97話・監禁中の再会
昼も夜も関係なく魔獣に狙われている。
魔導具の追加効果で、僕に危険が及べば自動で風の障壁が発動する。魔獣の爪や牙で僕が傷付く事はない。
だからといって、二十四時間ずっと魔獣に囲まれて平気な訳が無い。
獣特有の臭いと唸り声。
時々、痺れを切らせた魔獣が突っ込んできては跳ね返される。その繰り返し。
「なかなか切れないわね、魔力」
何処から出したのか、黒く長い鞭を振るいながらティフォーが呟く。鞭は障壁に当たった所で千切れて落ちた。
「フン。魔法だの魔導具だの、しゃらくせぇ」
ナヴァドは残った左手で短剣を投げた。障壁に跳ね返された切っ先が近くの魔獣に当たる。とばっちりを受けた魔獣がナヴァドに食ってかかるが、即座に返り討ちにされた。
「おいおいおい、オレ達ゃ何日こうしてりゃーいーんだよ。だりーな」
足元の瓦礫を投げながら、ランガは愚痴をこぼした。瓦礫は弾かれて砕け、パラパラと床に落ちる。
三人はこうして僕を監視しつつ、障壁を発動させて魔力を無駄使いさせようとしている。
全ては、イナトリの為に。
魔導具の動力源は金属製のキューブふたつ。この中には、それぞれサウロ王国の王族数人分の魔力が込められている。
風の障壁を作るのにどれくらい魔力を消費するのか、キューブにどれだけの魔力が残っているのかも分からない。
次の瞬間には魔力が切れてしまうかもしれない。そうなったら、周りの魔獣が僕に殺到するだろう。
一応人質としてここに居る訳だから、命だけは取らないと思う。でも、魔導具の腕輪を奪う為に僕の手首を切り落とそうとしたくらいだ。五体満足でなくとも構わないという事か。
現代日本で生きてきて、そんな酷い目に遭った事はない。こっちの世界に来てからも、サウロ王国ではみんな親切にしてくれた。
だから、自分の欲の為に平気で他人を傷付ける事が出来る人間を見て、かなりショックを受けている。
特に、イナトリは僕と同じ日本人だ。兄の往緒の同級生らしいし、縁が無いとは言えない。それなのに、彼は躊躇なく冷酷な命令を下した。信じられない。
周りに発生した障壁が様々な攻撃を弾くのを眺めながら、僕はひたすらじっとしていた。
動きのない状況に飽きたのか、ティフォー達は退屈そうだ。丸一日過ぎた頃には疲労の色が見えてきた。
「アタシ、ちょっと休憩してくるわ」
「アァ? オレ様も一服する!」
「すぐ戻ってこいよ、いーな?」
そう言って、交替で休むようになった。残ったランガは退屈そうに寝転がっている。最初の頃の緊張感はない。そして、とうとう障壁への干渉を魔獣だけに任せるようになった。
日が暮れて辺りが真っ暗になった頃、ナヴァドが交替の為に戻ってきた。ティフォーはまだ戻っていない。
ランガを見送った後、ナヴァドは魔力がまだ切れていないのを確認してから礼拝堂の方へ行ってしまった。僕が動けば気配で分かるから、直接見張る気はないらしい。長椅子の上で寝る気だろう。
周りにいる魔獣達も、夜中は流石に眠いようだ。数匹を残して、後は床に伏せて眠っている。
これなら僕も眠れるかもしれないと思った時、不意に肩を叩かれた。
風の障壁が切れたのかと焦って振り返ると、そこには黒づくめ姿の間者さんがいた。
「え、間者さん……!?」
「しーっ、静かに。気付かれたらまずいんで」
慌てて口を手で塞ぐ。
間者さんは、周りの魔獣から見えないよう、死角となるベッドと壁の隙間に身を隠している。
「どうやって中に?」
「裏口の鍵を針金で開けてきたんすよ。盗聴阻害の魔導具のおかげで、多少音が出てもバレないんで」
そう言って、間者さんは右手の人差し指に嵌めた指輪型魔導具を見せた。
以前、司法部でアーニャさんから支給されたものだ。これがあれば、自分の手の届く範囲の音は外部に聞こえなくなる。盗聴阻害以外にも使い道があるんだな。
僕の腕輪の盗聴阻害も効いているので、僕達の会話は周りに漏れない。
「帝国に来てたの知らなかったよ。もう僕の護衛から降りたのかと思ってたから」
「……あー、すんません。挨拶も無しに側を離れたのは反省してます」
ラトスが誘拐された日、緊急会議が終わった後から間者さんは姿を消していた。約十日ぶりの再会だ。その間一体何処に行っていたのか。
「実はですね、報告係として真っ先に辺境伯領に行かされてたんすよ。王都からの使者より早く着いて、まず辺境伯に報告して。その後ちょびっと鍛え直されたりして。ありゃあ憂さ晴らしに使われた感じっすね」
「そ、そうだったんだ……」
間者さんはエーデルハイト家の家臣だ。御家の一大事を辺境伯に知らせねばならない。何より急ぎの仕事だ。僕に挨拶する暇など無かっただろう。
「んで、ヤモリさん達が帝国入りする為の隠密の一団に加えて貰ってたんすよ」
「えっ、じゃあずっと近くに居たの?」
それなら最初から教えておいてほしかった。見知らぬ土地で、かなり心細い思いをしたから。
「それがですね、オルニス様に釘を刺されちまったんすよ。……自分がヤモリさんに肩入れし過ぎてるから、少し距離を置くようにって。まあ、ラトス様が攫われた腹いせというか、八つ当たりみたいな?」
「えぇ……」
辺境伯のおじさんとオルニスさんからそれぞれ憂さ晴らしされていたのか。幾ら家臣とはいえ、扱いが可哀想過ぎる。
「キュクロの街で子供だけが発見されたの覚えてます? あの時、子守に残されたの自分なんすよ」
大人が誰も居ない街で発見された幼い三人の子供達。幾ら食料が残っているとしても保護者無しで放置は出来ないと、僕が駄々を捏ねた。
ラトスを助ける事が最優先の旅だから、オルニスさんは面倒ごとを避けようとしていた。でも、最終的に世話係に隠密を一人残してくれた。
まさか、それが間者さんだったなんて。
「じゃあ子供達は? 街の大人達は?」
「結局誰も戻らなかったっす。帝都から引き上げる途中に自分の仲間が寄って連れにきました。取り敢えずノルトンに連れてって保護するらしーっすよ」
「……そっか、良かった」
とにかく無事でいるなら安心だ。生きていれば、後で親御さんを探して再会する事も出来る。
「ヤモリさんが言い出した事だからって、なんでか自分が世話係に任命されたんすけど。おかげで肝心な時にまた側に居れなかったし」
「ご、ごめん」
恨み言を言われたので素直に謝る。
僕の我が儘で、間者さんに余計な仕事をさせてしまった。ラトス救出の時に居たかっただろうに。
「そうだ、ラトスの事は聞いた? ここで助けた時にすごく弱ってたし、大丈夫だったかな」
「仲間から聞いた話では、目を覚まして水が飲めるようになったらしいっすよ。もうすぐ国境に着くだろうし、すぐ医者に診せれば助かると思います」
意識が戻ったんだ!
ラトスはまだ小さいし、衰弱しきっていたから、どうなる事かと心配してたんだ。良かった。
「それで、ヤモリさんはこんなトコで何してるんすか。周り魔獣だらけっすよ」
「実は、」
猿の魔獣が投げた瓦礫が風の障壁に弾かれる。それを見た間者さんが目を見開いた。
「……この腕輪に付けてもらった攻撃を跳ね返す効果を狙われているんだ。魔力が尽きるまで、ここで見張り続けるつもりみたい」
「え、ヤバくないっすか」
「動力源はコレなんだ。王様とヒメロス王子とアドミラ王女が魔力入れて持たせてくれたんだけど」
そう言いながら、僕は上着のポケットから金属製のキューブを二つ取り出して見せた。それを見た間者さんは、ほーっと息を吐いた。
「あービックリした! 腕輪の内蔵魔力だけじゃすぐ切れちまうと思って焦った」
「キューブの魔力もいつまで保つか分かんないよ」
「王族三人分の魔力っしょ? なら、半月くらいは余裕じゃないっすか」
「え、そんなに?」
「魔力量が一番多いんすよ、王族って」
そうだったのか。
じゃあ風の障壁も長時間維持出来そうだ。問題は、僕自身がこの状況に順応出来ない事くらいか。
魔獣に囲まれ、三人の手練れに見張られ、逃げれば帝都の人々が危険に晒されてしまう。
そう言ったら、間者さんにキョトンとされた。
「逃げりゃいいじゃないっすか」
「いや、だからさ、ここの周りは一般の人達が住む普通の街なんだよ。僕が逃げたら、ここの魔獣が街に放たれちゃうじゃん?」
「そんなん気にしてたらキリがないっすよ」
「でも」
僕が人質のままでは、サウロ王国に不利な状況になるかもしれない。さっさと逃げた方が賢いと自分でも分かっている。それでも、やはり踏み切れない。
「……帝都には、もしかしたら間者さんの両親か親戚がいるかもしれないし」
二十年前に帝都に攻め込んだ際、まだ赤ちゃんだった間者さんを辺境伯のおじさんが保護したと聞いている。つまり、間者さんは帝都で生まれたという事だ。探せば身内が見つかるかもしれない。
もし魔獣が街で暴れたら、間者さんの身内が傷付く可能性もある。
僕の言葉を聞いて、間者さんは深い溜め息を吐いた。やや呆れたような表情をしている。
「……前も言ったじゃないっすか。覚えてもない親兄弟なんかより、今はこっちのが大事だって」
そうは言っても、自ら可能性を摘むような真似はしたくない。戦争が終わったら、ゆっくり両親を探す時間も取れるだろうし。
戦争が終わったら。
「そうだ! 戦争が始まっちゃう!!」
間者さん、再登場です。
実はちょこちょこ存在を匂わせておりました。




