102話・郊外の惨劇
アリストスさんの活躍で、草原に潜んでいた魔獣を撃退する事が出来た。
再び馬を走らせる。必要最低限の休息を取りつつ、街道から逸れた道無き道をひたすら北上して国境を目指す。
時折魔獣に遭遇するが、数匹程度ならば先行する隠密さんがササッと片付けてくれる。やはり侯爵家の隠密は強い。
追っ手のナヴァドとランガは死んだ。ティフォーは鳥型の魔獣が連れて逃げてしまったが、酷い火傷を負っていたから戦線復帰は無理だろう。
他に追ってくるような存在は──いる。
イナトリ。
ティフォー達の主人で、僕と同じ異世界人。何故か帝国側の偉い立場にいるらしい。魔道具の腕輪を欲しがっていた。
廃教会の騒ぎはイナトリの耳にも届いただろう。僕の脱走を知り、新たな追っ手を差し向けてくるかもしれない。他にもティフォー達のような強い人達が現れたらどうしよう。
僕以外の異世界人が居た事は、まだ学者貴族さんに話してない。
兄の往緒と同じ進学校に通うくらいだ。イナトリはかなり頭が良いと思う。きっと僕より異世界の知識が豊富で、異世界研究の役に立つはずだ。
でも、言いたくない。教えたくない。
あんな酷い指示を簡単に出せるような人だし、サウロ王国に戦争を吹っかけている帝国側の人間だ。教えたところで、今は敵味方に分かれている。
……いや、違う。
学者貴族さんや王様がイナトリの存在を知ったら、何の役にも立たない僕は用済みになってしまう。
僕はそれが怖いんだ。
僕の価値は、唯一の異世界人という点だけ。他にもっと知識のある異世界人が居たら、みんなそっちを選ぶに決まってる。
結局、僕は自分が一番大事なだけだ。
みんなが身体を張って助けに来てくれたのに、僕は自分の立場や保身ばかり気にしている。なんて身勝手な。イナトリの事ばかり責められない。
「どうしたヤモリ。馬に酔ったか」
俯いて黙り込む僕を心配して、学者貴族さんが振り返りながら声を掛けてくれた。慌てて顔を上げ、無理やり笑顔を作る。
「大丈夫、少し疲れただけ」
「そうか。しっかり捕まっておれよ」
再び前を向き、手綱を操る学者貴族さん。
学者貴族さんの腰を掴み直すと、隣の馬に乗るアリストスさんから睨まれた。ジェラシーの視線が痛いから、次から兄弟で相乗りしてもらおう。
更に数時間走り続け、日が傾きかけた頃、僕達はようやくキュクロの近くまで来た。
キュクロは住民が姿を消した街だ。
三人子供が残っていたけど、オルニスさん達が帰る際に、辺境伯家の隠密さんが保護してくれたと聞いている。
まだ住民は戻っていないのだろうか。
街道から外れた平原を走りながら、遠くからキュクロの外壁を眺める。煮炊きの煙は一つも上がっていない。やはり、まだ無人のままか。
「アリストス様、こちらへ」
先行していた隠密さん達が立ち止まり、アリストスさんに声を掛けた。何か発見したらしい。馬のスピードを緩めて歩み寄る。
離れた場所からは何もない平原に見えたが、一歩一歩近付く毎に鉄の匂いが強くなった。地面が黒く染まっている。
一箇所じゃなくて、辺り一面、ぜんぶ。
「これは……」
「全て血の跡だと思われます」
全員馬から降り、周辺を確認する。
「数日前に、かなりの血が流れたようだな」
赤黒い地面の上に、ボロボロの何かが泥にまみれて幾つも落ちていた。それが服や骨の一部だと気付いて、僕は後退りした。
前にキュクロを通過した時は、メインの街道しか通らなかったから気付かなかった。
十や二十なんて数じゃない。
何百、いやもっと多い。
血の染み込んだ地面に残る、大小の獣の足跡。
この位置と状況から考えると、この血や服の残骸はキュクロの住民達のものに違いない。死体が残っていないのは、獣が全部食べてしまったから。
街から大分離れた場所で、何故?
「酷い有り様だ」
「兄上、これは……」
「魔獣を人工的に造る方法が実践されていた、と見て間違いないだろう」
生きた人間を喰らった獣は魔獣となる。
まさか、キュクロに住む人達を全員獣に喰わせたとでもいうのか。
誰も街に戻ってこなかったのは、こういう事か。キュクロで保護した子供達の家族は、ここで食べられて死んでしまったのか。
一体どれだけの人が犠牲になって、どれだけの魔獣が生まれたのだろう。想像するのも恐ろしい。
「ここで魔獣が大量に発生したとして、それは何処へ向かった?」
「……もしかして、国境?」
国境の壁を越えればサウロ王国だ。
「こうしてはおれん。急ぐぞ」
血の染み込んだ一帯を迂回して、僕達は再び北を目指した。
しかし予備の馬がいない為、しばらく進んだ所で一晩野宿をする事になった。無理をさせれば馬が走れなくなってしまう。気は急くが仕方ない。
それに、ずっと手綱を握っている学者貴族さんやアリストスさん、馬と同じ速さで走り続けている隠密さん達や間者さんも疲れている。
隠密さん達が集めた枯れ枝にアリストスさんが火を付けた。みんなで焚き火を囲み、暖を取る。寒い時期ではないけど、日が落ちると空気が冷える。
全員、表情は暗い。
このまま国境に行って、すんなり辺境伯のおじさん達に合流出来るだろうか。さっきの場所で発生した魔獣が大量に押し寄せていたら。
そう考えると、どんどん気持ちが沈んでいく。
「街の住民を何らかの方法で郊外まで誘い出し、そこで魔獣の餌にしたのだろうな。この国は国民をなんだと思っているのだ」
「全くです。そんな外道な策を用いる皇帝に、何故軍が従っているのか理解に苦しみます」
「ヤモリを助け出せたのは良かったが、ここから先が正念場だな。恐らく国境近辺は素通り出来るような状況ではないだろう」
住民を元に生み出された何百、何千もの魔獣。
それに、帝国軍の兵士達もいる。
学者貴族さんもアリストスさんも強いけど、相手の数が多ければ不利になる。ここまでかなり魔力を使ってしまった。野宿ではあまり回復しなさそう。
「あ、そうだ。これ、良かったら」
僕は上着のポケットからキューブを二つ取り出した。まだ中の魔力は残っている。
「ちょ、ヤモリさん。それ大事なやつ」
「いいから」
間者さんが止めようとしたけど、それを制してキューブを差し出した。
「おお、魔力を貯蔵する魔導具だな!」
学者貴族さんは、帝都の廃教会で似たような魔導具を使っていた。僕が持っているものより小さくて、使い捨て用っぽかった。だから、多分これも使えるはずだ。
「これで魔力の補充、出来る?」
キューブを手に取り、検分する学者貴族さん。手のひらに握り込んで目を閉じ、魔力の操作を試みている。
「……うむ、まだ十分魔力が残っている。使えそうだ」
「じゃあ、それあげる。今日たくさん魔法使わせちゃったし、魔力補充して」
「では、一つ借りておく」
二つある内、大きい方のキューブは学者貴族さんのコートの内ポケットに仕舞われた。残りひとつをアリストスさんに渡そうとしたら「兄上と一緒に使わせて貰うので結構」と断わられた。なにそれ。
「そっちは絶っっっ対手放したらダメっすよ!」
あからさまにホッとした様子の間者さんに袖を引かれ、小声で話し掛けられた。
僕の左手首に嵌められている腕輪型魔導具には、盗聴阻害と攻撃から身を守る風の障壁を発生させる機能がある。腕輪自体にも魔力が入っているけど、それだけでは足りないので、このキューブから魔力を補給している。
つまりキューブが無いと、僕は身を守る術を失って危険に晒されてしまう。それを間者さんは心配してくれているのだ。
でも、学者貴族さんとアリストスさんが魔法を使えなくなる方が危ない。
「明日中にはガルデア付近に着くだろう」
「……ガルデアも住民が街から居なくなってたよ。もしかして、キュクロと同じかな」
「恐らく同じ様な状況だろう。全く、どれだけ魔獣が増えたのか考えたくもないな」
行きに住民が居ないのを確認出来たのは、街道沿いにあるガルデアとキュクロだけ。南北の街道以外の場所にある街や村の現状は分からない。
帝都や、帝都に程近いコルビの街は普通に住民が生活していた。帝国の中心部だけが無事なのかもしれない。
それ以外の地方は、もしかしたら。
2020/03/25
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