95話・イナトリ
荒れ果てた教会跡地の小部屋を掃除して、最低限住めるようにした。アーニャさんとシェーラ王女が魔法で壊した正面入り口も、人が通れるように瓦礫を退けて片付けた。
ティフォーが時々様子を見に来るが、大半は僕一人で過ごしている。
見張りがいないなら逃げれるかなーとも考えたけど、多分姿を見せていないだけで、ナヴァドとランガが監視してるんだよね。釘も刺されてるし、ここから出ても右も左も分からないし、下手に抗うのはやめておく。
ラトスを衰弱させた責任を感じているのか、ティフォーからは気を使われている。食べるものには困らないし、雨風凌げる場所もあるし、宗教書だけど読むものもある。これなら何日でも平気で過ごせそうだ。
「イナトリ様が来られるわ」
人質になった翌日の昼間。
開口一番、ティフォーがそう僕に告げた。
イナトリというのは、異世界人を連れて来るよう命じた人で、ティフォー達の主人。多分、帝国の偉い人だと思う。
そんな人が、わざわざこんな場所に来るのか。もう少し礼拝堂の瓦礫を綺麗に片付けておくべきだったか。
「あの、いつ来るんですか」
知らない人と会うのは抵抗がある。せめて心の準備だけでもしておきたい。
しかし。
「もう着いてるわ」
「えっ」
「オイ、ティフォー! 早くしろよ!」
「はぁ?」
なんと、既にイナトリが表に居るらしい。ティフォーとナヴァドに左右の腕を掴まれ、小部屋の外に連れ出される。
祭壇のある礼拝堂に行くと、そこには背筋を伸ばして立つランガの姿があった。その隣の長椅子に誰かが座っている。僕と同じくらいの年齢の男の人だ。
「イナトリ様。異世界人を連れてきました」
「ん、ありがとう」
穏やかな声でティフォー達に礼を言う男。彼はブレザーの制服を来ていた。
短い黒髪に銀縁の眼鏡。
あれ、もしかしてこの人──
「二人で話がしたい。君達は離れてて」
「「「はっ」」」
ティフォー、ナヴァド、ランガは返事と共に姿を消した。間違いない、この人が彼らの主人だ。
広間には僕と彼の二人だけが残された。
茫然と立ち尽くす僕に対し、イナトリは目の前にある長椅子を指差した。
「いつまで立ってる気? 座りなよ」
「……は、はあ」
指示された長椅子に腰掛け、イナトリと向き合う。
近くで見ると分かる。やはり彼は日本人だ。しかも、この制服には見覚えがある。
イナトリは、至近距離で僕をじろじろ見てくる。
「キミの名前は?」
「……ヤモリ。家守明緒、です」
それを聞いてイナトリは目を見開いた。そして、口元を歪めて笑った。
「……あー、成る程。君、兄弟いるでしょ?」
「兄がいますけど。え、なんで?」
どういう意味だ?
「ボクは伊奈鳥智史。君と同じ『異世界人』で、君のお兄さんのクラスメイトだよ」
「ッ!?」
ティフォー達の主人が異世界人?
しかも兄の、往緒の同級生?
見覚えがあるわけだ。イナトリが着ているのは、往緒が通っている関東の超進学校、将英学園のブレザーなのだから。
驚きのあまり声も出ない。
「サウロ王国に現れた異世界人の名前はヤモリだって聞いてたからさ、もしかしたら往緒クンかなって思ったんだ。残念、弟クンだったかー」
ケラケラと笑うイナトリ。
彼から敵意は感じない。ただ単に異世界で知人を探していただけなんだろう。手段は褒められたものじゃないけど、同郷の人を求める気持ちは分かる。
「あの、往緒じゃなくてすみません……」
「謝んないでよ、ボクが勝手に勘違いしたんだしさ。てゆーか、往緒クンと性格違い過ぎてウケるんだけど」
よく言われる。
「なんか、明緒クン気が弱過ぎない? ホントに往緒クンの兄弟なの? 確か双子なんだっけ。その割に似てないよね」
改めて他人から言われるとダメージあるな。
僕と往緒は顔の造りは似てるけど、他人に与える印象は真逆だ。性格の違いが表情や仕草に出てしまう。
「ごめんね。ボクさ、最近忙しくしてたから知らなくて。こんな所に閉じ込めておくつもりはなかったんだよ」
顔の前で手を合わせ、首を傾けて謝るイナトリ。童顔で小柄なせいか、そういった仕草が似合うし可愛らしいと思う。
でも、言葉の端々や顔付きに表れる人間性は必ずしも見た目通り可愛いものではない。
イナトリに気を許しては駄目だ。
こちらの世界で初めて出会った日本人で、しかも往緒を知ってるらしいけど、それだけでは信頼出来ない。情報を貰ったら、後は近付かないようにしよう。
「そ、それよりイナトリ……さんは、いつ頃こっちの世界に来たんですか?」
「八ヶ月くらい前かな。キミは?」
「僕は三ヶ月半前です」
「へぇ、割と最近だねー。ねえねえ、サウロ王国では王宮にいたんでしょ? どうやって取り入ったわけ?」
うーん、やはり言い方がいちいち癇に障る。わざとやってるんじゃないだろうな。
「サウロ王国では、僕達の世界の事が知りたくて研究してるんです。その関係でお世話になっていただけで……」
「ふうん、そうなんだー」
僕の返答にさして興味を示さないところを見ると、恐らく事前に知っていたのだろう。
イナトリが帝国の要人なら、サウロ王国で異世界研究をしているのを知っているはずだ。以前司法部の研究棟を襲撃した男達は帝国の刺客だと考えられている。もっとも、取り調べが終わる前に殺されてしまったが。
「サウロ王国って魔法使いがいるんだよね。いいなあ、帝国には魔法を使える人はいないんだ。せっかく異世界に来たんだし、魔法を使えるようになるかと思ったけど、漫画やゲームみたいにはいかないねー」
「僕も出来れば魔法を使いたかったです」
「ねー! チートないのかよーってガックリきたよね。そっかー、やっぱみんなそうなんだね」
帝国には魔法使いは存在しないらしい。それと、イナトリにもチートはないという。ちょっと安心した。
「あ、ボクそろそろ戻らなきゃ」
イナトリが立ち上がると、三人がサッと姿を現し、出入り口の脇で頭を下げた。ティフォー達をここまで服従させられるなんて、彼には本当にチートがないのだろうか。
「あ、あの、結局僕は人違いだったんですよね? サウロ王国に返してもらう訳にはいかないんですか」
さっきの話が本当なら、イナトリは噂の異世界人が往緒だと思って連れて来させた事になる。僕自身には用がないはずだ。
しかし、イナトリの答えはNOだった。
「ごめんね、これから戦争が始まるし、あっちに返す訳にはいかないんだ。それに、キミの処遇はボクの一存じゃ決められないんだよ」
「えっ……」
戦争が始まる?
僕の顔から血の気が引いたのを見て、イナトリは目を細めて笑った。
「皇帝陛下と将軍はサウロ王国を徹底的に叩くつもりなんだって。キミはあっちの王族のお気に入りなんだよね? このまま人質として帝都に残ってもらうよ」
あまりの事に僕は何も言えなくなった。口元を手で押さえた時、袖口から腕輪がちらりと覗いた。
「あれ、それ何? 綺麗な石が嵌ってるね」
目敏く腕輪を見つけたイナトリ。腕輪には大きめの宝石が付いている。それが彼の関心を引いてしまったようだ。
「ナヴァド、それ取って」
僕の意志を無視し、イナトリは部下に命じた。
しかし、腕輪はエニアさんによって縮められ、僕の手首に食い込む位のサイズになっている。簡単には取り外せない。
「ナヴァド、腕を斬り落として」
無理やり引っ張っても取れない事に焦れたイナトリが恐ろしい命令を下した。表情ひとつ変えず、むしろ笑顔のまま。
側にいたティフォーが驚いた顔を見せたが、ランガやナヴァドは特に反応を示さない。淡々と命令を遂行すべく、僕の腕を掴む。
ナヴァドは武器を持っていない。恐らく手刀を使うのだろう。
「殺しちゃダメだよ」
軽い調子で指示を出すイナトリ。
さっきまで雑談していた相手に対して、あまりにも非道過ぎる扱い。人質は生きてさえいれば構わないという事か。
ナヴァドが利き手を構え、振り下ろす。
その瞬間、僕の体を真っ白な光が包んだ。
二人目の生きた異世界人、伊奈鳥。
ヤモリ君とは真逆の性格のようです。




