その12、同じ過ちは二度繰り返してはいけません<前編>
「来ませんねぇ……」
ぽつりと呟きよく磨き込まれたカウンターに突っ伏して、ちょっと錆びたドアチャイムを見上げる。
扉に付けられた鈴は朝から一度も鳴っておらず、念動力なんてチートを装備していないあたしが幾ら睨んでもうんともすんとも言わず沈黙を守っていた。
「まぁこんな日もある」
「こんな日も、って確か前来た時もそうでしたよね」
冷たいカウンターでひんやりしたほっぺたを撫でながらそう突っ込むと、グラスを磨いていたマスターは、あたしの言葉にむっと眉を顰めた。言い返して来ないのは図星だな。……いや、この感じじゃ昨日も一昨日もこんな調子で閑古鳥が鳴いていたんじゃないだろうか。
もう一度ベルを睨んで溜息をつく。
うーん……これはかなり本格的にマズいよなぁ……。
ガサ入れ前は小説を置かない日だってそれなりに賑わっていたのに、それが今はこの有り様。
最たる原因はやっぱり小説が出ない事だけど、騎士さんにガサ入れされたの事実も足を引っ張っている……むしろこっちのが尾を引いてる感じだよなぁ。
何も悪い事をしてなくても元の世界の警察にあたる騎士さんを見れば、何となく避けたくなるのが人の性だろう。カイン・ダンケがこの酒場だけに原稿を置いていたのは有名で、かつガサ入れされた小屋なんて目と鼻の先である。
こうして数少なかった酒場の常連までいなくなり、小説を目当てに来ていたお客さんも来なくなり、その一部だった娼婦さんもいなくなり、それ目当てだった男の人もいなくなるという負の連鎖。人気店の栄光と挫折~異世界の酒場編~である。
そしてあたしも鬼ではない。明らかに収入の無いこんな状況で気心知れたマスターからアルバイト代を貰える訳も無く。
いっそ、安全性を謳って王弟公認とか看板に書いてみようか。……いやむしろ余計に誰も寄りつかなくなるな! 私が知らなかっただけで 王弟の変態具合は国民の大多数が知っていて、「しっ! その話はしちゃいけません!」と、噂をすると魔女が来るぞ的な確固としたポジションをキープしている。それに下手したら変態ホイホイになる可能性も無きにしろあらずだし。
「……なんか良い案無いかなぁ」
そう呟いて高い椅子の上で足をぶらぶらさせて、カウンターに肘をついて手の平に顎を乗せる。
まぁ小説を書いて売る事自体、許可を得てるんだから、さっさと新作書いて並べればいいんだけど、それがなかなか忙しくて執筆に回す時間が取れずに未だ手付かずのままなのである。
「マスター結構料理も上手だし、酒場にしては清潔だし居心地は悪く無いと思うんだけどなぁ」
そう続けると、マスターは不機嫌な顔を和らげ、そうか? とちょっと嬉しそうな顔をした。自分のお店だもん、誉められたらそりゃ嬉しいよね。
「うーん、呼び水になるもの、名物とか癒しになるようなもの……」
もふもふ、アロマ、マッサージ、萌え……可愛い女の子……、思い付くまま呟いて、クマさんに可愛いコグマちゃんでも紹介して貰おうかな、と思う。ああ、もふもふ……あのふわふわしたハミ○グの毛に思いっきり顔を埋めてもすーはーしたい。
まぁでもそれとなくマスターに聞いた所、やっぱり喋るクマなんて有り得ないらしく実現は難しそうだ。即行で狩られて敷物か見せ物小屋に売られそう。心の友をそんな目に合わせるなんて出来ない。
……そもそもこの前森に行った時にまた連絡くれるって言ってたけど、どうする気なんだろ。
暫くうんうん唸るけど、一向にいいアイデアは思い浮かばない。ふと、自分を見下ろしてエプロン外しておくか、と腰に手をやって、その飾り気のない布に、あ、と閃いた。
「メイドさん! イベント的に一日限定のメイド喫茶とかどうですか?」
ばんっとカウンターに手を付き詰め寄ったあたしの勢いに後ろに引きつつマスターは、手にしていたグラスを滑り落としかけて「ちけぇ……!」と顔を真っ赤にして怒鳴った。
あ、驚かしてスミマセン。
少し間を空けてからこほん、と咳払いしてマスターは一旦グラスを棚に戻すと、ちょっと後退って距離を置きちらりと私を見た。
「メイドって金持ちの小間使いだろ? あと城で働いてる貴族の女だよな」
「そうです! この前王弟殿下の別宅一緒に行ったじゃないですか、そこにいた」
「行ったって言うより拉致られたんだけどな!」
どうやらそこは譲れないらしい。噛みつく勢いで訂正されてその勢いに押されてスミマセンと謝る。
「ま、まぁその辺は置いといてメイドさん達超可愛くて癒やされたんですよ! 娼婦さん達結構ノリ良いし頼んだら着てくれると思うんです」
「どこが癒やされるんだ?」
コメカミに怒りマークを付けたまま、マスターは意味が分からん、とばかりに首を傾げて尋ねてくる。
ええっ……!
むしろ逆に驚きだ。あの良さが分からないなんて。
「フリフリのエプロン付けた可愛い女の子が『ご主人様』ってハート付けて呼んでくれるんですよ!」
何だか説明してるウチにテンション上がって、わざとらしくしなって上目遣いに手を組んでみる。
「っあはははっなーんちゃっ、……て?」
うわっキモ、と自分で爆笑したと同時に、ぽやんとしていたマスターの顔がぼんっと科学反応起こしたみたいに、真っ赤になった。
「……っき、気持ち悪いんだよ……!」
セリフと表情が合っていないと言う分かりやすいツンデレ。
あー……うん。
「すみませんでした」
心から謝ってこのターン終了。もう訳分かんないフラグはお腹いっぱい。むしろここ立てると騎士さんと神官長によるマスター死亡ルートが解放されてしまう可能性もあるのである意味人助けだ。
あたしの謝罪にマスターは何か言いたそうに口をもごもごさせたけど、敢えて無視して「どうですか」と尋ねてみた。
「……服とかどうすんだよ。仕立てるにしろ金いるだろ」
ちょっと躊躇う様な間はあったものの、マスターは、さすが店主らしくびしっと現実的な問題をぶつけてきた。
うーん、でもそこは敢えてスルーして欲しかった様な。
「あー……そこは王弟に頼もうかなって」
何せたくさんの侍女を顎で使う王族。話の種になるなら協力は惜しまない、と言っていたし、お下がり位なら都合をつけてくれるんじゃないだろうか。
あたしの言葉にマスターはぎょっと目を剥くと、少し離れた距離を再び詰めた。
「お前アイツと関わるの止めとけ。人としての道を踏み外しちまうぞ」
緊急事態にツンは置き去りになったらしい。さっき近い! と苦情を言った距離を越えて、ぐっと身を寄せあたしの肩に手を置く。間近にある目は真剣そのものだ。しかし。
「あー……何故か友人と言うおこがましい地位を頂きました」
「手遅れか……! まさか本気だったとは」
何しろ親友宣言されたあの場にはもちろんマスターだっていたのだ。ものすごく可哀想な子を見る様な目で見られてちょっとイラっとした。
「じゃあ早速王弟殿下に繋ぎつけてきます」
「今からか?」
善は急げだ。
「どうせお客さん来ないですからね!」
腹いせにぴしっと嫌味を投げて、私はエプロンを外し「じゃお疲れ様でしたっ」と奥の控え室へと引っ込んだ。鞄に突っ込んだペンを取り出して、ふむ、と一人ごちる。
あの別荘だか別邸に言っても間違いなく王弟はいないだろう。まずは手紙だ。
何となくこういうの面白がって協力してくれる気がするんだよね。事情を説明し、一応次回の小説のネタにしたいから、と表向きの理由をつけて、お城やお屋敷で余ってるメイド服あったら貸してくれませんか、としたためる。
書き終わって部屋から出ると、マスターは店を閉める準備をしていた。やっぱり心配だから付いていってやる、とぶっきらぼうに言われて、ちょっと反省する。なんだかんだとイイ人だよなぁ……。 さっきはすみませんでした、と謝ってから、あたし達は乗合馬車を利用し、別邸を訪ねてその手紙を執事さんに預けたのだった。
* * *
「へぇ、私らがこんなん着れる日が来るなんてねぇ」
手触りがいい布を感心した様に撫でて溜息をついた娼婦さんに苦笑して振り向く。
「超お似合いですよ。あ、リンダさん。リンダさんはスッゴくお肌綺麗だから敢えてここは薄化粧でいきましょう」
「ええ? ちょっと落ち着かないんだけど」
「ええ。もちろんいつもの妖艶な感じも捨てがたいですけど。ここは敢えて本物志向で忠実にいきましょう! ほら、こうして見るとまた違った清楚な魅力が引き出されて素敵です!」
「そう? じゃあたまにはいいかしらね」
真っ赤な口紅をしまってくれたリンダさんに一安心。セクシーボンバーなドレスにちょいきつめで派手なメイクは妖艶だけど、メイド服にはちょっと合わない。あくまでメイドは従う方、控え目にいくのが鉄板である。
きゃっきゃとはしゃいで衣装に着替えている娼婦さん達を見渡してチェックしては、プライドを損ねないような言い回しで、軌道を修正する。
「あ、リリィさん、エプロンはワンピースの上です。むしろそれはそれで男の夢ですけどもね!」
最後に目の保養をさせて貰ってから、店の準備を整えるべく、ふぅ、と額の汗を拭い一階へ。階段の下にはマスターが微妙な顔であたしを見ていた。
「お前、どこの遣り手ババアだよ」
「どうせならとことんこだわりたくて!」
ついつい熱くなるんですよねー、と笑顔で言えば、嫌味だ馬鹿って言われた。嫌味にいちいち怒ってたらフラグは折れません。
端っこに寄せてくれたらしい衣装箱を片付けようとするけど、マスターは何故か動かない。そして意を決したように顔を上げると口を開いた。
「お前は」
「着ませんよ、勿論」
コンマ三秒。振り向く事無く言い捨てる。ツンデレ病に侵されてるマスターが言いそうな事は既にシュミレーション済みだし、こういう恥ずかしい衣装を用意したら結局自分が着る羽目になるのは、よくあるパターンだけどあたしには通用しない。あんな恥ずかしい思いは前回だけで十分である。
「嫌ですね。こういうのは可愛い子が着るから絵になるんです。そもそもあたしが着れる小さなメイド服なんて無いですからね」
何だかんだとここの世界じゃあたしはSSSである。
出来の悪い子供に言い聞かせる様に、不満たらたらの表情のマスターにそう説明する。
案の定面白がった王弟が快く貸してくれたメイド服は、王城ではなく自分のお屋敷で使ってるものだった。
いやよく考えれば当然なんだけど、さすがにお城のメイド服は裏で取引されてそれを刺客が利用する可能性もあるらしくそう簡単には出せないそうだ。
だから用意してくれたのは、この前着付けしてくれたメイドさんが着ていたメイド服。うん、正統派って感じで素晴らしい。足りなさそうだし仕立てるよ、と言われてさすがにそこまではって遠慮したんだけど、後日送って来た荷物は最初の申請通り十着入っていた。嘘です。本当は十一着。まぁうんやると思ったよ。明らかに小さいあたしサイズのメイド服を即行で孤児院の庭に埋め証拠隠滅したのは昨日の夜中の事だ。
ちなみにそれ以外は王弟は素晴らしい仕事をしてくれた。何と新たに作られた五着はミニスカ仕様。こんな素材この世界に存在するのね、と驚いた靴下はハイソックスだった。いやうん、さらりと話の種に語っただけなのにこの再現率は半端ない。さすが王弟。
さて、みんなの準備が完了した所で、まずは外でビラ配り。変な人に絡まれないように二人一組で、強引な客引きはやらない事を約束させ、私はフロアに集合したメイド隊十人を見渡した。いつもと勝手が違うのか短いスカートの裾を気にしてしきりに直す姿が初々しいし、正統派メイドさん達もきつく結い上げた項の白さと露出の少なさがストイックの中に隠しきれない色気を強調して、素晴らしい仕上がりである。
「えーまず挨拶の確認です。お客様が入ってきた時は」
「おかえりなさいませー!」
「お客様は」
「ご主人様です!」
ぴったり揃った声に、これはイケると確信する。
「皆さん完璧なメイドっぷりです。あ、重ねて言いますが今日はお触りは無しです! 接客も注文によって決められた行動以外する必要はありません。以上このとーりに最初に説明しますが、納得しないような方がいたら皆さんの素敵技術でやんわりとお断りして下さい。それでも言う事聞かない困ったちゃんがいた場合速やかに、魔法の呪文、はい!」
「オウテイガクルゾー」
「素晴らしい! バッチリです」
パチパチと手を叩けばマスターが、青い顔で恐ろしいものを見るような目で私を見ていた。
「っえげつな……っ」
ぼそりと呟かれてにやっと笑う。
利用出来るもんは利用するのが商売人です。
そして一日限定異世界アットマークメイド喫茶が開店したのだった。




