表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/25

眠れない夜

 日が暮れ、ちょうど夕食の支度が整った頃にアレシアが帰宅した。


「おかえりなさい」


 待ちわびたシルヴァが急いで階下に降りて出迎える。


 当主夫人でありながらアレシアは、週に三度ほど働きに出ていた。趣味ではじめた裁縫が好評で、才能を活かすべく街の仕立て屋に勤めているのだ。


 トマの屋敷を飾るカーテンや敷布、女中たちの前掛けなどもアレシアの手作りらしい。技術はもちろん、美的感覚にも優れている。


「あら、セリオもまだなの?」


「はい。遅くまでお仕事されているんですね」


 二十六歳の若さで評議会に参加するセリオは、街の運営や港の管理で多忙を極め、連日朝から晩まで働き詰めだった。


 いつ帰ってくるかわからないセリオを待っていたのでは、せっかくの料理が冷めてしまう。アレシアが先に食べてしまおうと言い、カインとシルヴァも席に着いた。


「まあ、今日はおいもだらけなのね」


 テーブルに並ぶ皿を見て、アレシアは目を丸くした。香辛料を効かせた魚料理以外は、いものサラダ、いものスープ、そしていものパイと、見ているだけで腹が膨れそうだ。


「カイン様が、木箱いっぱいのいもを全部むいちゃったんです」


 先ほどあれだけ大量の揚げいもを食べたばかりのシルヴァが、すでにサラダとスープを平らげ、美味そうに魚をほお張っている。きっと、パイも全部食べるのだろう。


 いもづくしの原因を作ったカインは、スープだけ飲み、あとは果実酒を舐めながらナッツをかじっていた。シルヴァが食べた分が全て、彼女の胸の肉にでもなればいいのにと思いながら。


「いやだ、いよいよおいもしか買えないほど、家計が逼迫しているのかと思ったわ」


「なんだ、そんなに散財してるのか?」


 突然、雷のようなしわがれ声が響く。驚いて振り仰ぐと、赤ら顔の大男が豪快な足音を立てながら入ってきた。


「おひさしぶりです、カイン様」


「やあ、ブラス。元気そうだな」


 まさにシルヴァが思い描いていた海賊そのものの風貌、この男こそトマ家の現当主ブラス・トマだ。さすが現役の海軍司令官を務めるだけあって、引き締まった身体、筋肉質な腕は年齢を感じさせない。よく日に焼けた顔は半分がひげに覆われ、伸び放題の髪を無造作に束ね、白い歯を見せて笑う。トマ一族の特徴である金瞳がカインとどこか似ているだろうか。


「カイン様がいらっしゃったと連絡を受けて、急いで帰ってきたのです」


「はは。相変わらず、陸より海にいる時間の方が長いようだな。アレシアが寂しがっているぞ」


 余計なことをアレシアは目くじらを立てる。嬉しそうにブラスは照れた。


「それで、運命の乙女はどちらに?」


 部屋をぐるりと見回すと、カインの隣に座る可愛らしい少年と目が合う。にっこりほほ笑みかけ、そしてもう一度よく部屋中を探した。アレシアが肘で小突いてようやく気付く。


「む、まあ、ひとの好みはそれぞれで……」


 化粧をすればなかなかの美人だと言いかけたが、ふとそれが誉め言葉かどうかがわからなくなり、カインは黙って笑っておいた。


「ずっと、海にいるんですか?」


 やはりパイも食べることにしたシルヴァが、もぐもぐと口を動かしながら小動物のように首をかしげる。


「そう、海の安全を守れるのは、我々海軍だけですから」


 ブラスは誇らしげに胸を張るが、軍事を野蛮だと嫌っているアレシアはうんざりと顔をしかめた。


「こんな暑い夏は、海の民が目覚めるかもしれんのです」


「海の民?」


「屈強な船乗りたちさえ恐れる怪物の一団です」


 トマの港を出てさらに北上すると、氷で覆われた極寒の海になる。それは夏の日差しでも溶けることはなく、ひとはもちろん海の生物も近付くことができない。


「ところが、数年、いや数十年に一度、大暑の夏に氷が溶けて、封印されていた魔物が復活するとか……」


「それが、今年……?」


 いつになく、シルヴァの表情が固い。口の中に残るパイをごくりと飲み込み、フォークを握る手に力を込めた。ブラスはじっとシルヴァを見つめ、わざと声を低くする。


「その魔物の正体というのがですね、はるか昔に難破した船に乗っていた、どこかの国のお姫様の亡霊だそうで……」


「……」


 シルヴァは泣きそうな顔でカインに救いを求めた。意外な弱点があったものだ。カインはやれやれと肩をすくめる。


「五百年も生きているが、まだ見たことはないね」


 あっさり作り話と明かされて、ブラスはばつが悪そうに苦笑した。シルヴァもほっと胸を撫でおろす。


「ただいま。あれ、みんなどうしたの?」


 ようやく帰宅したセリオが、暗い雰囲気に戸惑う。アレシアが怒りながら説明すると、セリオはまたかとため息をついた。


「父さんは、いつもそうやって小さい子を怖がらせるんだから」


 もうすぐ十七になるとは言えず、シルヴァはしょんぼりうつむいた。


「いやあ、まさかこんな話を信じるとは。悪かったですね」


「いえ……」


 楽しいはずの夕食が憂鬱な気分で終わり、シルヴァは残念そうに階段を上がる。カインもあとを追い、そして思い出したように振り返った。


「そうだ、アレシア。今夜から部屋をわけてくれないか」


「え……」


 これだけ怖い話に怯えているというのに、ひどい。今夜こそそばにいてほしい。シルヴァの瞳が揺れる。


「こ、困ります!」


 アレシアはあわてて拒否した。シルヴァの気持ちもわかるうえに、すでに女中たちは仕事を終えて帰ってしまった。今さら掃除をして、寝泊まりできるように支度するのは面倒だ。


「ん、掃除くらい自分でするさ。シルヴァは敬虔なシラー神信徒だからね。しばらく滞在するのにずっと同室はまずいだろう」


 戒律の厳しいシラー神教は婚前の男女の触れ合いを禁じている。何もしないと約束はしたが、どのような間違いが起こるかわからない。


「カイン様も、神罰は恐ろしいですか」


「まさか。ただ、シルヴァが大切にしていることは守ってやりたいんだ」


 ブラスが茶化すと、カインはふんと鼻を鳴らした。ウェーザーの軍人は、他国の宗教や文化に寛容なのだ。


「では、せめて明日からにしていただけませんか」


「そうですよ。父さんのせいで、シルヴァさんも怯えていらっしゃいますし」


 アレシアとセリオが説得するが、カインは不満げに頭をかく。


「……おまえたち、俺ができた人間だと勘違いしていないか?」


 今まで、運命の乙女以外の女に興味がなかったから無欲でいられたが。なぜ待ちわびた恋人を目の前にして我慢できると思うのだろう。


 時を止め、心などとうに老いたはずなのに。シルヴァと出会い、再び時が動き出したように心が騒ぐのだ。青年だったあの日のままに。


「あは。お掃除は私がきちんとしますから」


 シルヴァはにっこり笑うが、きっと無理している。アレシアは余計なことを言ったブラスをきっと睨みつけた。気付かないふりをして酒をあおる。


「それから、離れの片づけははかどっているかい?」


 トマ家の人々にも日常の生活がある。互いに干渉しない方が、気楽でいい。


 しかし、セリオとアレシアは顔をひきつらせた。明らかに動揺し、食器が無駄な音を立てる。


「そ、その、整理しようとしたら、か、かえって散らかしてしまいまして……」


 カインは首をひねる。夏に自分が借りる以外、誰も使っていないと思っていたが。ベッドと机の他に、散らかるようなものがあっただろうか。


 グラスを傾け、様子を見ていたブラスが一つ咳払いする。


「ほら、あの、カイン様がいつも持ち帰られるがらく……ごほん、宝物のことではないですか」


「宝物……?」


 考え、ぽんと手を叩く。そうだ、各地を旅する途中で、助けた礼にと渡されたもの、呪いが怖いから処分してほしいと預けられたもの、その他いろいろな理由で託された品々が、五百年の間にずいぶんと積み上がっていた。


「ああ、すまん。持ち歩くのが面倒で置いていただけだ。全部捨ててかまわんよ」


 セリオは卒倒する。


「すすす捨てるだなんて、とんでもない! 貴重なお品ばかりなんですよ!」


「ん、そうなのか?」


 ブラスの言うとおり、元はただのがらくただった。だが、長い年月を経て、どれも歴史的価値の高いものになっていたのだ。


「ほしいのならやるよ。好きに使ってくれ。売って金になるのなら、小遣いにすればいい」


 セリオ達は信じられないと息を呑んだ。


 まったく、何を企んでいるのやら。ブラスは酔ったふりをして聞き流す。


     *   *   *


 静かにくり返す波の音、暗闇の海の向こうには未知の世界。ブラスの言った魔物は作り話だったが、この広い世界にはどんな怪物がひそんでいるかわからない。


 薄い月が不気味に笑っているように見える。


 枕を抱え、寝返りをうち、幾度めかのため息をこぼす。眠れない。


(カイン様……)


 そばにいてほしい。大きな手で、髪を撫でてほしい。


 いつの間にか、カインがそばにいることが当たり前になっていた。一番、心やすらぐ場所。


 目の前の壁をじっと睨みつける。


 とんとん、と、向こう側から壁を叩く音。


 それだけで、周囲に明かりが灯ったような気がした。


 ああ、明日はどんなことが起こるだろう。考えると、楽しくなってきた。早く、会いたい。


 シルヴァもとんとん、と壁を叩き、小さく「おやすみ」とささやいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ