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    クマ視点


 因縁浅からぬカラタ族の生き残りの少女に出逢ってからちょうど二週間目に、約束の日はやって来た。


 四カ月後、と約束したその場所には、元傭兵仲間で俺の国外逃亡に協力してくれている男がいるはずだった、が。


 その目印となる大きな岩にあった人影は落ち合う筈の男の体格とは全く異なり、女と違える程華奢なもの。

 優雅に足を組み長い睫毛を伏せて本を読んでいたのは、細い月の光を集めた様な淡い銀髪の美形だった。――緑しか無い様な場所でこんな悪目立ちする髪色をしている奴なんて知り合い……と言っていいものか、まぁとりあえず一人しかいない。予感では収まらないであろう嫌な事態にひくっと喉の奥が引きつった。


「王弟殿下……」


 脱力した俺の呼び掛けに、わざとらしい程ゆっくりと長い銀髪が翻った。間違い無い、俺をこんな姿くまにした超本人、カリアヴァンの宰相殿下である。

 迎え役は気心知れた男だったはずなのに、一体何があったのだろうか。想定外の何かが起こったのだろうが、しかし言うに事かいて代理が変人と名高い宰相殿下とか色々有り得ない。何だか売られた感がするのは気のせいか。


「やぁ久しぶり。元気そうで良かったよ」


 元気かそうじゃないかなんてこの毛だらけの姿でどう判断するんだ。毛か毛艶か! そんな俺の穏やかではない心中なんて察する訳も無く、王弟は形の良い艶やかな唇の端を上げると、本と言うよりは薄い冊子を閉じた。


 挨拶がてら何かしら繰り出してくるのではないかと構えていたので 思いも寄らない至って普通の反応に、探る言葉を探していると王弟はさらり、と髪を後ろに流し立ち上がると歩み寄って来た。長い裾が朝方少しだけ降った雨でぬかるんだ地面に触れる筈なのに、染み一つ付かずに輝く様な白さを纏ったままだ。


 この人外め、と心の中で毒吐きながらも、居住まいを正した。相手は今現在匿って貰っている国の王族であり貴重な協力者である。膝を着くべきだ、と腰を落とそうとすれば、王弟は恐るべき素早さでオレの手を取り、それを制した。


「せっかくの毛が泥で汚れるじゃないか。それにしても随分毛並みが良くなったねぇ」


 ふふふ、と満足そうにすりすりと撫でられて、ぞわぁと鳥肌が立つ。やっぱりあれか俺の未来は敷物か。脳裏に温かい暖炉と王弟殿下が座る揺り椅子、その下に敷かれたクマの敷物が浮かんで慌てて首を振った。


 いやいや無いし無いから! と自分に言い聞かせるが、俺の手の肉球を熱心に微妙な力加減で撫でられる。あ、やめてそこ何か気持ちいい。


「……よ、汚れてますから!」


 そう言い訳して失礼に当たらないさり気なく距離を取り両手を後ろにやれば、ちょっと名残惜しそうな顔をしつつも意外な程あっさりと引いてくれた。


「わざわざあなたが迎えに来てくださったんですか?」

 真意を探ろうとそう尋ねてみれば、王弟はにっこりと笑って、うん、と頷く。


「時間が空いてねー。僕が直接来た方が早いだろう?」


 確かに予定では、リデイマ新国から王弟殿下への貢ぎ物として荷物の中に潜り込み、城の中で落ち合って姿を戻して貰うはずだったので、王弟の言う通り直接来て貰った方が手間が省ける。が、両手を上げて感謝する気にはならない。


 しかしそこまで、みたいな軽い口調だが、王弟でありながら宰相だと言う立場にいる男が護衛も付けずに国境近くの森まで来て言うセリフでは無い。


 ……まぁ、それ程の実力者でもあるって事なんだろうが。

 改めて王弟を見ればその並外れた――神がかった、と言ってもいい美貌とはまた別に、抑え込まれて密度を濃くした何かの気配を感じる。これがきっと魔力と言うものだろう。

 むしろコイツが本気を出して世界征服に乗り出したらこの大陸なんてあっと言う間に制圧されるんじゃないだろうか。傭兵の間でもカリアバンとのいざこざは避ける奴は多く、募集を掛けたとしてもそれを仲介しようとする寄合やギルドも無い。それ程恐れられているのがカリアバン、いやそれを影で牛耳る目の前の王弟だった。


「それはわざわざありがとうございます」


 そう、俺の姿を元に戻すのに、当初の予定では、王弟殿下の解呪の術を込めた魔具を使って行うはずだった。確かに本人が来れば、太古の遺物と言われる程の貴重な魔具を持ち出さずに済むが……。


「さすがに傭兵してた君でも、一人っきりで森暮らしは辛かったよね。色々溜まってるだろうし、今日は街でぱーっと遊びなよ」


 相変わらずの調子で、言いにくい事を言ってくれる。イイ店紹介するよ。と片目を瞑って見せた王弟をの申し出を丁重に断り、顔を上げた。

 まぁ、こいつが来たのならむしろちょうど良い。

 全ての始まりだったカラタ族の嬢ちゃんに偶然会ってから――いや、本当はこの四カ月間ずっと、気になっていた事があった。


「……殿下」

「なに?」


 躊躇いがちに声を掛ければ、何もかも分かった様に微笑む。俺はそれに促される様に「その事」を聞いた。


「リデイマ……はどうなりましたか」


 憎い男の国ではあったけれど、故郷である事は変わりない。例え、その王座を捨てたとしても。

 その問いかけに、殿下は小さく笑った。どうしようも無い馬鹿な子供を窘めるような、癪に触る笑みだった。


「国を捨てた君に聞く資格は無いよ」


 揶揄を含んだ言葉が鋭い刃となって胸に突き刺さる。

 堪えた筈の声は微かに漏れ、とてつもなく愚かな事を聞いた、と瞬時に理解した。逃げ出したくなる程の羞恥心。


 確かに俺にそんな資格は無い。傀儡と言えども『捨てる』事を決めたのは自分自身。王座を空けた事で国を、――国民全てを捨てた事になる。戴冠式前とはいえ、あの場所に一番近い場所にいたのは事実なのだから、それより重い立場にいる目の前の男にしてみれば、俺の問いなど癪に触る以外の何物でも無いだろう。


「……馬鹿な事を聞きました」


 押し殺した声で謝罪をすれば、「ほんとにね」と、いっそ小気味よい程ばっさりと切り捨てられて苦く笑う。最後になるだろう故郷を思い返し目を閉じたその向こうで、艶やかな黒髪が翻った、気がした。

 浮かんだの澄み切った青い空に吸い込まれそうな小さな背中。

 ――無性にあの少女に会いたいと思った。


「……あと少し」


 気が付けば、意識の外で口が勝手に言葉を発していた。


「一週間待って貰えませんか」


 俺の言葉に王弟は微かに驚いた様に目を見張った。


「もしかして別れ難いイイ子でもいるのかい?」


 イイ子って何だ。

 そう心の中で突っ込むが、浮かんだのはやっぱり黒髪の少女だった。まぁ確かに正体不明な怪し気なクマに弁当取られて怒らない所は、人間が出来てると言っても良い、か?

 曖昧に返事を濁すと、王弟は何か思いついた様に何度か瞬きした後、男の俺に向けるものでは無い類いの艶やかな微笑みを浮かべた。


「わぁ君なかなか見所あるね! さすがに僕も獣姦は挑戦できないよ。やっぱり君は野性的だねぇ!」


 心から感心した様に、興奮にうっすら頬さえ染めて何度も頷く。


「は?」

「むしろ逆なら見る分には興味あるんだけどなぁ可愛い女の子と狼とか絡みつく大蛇とか滾るよね。あ、そろそろ時間か。じゃあ可愛いクマ子ちゃんに宜しくね」


 あとこれ布教用だから、と押し付けられた不思議な冊子を押しつけ、王弟は物凄い速さで呪文らしき言葉を唱えて青く発光したかと思うと、瞬時にその場から姿を消した。


「クマ子……?」


 後に残った静寂に呆然とした俺の呟きが響く。

 って……、あ。


「っんな訳あるかーっっ!」


 俺の絶叫に絡みつくように、王弟殿下の笑い声がいつまでもこだました。





* * *





 あ、思い出したら腹立って来た。

 どんだけ溜まってもそこまで人として堕ちちゃいけねぇ、むしろそんな思想が思いつく辺り、あいつガチで本物だな。


 しかもあいつに押しつけられた冊子は読んでない。と言うか読めなかった。むしろこのもふもふと鋭い爪でどうやって捲れと!


 しかし簡素すぎる表紙には、滲んだインクで『触手達の饗宴』そしてその下には、『墜ちていく美貌の女戦士』との副題だ。……あいつが持ってきた以上、そっち方面にロクでも無い事は分かるが――このタイトル、気にならない訳が無い。むしろ目の前にあるのに読めないこのもどかしさ! こちとら何ヶ月禁欲してると思う! 目の前に人参をぶら下げられ走らされる馬の気持ちが痛い程分かる。これも計算の内だとしたら王弟の性格は破綻している。


 ちなみに今現在その冊子は、うがぁああっとキレてぶっさりと刺さった爪の穴が一つ入ったまま洞窟の隅に転がっている。

 ああ気になる……、と溜息をついてから深呼吸して耳を澄ませた。いやうん、こんな無駄な事考えてる場合じゃねぇんだ俺は。



「来ねぇなぁ……」


 森の奥、広場と言うには狭い少し拓けた場所で、手頃な切り株に腰掛けて溜息をついた。


 そもそも『また』来てくれるとは言ってたが、『いつ』までに、なんて約束しなかったもんな。あー……こんな事なら、いっそまた来てくれ、なんて言うんじゃなかった……。


 そう、反省するものの過ぎた時間は戻せない。


 待っているのは黒髪の少女。

 本当なら今頃柔らかい寝床で、惰眠を貪っていただろうに、なんでわざわざ森生活を延長したのか。


 俺は、また溜息をつき短い前足をどうにか曲げて頬杖をついた。

 多分、あのまま王弟殿下の迎えに着いていっても、孤児院をしらみつぶしに当たるか金さえ積めば秘されている訳でもない少女の行方はすぐに分かっただろう。そもそも、少女はカラタ族の最後の生き残りである、恐らくすぐ見つかる――だが。


「見たくねぇと思ったんだよなぁ……」

 この少し暗い森で、自分の名前を呼びながら森をさ迷い、いない事に肩を落としてとぼとぼ帰って行く姿を。もちろん俺はその場にいないから見る事は無いが、何となく想像するだけで胸の奥がちくちく痛む。

 いやむしろ湖に映っている、切り株に猫背で溜息をついてるクマの姿も大概切ないが、そこは敢えて無視だ無視。


「明日までに来てくれりゃいいが……」

 何となく少女は、奇妙な化熊との約束を律儀に守ってやってきそうな気がした。


「……ん! ……クマさーんっ!」


 微かに届いた声にピクリと耳が動く。


「ようやくきたか」


 自然に緩む頬を引き締めて、俺はその声に向かって一目散に駆け出した。





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