隠密さん達が野営地の方角を監視し、騒ぎが起きたら一気に走る。間者さんは隙をみて野営地から離脱し、国境へ向かうという事になった。
「んじゃ、そーゆーコトで」
盗聴阻害魔導具の指輪に魔力を補充してから、間者さんは帝国兵の野営地に向かって走っていった。
この選択、吉と出るか凶と出るか。




