その18、明るい未来に向かいましょう
秘密が無いって素晴らしい。
一言で言うならば、それに尽きる。
鼻歌まじりで製本作業をしていると、どうやら口に出ていたらしい。
カウンターの向こう側にいたマスターが、ちょっと嫌味まじりに小鼻を膨らませて尋ねてきた。
「じゃあ、お前、それはどうするんだよ」
「それ、ってこれですか?」
手の中にあるのは、酒場に置いている官能小説最新刊。
ちなみにあたしには高いカウンターの椅子で、足をぶらぶらさせながら製本作業真っ最中である。開店前で扉は施錠済。こんな所見られたら色んな意味でヤバい。
「いやぁ……これはまたアレですよ。ちょっと違うじゃないですか。マスターにだって寝台の下に他人には言えないいやらしいDVD……いや、えーっと絵とかあるでしょう。これはそういう類ですよ。犯罪じゃないなら人の趣味にケチつけちゃいけません」
とんとん、と端を揃えてからカウンターに平積みにして、あたしはびしっとマスターに指を突きつけた。
「なっ……」
心当たりがあったのか、マスターは顔を真っ赤にさせてどもる。
いや、そんな分かりやすいリアクションしないで欲しい。つい突っ込みたくなるじゃない。
しかしマスターそういう系の本当に持ってるのか。なんかものすごく淡白だから何となく興味は無いのかと思ってた。いやでもベッドの下とかベタすぎて、家族に見つかる可能性大ですよ。しかもアレって見つかった方も嫌だろうけど、見つけた方もいたたまれない気持ちになるんです。特殊な趣向なら特にね!
あたしの生温い視線に気付いたのか、マスターはそっぽを向いて、「バラしてやったら面白い事になるのにな!」と実に負け犬らしく吠えた。うんまぁ、それは困りますね。だけど。
「じゃあ、お前が書かせてたんだろ、みたいな明後日な解釈されてシメられますよ」
誰にとは言いませんが。
そう言外に含ませるあたしは、まさしく虎の威を借る狐。
けれどその光景が妙にリアルに頭に浮かんだらしい。マスターはうわぁあああ、と顔を青褪めさせて悔しそうに歯軋りした。嫌だなぁ、人の事脅すとかするからですよ。ああでもちょっと面白い。最近妙にマスターに絡む翔太の気持ちが分かった気がする。
――さて、こんな風に戻ってきた日常。
ここ数ヶ月、翔太がこの世界にやってきた事件から始まって、本当に濃い日々を過ごしたせいか、あっという間に過ぎていった気がする。
修復不可能だと思われた騎士さんとは、振袖を貰った次の週に一度会って完全に和解した。……と言うとかなり語弊があるけれど(もう振袖送ってきた時点で、許してくれたって事だし)。
そして、あと一つ。驚いた事に孤児院にやって来た騎士さんは、さっぱりと髪を切っていた。
短めと言うよりも短髪。いや、もともと美形だからどんな髪型でも似合うんだけど、綺麗な額や尖った顎や喉仏のラインだとか強調されて、随分男らしく雰囲気が変わっていた。
『……思い切りましたね』
挨拶するよりも先に思わずそう呟いていたあたし。 騎士さんは少し照れた様に頬を染めて、唇の端を釣り上げた。
『ええ、自分なりのけじめです』
普通に返ってきた言葉に今更気付いて、ほっとしかけた気持ちを慌てて引き締める。
それから絶対あたしから離れないと言う翔太を、心配してくれたのか付き添ってくれていた団長が諌めて部屋から連れ出した。院長室で二人きりになって、骨の浮いたソファに居心地悪く何度も座り直してしまう。
うん、さすがに手紙で許して貰ったようなものだけど気まずかった。そもそもある程度纏まった時間、この人と二人きり、という状況自体初めてかもしれない。沈黙を破ったのは、と言うか破ってくれたのは騎士さんだった。
『先日はみっともない所を見せて申し訳ありませんでした』
髪が短いから、その表情はしっかり見えた。手紙の文面からもう怒ってはいないとは分かっていたけど、実際顔を見るまでは分からない。ある程度覚悟していた怒りは見えなくて、逆に下手に出られた事であたしは大いに焦った。
『そんな事、ないです、あたしが……っ』
『いいえ。まずは私から謝罪させて下さい。……私は一方的に理想や想いを押し付けてあなたに縋っていた』
あたしの言葉を遮り、騎士さんはきっぱりとそう言った。
確かに。騎士さんはあたしに『執着』していた。
だから、憎んでくれればいいと思った。それしか思いつかなかったから。
『実際、あなたが『カラタ族』では無いと言われた時に、裏切られたと思いました。自分は自分で無くなるような。だからきっとその日からまた悪夢は私を苛むと思いましたが――けれど、その日、夢に見たのは全く違うものでした』
『……どんな夢か聞いてもいいですか』
罪の意識に苛まれずにいられたなら良かったけれど、そう言って小さく笑い口元を押さえた騎士さんの表情は微妙に気になった。けれど騎士さんは緩く首を振って悪戯っぽく言った。
『恥ずかしいですから内緒です』
騎士さんの声は優しかった。だから、あたしは――言ってしまった。
『あ……あたしも、……謝っても、いいですか』
吐き出した言葉に、騎士さんは少し困ったような表情をして、また笑った。
『……本当に団長の言うとおりですね。自分の人間としての浅さが疎ましい』
独り言の様に呟いた言葉に首を傾げる、と騎士さんはゆるく首を振って、お願いします、と微笑んだ。
『ご、めんなさい』
俯いた膝の上で両手を握り締めてそう呟く。掠れた小さな声だったけれど、騎士さんには聞こえたらしい。
『受け入れましょう。あの――『キモノ』というそうですね。あれを受け取って頂けるなら』
『でも、あれ大事なものなんですよね?』
母の形見だと書いていた。
着て見せて欲しい、と書かれていたけれど、あたしは勿論着付けなんて知らないし、羽織るくらいが精一杯だ。高価なものだし何より騎士さんのお母さんの形見でもある。そう簡単に貰えるようなものでも無い。
『ええ、でも意匠からして女性の衣装でしょうし、私が持っているよりはいいでしょう』
でも、と言い募るあたしに騎士さんは少し考えるように腕を組んだ。そして、じっとあたしを見つめて、軽く手を打った。
『ではそれに加えて、抱擁を許して頂いてもいいですか』
思っても見なかった言葉に、返事が遅れた。
けれどその沈黙を騎士さんは了承と取ったらしい。
にっこりと微笑むとあたしとの距離を一瞬にして詰めた。すぐそばに来た騎士さんの胸。空気が一瞬薄くなって体全体が包まれる。制服のボタンの冷たさを頬に感じて、ようやく我に返った。
『えっ……』
男の人らしい、深い森みたいな香水だろうか――良い匂いがする。
すり、と頭のてっぺんに頬が摺り寄せられて、びくっと身体が震えた
いつの間にか背中に回った手は大きい。程なくして、その手に力が篭ったのが分かった。それから少し身体が動いて、囁くような問いが鼓膜を擽る。……って、あれ?
『セリ殿。本当は成人されてるそうですね』
『あ……はい』
問いかける声音がさっきの真摯な口調とはまたベクトルが違う。わざとなのかそうじゃないのか掠れた声が艶やかで甘く感じた。髪に触れるその指が梳く様に滑り耳元を擽った。
……えーっと、これは。
この雰囲気はちょっとマズイんじゃないでしょうか。
一体どうしてこうなったのか。スイッチはどこにあったんだ。
抱擁って言うのは『これで勘弁してやるぜ!』『ありがとう!』(がしっ)っていう体育会系ノリじゃないの。
『セリ殿、私はあなたが『カラタ族』ではなくとも――』
『クラウド!!』
『はーいはいはい! 終了! 撤退! はいはい離れて離れてー』
殊更騎士さんの手に力が篭ったその瞬間、勢いよく扉が開き飛び込んで来たのは翔太だった。あたしとクラウドさんとの間に身体を捻じ込ませる翔太。その後ろに続いた隊長の顔も険しい。
あ、またいつものパターン。
そう思ったその瞬間。
その光景が、本当に少し前の『いつもの』の日常で、なんだか状況も忘れて、あたしは思わず、ぷっと噴出してしまっていた。慌てて口を押さえたけれど言い合いをしていた三人にも聞こてしまったらしい。
『セリはそうやって笑ってる方がいいよ』
『ああ、そうだな』
『……同感です』
さっきまでの言い合いはどこにいったのか、珍しく同意した三人。
まじまじと見つめられて、慌てて笑いを抑えて明後日を向く。いや、そんなまじまじとあたしを見ないで下さい。
そんなこんなであたしが異世界トリップしてから最大の事件は解決し、後日微妙に忘れていた王弟に呼び出された。
カラタ族じゃないとか、騙していたのか、とかそういう話は一切なく、国民の文化水準を上げる為に、こういう小説だけでなく、もっと色んなジャンル――伝記や、大衆向けの話を別名義で書いてみないか、と勧められた。
かなり拍子抜けしたにも関わらず、子供向けの絵本とか、普通のエロのないロマンス小説とか、少女少年向けの冒険物とかもいいなぁ、なんて考えている。庶民の識字率を高める為に、街の中に王立の図書館を設立する予定らしい。
娯楽の一つとしてあたしの本もそこに置いてくれるとの事だった。
小心者のあたしである。どうしても気になるので、思いきって騙していた事を怒っていないかと尋ねてみた。
――要約すれば「あっそう。分かってたよ。っそれより次の小説はいつかな」という自己中なもので、一気に身体の力が抜けた。うんさすが王弟。あたしのちゃちな嘘ごときでブレないね! ある意味見くびってたよ!
そしてあたしはめでたく成人を迎え、引越し当日。
孤児院に身を寄せてから二年の間に、いつの間にか増えていた荷物を纏めながらあたしは、今までの事を振り返っていた。
ちなみに新居の場所も今日引っ越すって事は、クマさん以外誰にも言っていない。団長さんはともかく騎士さんや神官長様の事だ。連日お祝いを称して泥棒の撒き餌としか思えないようなノーブルな家具を送ってくるに違いない。手伝う、なんて言って高そうな馬車で来られてもご近所さんの目が痛いしね。まぁ落ち着いたら挨拶がてら報告に行こうと思っている。
「セリー荷物こっちー?」
「そうそう。服はもう最後でいいよ」
結局翔太は着いて来てくれる事になってしまったけれど、週に二回は孤児院に通い、小さな子供達の面倒を見る事になっているので、あまりここを離れる、という感覚は薄いらしい。
それは院長先生からの提案で、相談して良かったな、と心から思った。うん、やっぱり何でもかんでも一人で突っ走ってちゃ駄目だよね。最近のあたしは何と言うか――色々必死過ぎて視野が狭かった。反省。
荷物を運ぶ馬車を用意してくれたクマさんは御者席で煙草をふかしていた。
背景は雲一つ無い青空で、驚くくらいしっくりくる光景だった。
でもクマさんが煙草をか珍しい。っていうか初めて見る。
あたしに気付くと煙草を手元の何かでもみ消して、軽やかに飛び降りた。大股で近寄ると「貸せ」と、荷物を引き受けてくれる。
こういうとこ間違いなく男前だね。
まだまだ部屋に荷物は残っている。
あたしは素直に甘えて新しい荷物を取りに行く事にする。
お願いします、と身体を返して少し留まり、それからゆっくりと口を開いた。
「レオさん、ありがとう」
「おう……って、あ」
言葉の終わりで、ばっと振り返ったのが外套が翻る音で分かった。
くすくす、心の中で笑って、あたしは自分の荷物を運ぶ翔太と擦れ違った。
「ニヤケすぎ、キモイよ、おっさん」
「うっせぇよ……」
そんな会話がすぐ後ろで交わされているなんて気付かないまま。




