ツイ廃、高みの見物
【マシアス・マイト提督の記録】
「総員配置についたか」
「はッ」
副官が敬礼して応えるのに、マシアス・マイト提督は歪んだ顔に喜色を浮かべた。
「蛮族め。交渉しようだなどと、自分の立場をまるで分っておらん」
潜入調査員から受けた報告に、マシアスは満足していた。想定していた通り、ナイアットとかいう小島の小国の技術レベルは低い。わずか10隻の船でも余裕で近隣の都市を落として拠点とし、そのまま全土を蹂躙できることは確実だった。
調査員がナイアットの上層部と接触したことだけは想定外だったが、相手は通商条約を求めているというのだから腑抜けている。蛮族なら蛮族らしく、無駄に抵抗して適度に人口を減らしてくれればいい。無条件降伏……も悪くはないが、面白くない。
「こんな蛮族どもと対等な貿易など……皇帝陛下も情けが過ぎる。島を丸ごと献上して差し上げれば、お考えも変わるだろう」
マシアスはそう確信していた。蛮族の住む未開拓の領地、それを手に入れないなどという選択肢はありえない。ナイアット総督マシアス・マイトの地位を夢想して、マシアスは再び苦んだ笑みを浮かべた。
そういうわけで、ナイアットから交渉のための使者がやってくる……という連絡を受けたマシアス提督は、10隻全ての錨を上げ、攻撃準備をして待ち構えていた。使者の船を一気に落とし、その勢いで近くの湾岸都市を落とす計画である。
「しかし、遅いな」
懐中時計を取り出して、マシアスは唸る。指定した時刻はもうすぐだが、使者の船は影も形も見えなかった。旗艦に搭載している一年に30秒と狂わない高精度な時計で時刻合わせしたばかりで、そのことにマシアスは大きな満足と自信を感じている。
「まあ、どうせ時計もないだろう未開の地だ。1時間程度の遅刻は許してやるべきか。なあ?」
「寛大な処置かと」
マシアスの言葉に副官が追従し、笑い合う──その時だった。
「──……なんだ、あれ?」
船員の一人が、異常に気づく。
「何だよ?」
「いや、ほら、あれ……空にさ」
騒ぎを聞きつけて、船員たちが空を見上げる。
「どこだよ?」
「あそこだよ。あの雲……色が変だろ?」
「本当だ──緑の雲?」
ざわざわと騒ぎは大きくなり、やがてマシアスもその事態に気づく。
「何事だ、騒々しい!」
「なッ……提督! ほ、報告です!」
望遠鏡でその存在を確認した船員が、ひきつった声を上げた。
「上空に──緑色の、巨大な魔獣が!」
◇ ◇ ◇
『わははは! ぶいとーるじゃぞ~!』
ジーラの笑い声が、空に響く。
そう、空に。いや実際は心になんだが、ともかく。
ジーラは……ジーラの本体たるダイモクジラ、その緑の藻が生えた巨大なクジラの体は……今、空を飛んでいた。
『おお……本当に飛んでいるのであります』
『VTOLっていうか、wVTOLwって感じだな……水圧垂直離着陸クジラ』
魔獣のケタ外れの魔力を使って、全身から水を下方に噴出し続けることにより、その反動で浮かんで、そして飛んでいる。いやあ、空飛ぶクジラか……正気を疑う光景だよな。魔法ってすごいわ。
「これは……凄まじい」
「さすが神獣だ……!」
ジーラの背中に同乗している使節団も興奮している。なんでも全身から水魔法を使っていることが、そもそもありえないのだとか。その着眼点はよくわからないが、確かにジーラはすごい。VTOLの出てくるアニメを見せたことはあるけど、それだけで独自にこの飛行方法を思いついたからなあ。地頭がいいわ。
「このような存在のいる国を侵略しようとしていたのか……」
そして崩れ落ちているのは、帝国の調査員。条約の締結に協力したい、ということで同行を許されているのだが、この様子じゃ裏切りはあり得ないだろう。うん。
『見えてきたぞ。あれじゃろ、帝国の船?』
ジーラの声に、使節団がどれどれと端に寄って海を見下ろす。ジーラの視界の先に、小さな島から離れて10隻の船が陣形を組んで浮かんでいた。船の上は……ジーラを見て混乱しているのか、せわしなく動いていて──
『おっ?』
ドン、という発砲音。
船の大砲から発射された鉄球が──
『届かないでありますね』
ジーラのいる高度まで届くこともなく、海へと落ちていった。
『届かなくてよかったよ。対空砲じゃないから上空を狙うのはまず無理だろうとは思ってたけど、もしかしたらと思ってたし』
『ふふん。あの程度の石っころ、近づいてきたところで撃ち落としてやるのじゃ』
『ま、安全のためにもさっさと真上を取ろうぜ』
さすがに真上には大砲なんて撃たないだろう。外れたら弾が上から落ちてくるわけだし。
『ようし、到着じゃ』
散発的な発砲はあったが、ジーラが近づくにつれて止んだ。逃げ出そうとする船もあったが、ジーラの機動力にはかなわない。
『どれが旗艦じゃ?』
「あの、真ん中の一回り大きい船です」
『ではテートクとやらもそこじゃな? ぴったり上空から雨を降らしてやろうかの』
水を噴出して飛んでるから、真下は土砂降りになるんだよな。船員もかわいそうに。
『それでは、後はがんばるんじゃぞ』
「はっ、お任せください」
使節団がジーラの背中に向かって頭を下げ、そして調査員を引き連れて──宙に踏み出す。
雨と共に使節団はゆっくりと落ちていき、旗艦のデッキに着地した。
「な、何者!?」
「我々はナイアットのヴァリア家から派遣された使節団──」
あっという間に取り囲まれる使節団。そして、銃声。恐怖にかられた船員が発砲したらしい。しかし。
「馬鹿、だれが撃てと──」
「無傷!?」
「そんな馬鹿な」
使節団には傷一つついていなかった。
「落ち着いてください。我々は通商条約締結のために派遣された使節団。戦闘の意思はありません」
「嘘だ! だったらあの魔獣はなんだって言うんだ!」
「そうだ! 魔獣をけしかけてきやがって!」
「魔獣とは失礼な。あの方はナイアットの神獣ダイモクジラ。人の言葉を理解し、この世に新たな時代をもたらすもの」
使節団は憮然とした表情で応える。
「この度の交渉の見届け人として参加していただきます。また、我々の身の安全も保障してくださっている。しかし、非道な行いが認められれば、神獣の怒りがあると心得ていただきたい」
『よし今だ』
『ジーラビームじゃ~!』
バシュッという轟音と共にジーラから高速の水塊が発射され、海に着弾した。瞬間、轟音と共に巨大な水柱が立ち上がる。その大きさは、大砲の着水で発生していたものとは比べ物にならない。
「………」
あっと言う間に、船員たちが静かになった。
いやあ……使節団の方々、ブラフが上手だなあ。ダイモクジラは契約で人間を襲えないと知っているのに。
まあ、本当はブラフじゃないんだけどな。実際に俺とジーラが交わした契約は「ナイアットの人間に危害を与えない」だから、帝国の人間は対象外なんだ。ジーラが兵器扱いされても困るから、ナイアットの上層部にさえ言ってないけど。
でもま、今回に関しては何の心配もない。
「そもそも、我々は実体で参上していない。この身は情報魔法による映像。ナイアット本土の各地よりそれぞれ参加している。無意味な攻撃はやめていただきたい」
リモート使節団だからね。
ジーラの本体と、ジーラの魂は距離を超えて繋がる。よく分からんがそういう仕様らしい。ということで、ジーラの魂はトゥド領のエスリッジ家の屋敷に留まり、本体だけが空を飛んで帝国と接触していた。俺とトワもリモート観戦だ。なんなら、お偉いさんも直接この映像を確認している。
@ノーディ・ボラン
おお……なんという光景だ
@ホートン・ポート
神獣ダイモクジラに守護されしナイアット万歳!
@ブレナン・アイビー
上空から陣を見れるなど考えたこともなかった。これはよい経験だ
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@トーマス・フォルド
櫓とは高さも角度も違う。これが常に使えるなら役に立つのだが……
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@ブレナン・アイビー
風魔法で飛べればいいのだが……神子様なら可能だろうか
@トール・マウロ
あれが大砲か……
@かわいそうなおじさん
To: @ブッキー いやあ、やるねえヤスチャン。オジサン、頼もしいよ!
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@ブッキー
ジーラ最強!
もちろん、教会勢力も見守っている。ナイアット全土の方針に関わることだからということで、ヴァリア家当主がオッサン……神子に状況を説明して、了承を得たうえでの交渉だ。
まあ了承っていうか、オッサンは了承するしかないって感じらしいんだけど……政治の話って難しいな。
「マシアス・マイト提督と条約の締結について話がしたい。提督はどちらに?」
船員たちが顔を一つの方向に向ける。そこには、悪人顔をした偉そうなおっさんが、雨に濡れて顔面を真っ青にして立っていた。
「提督、ようこそナイアットに。我々は帝国との友好的な関係を希望します」
対して、雨に濡れることなく笑顔を浮かべる使節団。マシアスに視線を向けられ、首をゆっくりと振る調査員。
マシアスは上空を振り仰ぎ──ジーラの巨大な黄色い瞳を見て、足を滑らせて転び、がくりと俯いた。
@かわいそうなおじさん
To: @ブッキー ヤスチャン、お手柄だねえ
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@ブッキー
俺は何もしてないよ
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@かわいそうなおじさん
謙遜だねえ。ま、それもヤスチャンの魅力かな!
オッサンに言われても嬉しくない。が、ともかく、これで勝負はあったようだ。いやあ、平和的に事が収まってよかったよかった!
◇ ◇ ◇
【1カ月後、帝国の役人の会話】
「マシアス提督が帰還したそうだな?」
「はい。1隻も失うことなく戻ってきました。ナイアットからの使者も数名同船しています」
「蒸気船団による1カ月の無寄港航海、その往復を成功したか。素晴らしい手腕だ。それだけでも勲章ものだが……ナイアットとの条約締結は?」
「そちらも問題なく。いくつか条約文の修正はありましたが、大きな問題はないかと」
「後で確認しよう。未開の地との交易で、帝国はますます利益を得ることができるだろうな」
「私としては、やはり征服すべきだったかと思いますが……」
「私は交易圏を拡大する現皇帝陛下の方針に賛成だ。戦争は金がかかるし、ナイアットのような遠隔地はリスクが大きい。戦わずして利益を得ることこそ最善よ」
「しかし、こんな変な要求をしてくる国……」
「何かあったのかね?」
「はあ。通信用の海底ケーブルを帝国まで引きたいそうです」
「……通信ケーブルを?」
「はい」
「帝国からナイアットまで? 電話用のケーブルでさえ、信号が減衰して意味がないと思うが……?」
「技術者に確認したところ、数キロ単位で増幅用の中継器を設置すれば不可能ではないと」
「海の中にか? 工事に莫大な費用がかかると思うのだが……まさか提督はその負担を飲んだのか?」
「いえ、設置はすべてナイアットで費用を持つそうです。中継拠点も必要ない、とか」
「……向こうの技術者は、国土が狭すぎて電気や信号の減衰を知らないのか?」
「さあ。それで、どうしましょう」
「別にこちらの負担がないのなら、構わんと思うが……。ん? どうしましょう、とは?」
「はあ。その海底ケーブルの接続先の基地局とやらを運んできたので、設置してケーブルをつないでいいか? とのことで」
「……今?」
「今ですね」
「……どうやって工事したんだ?」
「使者曰く、引っ張ってきたらしいんですけど」
「……船で?」
「さあ……どうします?」
「まあ……やってみればいいんじゃないか? 本土と交信がしたいんだろう。通信できなくても知らないが」
「じゃあ伝えてきますね」
明日も更新します。




