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その14、口は禍の元になることもあります


 何度か団長さん達との話し合いを経て、保護されてちょうど三ヶ月経った日に、翔太は孤児院へと住まいを移す事になった。


 結論から言うと、翔太はあたしが思っていたよりも早く孤児院に馴染んだ。何となく神経質な所があったから集団生活大丈夫かな、なんて心配していたけれど、そこはやっぱり子供故の柔軟さと言うか。持ち前の要領の良さを発揮し、今や男の子のまとめ役の一人である。子供達に『サッカー』を教えようと奮闘している様子なんて見ていて微笑ましいものがある。


 けれどやっぱり時々母親の事を思い出して泣く事もあって。

 そんな日は一緒のベッドで眠って元の世界のゲームやアニメの話、美味しかったお菓子とかとりとめの無い話をして夜を明かした。


 まだ小さな身体を抱きしめながらつらつらと考える。

 来年あたしは孤児院から出て行く事になるけど、翔太はやっぱりここにいた方がいいかもしれない。

 考えてみればあたしが出て行くと同時に翔太も出て行かなくても、彼が十六になった時に一緒に暮らしてもいいんだよね。


 そう考えて改めて翔太に話してみれば、珍しく「家族なんだから絶対に着いていく!」と怒った様に言い張られて、ちょっと困ってしまった。だけど家族だって言ってくれた事がやっぱり嬉しくて、ついつい流されるままに「分かった」って言っちゃったんだよね。果たしてそれが正解なのかまだ分からないけど。まだもう少し時間があるから、そっちはちょっと保留してとりあえず家探しを始める予定。


 赤い屋根の白いおうち……なんて夢がある訳じゃないけど、一緒に暮らさなくても時々は遊びに来てくれるだろうし、翔太の部屋も作りたい。じゃあやっぱりそこそこ広い家がいいよね。もしかしたらまた誰かがトリップしてくる可能性もあるし。それに治安もある程度良い所じゃないと不安だし。……これはやっぱり今から調べといた方がいいかな?



 と、言う訳で。



「マスター、マスター。お願いがあるんですけど」


 仕込みも終わって後はお客様が来るのを待つばかりってタイミングを見計らい、マスターに相談する事にした。


 酒場はすっかりガサ入れ前の活気を取り戻しており、作家業を再開してからは、店の奥を借りてそこで原稿を執筆している。そのお礼と孤児院のカモフラージュとして、時々こうしてお店の開店準備を手伝っているのだ。


「なんだ?」

「大したことじゃないんですよ。少し前に、このお店を世話して貰った仲介人紹介してくれるって言ったじゃないですか」


 あたしの言葉にグラスを磨いていたマスターは、少し考える様に一旦手を止め首をかしげた後、ああ、と頷いた。


「本気で家買うのか? まだ孤児院出てくまで時間あるだろ」


 あたしの公式年齢は十五歳。成人は十六で、基本的に孤児院を出て行かなければならないのだ。


「ちょっと早めに決めときたいなぁ、と思いまして」


 前にマスターに、賃貸ではなくきちんとした持ち家に住みたいと話した事がある。将来計画はきちっと立てなきゃ安心出来ないタイプです! そう言えば、マスターはちょっと考える様に眉をひそめた。


「ショウタも一緒に連れて行くんだろ。まぁ金は結構溜め込んでるみたしだし当面は大丈夫だと思うが」


 翔太がこの酒場によく顔を出すので、マスターには既に彼の事を『同じ一族だ』と説明している。……まぁ大きな意味で間違ってはいない。


「大丈夫ですよ。小説もいい感じで売れてるし。翔太と一緒に暮らすかどうかは今はちょっと分かんないですけどね」

「いや、アイツは喜んでついていくだろう」


 間髪入れずにマスターはそう突っ込み鼻を鳴らした。そう、マスターと翔太はあんまり仲が良くなかったりする。

 やっぱりただ一人の同郷人って事もあり、母親を重ねているのか、あたしに近付く男の人を牽制しまくる翔太。

 わりとイイ性格をしているようで、その可愛いらしい見た目を生かして要領よく立ち振る舞う小悪魔タイプだ。毒舌だけど言い過ぎってとこまではいかないから見逃してはいるけど、まぁそれを本気に取っちゃうのがマスターのマスターたる由縁。


「ええ、まぁ」


 でも、まぁ子供は気まぐれだし、一緒に暮らしたいって言うのは結局あたしの我が儘だし。


「何かあったらちゃんと相談しろよ。明日にでも仕入れのついでに、ソイツの家行ってみるわ」

「あ、来年の話しだし、急ぎじゃないんでいつでもいいですよ」


 でも、お願いしますね、とお家の話はそこで切り上げて、時計を見上げると、マスターも釣られる様に顔を上げた。


「そういや今日もショウタ来んのか」

「はい。先生の所のお手伝いも夕方までだから早く帰るって。やー翔太なかなか見所あるらしくて」

「どこの親馬鹿だ」


 自然と我が子を誉める口調になっていたらしい。マスターは呆れた様な目であたしを見て溜息をついた。

 いや、でも自慢してもいいはず。

 翔太は孤児院に来て早々、医者を目指したいと言って来たのだ。

『サッカー選手にもなりたかったけど、お医者様にもなりたかったんだ』

 はにかむような笑顔でそう言った翔太。って言うか何この子立派過ぎる……!


 お金目的でエロ書いてる自分がなんだかミジンコみたいに見えた! やーうん、もうなんか申し訳無いね!

 それでまぁそれを聞いた団長が、騎士団のお抱えのお医者さんに頼んで翔太を弟子入りさせてくれたのだ。助手がてら週に三回手伝いに行っていて、きちんとお給料を貰ってくる。


 これ家を買う時の足しにして、なんてあたしに差し出す超イイ子だ。もちろんそのままツボ貯金。翔太が独立する時、持たせてやりたいからね。あれ、なんかあたしイイお母さんっぽくない?


「あはは。まだ分かんないですけど。じゃマスター宜しくお願いしますね」

 おぅ、と片手を上げて了承したマスターが壁に黒板を建て替えたと同時に、からん、と扉のベルが鳴った。


「いらっしゃいませー」


 反射的に口にして振り向き、一瞬だけ固まる。

 くすんだ緑色の外套に、よく日に焼けた黒い肌。精悍な顔立ちで無造作な無精髭がまた男のワイルドさをいい意味で強調してるけど、ちょっとだけ垂れた目尻が近寄りがたさを和らげていた。しかしデカイ。団長さんとは別の意味で何となく一般人じゃない雰囲気を醸し出している。ここ最近入り浸ってるから分かる。多分初めて見るお客さんだ。


「お好きな席にどうぞ」


 マスターは特に気にした様子も無くそう言った後、カウンターの影であたしを小突いた。

『傭兵だろ。気が荒い奴が多いからあんまりジロジロ見んなよ』

 忠告する様に小さな声で耳打ちする。ああ、はい、君子危うきに近寄らずですね。


「何にしますか」


 カウンターに座った傭兵さんからあたしがそれとなく距離を置いた所で、マスターがそう尋ねる。すぐにその見た目にぴったりの結構強いお酒の名前が男の口から告げられ――


「え」

 思わずそんな声が漏れた。

 ……あれ? このひっくい、掠れたオッサン声。


 カウンター越しにそのワイルドなお兄さんの顔をまじまじ見る。おい、とマスターの引きつった顔が視界の端に映ったけど、それよりも気になる事があった。

同じ様にあたしを見つめ返すお兄さん。眉尻を落とし微かに唇の端を引き上げる。困った様に笑う表情に重なったのは、ちょっと猫背のあたしの心の友。


「……マさんですか?」


 しん、と静まり返る酒場。


 数秒間の沈黙の後、お兄さんはくしゃっとそのワイルディな顔を崩して子供みたいに笑った。


「よく分かったな」


 肯定する返事に、思わず、うわぁああ、と歓声を上げてしまった。

 

「っやっぱりそうですよね! 人型……いやいや、えーと本当に街に来れるのか心配してたんですよ」


 何となくクマさん姿の事は言わない方が良いんだろうな、と思う。


「そりゃ心配どーも。この通り無事だ」


 お前は相変わらずだな、と、カウンターに肘を乗せてニヒルに笑う。こうして見ればワイルドなイケメンだ。もっとオッサンだと思ってて申し訳無い。年齢で言うなら三十半ばは……いって無い感じだろうか。


「……知り合いか?」


 クマさんに注文された酒瓶を掴んだまま固まっていたマスターが、驚いた様にあたしに視線を向けた。


「あー……はい」


 まぁ確かにこんな人とあたしなんて共通点なんて無いもんね。マスターを安心させるように頷いて、エプロンを取った。


「マスター。お茶とケーキ勝手に淹れて持っていきますんで、お金ここに置いときます。ク……じゃなくてお兄さん、あっちのテーブル行きましょう」


 元々仕込みだけ手伝ったら帰るつもりだったので問題無いだろう。ケーキは、メイド喫茶の時のケーキがかなり好評で、娼婦さん達のリクエストで置いているのだ。そして何となく作っているマスター自身も楽しそうなので、もさいおっさんばかりの酒場に甘い匂いが立ち込めてる微妙さは敢えて指摘していない。


 慣れたカウンター内の棚から、トレイにマスター手作りのケーキとあたしが持ち込んだ紅茶と、さっきクマさんが注文したお酒を乗せて、カウンターから一番離れたテーブル席へ。


 うん、クマが喋るなんて有り得ないってマスターも言ってたし、クマさんにも事情はあるだろうしね。もちろんあたしも言わずもがな。色々クマさんには相談に乗って貰っているのでマスターの耳に入るのは困る。


 テーブルに飲み物とケーキを置いて向かい合わせに腰を落ち着けると、クマさんはグラスを持ち上げ唇を濡らす程度に口に含んだ。ややあってから。


「なんで俺だって分かった?」

「いや、だって声は一緒ですもん」

「にしたって普通もっと驚くだろう」


「わーびっくり」

「締めるぞ馬鹿」


 グラスを持ったままそう凄んだクマさんだけど、目はやんわりと笑ったまま。

 うん、こーいうやりとりも久しぶりだよね!


 聞く所に寄るとクマさんは一ヶ月前からこの街に来てたものの、仕事でまた少し離れて昨日戻って来たらしい。しばらくはゆっくり出来るという事で、酒場まで顔を見せに来てくれたそうだ。

 マスターの心配そうな視線を背中に受けながら、心の中で謝って自分の分の紅茶を入れる。

 良かったどうぞ、とケーキのお皿を真ん中に移動させた。 


「マスターのケーキ美味しいんですよ」


 はちみつ大好き、かどうかは知らないけど甘党なクマさん。

「いいのか」と戸惑いがちに太い首を傾げたその表情が微妙に嬉しそう。クマ姿じゃないけどやっぱり甘味好きらしい。


 でもこの見た目じゃケーキなんて食べそうなイメージ無いもんね。

 あたしが座っている位置はカウンターから見えないから、普段なら恥ずかしくても今なら口に出来るだろう。


 一旦グラスを置いて、添えた小さなフォークで豪快にケーキを切り崩し、クマさんは三口で平らげる。

 綺麗にお皿を空っぽにしたクマさんは、うまかった、と律儀にあたしにお礼を言って、締める様に自分のグラスを煽った。


 お前は元気だったか、と聞かれ、近況を語ろうとして、そうだ、と思いつく。

 うん、これはぜひ言っておかなくては!



「あたし、家族が出来たんです」


 目を丸くした一瞬後、ごほっと勢いよくお酒を吹いたクマさん。


「ちょっ大丈夫ですか!」


 屈んで口を抑えて未だに咽せるクマさんの背中に手を回して撫でる。しばらくそうしてようやく落ち着いたらしく、クマさんは眉間に皺を寄せて改めてあたしを凝視した。


「……家族?」

「はい、最近保護されたカラタ族の男の子と、来年から一緒に暮らそうと思って――」

「セリー!」


 噂をすればなんとやら。あたしの言葉を遮ったのは、ドアベルと甲高い子供の声。


「あ、おかえり。今日は早かったね」


 クマさんの影になるので、一旦立ち上がって手を振る。


「クマさん紹介します。この子がさっき言ってた一緒に暮らす予定のショウタです」


 駆け寄ってきたショウタを横にそう紹介する。クマさんは、パチパチと忙しなくまばたきを繰り返していたけど、上から下までショウタを見下ろして、ぐたっとテーブルに突っ伏した。


「……なんだ、そうか」


 ぼそりと呟いた言葉を拾って、「ん?」と、ちょっと自分の発言を振り返る。

 ……もしかして赤ちゃんが出来たとでも思われたのだろうか。ああ、でも確かにそういう言い方するよね。


「すみません、ややこしい事言って」


 いやいい――と、ちょっと疲れた様にひらひらと手を振ったクマさんに、それまで黙ってクマさんをあたしを交互に見ていた翔太が、口を開いた。


「おじさん誰」

「おっ……」


 おぉう毒舌。どうやら翔太はクマさんを敵認定したらしい。

 微妙な年頃だったらしいクマさんは、ちょっと固まった後、「そうだよな……」と乾いた笑いを浮かべている。ここはあたしがフォローを入れるべきか。


「こら、おじさんじゃなくて、えーっと、……でっかいっていう意味でクマさんでいいですか」

「いい訳ないだろう。……レオって呼べ」


 レオ――クマさんなのに獅子って……!


 吹き出すのを堪えていたら、何やら不穏な空気を纏ったクマさんがあたしを睨んだ。


「なんだよ」

「やー……覚えやすくて良かったなぁって」

 自然と視線が泳ぐ。そんなあたしに助け舟を出したのは親孝行な翔太だった。 


「セリ早く帰ろ? 早く行かなきゃお店しまっちゃうよ。シスター待ってるよ」


 あ、そうだ。今日はシスターに買い出し頼まれてた。

 ちょうど市場は店じまいの時間で、日保ちしない商品はかなりお安くゲットできるのだ。


「うん。……クマさん、せっかく来て貰ったのにすみません。暫くこの街にいるんですか?」

「しばらくここの裏の宿に泊まってる。これの礼になんかうまいもん奢ってやるよ。訪ねて来い」


 ケーキが乗っていたお皿を顎で指したクマさん。

 ちょっと名残惜しい気がしていたので、その申し出は素直に嬉しい。


「はい! あ、クマさんはまだしばらくいますよね?」

「ここで人と待ち合わせしてるからな」

「じゃあ、お腹空いてたらその人と一緒に軽食も頼んで下さいね。ケーキだけじゃなく、マスター料理も上手いですから」


 翔太に腕を引っ張られながらそう言うと、クマさんは商売上手だな、と笑った。


「ああ、そうする」

「はい! じゃあまた! マスターもお疲れ様でしたっ」


 慌ただしく挨拶して酒場を出た後は翔太と一緒にダッシュで市場へ。思いがけない再会に驚いたものの、やっぱり友人が訪ねて来てくれるのは嬉しい。


 今頃訪ねる時のお土産はホールのケーキにしよう。

 なんて思いながら走り出したあたしは、そんなクマさんの待ち合わせ相手が、――まさかあの王弟殿下だなんて夢にも思わなかった。








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