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些細な悩み

 今日も夕食時になってもセリオは帰ってこなかった。連絡のないまま外泊が続き、いい加減アレシアは心配になる。


「それほど評議会の仕事は忙しいのかね」


「は、はい。新しい事業を始めるそうで、その準備に追われているのだと……」


「ふむ」


 カインは裏通りで見たことを確認できないまま、幾日も経ってしまったことに苛立つ。街の治安と秩序が守られていないのに、新しい事業など。


 機嫌の悪いカインに茶を淹れながら、シルヴァもセリオの健康を気遣った。


「セリオさん、きちんとごはん食べてるかな」


「どうかしら。あの子、何かに夢中になると、他のことが見えなくなるから」


 きっと、寝る間も惜しんで働いているのだろう。この暑さで余計に体力も奪われるので、そのうち倒れてしまうのではないか。


 そんな噂話をしていると、ふらりと暗い顔のセリオが廊下を横切った。


「やあ、セリオ。おかえり。こっちにおいで」


 カインが声をかけると、セリオはぴくりと身体を震わせ、そのまま奥の書斎の方へと駆け出した。カインは手元にあった茶匙をつかみ、セリオめがけて投げつける。鈍い音がして、セリオは後頭部を押さえてしゃがみ込んだ。


「フォークじゃなかったのを感謝しろ」


 小さいものだが銀製の茶匙はそれなりに重量があり、かなりの衝撃だった。振り返ったセリオの目に涙がにじむ。


「来いと言ってるんだ。ほら、座れ」


 客の身でありながら家人に命令するカインの無礼さにシルヴァはあわてる。いつものこととアレシアは肩をすくめ、セリオは渋々ふくれっ面で席についた。


「セリオ、おまえは何を悩んでるんだ」


 いきなり核心を突かれ、セリオとアレシアは青ざめる。やはり、とカインは鼻を鳴らした。セリオはっくちびるを噛み、泣きそうなのを堪えている。


「セリオ、正直に話した方が……」


「うるさい! 僕に構わないでくれ!」


 温和なセリオが怒鳴るとは。それほど知られたくない隠し事があるのか。


 カインは面倒くさそうに頭をかき、とんとんと指先でテーブルを叩いた。どう言えばいいのか考える。


「最初に街についた日から気になっていた。変わらずに平和で、みな忙しそうに働き、幸せそうだが……ずいぶんと荒れているね」


 セリオはぎゅっと目を閉じ、ますますうつむいた。聞きたくないと拒絶する。


「橋の欄干は腐って落ちそうだし、通りの石畳はあちこちがひび割れていた。花壇の花は誰が手入れしている? 街路樹もそろそろ剪定した方がいいぞ」


 きれいな街だと思っていたシルヴァは驚いた。そしてこの大雑把で無頓着なひとが、細やかなところまで見ていたとは。


 カインはさらに詰め寄る。


「裏通りの不良どものことは知ってるかい? 学校に行かず、ひとの財布をすって日銭を稼いでいた。大人たちはそれを注意することもなく、物陰に座り込んで酒を飲んでいたね。いったいどうなっているんだ」


 街のために奔走するセリオが知らないはずがなかった。それでも、何の対策もとれないほど追い込まれているのだ。もう、どうにも身動きが取れなかった。


 カインはぐっと身を乗り出して、声をひそめた。


「ブラスには黙っておいてやる。正直に言え」


 観念したセリオは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。カインは思わずのけ反る。


「あ……新しい事業、に、失敗……して……うう、評議会の、予算……ひ、ひどい赤字に……」


「あの、なんとか工面して補填しようとしたんですけど、全然たりなくて……私、カイン様の宝物を勝手に売ってしまって。その、セリオはだめって言ったんですけど」


 セリオをかばい、アレシアも必死に弁明した。しかし悪いのは自分だと、セリオは力なく首を振る。


「僕が、みんなに認めてほしくて、焦って……よく確認しないまま、契約を……」


 トマ家の長男とはいえまだ若輩、年寄り連中から軽んじられたため、何か実績を作りたかった。


「どんな契約だ?」


「ある香辛料の種を、定期的に仕入れることにしたんです。以前から取り引きしていた商人だったので、安心して勧められるまま……でも、その香辛料は、トマでは育たなかったんです」


 広い土地を確保して畑にし、採れた香辛料でトマの魚を漬けて瓶詰にし、新しい特産品するつもりだった。それなのに、種はいつまでたっても芽吹くことなく、魚は全て腐らせ、残ったのは雑草の伸びきった荒地と、大量の空き瓶、そして莫大な借金のみ。


 なるほど、とつぶやき、カインはセリオの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「男がめそめそ泣くな。シルヴァ、ルーベン・ロジャは信用できるか?」


「さあ? 商人だから、自分の損になることはしないと思う」


 いい答えだとカインは笑った。


 利益を優先するならば、黄金の王の持ちかけた商談を無下にはしないだろう。鑑定士と古美術商を紹介してほしい旨を手紙に書き、仕事を終えて帰宅する女中に預けた。


「あと、砂糖をありったけ用意してほしいとも伝えておくれ」


「何に使うの?」


「魚の瓶詰の代わりの特産品を作ろう。うまくいくといいがね」


 それからカインは両手を合わせ、ふっと開く。てのひらの上に、青い炎が現れた。


『…………』


 よく聞き取れない言葉で何かささやき、息を吹きかけて炎を消す。


「なに、なに、今の!」


 シルヴァは目を丸くして、カインの手を何度も裏返したり表にしたりと仕掛けを探す。もちろん、仕掛けなどはない。


「火の精霊だよ。カノンのところへ遣いを頼んだ」


「カノン様?」


「ああ。トマに来ているんだ」


 現国王の姉君まで巻き込んで、いったい何を企んでいるのか。誰にも想像できなかった。


 だが、その表情がいたずらを思いついた少年のように楽しげで、セリオも涙を拭って前向きに自分のできることを探す。


「ブラスはまた海の上だな? 次に帰ってくるまでに、全て解決しよう」


 カインの力強い言葉に、セリオは大きくうなずく。


 幼い頃から、父に叱られそうになるたびにかばってもらった。もう大人だと生意気な態度をとっていたが、まだまだだと思い知る。


「カイン様、すみません」


「ん、いいさ。どうせ暇だからね。街の補修は、資材さえ用意できれば俺がやってやるよ」


「あは。私も手伝う」


「おまえは学校があるだろう」


「じゃあ、授業が終わってから」


 人助けのためなら労力を惜しまない恋人は、止めたところで聞きはしない。きっと旅の一座で舞台や天幕を組んでいたので慣れているのだろう。頼もしい。くれぐれも無理をしないようにとだけ言っておいた。


「さあ、明日から忙しくなるぞ。しっかり食って、よく寝ろ。セリオ、おまえもだぞ」


「はい」


 胸のつっかえがすっかりなくなり、今夜は久しぶりによく眠れそうだ。


 シルヴァとアレシアは、すっかり覚めてしまった夕食を温め直し、テーブルに並べる。新鮮な魚と野菜をじっくり煮込んだスープ、蒸した貝には塩だけをふり、きのこと海老の入ったオムレツをパンで挟むとまた美味い。


「トマの魚って、本当においしいよね。カイン様も食べてみたらいいのに」


「美味いのは知っているよ。子供の頃は食っていたからね。ああ、食いすぎて、魚たちに呪われているんだ」


 またでたらめなことを言って食べようとしない。シルヴァの凍らせた果物や菓子ばかりかじっている。


「そうだ、セリオ」


 これ以上、偏食を咎められないうちに、カインが話題を変えた。


「昔からブラスは、 おまえの隠し事なんて全部見抜いていたぞ」


「え?」


「今回のことも、気付いているんじゃないか」


 セリオもアレシアも時代遅れの軍人だと嫌がっているが、彼なりに家族を愛しているのだ。遠く離れた海上で二人のことを想わない日はないだろう。


 この食卓に並ぶ魚も、外国の酒も、彼ら海軍が海の安全を守っているからこその賜物。もっと感謝すべきである。


「あれでも、おまえの父親なんだからね」


 次に父が帰宅したときには、一緒に呑みながらゆっくり語り合ってみるのも悪くない、とセリオは思った。

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