その13、困ってる人がいれば助けましょう<前編>
シリアスパート
「そういえば、あの方々最近来ないわねぇ」
ぱんっと勢いよく服の皺を伸ばして、手早く洗濯物を干していくシスターと、こっそり張り合っていたあたしは、そう尋ねられてぴたっと手を止めた。
「っあ……! そう言えば本当ですね! どうりで快適に過ごせてると思いました!」
「……あなた、夏の蚊がいなくなったわね、って言った時も全く同じ事言ったわよ」
心の底から呆れた様にそう言われて、あー……、と、笑ってごまかす。
うん、さすがに不敬だったよね! ……まぁでもあたし側の事情も分かって欲しい。
最近になって何故か勢いを増した神官長のアプローチを、天然と偽った養殖的なそれで躱しているんだけど、これがまた地味に疲れる。そのせいで孤児院のお手伝いはもちろん、せっかく王弟から許可を貰った執筆活動も出来ていないのだ。
娼婦さん達と約束しちゃったし、近い内に軌道に乗り出した酒場のカウンターに新刊並べなくてはならないと言うのに。
……出来ればもう暫く顔を見せないでいてくれないだろうか。あと二、三日あれば今やってる原稿は完成する。
今なんか神様降りて来てる気がするんだよね……! せっかく一気に仕上げられそうなこの勢いに水を差して欲しくない。
「……否定しないのね……」
黙り込んだあたしに、二度目の溜め息をついてシスターは、手にしていた最後のシャツの皺を伸ばしてロープに引っ掛け、洗濯ばさみで挟んだ。
いや、でも神官長とお貴族様である優秀な騎士掴まえて、最初に蚊扱いしたのシスターの方だと思います!
「あなたも凄いわよね。あれだけの方に求められて袖にして……ちっとも心が揺れてる様子もないし」
「やー……あの人達と付き合ったって行き着く先はイイトコ愛人じゃないですか」
「ご身分がねぇ」
さすがに普段愛が何たらかを説くシスターも否定しない。そう、現実的に身分が無いとあの人達とのお付き合いは難しい。付き合う位ならともかく結婚するなんて事になれば、その親類や使用人から馬鹿にされ屋敷の切り盛りやら、横のオツキアイなんて言うのは相当難しいだろう。カラタ族だったという騎士さんのお母さんがどんな立場だったか知らないけど、相当苦労したんじゃないかな、と思う。……うーん! ムリムリあたしにそんな甲斐性無いし。
「さ、そろそろお昼にしなきゃね。はい、セリありがとう」
そう言ってエプロンの大きな前ポケットから包みを出して口に放り込まれたのは甘い飴玉。頑張ってお手伝いすれば、時々貰える子供達のご褒美。そんな年齢でも無いんだけど、何だかそんな子供扱いが照れくさくてちょっとだけ嬉しい。
「ありがとうございます」
ころ、と口の中で転がせば、べっこう飴みたいな素朴な味がして、自然な甘さに顔が緩んだ。
お昼の支度も終え、さぁ食べるかってみんなで手を合わせた瞬間、窓の外から聞こえた馬の嘶き。
「……」
「……」
さっき洗濯物を一緒に干していたシスターと目が合う。
そもそも町外れの孤児院を訪れる人間なんてあまりいない。ましてやこんな明らかにお昼を食べてそうな時間に馬を使ってやって来るのは、あのお騒がせな二人しかいない。苦笑して立ち上がろうとシスターを、押し止め首を振る。
「あ、シスターいいです。出ます」
まさに噂をすればなんとやら、だ。
正直、食事時に来ないで欲しいんですけども。これはあれだな、食後に子守頼んでアンダースリー、すなわちU3で、子供団子にしてやんぜ。体温の高い幼児に囲まれて地味にじっとり汗掻かしてやる。
ヤケクソ気分でそう思いながら、窓の外に視線を向ける。角度が悪いのか残念ながお客さんの姿は見えない。さて騎士さんか神官長か、何となく団長じゃないような気がした。あの人強面だけど、平民出身のせいかあの三人の中ではわりと常識を持っているから。
「でも……」
「いいわ。お迎えは私とセリでいきましょう。あなたは子供達に食事を」
シスターをやんわり押しとどめて代わりに立ち上がったのは院長先生だった。
確かに子供達は、ご飯を目の前にお預けくらってる状況で、それこそU3は今にもスプーンをかき鳴らし暴走してしまいそうだ。
そうこう言い合っている内に、不意に食堂の扉が勢いよく開いてびっくりする。そこには意外な事に最初に除外した団長の姿があった。何度が来ていて間取りは分かってるっていっても、案内を待たずにこうして勝手に入って来るなんて初めてである。
シスター達もらしくない団長の行動に驚いて目を瞬かせていると、当の本人は額から落ちる汗を拭う事なく狭い部屋を見渡し院長を見つけ、綺麗な角度で頭を下げた。
「昼食時に失礼をお許しください。セリ! すぐ来てくれないか」
「え、あっ、はい!」
いつにない団長さんの勢いに、押される様に頷く。珍しく切羽詰まっているようで、形相が普段の倍は恐ろしかった。
視界の端でラナの顔がくしゃっとなったのを見て、私はその視線を遮る様に慌てて立ち上がり、団長に駆け寄る。
「どうかされたんですか」
「一刻を争う。歩きながら説明する」
あたしの言葉に、団長は頷いてすぐに身体を返した。「失礼した」と口早に院長に言うと、痛くない程度にあたしの腕を掴んで歩き出した。
ちょっと、本当に団長らしくない。
あたしは嫌な予感を感じて、ギシギシと鳴る廊下の音に消されない程度の抑えた声で尋ねた。
「何があったんですか」
そう尋ねてから、はっと気付く。
……まさかあたしが『カイン・ダンケ』ってバレた訳じゃないよね? いや前ならともかく今は王弟がその辺上手くごまかしてくれるはず……。
頭を過ぎる悪い想像に耐えきれず、掴まれた腕を逆に引き寄せれば、団長はまっすぐ前を向いたまま、全く予想もしていなかった言葉を吐き出した。
「二週間前、海岸にカラタ族と思われる少年が打ち上げられた」
一瞬、驚きすぎて息が止まった。
「特に傷がある訳では無く意識はその日の内に戻ったが、全く話が通じなくてな。最初は落ち着いていたが徐々に錯乱状態に陥って、ずっと食事も取らず、今朝方倒れた。元々華奢な少年でな、このまま食事を取り続けなければ、今日、明日中にも昏睡に陥る」
――ちょっと待って。
ぐい、と団長の手を引っ張る――違う、足の裏が床下に貼り付いたみたいに、止まった。動きを止めた私に団長は足を止め、ゆっくりと振り返ったその表情は微かに歪んでいた。
「な、……んで」
カラタ族の『本物』の生き残り? それも二週間前なんて、今更すぎやしないだろうか。
それに、もしかしたら。
淡い期待と混乱と。押し黙った私に、団長はゆっくりと歩み寄り冷たい床に膝をついた。その大きな身体を丸める様に両手で私の手を取り、そっと見上げる。
「黙っていてすまなかった。最初は彼が落ち着いたら、と思っていたのだが、だんだん会話すら怪しくなってきてな。本人がカラタ族なんてものでは無いと最初に言い張っていたのもあって、変に期待させてお前をがっかりさせるのではないかと」
「――カラタ族、じゃない?」
頭が整理できず掠れた声でそう尋ねる。 胸が期待に痛いくらいに鼓動を刻む。
「分からない。……服のポケットからこれが見つかった」
「え……、ぁ」
差し出された銀色の丸いコイン。
数字が刻印された裏を返せば、ここに来る直前に視界いっぱいにあった満開のさくら。数年振りに見たけれど、手のひらから指につまんで握り締めると酷く手に馴染んだ。
ひゃくえんだま。
こんなに精巧で鮮やかだったろうか。遠い記憶を思い出してみるけれど、向こうの世界であり溢れたそれを、まじまじ見る事なんて無かった。当たり前だった存在。
「大きさ的には貨幣だと思うのだが、それにしては緻密だし勲章の類かとも言っていたが。セリ見覚えは――セリ?」
「……ちゃった」
ぽつり、と、呟いて、百円玉をぐっと握り締めて顔を上げた。
「あたしも! 同じ貨幣を使っていました。彼に会えますか」
「……ああ」
あたしの勢いに押された様に団長は軽く目をみはって、だけどすぐに頷いた。
「行きます」
きっぱりとそう言って、あたしは歩き出す。その後にすぐ追いついた団長の馬に乗せて貰って背中にしがみつく。
弾むお尻の痛さも、意外な程の高さも今は気にならない。
着いたのは王城の近くにある立派なお屋敷で騎士さんの家らしい。ああ、だから。暫く最近、二人が顔を出さなくなった理由にようやく気付いた。
玄関先で待ち構えていた執事さんの先導で、二階の奥まった客室に案内される。
ノックの音に顔を出したのは久し振りの騎士さんだった。休みなのかシャツとスラックスの様なズボンというラフな格好をして、私を見下ろすと歓迎する様な後ろめたそうな複雑な表情をしていた。
「こちらです」
そこにいたのは、少しこけた頬に長い髭を携えた老人。白衣を身に付けているからきっとお医者様だろう。
促されて顔を覗き込めば、明らかに浅い顔立ち。
子供らしくなく日焼けの無い白い肌に怖い位真っ黒の髪が映えて、シーツを被っていても分かる位全体的に華奢だった。
――日本人、だろうか。
十二、三歳?
百円玉を持っていたとしても、100パーセントそうだとは限らない。でもそうであればいいと思う。きっと同じ国の人間の方が安心するだろうから。
今更ながら部屋を見渡して眉を顰める。こんな小さな身体でどれだけ暴れたのか、家具は撤去したのか、ベッド以外のものは無く、壁紙は剥がれ、カーテンはビリビリに裂かれていた。その向こうの窓は割れてしまったのか、板が打ち付けてあった。
「セリ殿、知り合いではありませんか?」
騎士さんに聞かれて、少し迷ったものの正直に首を振る。カラタ族でも異世界人でも、どっちにしろ知らないのは確かだ。
食い入る様な強さで少年を観察する。ふと、シーツから出ている細い腕を辿った手が何かを握り締めている事に気付いた。
「何か、握ってますね」
「ええ……、ずっと握っているのです。こういうものを無理矢理取り上げるのも憚られますが、あなたなら大丈夫かもしれません」
お医者様は明らかにこの男の子がカラタ族だという確信を持っているのだろう。
確かに、この浅い顔立ちは明らかに人種の違いを感じさせる。
黙ったままあたしはベッドの脇にしゃがみ込む。眠りが深いのか、その手に触れても抵抗はなくあっさりと指は解け、クシャクシャに握り締められたその紙をそっと持ち上げた。
鮮やかな赤い色紙。一部色褪せているけれど、広げる前にその独特な形でそれが何か分かった。分かってしまった。
両手で丁寧に羽を伸ばして、曲がっていた首を伸ばす。手の中で翼を広げた小さな折り鶴に、騎士さんは感心した様に呟いた。
「鳥を模しているのですか? カラタ族は器用だと聞いていましたが、本当だったのですね」
片羽に小さなメッセージがある事に気付き、そっと指でなぞる。
『早く退院して、またサッカーしよう!』
子供らしいカクカクとした、だけど羽をはみ出さない様に丁寧に書かれた文字。
読んだ瞬間に、確信した。
どうやってこの子がここに来たのか。
そして、同時に。
あたしは、やっぱりあの時あの世界で死んだ、と言う事も。




