100話・平原の戦い
「空飛ぶ魔獣が来てるっすよ!」
後方を警戒していた間者さんが声を上げた。
驚いて振り返ると、帝都の上空に羽ばたく大きな鳥のような黒い影が見えた。何度か旋回した後、こちらに向かって飛んでくる。
もしかして、ラトスを王都から連れ去る時に使われたものと同じ魔獣か。そうだとすれば、かなりの長距離を飛べるはずだ。馬で逃げ切れるかどうか。
「どちらにせよ、北上して国境に向かう事に変わりはない。絶対に止まるな!」
「分かりました兄上ッ!」
馬首を揃えて今後の方針を確認し合う学者貴族さんとアリストスさん。馬の腹を軽く蹴って更に加速させる。
とうにコルビの街は通り過ぎている。街や村がない平原地帯を、三人の隠密さんと三頭の馬が疾走する。
星明かりだけでは進路が分からなくなる。そんな時は先行する隠密さん達が進む方向を指示してくれるので、悪路に阻まれる事なく進む事が出来た。
しかし数時間ほど駆けた辺りで、ついに空飛ぶ魔獣に追い付かれそうになった。
ここで迎え撃つか、限界まで逃げるか。
学者貴族さんは両方を選んだ。
「ヤモリを逃がす。私がここで奴等の相手をするから、お前がヤモリを連れて国境へ迎え。アリストス」
アリストスさんはその意見に反対した。置いていくなど、兄上至上主義の彼に出来るはずもない。
「ならば私が残って足止めします! 兄上とヤモリ殿はそのままお進み下さい!」
「駄目だ、お前は当主だろうが!」
「そんな事は関係ありません!」
「聞き分けんかアリストス!」
「イ・ヤ・です!!」
言い合いの末、アリストスさんはまさかの行動に出た。
隠密さんを一人呼びつけ、自分の馬に飛び乗らせる。そして手綱を隠密さんに任せ、アリストスさんは後ろ向きに座り直した。身体を支えるのは馬体を挟み込んだ両脚の力のみ。だが、全力疾走の揺れにも耐えている。
アリストスさんは腰の剣を抜き、両手で構えた。
ここから空飛ぶ鳥型の魔獣までの距離は数十メートル。高さもあり、剣先は届かない。
しかし、アリストスさんはただの騎士ではない。魔力持ちの古参貴族。つまり、魔法が使える。
剣の先端から火花が散り、刀身全体を炎が包み込む。辺り一帯を昼間のように照らす程の明るさだ。眩しさに目が眩む。
腰から上だけを捻り、アリストスさんは炎を纏う剣を斜め下に構えた。そして一気に振り上げた。
「ふんッ!!」
気合いと共に、炎が刃から離れて後方の空へと飛んだ。炎の斬撃が直撃する。その直前、魔獣が身を捩ったが避けきれずに片翼を掠めた。
ギャア、と魔獣が鳴き、飛ぶ速度と高度が明らかに落ちた。だが、まだ追ってくる。
「もう一撃喰らわしてやる」
再び剣に炎を纏わせ、構えるアリストスさん。二撃目は腹部に当たり、空飛ぶ魔獣は雄叫びを上げた。
そのまま落下するかと思いきや、逆に速度を上げて僕達の方に突っ込んできた。魔獣が怒り狂っているだけではない。その上に乗っている人物が、魔獣に特攻を命じているのだ。
「……ティフォー!」
「逃がしやしないわよ」
間近に迫る魔獣の背には、ティフォーが乗っていた。その後ろに二人見える。ナヴァドとランガだ。
あと数メートルで接触するという瞬間、ティフォーは魔獣の背を蹴って前方に跳躍した。くるりと空中で回転し、すとんと着地する。
僕達の馬の前に降り立ち、ティフォーは低く身を屈めた。両手を地につけ、勢いよく脚を振り回す。走っている馬に対し、足払いをかけたのだ。
人間の脚と馬の脚をぶつければ、普通は人間の脚が折れる。ところが、折れたのは馬の方だった。
甲高く嘶き、馬が暴れ出す。
僕は間者さんに引っ張られて予備の馬に移り、学者貴族さんは転倒直前に飛び降りた。先程まで僕達が乗っていた黒馬は、その場に倒れて踠き苦しんでいる。
「シュバルツ! ……おのれ、よくも」
愛馬の側に歩み寄り、鼻先を撫でる学者貴族さん。シュバルツと呼ばれた黒馬は主人の手に顔を擦り付けるようにして甘えている。しかし、とても苦しそうだ。
アリストスさんと隠密さんは慌てて馬を止めた。
脚を折られた馬は走れない。更に、ここは敵地のど真ん中であり、治療する事も安全な場所まで運ぶ事も出来ない。
学者貴族さんは、これ以上愛馬が苦しまずに済むように決断を下した。
「すまん、シュバルツ」
隠密さんの短剣を借り、自らの手で安楽死させたのだ。
間者さんが予備の馬の手綱を差し出すが、学者貴族さんはそれを断った。眼鏡の奥にある赤い瞳が怒りに燃えている。
「ここで叩く。アリストス、行けるか」
「勿論です兄上ッ!」
アリストスさんも馬から降りた。
既に空飛ぶ魔獣は少し離れた場所に落ち、乗っていたナヴァド達も地面に降りている。
「オウ、逃げんのも此処までだぜ」
「おいおいおい。テメーら、よくもリーニエをやってくれたな。これじゃ暫く飛べねーだろーが」
あの大型の鳥型魔獣、名前があったのか。
間者さんは僕を庇いながら、馬を後退させて距離を置いた。進路にナヴァドとランガが回り込む。
「腕輪も取れないまま逃がしたら、イナトリ様に叱られてしまうわ!」
ティフォーが地面を蹴って跳躍した。
十メートル以上の距離を一気に詰める。反応が遅れた学者貴族さんの前に、アリストスさんが立ち塞がった。ティフォーの蹴りを剣の柄で受け止める。
「ぐっ……!」
蹴りの威力は強く、アリストスさんは剣を取り落としそうになった。その隙を突き、続け様に蹴りを繰り出すティフォー。一撃喰らった後、今度は学者貴族さんが雷の魔法でそれを弾いた
直撃を嫌い、素早く後ろに退くティフォー。
一方、僕達の進路を塞ぐナヴァドとランガ。
ここから逃げたくても、彼等はその機会を与えてはくれない。鳥型の魔獣が首をもたげてこちらを威嚇している。飛べないが、動けない訳じゃない。傷ついた翼を引き摺るようにして起き上がり、じりじりと近付いてくる。
「なんとかヤモリさんだけでも先に行かせたいんすけど、ちょっと難しいっすねー」
「僕ひとりじゃ嫌だよ、行くならみんな一緒に」
「……ま、ヤモリさんならそーゆーと思った」
手綱を握り直しながら、間者さんは笑った。
隠密さん三人はそれぞれ懐から短剣を取り出し、僕達の乗る馬を守るようにして身構えている。これ以上馬を失えば、長距離の移動手段がなくなってしまう。
「オラぁ!!」
ナヴァドが一番手前にいる隠密さんに襲い掛かった。すぐに身を躱し、左の手刀は当たる事なく空を切る。そのまま勢いで身体を回転させ、後ろ回し蹴りするナヴァド。これも避けるが躱しきれず、足の先が僅かに掠った。
掠っただけなのに、隠密さんの手首に嵌めてある小手が真っ二つに裂けた。恐るべき脚力。まともに喰らったらどうなってしまうのか。
「ぜってー倒す!!」
続けてランガも飛び掛かってきた。
ティフォーやナヴァドと違い、素早さはないが力が強い。余裕を持って避けたが、その拳が地面に当たり、抉られた土や石が四方に飛び散った。舞い散る砂に視界が遮られる。
砂に気を取られている間に、ナヴァドが襲い掛かってきた。離れた場所から隠密さんが小刀を投擲するが、鳥型の魔獣が傷を負っていない方の翼を羽ばたかせ、風を起こして軌道をズラした。再びランガが拳で地面を撃ち、砂煙で視界を奪った。
この二人、身体能力が高過ぎる。
帝都の廃教会に居た時は、そこまで強いとは思わなかった。単に狭い屋内では実力が出せなかっただけか。周りに邪魔な物が一切ない屋外こそ、彼等の力が十分に発揮出来る。
対する隠密さん達は不利な立場にあった。
本来、彼等が表立って戦う事はない。相手に気付かれないように動いて陰から狙う、そのやり方がここでは出来ない。夜の闇があるとはいえ、平原のど真ん中で木や岩などの遮蔽物が一切ない。姿を隠す術がないのだ。
だからといって逃げ出す訳にもいかない。
隠密さん達の主人であるアールカイト家当主・アリストスさんと、その兄・学者貴族さんがまだ戦っているのだから。
ティフォーの女性とは思えぬ程の身体能力に、学者貴族さんとアリストスさんは手を焼いていた。
学者貴族さんの放つ雷を避けつつ、距離を詰めて直接攻撃し、そしてすぐに距離を取る。それを何度も繰り返されている。
アリストスさんの炎魔法は剣を介さねば上手く使えないようだ。炎を纏った刀身で斬りつけるか、剣を振って炎の斬撃を飛ばすか。どちらにせよ、動きの速いティフォーには当たらず、攻撃から学者貴族さんを守る方に専念している。
「やはり、普通の人間ではないな」
「どういう事です、兄上」
「彼奴らは獣じみた強さを持っている。鍛えただけではああはなるまい」
戦いながら、学者貴族さんはティフォー達の動きを観察していた。
隠密さん達は選り抜きの存在だ。騎士や兵士相手にも遅れを取る事はない。それをここまで追い詰める存在に対し、興味を持っているようだ。
「詳しく調べてみたいものだが、これ以上ここで時間を取る訳にもいかん」
学者貴族さんは両手を上に掲げた。
今までにない程の大きな雷の塊が現れる。辺りにバチバチと音が響かせながら、雷がどんどん大きくなっていく。
小競り合いをやめ、一気にカタをつける気だ。
今回で100話となります。
わーおめでとう自分!ありがとう自分!!
・:*+.\(( °ω° ))/.:+
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
まだまだ物語は続いていきますので、今後ともよろしくお願い致します。




