94話・帝都でのひきこもり先
衰弱しきったラトスを連れ、オルニスさん達は帝都を離脱した。確認は出来ないけど、あの人達なら多分無事に逃げ切れると思う。
暫く経ってから、ナヴァドとランガが悪態を吐きながら戻ってきた。
「クソ、面白くねぇ。マトモに相手にせず逃げの一手たぁな」
「おいおいおい、テメーの足がおせーから逃がしちまったんじゃねーか、あぁ?」
「ハァ? やんのかコラ」
この発言を聞く限り、僕の予想通り逃げ延びたのだろう。帝都の外には馬が置いてある。それに乗って、安全な場所まで移動している事を祈る。
それにしても。
どこまでも追い掛けていくかと思っていた二人がすぐに戻ってきたところを見ると、この展開は彼らの予想の範囲外だったようだ。教会でそのままやりあうつもりだったのだろう。ラトスが元気なら有り得た話だけど。
さて、これから僕はどうなってしまうのか。
さっきから、ティフォーに抱きつかれたままの状態が続いている。
露出が多く、大きな胸とくびれた腰。女性的な魅力はあるが、この人はラトス誘拐の実行犯だ。密着されても、別の意味でドキドキはするけど全っ然嬉しくない。
「まぁ異世界人は手に入ったことだし、問題はないわね」
いやいや、あるだろう。問題ありまくりだよ。帝都の中で魔獣を野放しにしたよね?
もう街の方から悲鳴は聞こえないから、全部倒したのかな。被害が出てないといいけど。
「でも予定より早いのよね。この後どうしようかしら。取り敢えず、また教会に閉じ込めておきましょうか」
「オウ、そうすっか。オレ様ずっと門を見張ってて疲れたしぃ、丸一日ゆっくり寝てぇ」
「そー言って三日は帰ってこねーじゃねーか。今度は世話を忘れんなよー?」
「お・ま・え・も・やるんだよッ!」
言いながら、拳を交えるナヴァドとランガ。じゃれ合っているように見えるが、気を抜いたら怪我をしそうなレベルのパンチの応酬だ。仲が良いのか悪いのか。
ティフォーに手を引かれ、奥の扉を潜る。
元は部屋が幾つかあったはずだが、仕切りの壁が壊されていて、大きな一つの部屋のようになっていた。こちらの窓も板で適当に塞がれて薄暗かった。それと、魔獣が居たからだろう。獣臭い。床には壊れた壁の残骸がそのまま残っていた。
その空間の中心部に小部屋があった。石造りの壁と鉄格子付きの扉で区切られている。まるで牢屋だ。部屋の片隅にボロボロのベッドと衝立があるだけ。表の広間同様、蜘蛛の巣と埃だらけだった。
ラトスはこんな酷い場所で何日も過ごしていたのか。
「ここで大人しくしていてね。排泄は間仕切りの向こうの壺、食べるものはそこの袋の中」
床に落ちていた布袋を拾って中身を確認すると、カビたパンと腐った肉が入っていた。これは食べられない。僕の表情を見て、ティフォーも袋の中を覗き込んだ。
「……もう駄目になってたのね」
呑気な反応だな。
これじゃラトスは何も食べれなかったはずだ。水もないし、飲まず食わずで不衛生な場所に居れば衰弱するのは当たり前だ。
ていうか何日放置してたんだ。
「出来れば新しい食料と水が欲しいんですが」
「うーん。そうね、持ってくるわ」
良かった。ひとまず安心。
でも、こんな環境では流石の僕もちょっと抵抗がある。
「えっと、少し部屋を綺麗にしたいんだけど、掃除してもいいですか?」
この申し出もアッサリ許可が下りた。建物の裏口を出てすぐのところに井戸があり、そこは自由に使って構わないらしい。
「アンタは坊やと違って抵抗する力も無さそうだし、敷地内なら好きにしてていいわよ。その代わり、一歩でも外に出たら痛い目に遭うからね」
「は、はい」
武器を持っていない事が幸いして、あまり警戒されていないようだ。実際、この人達を相手に何かしようという気は全く無い。
ひらひらと手を振って、ティフォーは元の広間に戻っていった。気配で僕の位置が把握出来るのだろう。視界に入れてなくても平気みたい。
「さて。この惨状をなんとかしないと」
改めて小部屋の中を見渡す。
ベッドのシーツは黄ばんでいてカビ臭い。床は、人が通る所以外は埃が溜まっている。排泄用の壺も異臭がすごい。一度中身を捨てて洗った方がいい。
牢屋には慣れてるつもりだったけど、やはりある程度管理されてないと無理だな。ノルトンの駐屯兵団の地下牢は汚くはなかったから耐えられたんだ。
シーツを持って裏口を出る。井戸と朽ちかけた物干し台、木桶を二つ見つけた。まずは水を汲み、シーツを手洗いする。念入りに濯ぎ、固く絞って干す。
次に、排泄用の壺を抱えて外に出た。その辺に棄てるのは申し訳ないので、穴を掘ってそこに流す事にした。何度か水で洗い流し、外に干しておく。敷地内を自由に動けるなら、わざわざ部屋で排泄する必要はない。
裏口付近に箒を発見。まず小部屋の天井に張った蜘蛛の巣を払い、床の埃を全て外に掃き出した。窓枠を塞いでいた板を全て取っ払い、換気をする。ボロ布を雑巾代わりにして壁や床を拭くと、かなりスッキリした。
取り敢えず小部屋の中だけは綺麗になった。これなら助けが来るまでの間なんとか耐えられる。
……助けは来る、のかな。
オルニスさん達には無理しなくていいって言ったけど、正直既に帰りたくてしょうがない。ティフォー達は人質の管理が杜撰だし、最悪放置されて飢え死する可能性もある。
とはいえ自力で逃げてもすぐに捕まるだけ。下手な真似はせずに生き延びる事だけを考えよう。手間暇掛けて僕を手に入れたんだ。無闇に危害を加えられる事はないはずだ。
敷地から出られないくらい何ともない。僕は筋金入りのひきこもりだ。快適な部屋さえあれば、そこで何日だって籠っていられる。
数時間後、乾いたシーツをベッドに敷き直し、ごろりと横になる。うん、寝心地は良くないけど許容範囲内。
教会内で見つけた古びた宗教書を読んで暇を潰してたら、ティフォーが戻ってきた。手には布袋を抱えている。
「はい食料。……あら、なんだか部屋が明るくなったみたいね」
「掃除してみました」
「……アンタ、割と図太いのねぇ」
何故か笑われてしまった。
布袋には、パンが幾つかとハムの塊が入っていた。有り難く頂く事にする。飲み水は井戸で汲めるから大丈夫。
「ここで飼ってた魔獣は全部逃げちゃったのよね。また新しいのを連れてこなきゃ」
「え、やめてください」
「冗談よ。アンタ弱っちいからすぐ食べられちゃいそうだもんね。そうなったらアタシが怒られちゃうわ」
怒られる?
一体、誰に?
「あの、誰が何の為に異世界人の身柄を要求したんですか? ユスタフ帝国でも異世界研究をしてる、とか?」
僕の問いに、ティフォーは首を傾げた。表情からして、理由までは知らないようだ。
「難しい事はわかんないけど、イナトリ様がアンタを欲しがったのよ。目的までは聞いてないわ」
イナトリ。
新しい名前が出て来た。帝国の偉い人かな。
「それなら、最初から僕を攫えば良かったのに。なんでマイラやラトスを狙ったんですか」
脳裏に浮かぶのは、泣き崩れるマイラ。怒りに体を震わせるエニアさんと辛そうな顔をしたオルニスさん。そして、淡々と戦争準備を進めていた辺境伯のおじさん。
僕が辺境伯家の人達と関わりを持ったせいで狙われたのだとしたら、僕は自分を許せない。
「そうしたかったけど、アンタの周りは常に何十人も護衛が付いてたから近付けなかったのよ。だから、わざわざ回りくどい手段に出ざるを得なかったの」
護衛が何十人?
知らないぞ、そんなの。まさか、王様が内緒で隠密を付けていたのか? 全然気付かなかった。
「シヴァ様が、それなら辺境伯家の子供を狙えって言ったらしいのよ。だから坊やを攫ってきたの」
また新しい名前が出たぞ。
ティフォーは、ラトスが衰弱してしまった事に関して反省しているようだった。彼女は実行犯ではあるけれど悪意は無い。悪いのは命じた奴だ。
イナトリとシヴァ。
そいつらが黒幕に違いない。
ユスタフ帝国 帝都アギーラ
バエル教 教会跡地内を
新しいひきこもり先にしました




