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平和な街の日常

 シルヴァは毎日きちんと学校に通い、週末の安息日は街の商店や市場で荷物運びの仕事をこなした。夜になってトマ家の女中たちが帰宅すると、当主夫人アレシアに代わって食器を洗い、茶を淹れる。


 まったく、じっとしていることがない。


 夏が苦手なカインは、避暑地でゆっくり過ごそうと思っていたのに。部屋をわけてしまったから、二人きりで話す時間も少なくなってしまった。


 さて、今日は何をして時間をつぶそうか。


 渋々起き上がり、髪を束ねる。部屋を出ると、ちょうどアレシアが階段を上ってきた。


「あら、おはようございます、カイン様」


 手にした盆には昨夜の残りのスープとパン、そして白湯が一杯。片手に持ち替えシルヴァの部屋の扉を叩いた。


「具合はどうかしら。朝食を持ってきたんだけど」


「……ありがとうございます」


 応える声にいつもの明るさがない。何か重大な病気か。カインが狼狽えると、アレシアは苦笑した。


「シルヴァさんも女性ですもの」


「アレシアさん!」


 だからどうしたと、カインは寝ぼけた顔で頭をかく。そしてふと察して赤面した。


「あ……そうか……」


「ふふ。一緒に旅をなさるなら、これから気を付けてあげてくださいね」


 アレシアはそっと扉を押し、部屋に入る。カインも覗こうとしたが、薄暗い部屋でシルヴァはあわてて掛布を頭からかぶった。


「ご、ごめんなさい、カイン様……あの、顔がぶさいくで……見られたくない」


「わかった。学校には連絡しておくよ。ゆっくりおやすみ」


 優しい声をかけ、そっと扉を閉めた。深いため息がこぼれる。


 階段を降りるカインの足音を確認し、シルヴァはのっそり起き上がった。


「あら、まあ……」


 思わず絶句するほどひどい顔だった。眠れなかったせいで目の下にはくまができ、頬やまぶたはむくんで腫れぼったい。これは恋人には見せられないなと、アレシアは納得する。


「カイン様、きっと大笑いするから……」


 無神経なカインに乙女心などわかるまい。


 食欲もなく、パンをスープにひたしてなんとか腹におさめ、特製の薬を飲んでまた掛布にもぐった。


     *   *   *


 約束通り学校に欠席を伝え、その後はとくに目的もなく街を歩く。強い日差しが色素の薄い金瞳をしくしくと刺激し、外套のフードを目深にかぶり直して日陰を探した。


 広場の泉では女たちが楽しそうに笑いながら洗濯し、その周りを子供たちが元気に走り回る。転んで泣きそうな子を別の子が助け起こし、また仲良く駆け出した。


 街道に並ぶ店先には、退屈そうな店主がのんびり煙草を呑み、忙しく流れる白い雲を眺めている。荷馬車が到着し、品物が運び込まれると、丁寧にそれらを片付けながら、ときおり訪れる客の相手をした。


 平和な街の日常。


 カインだけが、なすべきことがない。


 ならばと路地裏に踏み込むが、浮浪者たちは近寄るなとばかりに目をそらし、不良少年たちはカインを見るなり逃げていった。


 突然、ひどい孤独感に襲われる。


 しばらく忘れていた悲しみや虚無が脳裏に浮かび、息ができない。胸を押さえ、街路樹にすがるようにしてうずくまるカインに、通りすがりの女性が心配そうに声をかけた。


「ああ、すまない。少し暑さにやら……」


「……」


 カインも、声をかけた女性も、言葉をなくして見つめあった。いや、女性の方は、さも迷惑そうに顔をしかめて睨みつけていた。


 夏用の涼しげなドレス、ウェーザー人特有の赤茶色の髪は肩のあたりで切りそろえ、睨みつける瞳は少し明るく金色に近い。カインとどこかよく似たその女性は、現国王の姉カノン・ラック・ウェーザーだった。


「どうした、こんなところで」


「……夏季休暇です」


 ウェーザー王家の人々は、北方のトマの血を継いでいるためとにかく暑さに弱い。カノンも例外ではなく、夏の間は涼しいトマの別邸で過ごすことにしていた。


 せっかくの休暇に、黄金の王と鉢合わせるとは。トマはけっして狭い街ではないのに、不吉な予感しかない。


 見なかったふりをしようかとも思ったが、少し様子がおかしい。カノンは仕方なく馬車に乗るように促した。


「どうぞ。冷たい飲み物くらいお出ししますわ」


「いや、大丈夫だ」


「……不死でも痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい」


 カインははっと顔を上げた。


「ベリンダで、シルヴァさんに言われました」


「はは、まいったね……」


 そう、誰にも知られないようにしていたのに、出会って間もない恋人は気付いていた。全ての災厄を引き受けるために、不死身で強い嫌われ者を演じていることを。


「無理をなさらず、どうぞ」


「ん、すまんね」


 馬車の中はひやりと涼しく、汗が引くと同時に先ほどまでの気鬱も幾分おさまった。水筒から注がれた水を一杯飲み干し、ふとため息をつく。


「シルヴァさんはご一緒ではなくて?」


「……具合が悪くて臥せってる」


 なるほど、それでこの世の終わりのような顔をしていたのか。カノンはやれやれと肩をすくめた。


「ベリンダの様子はどうだ?」


 西の都と呼ばれる大都市ベリンダで、大地震が発生してまだどれほどもたっていない。領主が呑気に休暇をとっていていいのか。


「夫は留守番です。それに、うちの大工たちはとても優秀ですの」


 主要な街道や建物はほぼ修復を終え、ひとも物も以前と変わりなく流れている。王都からの援助もあり、市民は不自由なく日常を取り戻していた。


 そうか、とカインは安堵する。彼のせいではないのに。カノンは心苦しく、眉をひそめた。


「カノン」


「はい」


「ドレスを着ている時くらい、可愛らしく笑っていた方がいいぞ」


 余計なお世話だと目くじらを立てるとますます凛々しく、自分とよく似ていて可笑しかった。


「ああ、そうだ。街で買い物をしようと思っていたんだ。せっかくだが、茶会は次の機会に……」


「二度とお誘いしません」


「そう言うな。美味い菓子を持っていくから」


 子供ではあるまいし。カノンはふんと鼻を鳴らし、馬車を止めるように言う。ぬるくなってしまった水筒を、ないよりはましと差し出すと、カインは素直に礼を言って受け取った。


「カイン様、ベリンダの北の聖堂跡から、温泉が出ましたの。冬になったら、ぜひシルヴァさんと遊びにいらして」


「……ありがとう」


 あれほど街に入ることを迷惑がっていたのに、まさか招待してくれるとは。これもまっすぐで物怖じせずに意見を言う恋人のおかげ。


 馬車を見送り、海岸沿いの道を一人歩く。他に人影もなく、ただ潮風が吹き抜けるだけ。だが、もう締め付けるような痛みはない。カノンの優しさに感謝する。


 変わらない景色、変わる人々、ずいぶん長い時を生きているが、いつも誰かが救いの手を差し伸べてくれた。忌み嫌わることの方が多かったが、愛してくれるものも確かにいたのだ。


 穏やかな海を眺めながら、水筒の水を飲む。


「俺にとっては、みんな子供だよ」


 カノンも、トマ家の人々も、国王でさえも、みな子供扱いするなと怒るが。産まれた時からずっと見守っている。愛し子たちに違いない。


「こんな気遣いができるようになっていたとはね」


 水筒を見つめ、顔をほころばせた。


 商店の並ぶ大通りに戻り、シルヴァが喜びそうな菓子を買い込み帰路につく。早く、会いたい。


 気分が変われば見える景色もまた違い、行きはあれほど憂鬱だった道が、帰りには輝いて見える。軽い足取りで丘を上がり、屋敷の扉を押した。


「おかえりなさい!」


 主人の帰りを待ちわびた仔犬のように、シルヴァが満面の笑みで駆け寄り飛びついてきた。驚いて抱きとめると、首の後ろに回された手がひやりと冷たく、思わず叫びそうになる。その口に、何か放り込まれた。頭痛がするほど冷たい塊。


「ん……氷、か?」


 かりこりとかみ砕くと、さわやかな苺の香りが広がる。


「あは。暑かったでしょ? たくさん果物を凍らせてみたから、食べてね!」


「もう魔法を習得したのか。ふむ、素質があるね」


 見ればアレシアも女中たちも、楽しそうに氷を作っている。どうやら、簡単な魔法だというのは本当らしい。


「これは便利ね!」


「夏でも肉や魚を安全に保存できるなんて!」


 厨房を守る彼女たちは大喜びだ。シルヴァは得意げに笑う。


「具合はもういいのか?」


「うん。あ、顔はまだむくんでるから、あまり見ないでね」


 両手で頬の肉をもみほぐす仕草が、たまらなく愛しい。つい、表情が緩む。


「ほら、土産」


「ありがとう!」


 嬉しそうに包みを受け取り、中の菓子を皿の上に並べる。どれから食べようと悩むのもまた可愛い。胸がときめく。


「どうしよう、全部おいしそう」


「おまえのために買ってきたんだ。好きなだけお食べ」


「あは。こんなに食べたら太っちゃうよ」


「何を言う。そのために買ってきたんだ。残すんじゃないよ」


 意地悪く笑うと、むっと胸元を隠して顔を赤らめる。しかし、食べたい気持ちと太りたくない気持ちがせめぎ合い、ますます困った顔で菓子を見つめた。


「……」


 カインが何か言おうと息を吸い、吐く。椅子に座り、肘をつき、足を組み替え、こつこつとテーブルを指で小突いたり、頭をかいたり、どうも落ち着かない。


「どうしたの?」


 大きな碧色の瞳が案じる。


 ついにカインは意を決して、シルヴァの左手をつかんだ。


 手の中に隠し持っていた小さな指輪を、薬指に乱暴にねじこむ。


 皆、何が起こったのか理解できずに、シルヴァの手元に視線を落とした。薄紅色の珊瑚をあしらった指輪がほのかな光を放つ。


「その、お、王妃の指輪は国宝だから、勝手にやることはできん。だから、その……いや、俺は議会の承認なんか、いらないんだ」


 しどろもどろと要領を得ない。


「べ、べつに、約束の指輪なんてなくても、俺の気持ちは変わらな……う、あ、すまん! 痛かったか!」


 あわててシルヴァの手をとり両手で包み込む。痛みを引き受けようとしたが、そもそも痛みなどなかった。


 しかし、シルヴァの瞳からははらはらと涙がこぼれる。


「あは、どうしよう、うれしくて……」


 泣いては余計にぶさいくになると、何度も拭うが止まらない。


 カインはほっと胸を撫でおろした。柄にもないことをすると、いったいどんな反応をされるか予想もつかなかった。とりあえずは喜んでくれたらしい。


「俺は全ての人々を幸せにすると精霊たちに誓ったが、シルヴァ、おまえをその全員よりも幸せにしたいと思っているよ」


 そう言ってそっと指輪にくちづけた。


「なのに……その、すまんね、つまらない嫉妬をしたり、気が利かなかったり」


「そんなの……!」


 ちっとも嫌ではなかった。むしろ、カインがそんなふうに憂慮していたことを申し訳なく思う。


「私こそ、ごめんね。もっと一緒にいたいのに、学校に行ったり、でかけたりして」


「いいさ。おまえは若いんだから、いろんなものを見て、経験して、学びたいだろう? やりたいことは何だってやればいい。俺はできる限りそれを手伝うよ」


「ありがとう、カイン様」


 シルヴァが抱きつくと、カインは照れながら髪を撫でてやる。そして、触れるくちびる。


 初々しい恋人たちに気を利かせ、アレシアと女中たちはすでに別の部屋や厨房で片付けものをしていた。

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