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     団長(エリオス)視点*

それはまたいつもの王弟殿下の我儘だった。


「ねぇエリオス。これ知ってるかい」


 呼び出された執務室で差し出されたのは、何の変哲も無い紙の束。何かの報告書にしては紙は色褪せて妙に小さい。

 貴族の令嬢が礼儀作法として諳じる何かの詩集かと思い、差し出した人物との関連性に首を捻る。


「まぁ読んでみて」

「……失礼します」


 にやにやと笑う殿下に一抹の不安を感じつつも、手に取る。装丁も何もない簡素すぎる表紙には、滲んだインクで『触手達の饗宴』その下には、『墜ちていく美貌の女戦士』との副題が付いていた。

 ……魔法院が纏めていると言う魔物への対策集か?


「……ッ……ぅ」


 読み進めて行く内に、嫌な汗が背に伝った。

 語りは女で、仲間の裏切りに合い、地下深くへ落とされ、そこに巣食う魔物に……。


「王弟殿下……っこれは一体何の話ですか、日記……いや自伝でしょうか、このようなことが本当ならすぐに魔物討伐隊を結成しなくては」


「ばっかだねぇエリオス。最後見なよ」

 毛色ばんで叫んだ言葉に、殿下は鼻で笑い軽くあしらう。そして手元の冊子を男にしては細く長い指で差した。


『このお話は、カイン・ダンケが書いた空想のお話です。登場する人物、地名、団体名等はすべて実在のものと一切関係ありません』


 最後まで読み切り、それが指し示す意味に気付き一気に脱力する。

「夢物語ですか……」


 何て人騒がせな。


「いやぁ嬉しいなぁ。僕と同じ趣味の人がいたなんて。仲良くできそう」


 夢見る様に天井を仰いでうっとりと微笑んだ殿下に、先程以上の悪い予感を感じる。


「……それで私に話とは」


 しかし自分とて暇では無い。

 この生産性の無い会話に終止符を打つべきそう尋ねれば、殿下は笑みを深めて肘掛けに手を置き、その地位に相応しい傲慢さで言い放った。


「うん。連れてきて」


 やはり……!

 咄嗟に漏れそうになった呻き声を噛み殺し、口を開く。

 ただでさえ低いと言われる声は、自然と地を這うものとなった。王立騎士団は、あなたの心底下らない私用の為にあるのではない……! 


「どのような名目で?」

「そりゃあもちろん、街の風紀を著しく乱し、青少年の育成を妨げる様な間違った道徳観を持たせた罰だよ」


「……仲良くされたいのですよね」


 尤もらしく言われた言葉に、一応、問いかけてみるが、殿下は長い銀髪を人差し指でくるくると巻きながら「もちろん」と頷いた。

 なら捕縛はしない方が良い。

 そう突っ込みたいが、彼の間違った倫理観と常識は、一介の……いやそこそこ地位のある騎士が言った所で、もはや変わらない。以前、あまりのアレぶりに勤勉で真面目な前宰相のご子息が注進したのだが、二人きりで部屋に籠った一時間後に、うわあああん、と子供の様な鳴き声を上げて部屋から飛び出して来た。王弟怖い王弟怖い、とそのまま家を出奔、その足で国外へと逃亡した。一体彼に何があったのか、真実は闇の中だ。


「はい、じゃあそれあげるからさっさと行ってきて」

「……宜しいのですか」


 特に嬉しくも無いが、捕縛するのには証拠品があった方がその他の手続きが楽になる。かと言ってこんな猥褻物をこのままの状態で持ち歩く訳にはいかない。……というかむしろしたくない。


「うん、保存用と鑑賞用と実用用と三冊あるから」


 どんだけ……!


「ちなみにそれ実用用」

 ばしぃっと反射的に床に叩き付けてしまい、はっとする。

 しかしすぐに拾い上げるには聊か勇気とその他もろもろ色んなものがいった。……なんなんだ実用用って。普通は布教用じゃないのか。手袋を携帯していなかったことをこれほど後悔したことは無い。


「失礼だねぇ、君」


 言葉程気分を害した様子は無く、ほっとする。が。


「僕の××××なら、馬乗りにのっかかって来る位欲しい人、いっぱいいるのに」


 下品だ。優美な曲線を描く艶やかな唇なのに、零れる言葉はひたすら下品だ。

 こんなのが王弟であり、同時に宰相だなんてこの国は大丈夫だろうか。

 王弟殿下は唇を釣り上げて、どこからかまた同じ装丁の本を取り上げる。保存用か観賞用か――。どうやら先程の言葉は真実らしい。


 ご機嫌でページを廻り、ペラペラと捲ると、窓から差し込んだ光が淡い銀髪を反射し、きらきらと輝く。芸術や造形には疎く朴念仁だと言われるエリオスすらも、その光景に見惚れる程だ。故に実に惜しい。美形の無駄遣いだ。――変態なんて。

 つぅっと指先が愛撫するような艶かさで文字を撫でる。ペロリと赤い舌が唇を嘗めた。


「……ん、やっぱりイイなぁ……こんなの書いてる人がいるなんて……」

 くぐもった声は吐息に変わり、空いていた左手がそのまま下半身に伸びる。

 呻いたエリオスは、瞬時に踵を返し「失礼します」と逃げるように部屋から出ていった。



 その足で兵舎に向かい、口の堅そうな部下を二人引き連れてカイン・ダンケの住処へと向かう。

 きちんとした捕縛なら半日は周囲を見張り、ターゲットが在宅している事を確認するが、さっさと終わらせたい気持ちと、変態に会いたくない気持ちがせめぎ合う。

 いや、むしろ変態は変態同士同じ場所に集めた方が周囲への被害は少ないか?

 しかし。

 エリオスは普段はつけない手袋をつけた手で本の最後を開く。

 一応、警告文を出すという大人らしい配慮がある分、この人物は王弟殿下よりはマシな部類に入るだろう。それに好きで――趣味で書いている訳ではなく、生活の為に嫌々書いているのかもしれない。それを本物に引き合わせるのはどうだろう。書けるその技術もどうかと思うが、宰相子息の二の舞にするにはさすがに良心が痛む。


 街に下り、カイン・ダンケが住んでいると言う小屋の前に立つ。


「気配は確かに感じます」

「……分かった。行くぞ」


 小さく溜め息をついて仕切り直す。結局命令は遂行しなくてはならないのが国を主とする騎士の辛い所だ。


 しかし、予想に反して古い扉から顔を出したのは、まだ幼い少女。

 何故こんな場所に少女がいるのか。


 不躾な来訪にも関わらず、少女が大人ぶろうとするような面映ゆい仕草で、お茶を出してくれ、またそのお茶が疲れた身体に染み渡る程、美味しかった。


 そして被り物を取れば、艶やかな長い黒い髪はその幼さに反して少女を女にも見せ、危ういような不思議な色香があった。よくよく見れば肌理細やかな肌はクリーム色で、そっと触れなければ壊れそうなほど柔らかそうだ。

 黒髪と言えば、すぐに思いつくのが、カラタ族虐殺事件だ。そういえば子供がこの町まで逃げ、難民申請があったと会議でも話題になった事があったが、どうやらそれが目の前の人物らしい。


 まさかこんないたいけな少女に、あの小説に書いてるような如何わしい真似をしているのではないだろうか。不安になり言葉を選んで尋ねれば、無垢な笑顔で首を振った。心から安堵する。


 三歳の甥っ子と顔を合わせる度に号泣される自分なのに、少女は年齢不相応の落ち着きを見せ、怖がる事もまた必要以上にへりくだる事無く、振舞ってくれた。

 もう夜も遅いし送ると言う申し出にも、少女はとんでも無いとばかりに首を振り、その奥ゆさしさが、切なく感じる。きっとあの事件が起きるまでは、しっかりとした両親に愛情をたっぷり注がれなんの不自由も無く育ったのだろう。……こんな汚い小屋でいかがわしい小説を書いている人間に使われているとは不憫すぎる。


 説き伏せて横に並んで歩けば、右手に感じる視線。……手を繋いで欲しいということだろうか。確かにこの辺りは舗装も中途半端で足場良いとは言えない。整備工事を急がせるように働きかけるか。


「手を……いや、少し待て」

 手袋を外し懐に押し込む。あんな猥褻物に触れた手で、このいたいけな少女に触れれば穢れてしまいそうだ。



 手を差し出すと少女は、ふわりと花が綻ぶ様に微笑んだ。


「有難うございます騎士さま」


 ――ああ、この子は。

 たんぽぽの花のように小さくて可愛い。 ほわっと自分の中の何かが緩んだ気がした。


 そして世話になっているという孤児院の外壁を見て唖然とする。

 なんだこのぼろ小屋は……!

 城からはきちんと予算が組まれ管轄の区長に配当されているのに、この退廃ぶりはおかしい。これは早急に大神殿に働きかけ審議しなければならない。もしその上で足りなければ、自分が援助しても良い……いや、そうすべきだろう。


「騎士さまはこのままお家に帰るんですか?」

「いや、一度城に戻って報告しなければならない」


 そうあの変……いやいや 王弟殿下の下へと赴かねばならないのだ。

 考えるだけで、全身になんともいえない倦怠感が溢れ出して来る。


「そうですか……。あの、顔色も悪いし無理しないで下さいね」


 久しぶりに心から気遣う言葉を聞いた気がする。

 そっと頬に触れる手は暖かく、思わずその手を取って抱きかかえ家に連れて帰りたい衝動に駆られた。





2010.04.28

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