クマ視点
『嫌です』
『残念ながら君に拒否権は無いよ』
ぎりっと鳴らした奥歯に気付いたのだろう。
場末の酒場の片隅。王弟は場違いな優雅さで微笑んだ。
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あの時殺されても嫌だと、そのまま逃げれば良かったのか。
目の前で錆びた箱を抱え込んで蹲るセリは小さくて、本当に、小さくて。
顔を見られたくないのか俯いてはいるがその肩は、小刻みに震えていて、俺は緩く笑う事しか出来なかった。
俺にしてみたら明後日な理屈で、自分を責める馬鹿なセリ。小賢しいくせに他人に気ぃ遣って冗談にする。どうしようもなく不安なのに、俺以上に『カラタ族』の跡地になんかに来たくもないくせに、明るく冗談にしてフザケてんだ。道中、ずっとそうだった。
俺と反比例した口数の多さは、そのままセリの動揺を誤魔化すためのもの。『何か』を考えないようにまくしたてるセリの表情はいつだって同じ冗談めいた顔をしている。だからわざと黙り込んで、辛気臭ぇ空気出してやったのに、泣き言一つ言いやしねぇし。
「クマさんはなんでそんな表情してるの」
不意にそう問いかけられて、はっと我に返る。
セリはいつのまにか顔を上げ、目元が赤い故に余計に際立つ真っ黒な瞳に俺を映していた。
――まぁ頃合だよな。
思えば奇妙な縁である。『カラタ族』になるかもしれなかったセリと、『カラタ族』を全滅させた王の血を引く俺が、今二人きりでその跡地にいる。
ああ、もしかしてこれが全てから逃げ出した罰か。
セリが言った以上、俺も告げるべきなのだろう。
まるで誂えられたような舞台で。
「俺も言わなきゃなんない事あるんだよ。それも最高にヤバイやつ。お前にこの場所で懺悔するのが一番正しいのかもな」
さっきも言った通り俺の中じゃ、『カラタ族』が生きていれば保護されていた可能性が高い。もし――セリがあの事件の前にこの世界に来ていたとしたら、恐らく彼女の命も炎の中に消えたのだろう。自然と眇めた目の奥で、緩く首を振ってリアルに思い浮かんだ映像をかき消した。
土で汚れたセリの頬を、まだ綺麗な手の甲の方で拭う。
拒否されない事にほっとしてすぐに寂しくなった。きっと全てを告白すれば、セリは俺を避けるか、今でさえ感じている壁を厚くするのだろう。
無意識にやっているのかと思っていたが、俺の名前を呼ばせようとした時の頑なさから察するにあれは敢えてそうしている。
セリは自分に好意を寄せてくる人間程、『名前』を呼ばない。団長だって騎士だって神官長だってマスターさえ、ただの役職で名前じゃない。まるで自分とは無関係な世界を俯瞰で見るようにして壁を作っている。この世界の人間と深入りしないよう避けているのだろう。……俺なんてあれだけ言っても『クマさん』だしな。不自然にも程がある。
切り出したくせに黙り込んだままの俺に、セリは訝しげに首を傾げた。
「クマさん?」
ごめんな。
黙ってて悪かった。許せ、なんて言わない。一生憎んでいい。
だから。もう自分の中だけで消化しようとして空笑いなんてするなよ。
憎いとか恨めしいとか、そんな強い感情を持ったら、お前はこの世界に根付くかもしれない。だから、泣いて責めろ俺を。お前ホントに頑張ったんだから、憎い敵役にだってなってやんよ。どうせ俺なんて散々恨みを買って死んだ事になってる人間なんだから、それくらい役に立ってやる。
一度深呼吸してから、膝をついたまま静かに告げた。
「俺な。リデイマの……カラタ族を滅ぼした王の息子なんだよ」
大陸一の愚王。好色王、悪辣王、醜い渾名ならいくらでもある。
どんなに勲等を重ねても、結局はそんな男の血を引く男なのだと連合国から派遣された兵士達に笑われていた事も知っている。その一人がそう言っているのを耳にした時は、血は水より薄いのだとソイツの目の前で笑っい飛ばしたが――今、コイツの目の前にいる事がこんなにも辛い。
「お前も知ってるだろう? 好色な王の落とし種である庶子が決起し、王を討ち取ったって言うやつ。それが俺だ」
親指で自分の胸を指す。大きく見開いたセリの真っ黒な瞳に俺の顔が映る。
微かに戦慄いた唇が、セリの大きな動揺を現していた。
「なんで、そんな人が……」
ここに、と続けた言葉は途中で掻き消えた。
どうやら全く予想していなかったらしい。
当たり前だ。セリに話そうなんて――いや、事情を知る人間を除いて誰にも言うつもりは無かった。時間を置いたセリの瞳は戸惑いと驚きに満ち、けれど嫌悪感はまだ見えない事に、小さく吐息が漏れた。
「でも俺は元傭兵で担ぎ出されただけで、王なんて器じゃない。連合国の傀儡になるのも目に見えてるしな。王位を捨てて国を捨ててここカリアバンの王弟殿下に協力して貰って、――お前と会ったあの森で熊になってほとぼり冷めるまで隠れてた。……お前の事カラタ族だってぱっと見て分かったから余計に言えなかった」
自然と淡々とした語り口調になった。少しでも感情を滲ませればセリが自分を責められなく気がして、あえて無表情を貫いた。
けれど一気に説明してしまったせいか、セリは不自然な格好で固まったままだ。
少し待つと、セリはぎゅっと握り締めていた入れ物から手を緩めた。
それから、「それが王弟殿下の借り、ですか」と、彼女らしいちょっと外した事を聞いていた。
戸惑ったまま頷く。
「……それはおっきな借りですねぇ」
じゃあ、パシらされても仕方ないかなぁ、そう一人ごちる。その表情はいつもの、あの、愛想の良い喰えない顔で。違う、そうじゃないだろう。
「他に言う事は無いのか?」
微かに苛立ちさえ感じて、言葉を重ねる。
俺の身体に流れる王への恨みやつらみ。俺はお前の、仇になるんじゃないのか。
セリはすぐには答えず、数秒置いてすくっと立ち上がった。
しゃがみこんでるせいで俺より目線が上になる。
長い瞼が伏せられて、それからセリは、ふっと息を吐き出した、――否、噴き出したのだ。
――?
一瞬、気でも触れたか、と不安になった。
捲し立てられた事実に頭がついていかなくなったか――不安になって無言のままセリの様子を伺えば、だんだん小さかった笑い声が大きくなる。
そしてとうとうお腹が痛い、とでもいう様にくの字に身体を曲げた。
その笑い声は、不思議なほど明るい。
戸惑い中腰になった俺の目の前。セリは少し屈むと指の長さくらいの位置にセリの小さな顔がきた。
「クマさんってさぁ……」
くくっと笑いを納めてそのままじっと俺を見る。
「自虐的な考え方、あたしにそっくりだね。とか行くつくトコ一緒すぎて笑った!」
ひとしきり笑って気が済んだのか、再び俺と目を合わせたセリはさっきとは真反対に酷く大人びた表情をした。初めて見る、苦笑い。セリは手にしていた缶を一旦床に置いた。
「責めて欲しかったんでしょう。ひどいって、どうしてって。責められた方が楽になるから」
幼子を諭すような言葉に、一瞬面食らってかっと身体が熱くなる。腹が立ったんじゃない。これは図星を突かれた痛さ。
「……クマさん、赤くなんないでよ。あたしも一緒だから。というかクマさんの告白まんま自分で、なんか恥ずかしくなっちゃったよ。まぁ重さは違うけどさ」
呻いた俺にセリは再び背筋を伸ばして笑う。
昨日からの騒がしいだけの空笑いじゃなくて、心からの笑顔。なんでだ。
「だからね。クマさんだってあたしの事責めなかったじゃない。だからあたしも責めないよ。あたし『カラタ族』じゃないし。でもさ、さっきのちょっと……違うな、めちゃくちゃ嬉しかった。引き継いでんじゃねぇのってやつ。自分じゃ絶対思いつかなかった。心が軽くなるようなそんな事言ってくれた人を鬼でも無いし責められないよ。んでお返し」
にっと笑って両手でがしっと肩を掴んでくる。男がやるような色気もへったくれもない乱暴な仕草。
「熊さんは仇を取ってくれたんだよね。『カラタ族』じゃなくてその予備軍だけど代表として――」
地面に置かれた銀の箱の表面に戸惑った俺の顔が映っている。
セリは肩に置いた手に力を込めて屈ませると俺の頭を抱え込んだ。視界の端に黒い髪。そして微かに少女らしい甘い匂いと詰めたような息遣い。肩にその小さな頭がこてんと乗せられた。
「ありがとう」
囁くようにそう言ったセリの言葉を心の中で反芻して、口元が歪む。
それを堪えるようにセリの背中を強くかき抱く。
時間が止まったように呼吸すら憚れた一瞬、けれど何か言おうと吐き出した言葉は呆れるほど陳腐だった。
「色んなヤツに感謝されたがな――お前に、礼言われたのが一番嬉しいかもしれん」
けれど、親子ほど年の離れたセリに慰められた照れ臭さがじわじわと込上げてきて我に返る。
……何やってんだ俺。どっちかっつぅと逆だろう。
その照れくささと少しの苛立ちから、背中から手を伸ばし形のいい丸い頭をくしゃくしゃとかき回してみた。
「わっ! 何するんですか!」
と、いつもの様子で騒ぎ出したセリの頭は、まるで鳥の巣のようだった。確かに俺の手は竹の子を採ったせいで泥だらけだった。確かにこれは酷い。
「うわぁっ、じゃりじゃりする!」
少し離れて頭を撫でそう叫んだセリの形相に、思い切り声を上げて笑うと、セリはぎろっと俺を睨み負けじと俺の懐に飛び込んできた。お、と思う間も無く、脇の辺りをくすぐり始める。
「ちょ、っやめろって!」
「戻るまでこのまんまじゃないですか! 信じられない!」
――そうして。
廃屋で二人でひとしきりぎゃあぎゃあ騒いだ後には、湿っぽい空気は綺麗さっぱり無くなっていた。
それから特に示し合わせた訳でも無く、お互いさっきの文句を呟きながら出来る範囲でその小屋の中を片付け始める。
キリの良い所で切り上げると、セリは一番最後に手にしていた銀の箱を、埃を落として綺麗にした棚の上にそっと置いた。
数少ない『同郷人』の遺品である。てっきり持って帰るのかと思ったが置いていくらしい。……何となくそれがセリらしい。
「さ、そろそろ帰るか」
既に頼まれた物は十分過ぎるほど袋に入っている。
俺の言葉に、セリは一旦動きを止めて、改めて部屋を見渡した。
何かしら思う所もあるのだろう。気を遣って先に出ようとすると、セリは慌てたように振り返った。
「ちょ、こんな暗いとこ一人にしないで下さいよ!」
いつもの様に軽い調子でそう言って俺の脇をすり抜けていたったセリの表情は、柔らかい。
「おい。転ぶなよ」
セリを追いかけて、薄暗い小屋から出た瞬間、外の眩しさに目を眇めて見上げた空。
その青さに吸い込まれるように、自分の中にずっと燻っていた『何か』が、昇華された気がした。




