婚約者ちろうさんは少々変わった人でした。正直何が何だかよく分かりませんでした。
「我が名は、嶋 治郎。お主との婚約、破棄とさせていただく」
婚約者となった男性、嶋 治郎。
彼と初めて対面したその日に。
私はそんなことを宣言されてしまった。
「ええと……しま、ちろう、さんですよね?」
「うぬ」
「いきなり婚約破棄とは……それは一体どういうことですか?」
「そのままの意味ぞ」
「え」
「婚約は破棄とする。そのままの意味である。ただそれだけのことである」
ちょんまげを結った治郎はそれが当たり前であるかのようにそんなことを言ってくる。
だが意味が分からない。
いきなり関係を解消するというようなことを言われてもただただ困ってしまうだけ。
「そう、ですか。しかし、あまりにも唐突なので、驚いてしまい――」
すると彼は。
「いいじゃん! いいじゃん! いいじゃん! べつにいいじゃん婚約破棄くらい! させて! させてよ! 婚約破棄くらい! 死ぬわけじゃないんだから! させてよさせてよ! 婚約破棄! だってチロウ好きな人いるんだもんんんぅぅぅぅぅぅぅ!」
急に子どものようにごね始めた。
……な、何なんだ、これは。
「婚約破棄したいの! 婚約破棄! だってだってだって! チロウ好きな人いるんだもん! 愛してるんだもん! その人のこと! でもそれあんたじゃないんだもん! 好きな人いるし好きな人いるし好きな人いるし好きな人いるし好きな人いるし! なのに他の人と結婚とか嫌なんだもぉぉぉぉぉんんんんん!」
彼は仰向けに寝転がってじたばたしている。
「いいじゃん! いいじゃん! いいじゃん! べつにいいじゃん! いいじゃん婚約破棄くらい! させて! させてさせて! させてよ! 婚約破棄! そのくらいべつにそっちだって死ぬわけじゃないし! させてよさせてよ! 婚約破棄! だってチロウ好きな人いるんだもんんんぅぅぅぅぅぅぅ! 好きなものは好きなんだもん仕方ないんだもんんんぅぅぅぅぅ!」
その振る舞いを見ていたら段々怖くなってきて、私は婚約破棄を受け入れることにした。
……だっていい年の大人が子どものようにじたばたしていたら怖くない?
◆
あの唐突な婚約破棄から二年が経った。
私は親の知り合いである五つ年上の青年と結婚した。
そして今は穏やかに暮らしている。
彼は大会社の社長の息子で自身は事業を行っている、かなりの資産を有する人物である。
おかげで彼といて困ることはほぼ何もない。
時には喧嘩することもあるけれど、でも、そんなことは人生においてかなり小さなことでしかない。
ちなみに、治郎はというと、婚約破棄後の夏に山を歩いていて石ころにつまづいて転倒しそのまま崖の方へ転がっていってしまって崖から勢いよく転落し亡くなったそうだ。
◆終わり◆




