その16、悪いことをしたら謝りましょう
クマさんとカラタ族の跡地から戻り、数日掛けて色々考えた結果――
あたしは、団長、神官長さん、騎士さんに全てを話す事にした。
何故この三人なのかと言うと、あたしがカラタ族だからという『前提』で優しく、そして好意を寄せてくれているから。ちなみにマスターについてはそうでは無いし、逆に三人にお前は知っていたのか、なんてあらぬ疑いを掛けられて迷惑かけちゃいそうだから。……まぁいずれ機会を見て話そうとは思っているけど。とりあえず今回は見送り。
彼等からすればあたしは『可哀想な一族の生き残り』で、庇護するべき対象なのである。だから本当はそうじゃないと真実を話して、今更ながら騙していた事を謝罪しようと決めたのだ。
もちろんそんな事をすれば嫌われる事は分かってる。
彼らには戸惑う事も多かったけど、それ以上にあまりある優しさも気遣いもたくさん貰った。
身分不相応な高価なドレスから素朴な小さな細工物まで。それらは彼らなりにあたしの事を考えて選んでくれたもので、その気持ちを冗談めかして誤魔化して真面目に取らずにうやむやにして逃げ続けていた。
……それに、本当にこのあたりが頃合なのだと思う。
あたしがこの世界にトリップし、翔太が来るまで約二年半。
どれくらいの頻度で日本人がこの世界にトリップしてくるのかはっきりしないけど、いつか翔太と同じ様にして日本人はやってくるだろう。
そうしたら当然また引き合わせられる。その相手が例えばしっかりした大人だったりして、『カラタ族』の事を根掘り葉掘り聞かれたらきっとボロが出るのは想像に難くない。そうしてバレてしまえば今よりももっと話が大きくなって、その嘘に全く責任の無い翔太を巻き込む事になる。……そう、告白する事で一番気になるのは翔太の事。
今や翔太自身も『カラタ族』として認知されているから、あたしが告白する事で、翔太まで巻き込む。
だけど、彼自身は最初から『カラタ族ではない』と言い切っていた事もあり、あたしが唆した、と言えば(実際そうだし)強面だけど優しい団長さんならお咎めは無いんじゃないだろうか。あたしと違ってちゃんと未成年だし、孤児院から追い出される心配は無い。
だけどそれでもやっぱり迷惑を掛ける事にはなるので、その日の内に翔太に話してみたんだけど、そんな真面目な話の相談相手として選んだ事は、翔太の自尊心を大いにくすぐったらしい。
クマさんとカラタ族の跡地に行ってからずっと悪かった機嫌はみるみる良くなり、『そんな事くらいで態度が変わる男なんて知り合いである価値も無いよ、その辺に転がってる石と一緒、セリは気にする事無いね』と可愛らしく笑ってくれた。……うん、あれ? なんか日が経つ程にこの子の印象が変わるんだけど。あたし育て方間違ってる?
ちなみに院長先生には既に相談済み。
だって……ほら、やっぱりあたし経由であの三人から寄付金がいった訳だし、今更返せ、なんて言われでもしたら申し訳ない事になる。だけど、そんな決死の告白を院長先生は笑って、本来は国からの補助金で運営出来るものよ、とあたしの嘘を許してくれた上で、そう言ってくれた。
その反応から察するに、何となく院長先生は私の嘘を分かっていたのかな、と思う。
まぁ深く考えればそうだよね。年の功もあるけれど、右も左も分からない最初の頃からずっと面倒見てくれたんだし、カラタ族と言っても誤魔化しきれないあたしの言動や行動の不自然さにも気付いていたのだろう。伊達にたくさんの子供達を見てきたんじゃない。
あー……クマさんに告白した時も思ったけど、もうなんか、うまくやってると思い込んでた自分が恥ずかしい……。色々。
* * *
インクが乾いたのを確認してから、慎重に便箋を封筒に入れて封をする。
宛先は王弟。
中身は催促されている小説ではなく、ごく個人的な手紙である。
さっきも言った通り、自分がカラタ族ではなく、その事を利用して皆を騙していた事――けれど跡地にあった遺品から察するに同じ世界の同じ国に住んでいた人々ではある事が記されている。やっぱり物書きの端くれなのか、言葉にするより文字にした事でより客観的に書くことが出来たと思う。
……だけど本当は、面と向かって口にした方が気持ちは伝わるのだろう。謝罪なら特に。
けれど腐っても王弟殿下である。まさかこちらから呼びつけるわけにはいかないし、その多忙振りは、前回からちょくちょく会っているクマさんから伝え聞いている。
「さて、そろそろ時間か」
時計を見上げてぽつりとそう呟いて、ぱちっと両手で頬を叩き気合を入れる。
そう実は今日なのだ。団長さん達に全てを告白する日は。
思い立ったが吉日、では無いけれど『三人に大事な話がある』と毎週やってくる神官長さんに言ったら、あっという間に騎士さん、団長さんに話を通して日取りを決めてくれたのである。
「よし」
手紙をしっかり握り締め、勢いよく立ち上がる。
部屋を出て狭い廊下をずんずん歩くけど、今日は外に遊びに行っているのか子供達の姿は見えない。玄関の扉を開けると、もう既にそこには頼んでいたお迎えが来ていた。
「よぉ」
「あ、もう来てくれてたんですか」
お待たせしました、とちょっと頭を下げるとクマさんは、いい、と手綱を持ったまま首を振る。周囲には小さい子供達がいて、馬の背にはリアが乗っていた。その小さな背中をクマさんが落ちないように片手で支えている実に微笑ましい光景である。
どうやら待っている間に子守まで引き受けてくれたらしい。
ちなみに翔太は今日、お医者さんのお手伝いに行く日で孤児院にはいない。クマさんはよっぽどじゃないかぎり大人の余裕で躱すけれど、翔太は常に喧嘩腰だから見ているこっちが申し訳なくなる。まぁとりあえず今日はそんなのっけから仲裁とか気力使えなかったので、ちょっと可哀想だけどここに翔太がいなくて良かった。
「ほら下ろすぞ」
「はーい! ありがとー!」
引っ込み思案なリアの珍しい笑顔。
少し驚いてそのやりとりを見守れば、他の子供達も似たような顔でクマさんを囲んでいる。
今日を合わせても、子供達と顔を合わせたのは三、四回位。
顔の造作はカテゴライズすれば団長さんと同じなのに何故……まぁ、うん雰囲気、かな。子供達に対する遠慮の無さと気遣いが絶妙なんだよねクマさん。さすが癒しキャラ。やっぱり醸し出てるもふもふ癒し感は隠しきれないのか、子供心もばっちりあの柔らかさで包み込みます。
ちなみにクマさんには王弟殿下の手紙を届けて貰うつもりだったんだけど、ついでだしこのまま話し合いの場所である騎士さんの屋敷まで乗っていけ、と言ってくれたのだ。
「セリーいってらっしゃい」
「ありがとー」
子供達はあたしが来たと同時にお開きだと分かったらしく、それぞれ散り散りになって駆けていった。
クマさんとあたしが後に残って、軽く深呼吸してからあたしはクマさんに頭を下げた。
「今日はお世話になります。あと、これも宜しくお願いします」
「おう」
差し出した手紙を見ただけで、クマさんはそれが何かを察したらしい。クマさんはそれを受け取ると、いつものくすんだ緑の外套の懐の中にしまった。……未だにあの中を解明出来ていなかったりするのだけれど。……気になる。
* * *
一時間も経たない内に、騎士さんのお屋敷に到着。
相乗りにも慣れて今なら短い会話くらいなら出来る。だけど今日はあたしもあまり話し掛ける事はしなかった。
クマさんと騎士さんに面識は無いから、顔を合わせるとまたややこしい事になりそうなので、その少し手前で下ろしてもらう。
「じゃあ、有難うございました」
「ああ、帰りはちゃんと送って貰うか、待合馬車使うんだぞ」
馬上の上からクマさんはそう言って顎で街の方を指す。
この辺はお貴族様のお屋敷が多いから、女の子の一人歩きも余裕な治安の良さなので心配無い。でも待合馬車ってほら、定員が『乗れるだけ』だし。あのぎゅうぎゅう感が苦手なんだよね。道の悪さを足せば満員電車以上のものがある。
「あ、いいえ。帰りに新しい家の方に寄ってちょっと掃除してこようと思ってるんです」
乗りませんと、首を振ったあたしの言葉に、クマさんは軽く眉間に皺を寄せた。
「一人で大丈夫か」
「大丈夫ですよ。明るい内に戻るつもりだし。えーっと軽く掃いて……ちょっとずつ家具探したいし、それ置くのにサイズ、っていうか部屋の広さ確かめたくて」
マスターは言葉通りすぐに仲介人を紹介してくれて、何件か回った後それなりに満足のいく家を手に入れる事が出来た。なんだかちょくちょく着いてくれたクマさんのおかげで家具付きなのに結構安く買い叩けたんじゃないかと思う。ビバ強面。こ活用法がようやく分かったよ。
……面倒見のいい人でもあって一緒にカラタ族の跡地に行ってから、クマさんとの距離は近い。秘密の共有と言うのは人をくっつける作用があるのかもしれない、なんてらしくない事を思う。
まぁ、最近は心配性なお父さんの様で時折うっとおしい時もあるんだけどね!
この前、冗談まじりにそう言えば、クマさんは傷ついたようで、「ああ、うん……」とその大きな背中を丸めていた。冗談です、って言ってもしばらく浮上せず、翔太が面白がって殊更おじさんと連呼していた。やっぱり触れちゃいけない微妙な年頃らしい。もう二度と言いません。
クマさんの馬の首を撫でて胸の鼓動を落ち着かせる。なんだか立ち去りがたい、と言うか……あの三人から詰られたり怒鳴られたりする覚悟、はかき集めてきたつもりだったんだけど、やっぱり土壇場になると怖くなる。自分で全部決めたくせにへたれすぎる。
でもこれ以上ぼけっとしてると、クマさんはきっと心配して着いてくると言い出すだろう。
一応クマさんにも、今日彼らに全てを話す事は言ってあるから。
「じゃあ」
別れを切り出して、馬から手を離す。くるりと背中を向けてすぅっと深呼吸。
「いってきます」
「おう」
背中にいつもの短い返事を聞いて、あたしは駆け出した。
お金持ちそうなお屋敷やお店が多いせいか結構目立つ、けど今この勢いで行かないと、足が止まって前に進めなさそうで。
大きな角を曲がり騎士さんの屋敷の外扉の前まで一気に駆け抜けた。
呼び鈴を鳴らして、立派な格子越しに改めてお屋敷を見上げた。
告白場所が騎士さんのお屋敷なのは、ちょうど神殿と王宮の真ん中にあり、大事な話があると言ったら、騎士さん自身が是非とも使って下さい、と申し出てくれたからだった。
……でも、叩き出されるまでの距離が長いのも迷惑だよね。引きずるのも重いだろうし。
そんな事を考えながら待ち構えていたらしい執事さんらしき人に案内されて、応接間へと向かう。
翔太の看病の時に通っていたので、裕福らしい騎士さんのお屋敷の豪華さに今更びびったりはしないけど、居心地はあんまり良くないよね、と言うのが翔太との共通の見解である。
案内された部屋には既に三人が揃っていた。
扉まで迎えに来てくれたのは、このお屋敷の主人である騎士さんで、ソファには団長さんが座っていた。その斜め向かいにあたる一番奥に神官長様。あたしと目が合うといつもと同じ天使の様な麗しい微笑みを向けてくれた。
勧められるまま空いたソファに腰を下ろすと、騎士さんは手自ら紅茶を淹れてくれて、あたしの前に置いた。そして自然な流れで同じソファに腰を下ろす、と、団長、神官長の二人のきつい視線が騎士さんに刺さった。……あの、あたしそっちの空いてる一人掛けのイスで構いませんが。
「それにしてもどうしたんですか。改めて大事な話だなんて」
騎士さんはそんな二人の視線なんて気にした様子も無く、笑顔でそう尋ねてくる。
話そうとして口を開くと、ものすごく唇が乾いている事に気付いた。
その間を曖昧に笑って誤魔化して、神官長さん団長さん二人が既に口をつけているのを確認してから一口啜って唇を湿らせる。
……うん、平常心平常心。
相変わらずまろやかで美味しい紅茶。少し甘すぎるけど、これは騎士さんが『思い込んでいる』あたしのイメージからなる嗜好で、あたしはそれを一度も否定した事は無い。深入りなんてするつもりなかったから。
――馬鹿にしてるよ。
あたしが、彼らを。その気持ちを。
自己嫌悪。うやむやに流してきた自分自身。
「そうですね。どうせなら二人きりの方が嬉しかったですが」
神官長のストレートな口説き文句もいつもの様に聞き流そうとして、これも今日が最後だと思うと何か寂しい気は……しないな。これはうん、今も袖の下が粟立っている事実は誤魔化せない。
だけど、あたしはいつもさり気なく逸らしていた視線をまっすぐ向けた。少し驚いたように瞠られる神官長の紫紺の瞳。ああ、確か最初に会った時、ステンドグラスに描かれた天使みたいだ、と思ったっけ。
あたしはカップをソーサーに戻して、ゆっくりと口を開いた。
「私ずっと三人を――いえ、色んな人を騙してるんです」
神官長の微笑みが、微妙に戸惑ったものに変わる。
真横の騎士さんを見れば、こちらも不思議な表情をしてあたしを見ていた。何か聞き間違いでもしたかのような曖昧な表情。
「どういう事だ」
最初に口を開いたのは、それまで黙っていた団長。
この人は、いつもと一緒で表情は変わらない。否、もともとあまり感情を出さない人だから、本当は驚いているのかもしれない。
「私はカラタ族じゃありません」
「……何を」
騎士さんが今更、という顔であたしを見たのが分かった。
それを受けてあたしは気持ちを引き締め、再び口を開いた。
「カラタ族ではなくて、違う世界から来た人間なんです。だから――親兄弟や親類を、あの惨殺事件で失った『不幸な生残り』なんてものじゃないんです」
ロクでも無い親父はいましたが、と心の中だけで呟く。
何度も言うけどこの人達はあたしがカラタ続の生き残りだから、その大前提があったからこそ優しくしてくれた。
確かに当時は唯一の生き残りなのに、国や王を恨む事無く、まっすぐ健気に育った少女、という『設定』は庇護欲を誘っただろう。
あたしは黙っている事で、優しさを結果的に享受した。自分から敢えて言わなかったのは罪悪感じゃない、ただの保険。
「あたしを保護してくれたお医者さんが特に疑う事なく、カラタ族の難民申請をしてくれたんです。あたしはそのまま黙って戸籍とか保護とか色んなものを騙し取りました」
言葉を重ねて、真実を話す。
信じられない、と騎士さんは、初めて見るような険しい顔をして、その後は、たくさんの質問をしてきた。
それはそうだろう。違う世界から来た、だなんて正気を疑うレベルだ。まだ現存した『カラタ族』である方がよっぽど信憑性がある。
出来るだけ素直に答えて、その全てに答える度に、騎士さんの顔色は倒れるんじゃないかと心配になる位無くなっていった。
半ば予想していたけれど――嘘だと言って欲しい、と、その縋る目が痛い。
彼は、この中で一番『カラタ族』の事件に一番関わり、そして傷ついている。
だから『赦した』あたしを心の拠り所にしていた。だから本当は彼には言わずにおこうかと思ったけれど、早く言わなければその責は翔太にまでいってしまう可能性があった。
どうしようかと思って――思いついた事が一つ。
今までと同じ位あたしを、あたし個人を強い感情で憎めば、それがまた生きる拠り所になるんじゃないか。
その後は、尋問にも似た時間が続いて、その言葉尻もだんだんきつくなる。
まだ質問を重ねようとした騎士さんを見兼ねたように制止したのは、団長さんだった。
騎士さんははっとした様に我に返った後、俯いて自分の足元を睨む様にして黙り込む。
それから普段の優雅さが嘘のように勢いよく立ち上がった。テーブルのカップが派手な音を立ててぶつかって絨毯に落ち、みるみる黒い染みが広がっていく。
咄嗟に見上げて目が合った長い前髪の奥の瞳に嫌悪が見えて――ああ、同じソファに座るのも嫌なのだ、と分かった。
ごめんなさい、そう喉まで出かかった言葉を、飲み込む。
あたしは彼に謝罪をしてはいけない。
「――あなたは私を騙していたのですね」
搾り出したような声はひどく掠れていた。
あたしは、はい、と、それだけ答える。だって返事はそれしかないから。
「あなたの言葉で救われた私を嘲笑っていたのですか」
微かに震える声に首を振る。
……笑っては、いなかった。
けれど、その重たい後悔や贖罪を騎士さんの立場になって深く考えなかったのは確かだ。
普段文章なんて書いてるくせに、彼に掛けるべき言葉は見つからなくて、ただ黙り込む。
騎士さんはそれを肯定だと判断したらしい。
がしゃん、と背後で何かが割れる派手な音がした。びくっと震えた肩。けれど掴みかかってくるかと思った騎士さんの気配は逆に遠ざかり、勢いよく扉が開く音。
どうやら出て行ったらしい。
……一発殴ってくれても良かったんだけどな。
振り向いて確認すると、どうやら割ったのは花瓶だったらしい。薙ぎ払ったのか壁まで水で濡れていて切花は、絨毯の上に散らばっていた。
……ごめんね。
ソファから立ち上がり、とりあえず花が先かな、と破片に触れないように一本ずつ拾い上げていく。きっとメイドさん達が片付けてくれるだろうけど、自分のせいで忙しい彼女達の手を煩わせるのも申し訳ない。
豪華で綺麗なたくさんの切花。新しい花瓶に戻せば元の美しさを取り戻すだろう。
でもあたしが触れた花なんて彼はもう見たくもないかもしれない。
「セリ」
ためらって止まった手の動きを狙っていた様に、背中に低い声が掛かった。
怒鳴られる事を覚悟してきたのに、やっぱり肩が震えた。
重なる拒絶が怖くて顔を上げられずに、無作法だと知りながら「……なんでしょうか」と小さく返事をした。
けれど、団長の口から出たのは怒声でも叱責でも無く、ただ静かな問い。
「どうして今、告白しようと思ったんだ」
怒りも悲しみも見つからない、元々あまり感情を出さないそういう話し方をする人だったけれど。
名前も知らない赤い花の花弁に視線を落として、あたしは口を開いた。
「先日、カラタ族の跡地に行ったんです」
「カラタ族の?」
どうやら知らなかったらしい。王弟絡みだからてっきり耳にしていると思っていたけど。
少し驚いたような響きを含んだ問いが続いた。
でも、……困ったな。
「――色々、思うところがあって、……このままじゃ駄目だって思ったんです。それにいつかはきっとバレちゃうのも分かってましたし……」
嫌だな。本当にあの場所で感じた事はたくさんあったのに、言葉に出来ない。
結局説明を諦めてあたしはそれだけ答えた。今、何を言ってもただの言い訳にしかならない気もしたから。
「もうその辺にしておけ」
花を拾いきりガラスの破片に手を伸ばそうとすると、気配なくいつの間にか真後ろに来ていた団長さんがあたしの手首を掴んで、押し留めた。
その筋張った大きな手はクマさんとよく似ていて、不意にあのくすんだ緑の外套が頭の端で翻った。
「セリ、俺は知っていた。いや、気付いていたと言うべきか」
「……え?」
思っても見なかった驚いて顔を上げる。
見上げた表情は――怒ってはいなかった。苦笑する手前のちょっと困った顔。彼がこんなに感情を表に出すのは珍しい。
「以前お前に土産だと渡した小物入れがあっただろう。……あれは、カラタ族の特産品だった」
「……あ、……え、そうだったんですか」
気に入って今も机の上に置いている小物入れを思い浮かべて、、ああ、と納得する。
どうりで懐かしい手触りだと思ったはずだ。だってあれ今思えばどう見ても竹じゃない。塗装されてるとは言え、どうして気付かなかったんだろう。
「俺は怒ってないし、騙されたとも思っていない。だからそんな顔するな」
ぽんぽんと不器用に頭を撫でてくれる団長。想像しなかった優しさに、張り詰めていた気持ちが緩んで視界まで巻き込んでしまう。
……嫌だな。最近本当に涙腺が弱い。
「クラウドの事は任せておけ。悪いようにはしない」
「……あの、あたしはいいんです。ただ翔太の事が気になってて、あの黙っているように言ったの、あたしなんです。だから」
「分かってる」
声が揺れるのは必死で我慢して言い募った言葉を遮り、団長さんは頷いてくれた。
一人でも許してくれて、翔太の事を頼めるならば心強い。
幾分肩の荷が下りた気がして、あ、と思い出す。騎士さんには言えなかったけれど。
あと一つ。
「あの、まだ一つ、言って無かった事があって」
「なんだ。もう全部言ってしまえ」
しゃがみこんだままそう続けると、さすがの団長さんも苦笑する。
その穏やかな表情に勇気を貰って、あたしは言葉を続ける。
「あの、あたし本当は二十四歳なんです」
そう言った後、長い沈黙が部屋を支配した。
「あの……俄かに信じがたいのですが」
「さっき以上に信じらんぞ」
ずっと黙っていた神官長までがそう言う。
二人とも驚きの表情で、カラタ族の事を話した時よりも疑う目なのは何故。……なんというかさすがアジア系童顔マジック。
「……そういえば証明出来るものないですね。でもそれも本当です」
今更ながらそんな事に気付いて溜息をつく。
クマさんにもバレる原因となった年相応の乳を見せるとかそんな痴女めいた事出来る訳も無いしな。
「……いや、今更そんな事で嘘をつく必要は無いだろうしな。……子ども扱いしていて悪かったな」
「いえ」
何となく年齢の事は疑いつつも、飲み込んでくれたらしい。
団長さんは手を差し出し、私がその手を掴むのを待った。躊躇いがちに花を掴んだ反対の手のひらを乗せるとをまるで貴族のお嬢様にするみたいに丁寧に手を握りこみ経たせてくれる。……意外に気障な仕草も似合う。
許してくれた、違う、今まで気付かないふりをしてくれていた団長さんに、心から感謝して、あたしはもう一度深く頭を下げた。
「騎士さんの事、本当にお願いします」
あたしの事はもう諦めてる。
だけどやっぱり、翔太の事は気になるし、これから現れる『日本人』の為にも。
「私が送りましょう」
顔を上げると、神官長さんと目が合った。
そう言われて、一瞬遠慮しようかと思ったけど、思えば神官長様は年齢の話をした時以外一切何も口にしていない。騎士さんのような拒絶も団長さんのようなj許諾も。
……神官長なんて立場だし、怒っていたとしても団長の前では文句とか言いにくいかもしれない。
あたしはそう考えて、「有難うございます」と、お屋敷の門まで送ってもらう事にした。
長い、静かな廊下。
窓の外から聞こえる小鳥の声と木漏れ日が綺麗。
会話が無いので静まり返った空気が気詰まりで呼吸すらままならなくなる。ほんの一時間前に通った同じ道なのに、少し先を行く神官長様が何を考えているのか分からないっていうだけで、永遠に続くような感覚がある。
ようやく建物を出た時には、広がった空気に自然と息を吐き出していた。
執事さんの案内を神官長様は断り、門まで二人で歩く。
……どうして何も言わないんだろう。
団長さんと一緒で、本当は神官長様も知ってたとか?
そう考えて何となくそれは無いと思った。彼の表情は団長と違って分かりやすい。騎士さんを通してカラタ族の伝記を頼まれた時も、心から憤ってくれていた。
そしてようやく、ほんの数メートル先に門の銀色が見えた場所で、神官長様は緩やかに足を止めた。
自然と空いてしまっていた距離に、あたしが追いつくのを待つ。
横に並ぶと、神官長様はあたしから遠くを見るように前方に視線を戻した。
「私はね、大神官様と一緒にカラタ族の跡地に慰霊の為に行った事があるのです。まだ――時間も置いていない時期でしたから酷い光景でした」
淡々とした声に、ふっと鼻の奥に黒く焦げた土の匂いが蘇る。
今いる周囲が綺麗に剪定された緑豊かな庭だから、余計にその対比を感じるのかもしれない。
「だから、まだ若いあなたがあの惨劇を見なかった事を幸いに思います」
そっと自然な仕草であたしの手を取り、それに自分の大きな手を重ねる。
緊張していたらしくあたしの手は冷たくて、神官長様の手は逆に温かい。むしろ熱いくらいだ。
見上げた、心からそう思っているその柔らかな表情には、怒りなんてどこにも見えなくて。
ああ、だからこの人は神に愛されるのだろう。
慈愛深き微笑みは迷い子を導く。
全く信じてなかった神様が、例えば人間の姿を取れば彼になるのだろうか。なんてらしくもない事を考えながら、あたしは神官長様を、多分初めて心から綺麗だと思った。その外見のみならず中身も。その地位に相応しく。
結局、団長さんも目の前のこの人も、馬鹿なあたしは多分、見誤っていたのだ。
「また近いうちに」
「はい」
これ以上一緒にいると、胸の中に渦巻く何かに押し負けてしまいそうだった。
あたしは自分でもどうなっているのかよく分からない表情を見られないように、深く、深く頭を下げると、そのままくるりと背中を向けて逃げるように駆け出した。




