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    クマ視点


 慌ただしく出て行ったセリを見送り、椅子にもたれかかる。

 自然と吐き出された溜息に、柄にもなく緊張していたのだと気付いて苦笑した。


 セリはああ言ったが、声が似てる位ならもう少し様子を見るものである。ましてや以前と全く違う姿で、明らかに人好きのする風体でも無い強面な男なら特に。


 ……やっぱセリはセリだな。

 さっきまで交わしていた気負いの無い会話を思い出して、笑みが深くなる――が、近付いてくるマスターの気配に気付いて頬を引き締めた。親子ほど年の離れた子供と別れた後に、一人でニヤニヤしてるとか不審者以外の何者でもない。


「お代わりどうですか」


 客商売の愛想の良さに、微かな警戒を滲ませて尋ねて来たマスター。顔を見れば若さゆえか声音以上に不信感が現れていた。


 確かに、傭兵崩れの俺と俺の胸程しかない少女との関係は気になるだろう。知り合いならば尚更である。


「ああ、じゃあ一杯。それと何か適当に詰まめるモンくれるか」


 物言いた気に閉じたり開いたりする口に気付かないふりをして注文する。

 何しろ彼女のお勧めである。本当はさっきセリから譲って貰ったケーキをもう一つ貰いたいが、マスターはともかく、これから会う男にケーキなんて食べている所を見られたら面白がられて、えげつないからかわれ方をされるに違いない。


 頬杖をついて、グラスを回収するマスターをちらりと盗み見る。


 水商売特有の据えた雰囲気は無く、顔立ちもそれなりに整っている。眼鏡のせいかやや神経質な感じはあるが、真昼の太陽の下で見れば爽やかと称されるかもしれない。


 ――確かセリに相談された『好意を向けられて困っている』男の一人、だったはずだ。


 窺う様な少しの沈黙のあと――。


「……少々お待ち下さい」


 結局、今は引く事にしたらしい。

 マスターは、テーブルの上の食器をトレイに載せて、カウンターに戻っていった。酒場と言うよりも、どこかの食堂の様である。セリが働いていると聞いた時は、こんなぽやんとした奴で大丈夫か、と心配していたが、マスターも店の雰囲気も大丈夫そうでほっとした。


『クマさんに次ぐ常識人です。ツンデレですけどね!』


 彼女らしい力の抜ける評価を思い出しつつも、自然と目の前の男の観察する目になってしまうのは仕方の無い事だろう。だがしかし、本人もまさか自分の様な男にセリが恋愛相談を持ち掛けてるとは思うまい。

 でもまぁ、酒場なんて水商売だしな。安定してる職業か否かと言えば明らかに後者だ。平民で常識人、実はセリの相手として一番確率が高いじゃないかと思っている相手だが、完全な平穏を求めるのならば賛成はしかねる相手である。


「……あ?」


 そこまで考えて思わず呟く。

 何だコレ。まるで娘の交際相手を値踏みする過保護な父親じゃねぇか。


 引きつった頬を擦る様に撫でたその時、からん、とベルの音が鳴った。


「いらっ……」


 絶句した様に途中で切れたマスターの声に、ある種の予感を感じて首を回す。

 予想した通り入って来たのは、銀髪の月の男神――なんて実体を知らない故郷の人間が言っていた王弟殿下。相変わらず無駄な美形である。


 目立たない外套を身に付けているが、既に纏うオーラが明らかに一般人では無い。しかし、だ。


「やぁこんにちは。少し久しぶりだね」


 にこやかに片手を上げて気さくに挨拶した相手は、何故か俺ではなくマスターだった。

 まさか知り合いか、とマスターを窺えば、酒瓶を手にしたままカウンターの中で固まっている。

 そんな彼の顔は、今にも倒れそうに真っ青だった。


「……」

 ……間違いなく彼の正体も本性も知っている反応である。

 何だかんだと王弟である以上一般庶民と関わり合いになる事なんて無い筈だ。それなのに顔見知りだなんて、ツイていないにも程がある。


 まぁ自分もそれに含まれるがな、と自嘲気味に笑って、マスターが倒れる前にと俺は重い腰を持ち上げた。


「あー……殿下、こんな一般人にまで何したんですか」


 首を掻きながらそう声を掛けると、王弟殿下はとっくに俺がいる事には気付いていたらしい。驚いた様子もなく綺麗に微笑んで俺へと視線を流した。


「嫌だなぁ。そんな期待させる様な事なんてまだしてないよ」

「『まだ』!?」


 王弟殿下の言葉に、ようやく我に返ったらしい。できる限りの距離を置きたいとでも言うように、べたっと背中の食器棚に張り付きじりじりと店の奥へ逃げようとするマスター。


 ……まだ何もしてないならこんな反応にはならない。

 そう心の中だけで突っ込んで、今にも倒れそうな顔色のマスターに溜息をつき、王弟殿下に自分が座っていた奥の席を勧めた。


 意外にあっさりと俺の後ろに続いた王弟殿下は、少しくたびれた椅子にも臆する事なく腰を下ろした。そして興味深そうにきょろきょろと酒場の中を見渡した。


「いい店だねぇ、一度来てみたかったんだ」


 なんて満足そうに呟いた王弟殿下に、常連になんてなってやるなよ、と心から祈ってやる。

 セリがここで働いている事は、実は街に来てすぐに調べていたので分かっていた。

 だからこそ王弟殿下がこの店を指名して来た時は、かなり動揺した。店を変えてくれるように頼もうとも思ったが、そうなれば逆に理由を突っ込まれるだろう。まさか一般庶民には危害を加えることは無いだろうと、そのまま黙っていたのだが――。


 マスターと知り合いなら……セリとも顔をあわせた事があるかもしれない。ましてやセリは黒髪のカラタ族故に目立つ。そしてそんな変わった人物を王弟殿下が見逃すとは思えなかった。


 またあいつは妙な人間と……。

 付き合う相手は選べ、と次に会ったら説教するべきだろうう。


 そうしっかり心に刻んで、俺は仕切り直すように王弟殿下と向かい合った。


「で、今度は何ですか」


 森を出てから俺はいわゆる王弟殿下の使いっぱしりで生計を立てている。

 王弟殿下には匿って貰った恩もあるが、とにかく今は現金が必要だった。

 何しろ王城から着のみ着のままで無一文。勿論昔の知り合いに頼めばそれなりに都合をつけてくれるだろうが、これ以上迷惑を掛ける事は憚られるし、何より追っ手が未だマークしている可能性もある。


 しばらくはこの街を拠点にするつもりだし、宿代も馬鹿にならないので家も借りねばならない。そうなるとある程度纏まった金が必要なのだ。


「簡単な仕事だよ。しかも可愛いクマの女の子もつけちゃおう」

「――は?」


 なぜクマ。


 またか! この前のネタまだ引っ張る気か!

 心の中で舌打ちする。森の中で戻るのを躊躇った俺に、殿下が吐いた暴言は俺の心に結構な衝撃と傷を残した。ちなみにあの時の冊子は夜露に晒されインクが滲んで読めなくなってしまった。まさか王弟殿下にもう一冊なんて催促も出来る訳もなく泣く泣く諦めた。


 しかし、だ。


「殿下。もういい加減にして下さい。俺は至って」


 こめかみに青筋が浮いてるのを自覚しながらも、今日こそ訂正せねば、と反論する。

 しかし、その言葉を遮り面白そうな笑顔で続けられた言葉に――俺は今度こそ、絶句した。


「セリと一緒にカラタ族の跡地を訪ねて欲しいんだ」





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