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慟哭

 静かな夜を覚ます突然の落雷に、カノンは飛び起きた。隣で泣き出した幼い息子を抱きしめ、じっと息をひそめる。


 窓に叩きつける雨、ごうごうと風はうねり、簡素な造りの屋敷が浮き上がりそうなほど。夏の終わりの嵐か、いや、いくら北方とはいえ早すぎる。


 嫌な予感。


 折しも街には不吉の王、災厄の王と忌み嫌われるかのひとが滞在している。


「偶然、ね……」


 言ってはみるが、笑えない。次にくるのは地震か津波か。


 小間使いを呼び、素早く着替える。涼しいドレスではなく、工務用の軍服だ。帯剣し、色素の薄い瞳に力を込め、気持ちを引き締めた。


「シオン、お母さまはこれから仕事だから、先にお父さまのところへ帰りなさい。お父さまの言うことを聞いて、いい子にしているのよ」


 幼いながらに非常事態とわかるのか、シオンは涙を拭い、きゅっと口を結んでうなずく。そのやわらかい頬にキスしてやり、もう一度強く抱きしめてから小間使いに託した。


「あまり、使いたくないのだけど」


「ですが奥様、シオン様をお守りするために」


 そうね、とため息をつき、床に散らかった玩具を片付ける。敷物をめくり、白墨をとって床板に魔法陣を描き込んだ。


 王籍を持たず、精霊などとは無縁の息子には、ひとならず力を無暗に見せたくはないのだが。今は急を要するとき、カノンは仕方なく魔法を続けた。


 陣の中央に大きな水盤を置いて手をかざし、まじないを唱える。水面がきらめくと同時に、遠く離れたベリンダの屋敷を映し出した。


 同じ魔法陣の描かれた部屋で、寝間着のままの男が欠伸を堪えている。カノンの夫、マーカス・ベリンダ卿だ。


「あなた、シオンをお願いしますね」


「ん。君は気を付けて」


 ベリンダ卿はほほ笑み、手を差し伸べる。小間使いに目配せすると、彼はシオンを抱き上げてゆっくりと水盤に足をひたした。不思議な力が二人を引き込む。高度な空間魔法だ。扱えるのは強い魔力を持つ国王とカノン、数名の術者くらいだろう。


 ベリンダ卿の足元の水盤が揺れ、小間使いとシオンが現れる。ベリンダ卿は小間使いの腕を掴んで引き揚げ、愛しい我が子を抱きしめた。


 カノンはひとまず安心し、素早く魔法陣の一部を書き換える。おおよその見当をつけ導き出した座標は、丘の上のトマ家の屋敷だ。


 闇夜を斬り裂くいかづち、屋敷全体を覆う凄まじい瘴気が水盤越しに伝わってくる。いったい何が起こっているのだ。黄金の王と運命の乙女、それにトマ家の人々は無事なのか。


「この貸しは高くつきますわよ」


 雨よけの外套のフードを目深にかぶり、慎重に馬を駆る。気持ちは急くが、すでに道がぬかり速度が出ない。


 川の水はあふれ、修復が終わったばかりの橋が冠水している。花壇の花は倒れ、街路樹の葉は落ち、ゆるんだ地盤が今にも崩れて街を飲み込みそうだ。


 はたしてこれほどの災害を、ただの人間である自分に食い止められるだろうか。まったく、とんだ貧乏くじを引いてしまった。


 丘を上がり、呪われた屋敷を目の当たりにした途端、馬が進むのを拒んだ。動物の勘がよからぬ気配を感じ取るのか。仕方なくカノンは下馬し、鞍をはずしてやる。この嵐の中かわいそうだが、本能に任せた方が安全な場所を見つけやすいだろう。


 屋敷の周辺にできた陥没はおそらく落雷によるもの。焼け焦げ、真っ二つに裂かれた木もある。


 勇猛なカノンでさえ、踏み込むのをためらった。


 古いながらも頑強な造りの屋敷は暴風にも豪雨にもびくともせず、内部はしんと静まり返っている。ひとの気配はない。だが、確かに漂う邪悪な残像。息を殺し、一部屋ずつ確かめた。


 厨房、書斎には異常なし、廊下や階段にも争ったような形跡はない。そして客間を覗き、眉をひそめた。


 無残に破壊されたテーブルとソファー、窓は粉々に砕けて雨風が吹き込んでいる。床には何か重いものを引きずったような跡があり、どうやら血液らしきものがこびりついていた。


 引きずり痕は窓を越えて崖の方まで続く。


 暗い空が明滅し、中庭の向こうの離れ屋を照らした。


「あれは……」


 魔物ではない、懐かしさすら感じる気配。嵐の中心で精霊たちをかき乱すのは、あの黄金の王の強すぎる魔力だ。


 カノンはぐっと奥歯を噛み、窓を飛び越えて離れ屋に駆け込んだ。


 吹き荒れる風が悲しみを撒き散らす。胸を締めつけるようなこの痛みはいったい……なぜか涙があふれた。


「……カノン様!」


 吹き飛ばされないようにと柱にしがみつき、アレシア・トマが震えている。彼女の頭上には無数の風の刃が乱舞し、室内はひどい有り様だ。壁と調度品は斬り刻まれ、花瓶や茶器は床に落ちて粉々に砕けていた。


「何があったの?」


「か……カイン様が……!」


 アレシアは恐怖に青ざめ、声を詰まらせる。胸のあたりを押さえ、やはり意図せぬ涙をこぼしていた。カノンはそっと背を撫でてやる。


「……暴走なさったのね」


 止め処なくあふれる涙は、おそらく黄金の王の激情に影響されているのだろう。カノンは怯えるアレシアを階段下に隠し、宙空に魔法陣を描いて風の精霊を従えようと試みる。しかし圧倒的な力の前には何の効果も得られなかった。


「カノン様、だめです。上はもっとひどくて……!」


「大丈夫よ。なんとしてでも鎮めてみせるわ」


 アレシアの制止を振りほどき、カノンは二階に上がった。


 バルコニーの柵にしがみつくようにして、カインがうずくまっている。うまく息が吸えないのか、顔面は蒼白だ。嵐にかき消されようとも、くり返し愛しいひとの名を呼ぶ姿が痛ましい。


 無限かと思えるほどの魔力を放出し、怒り、悲しみ、そして絶望が精霊だけでなく全ての生き物の心を支配し闇で塗りつぶそうとする。


 止めなければ。


 カノンは鞘のまま剣をベルトからはずし、上段に構える。迷いを捨て、金色の髪が舞う後頭部めがけて一気に振り下ろした。鈍い音がして、カインはその場に崩れ落ちる。かすかに風が弱まったか。


 それでもしくしくと降り続ける雨は天の涙、ときおり咽ぶように低い雷鳴がとどろく。


 もぞりとカインの身体が動き、再び顔を上げて叫ぼうとしたその喉元に、カノンは剣を突きつけた。


「……」


「……お気を確かに」


 二人は睨み合い、ぜいぜいと肩を上下させる。ぶつかる想い、負けるものかとカノンは瞳に力を込めた。


「何があったのです?」


 カインは何か言おうと喘ぐが、言葉にならない。言葉にしてしまうと、現実を受け入れてしまうようで、愛しいひとが側にいないことを認めてしまうようで、ただ力なく首を振った。


「シルヴァさんはどちらに?」


 代わりに突風が答える。カノンはため息をつき、剣を収めた。カインの前にひざまずき、そっと頬に触れる。自身の起こした風の刃に傷つけられ、顔も腕も血まみれだ。カノンが目を閉じてまじないをつぶやくと、温かい光がカインを包み傷を癒した。


「……シルヴァさんを探しましょう。カイン様、しっかりなさって。力を貸してください」


 立ち上がり、アレシアの待つ階下に降りる。カインも重い身体を引きずるようにしてカノンに続いた。


 風が止み、アレシアはおずおずと階段下からはい出る。眼前の惨状が信じられず、ただ呆然と立ち尽くした。


「ふ……ふふ……宝物を運び出したあとでよかった……」


 あまりにも常識を逸脱した光景に、笑いさえこみ上げてくる。だが、カノンの背後に従う暗い顔の男、カインを見た途端、小さく悲鳴をあげて後ずさった。


 仕方ない、とカノンは肩をすくめる。ソファーに刺さるガラス片を払い、カインとアレシアを座らせた。


「お湯を借りれるかしら? とりあえず、落ち着きましょう」


 カノンは手際よく湯を沸かし、茶を淹れる。バラのジャムを落とした茶は香り高く、温かい湯気が少しばかり緊張をほぐした。


「あ……も、申し訳ございません、王女様にこんな……」


「いいのよ。それより、いったい何があったの?」


 冷たくなった指先を茶碗で温めながら、アレシアは思い出す。


「あのひとが……夫が、突然、お客様を連れてきて……不思議な女性……あのひともセリオもでれでれとして。私は明日も仕事がありますし、シルヴァさんは具合が悪そうで、お客様のことは夫に任せて、こちらで先に休もうって……」


 茶碗を持つアレシアの手が震えた。要領を得ない断片的な言葉をつなぎ合わせ、カノンはふむとうなずき続きを待つ。


「……カイン様とシルヴァさん、何かお話をなさっていて……急に窓が割れる音がしたので、様子を見にいこうと部屋を出たら、か、風が……」


 それ以上は思い出したくないとばかりに目を閉じる。カインもまたうつむき、懸命に感情を押し殺した。


「その、お客様というのは何者なの? 本館の客間に強い魔物の気配が残っていたけれど」


「魔物?」


「ええ。部屋の中は破壊されていて、ブラス司令官もセリオさんもいなかったわ」


 よもやあの不思議な話し方をする客人が魔物だったとは。知らなかったアレシアは激高し、カインに掴みかかった。


「そんな、あの女が魔物だったなんて! ひどい……カイン様、ご存知だったのに、二人を置き去りになさったの!」


「……すまん」


 パンッと破裂音、カインの頬が赤く腫れる。それで気が済むのなら。カノンはさらに殴りかかろうとするアレシアの手をとり、座るように命じた。


「あなたとシルヴァさんを守るためよ。いくらカイン様が強くても、得体の知れない魔物相手に全員を守ることはできないわ」


 アレシアは両手で顔を覆い、わっと泣き出す。


 守れなかったのだ。最優先にした愛しいひとさえ。カインは握りしめた拳をわななかせ、血がにじむほどきつくくちびるを噛んだ。


 嘆く二人の陰鬱な感情に引き込まれないように、カノンは冷静に考える。


「窓の破片が内側に散っていたということは、何者かが外から侵入してシルヴァさんをさらったのですね?」


 バルコニーの下は高い崖、人間にはとうてい不可能だ。どのような魔物が、どうやって、どこへ……アレシアの言う女の魔物か、別の魔物か、何か手がかりがほしい。


「カイン様、アレシアさん、その魔物のことをもっと詳しく教えてくださる?」


 いつまでもうじうじとしている暇はない。こうしている間にもシルヴァとトマ親子が危険にさらされているかもしれないのだ。


「……シルヴァをさらったのは、気味の悪い触手のようなものだった。おそらく、あの女の本性だろう。気配が同じだった」


「海の魔物……あのひとの作り話だと思っていたのに……」


 北海のさらに北の極寒の海に眠る怪物、異国の姫の亡霊……どこかで聞いた昔話。カノンは記憶をたどる。


「もしかして……マリアンへレス……」


「知っているのか?」


 カインとアレシアが顔を上げると、カノンは二人の不勉強さに苛立ち頭を抱えた。


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