その15、逃げてばかりでは前に進めません<3>
気持ちいいくらいの晴天。
長閑な田舎道を長閑ではない速度で走るのは葦毛の馬で、その上には厳つい顔をした大男と、困惑顔の年齢詐称少女が相乗りをしている。まぁつまりクマさんとあたしな訳ですが。
カラタ族の跡地は、あたしが住んでいる場所から馬で半日程度。その間に立ち寄れるような村は無いとの事でここに来て異世界初野宿である。むしろ大変だなぁ、なんて思う前に、ホントあたし恵まれてたよなぁ、と改めて自分の幸運に感謝してしまった。
ほら、異世界トリップのはじまりって森の中を何日も彷徨って……とか結構あるし。現代っ子かつインドア派なあたしなんて一日保たずに森の獣のご飯になってたはずだ。
一昨日去り際のクマさんのアドバイスで、太ももに布を巻いてズボンは二枚履き。食料や寝具についてもこちらで準備するから心配いらないとのいたれりつくせり。確かに素人すぎて、何をどこまで用意すればいいとか分からないし、素直に甘えてしまった。
ちなみに初の遠出だと言うのに、一時間もすればあまりに変わらない景色に飽きてしまった。
そして二時間過ぎたあたりで、内股が痛くなるという脆弱っぷり。
いち早くそれに気付いたクマさんが横抱きにして体勢を変えてくれたり、頻繁に休憩を挟んでくれて感謝する。やっぱりいいクマ……いや、人だ。
しかし気になるのが、そんな気遣いを見せてくれるクマさんの表情である。
いつもみたいに冗談言っても乗ってくれないし、暗い、と言うか……うん、その大柄な身体に纏う空気がもんのすごく重い、と言うか自称心友のあたしからすれば、かなりどんよりしてる。
話を持ってこられた時から気にはしてたけど、絶滅した一族の跡地にその生き残り(しかもまだうら若き女の子)を連れて行くなんて、罰ゲームに近いものがある。
情に厚そうなクマさんならなおさら嫌な仕事だろう。しかも依頼者が王弟とか拒否権無いし。あのドS王弟め。
……ちなみにあたしの方も気持ちよく出発したとは言えない状態であり、案の定翔太の説得に昨日丸一日を費やした。
何を言っても『僕もついていく!』の一点張り。間に院長が入ってくれてようやく諦めてくれたものの、お見送りしてくれる為に朝早く起きてきたくせに「いってらっしゃい」すら言ってくれないとか言うひねくれっぷり。いや、そういう所も可愛いんだけど!
さて冗談は置いて、まぁ、トリップなんてしてきた事情が事情だけに、一人で置いていかれるのは怖いんだと思う。『絶対帰ってくるよ』のモノ質としてあたしがここに来た時に履いていたぼろぼろのジーンズの切れ端を預けてきた。……こう、やっぱりね。翔太もそうなんだけど向こうの世界から身に着けてきたものって言うのはやっぱり異世界トリッパーからしたら、思い入れがあるし。だからその辺は安心して貰えたかな、と思う。
それをぎゅっと握り締めたままふくれっつらだった翔太の顔を思い出して溜息をつく。
再びクマさんの様子を伺って、ちょっと後悔した。
十分前と変わらない、厳しい顔。
……ぶっちゃけ、顔見知りなら団長さんや神官長様は忙しいから省くとして、お母さんがカラタ族だっていう騎士さんでも良かっただろうに。
借りがあったとしても、生き残りっていうだけのカラタ族の少女を跡地につれていく、とかどう考えても百戦錬磨らしきクマさんの仕事では無い。どうしてクマさんが頼まれたの? と一昨日の帰りに聞けば、王弟とはひょんな事から知り合った、との玉虫色の回答である。ぶっちゃけ森でクマの姿でいたのと関係してるんじゃないかと思うけど、ここを突っ込んでやぶ蛇になっても困る、んだけど聞きたい気持ちと正直半々だ。……揺れているのは乙女心じゃなくて好奇心ですが。
そんな状態であたしとクマさんのおしゃべりは弾む事なく、馬の上では舌を噛むからずっとだんまりで、休憩中も最低最低限の会話のみ。なにこの倦怠期の夫婦みたいなの。なんかカラタ族の跡地に近づくに連れ、クマさんの顔がますます強張ってきてるのも気のせいじゃないと思う……。
そして体力的にもう限界かな、という頃、クマさんはようやく馬の足を止めてくれた。
本日の野宿ポイントは街道から少し離れた場所らしい。
カラタ族の跡地まではあともう少しらしいけど、目的はたけのこの採取だからね。夜に行っても見えなきゃ意味が無いのだ。
明日朝一で訪ねてたけのこを掘り、その足で帰る予定である。あたしにしたら結構な強行軍なんだけども、クマさんは平気ですかそうですよねー。
「えーっと、盗賊さんとか大丈夫ですか?」
茂みを掻き分けて入った森の中、鬱蒼と茂った木のせいで薄暗い森の中をきょろきょろ見渡す。
「カラタ族の土地に行く為だけの道だからな。カリアバンの商人が街道の整地を進めてたからこの辺りはキレイなもんだけど、旅人も通らないし野盗も人がいない以上は出ねぇ。しかもカラタ族の亡霊が出るなんて嫌な噂まであるらしいしな、そんなトコに誰もこねぇよ」
「……」
最後! 最後なんかえらく物騒な単語を聞きましたが!
クマさん的には安心させる為に言ったのだろう、余計な一言に鳥肌が立つ。
固まったあたしの表情に、すぐにクマさんも失言だと気付いたらしく、あー……と首の後ろを掻いて、ぽん、と手を打った。
「安心しろ。俺にもお前にも王弟殿下の加護がある」
「……そ、そうですよね」
……こういう時は心強い王弟! うん、ほんとにそういう意味での安全性は高そうだ。なんか 怨霊も変態とは関わり合いになりたくないだろうし、ホラ、あのヒトそういうものを超越した存在っぽいし。
「まぁ俺もそこらの野盗には負けん。……それに呪われるとしたら俺だ」
そう言って笑ってみせたクマさんの笑顔が、妙に自嘲気味に思えて、どうかしたんですか、と、口を開きかけた――だけど。
「ほら、暗くなる前に枯れ木拾え」
そう追いたてられて、聞くタイミングを逃してしまった。
……うーん……。
あたしが思っている以上に、カラタ族の跡地を訪ねるのものすごく嫌とか?
なんだかしっくりいかないまま、枯れ木を拾っている間に、あっという間に日は沈んでいった。
ほのかに明るかった周囲は、数メートル先も見えないほどの闇に包まれる。
クマさんが起こしてくれた火に吸い寄せられるように近づいて、別に寒い訳じゃないけど何となく両手のひらを前に突き出して、しゃがみこむ。
……いてて……
やっぱり地面が固くて、揺られたお尻がかなり辛い。
でも柔らかそうな草が生えてる所とか座ろうものなら、虫が足元から這い上がってくるのだ。だからどんなに痛くてもこうした乾いた地面に座るしかないんだよね。湿って服が濡れても困るし。
不思議と鳥も獣の声も無い。
火の粉がぱちりと爆ぜる音に、びくっと肩が震えた。
焚き火の明かりが届く範囲っていうのは意外に狭い。
クマさんの真正面。こう、大体コレくらいだよな、っていうとこに腰下ろしたんだけど、振り返った自分の背中の下の方が見えないくらいの暗さ。
……孤児院ってなんだかんだと小さい子供が多いから、外も廊下も最低限の明かりはついてたんだよね。ああ、やばい。怖すぎてぞわぞわする。
「ク、クマさんクマさん、変な事しませんから、ちょっとそっちに行ってもいいですか」
渡された毛布を頭からしっかり被って、おそるおそる尋ねてみれば、クマさんは呆れた様な三白眼で、あたしを睨んだ。
「お前それ俺のセリフだろうが」
唇を歪ませてそうぼやく。クマさんは顎をしゃくって自分の左側を指した。
……それは来てもいいって事ですね。いやぁほんと、すみませんねぇ。
這うように近づき、あたしはクマさんと肩が触れる距離に並ぶ。
やっぱり人の気配一つ、近くにあるだけで安心する。それに、子供と男の人ってなんかあったかいよね。だけど、出来うるならば。
「あのクマさん。ここでクマさんに変身とか出来ませんか」
クマ姿なら野盗対策ばっちりだしあったかいし。なによりハ○ングの香りにもっふもふ……!
毛布越しに両手を組んで、ぶりっこでお願いポーズをしてみる。けど、上目遣いはやっぱり可愛い女の子限定らしい。瞬殺。ばしっと軽く頭をはたかれた。ええー! ここは恋愛フラグが立つところじゃないんですかー! いや実際立ったら困るけど、ノリとかお約束あるじゃないか!
「出来るか馬鹿。もう知らん。向こう行け」
「ごめんなさい反省してます申し訳ありませんでした!」
いやほんとに離れると怖いから!
嫌な顔でしっしと手を振られて、コンマ五秒で謝る。
私がわるぅございました!
心からの謝罪が通じたのか、クマさんは今日一日で何十回目かっていうか位の、大きな溜息をついて、ちょいちょいっと肩のあたりを突っついてきた。
「ちゃんと毛布被れ」
冷えると思ったらどうやら肩からずり落ちていたらしい。
手間取っていたら、伸びてきた長い手が器用に動き始めて、あれやこれやと言う間に蓑虫状態に巻かれてしまった。
……あの、これ、手も出ませんが。
「ほら、さっさと寝ろ」
そのままごろんと転がされて、じたばたする。
ま、枕が欲しい。膝枕して、とかさすがに甘えたら蓑虫状態のままその辺の川に放り込まれそうだ。毛布を淹れていた袋を見つけて這いずって移動し、頭を乗せる。
お、いい感じ。
そうして微かに聞こえ始めた夜の鳥の声に耳を澄ませて――意外に神経が太かったらしい。
目の前には胡坐を組んで、何かちびちび飲んでいるクマさん。
その表情は角度で見えないけど、すぐ目の前に、あのくすんだ緑色の外套の裾が地面に広がっている。今日一日中くっついていたせいか、慣れた土とお日様と草、それからやっぱりちょびっと柔軟剤の匂いが近くて安心したせいか、とろりとした眠気があたしの身体を包み込む。
「……って……なよ」
眠りの入り口で聞いた声が少し泣きそうに聞こえたのは気のせいだったのだろうか。
とりあえず反射的に「大丈夫っスよー……」と目を瞑ったまま体育会系のノリで答えると、大きな手があたしの頬を撫でた。どうやら正解だったらしい。今日はあたしクマさん怒らせてばっかりだったからね。
どうか明日、クマさんが笑っていますように。
そう思いながら、あたしはそのまま素直に眠気に身を任せた。
* * *
もぞもぞした虫みたいなものが足を横断してる気持ち悪い感触に飛び上がった。その途端。
「……っくび、いったぁあああ」
やばい。完璧に寝違えた……!
首を押さえてそのまま蹲る。足元には何だかよく分からない蟻のでっかい感じのヤツ……ってうわぁあああ!
「……外、だった」
ぽつりと呟いて、はぁ……と溜息をつく。
見慣れれば平気。膝まで登っていた蟻もどきをぱぱっと払って立ち上がる。
改めれば首以外の場所もものすごく痛い。地面で寝たせいもあるけど、筋肉痛はやっぱり乗馬のせいだろう。今日もこのまま帰るらしいし、孤児院に戻ったらあたしベッドから出られないなかもしれない。
手足を伸ばして慎重に首を左右に傾けて慣らしていると、クマさんが、茂みの向こうからのっそりと顔を出した。やぁ……物凄く似合いますね、そういう登場の仕方。
焚き火には何か鍋のようなものが掛かっていて、そう言えば火の番……とか、今更な事を思った。いやもうほんとすみません。完全に頭から抜けてました。火の番は交代するのがセオリーだろうに、これもゆとり世代の弊害……! 嘘です。ただの気の利かない人間でした。クマさんも疲れてるのにごめんなさい。
今更ながら謝ると、クマさんは、「最初から期待してねぇ」と嫌味じゃない口調で返してきた。むしろそっちの全くアテにしてない感じのが辛い……! だけどクマさんが寝て一人で起きてるとかその状況ってそれはそれで怖い。獣とか怨霊とか襲ってきても対処できる自信ないしな! クマさんを起こす前にあたしが失神する、間違いない。
「よく眠れたようで良かったよ。馬に水やりに川行くから、ついでに顔洗え」
そう言われて慌てて顔を背ける。
よだれとか寝癖とかついてないよね。さすがに年頃の乙女としては大問題だ。枕元に置いてあった自分のリュックを持って手ぬぐいを取り出し、「行くぞ」と背中を見せたクマさんの後を慌てて追う。馬を引いた後ろ姿を見てると、なんだか映画のワンシーンみたいな気がする。
「お前、もうちょとこっち来いよ」
ちょこちょこ後を着いて行くと、しばらくしてクマさんが少し振り返った。
「なんですか、寂しいんですか」
今歩いているのは獣道、だけどそれにしては広いスペースが確保されている。
ちょっと駆け足で隣に並んで尋ねてみれば、クマさんは「なんか着いて来てるか不安になんだよ」と渋い横顔で答えてくれた。
いやクマさんくらいなら足音とか気配で分かるだろうに。やっぱりなんか可愛いクマさん……いや人だね!
「おー綺麗な水ー!」
昨日はクマさんが水を運んできてくれたので、川には来ていなかったので初見、いや初体験と言うべきか。
朝陽を反射してきらきら光る水面に駆け出す、けどクマさんからの静止はない。多分安全かどうかとか既に確認済みなのだろう。
水面に映る緑の揺らめき。
ひととおりその景色を楽しんで口を漱いで、ばしゃばしゃと顔を洗う。
濡れた前髪をかきあげたついでに見上げた空の澄んだ青さ。土と草の匂いに包まれて、なんだかキャンプにでも来たみたい、なんてひどく呑気な事を思った。昨日からそうだ。妙に現実感が薄いというか、他人事、と言い切っちゃうのはちょっと違うんだけど。
クマさんお手製のスープに固いパンを浸して軽く朝食。
さすがに申し訳ないので食器は洗わせてもらった。その間にクマさんはしっかり火の後始末をして、既に広げていた荷物も馬の背に積んでいた。相変わらず無駄の無い動きです。
「もう、すぐそこだ」
そう言ったきり、クマさんはカラタ族の跡地に着くまで一言も話さなかった。




