騎士視点
クラウドは足早に城内の奥まった場所にある、王弟殿下の私室へと向かっていた。
脇にはセリ殿から預かった封筒。落とす事など無い様にしっかり抱え直して、その厚さに改めて感心した。
わずか半日でこの量を書き上げるなんてさすがセリ殿。恥ずかしいからと読ませて頂けなかったが、正式に歴史書の一つに書き加えられたならば近い内に見る事もできるだろう。自分にとっては幼い頃に亡くした母を知る事にもなり、同時にセリ殿にももっと近付く事が出来る。
これを手渡された時の酷く真面目な――けれど、どこかすっきりした様なセリ殿を思い出して、苦笑する。
――結局、良かったと言う事なのだろうか。
最近煮え湯を飲まされる事の多い王弟殿下に呼び出され、視察に行っている団長の代わりに、セリ殿へ手紙を届けるようにと命令を受けた。彼女に会う理由が出来たのは喜ばしい事だったが、その手紙の内容を聞き、渡すべきかどうかぎりぎりまで迷っていた。
――神官長の言葉通り、まだあの惨劇から三年も経ってはおらず、いくら謎に包まれた一族の成り立ちや歴史を知る為だと言っても、それをたった一人の生き残り、ましてや少女を抜けたばかりの女子に任せるなどと、ようやく塞がり始めた古傷を抉る様なものだろう。
そう申し出れば、王弟殿下は書類を捲る手を止め、真っ直ぐにクラウドの目を見た後、いつになく穏やかな口調で言った。
『――クラウド、人間はね。一度はきちんと向き合わないと乗り越えられないんだ。これを書く事で彼女が新たな道を作り、良い方向に進んでいく道標となる事を僕は信じているよ』
珍しく、……本当に珍しく王弟殿下は至極まともな事を言ったので、お茶を淹れていた小姓が派手に紅茶を絨毯にぶちまけた。私も何だか気味が悪く、王弟殿下の皮を被ったナニカかもしれないと、すぐに逃亡出来る距離を空け注意深く観察しようとしてやめた。王弟殿下に取って代わる事が出来る者など人外のモノ以外有り得ない。悔しい事だか私には荷が重すぎるだろう。ここは国一番の剣の遣い手とされる団長、もしくは神のご加護を受けた神官長に任せるのが得策だ。相討ちにでもなってもらえたのなら一石三鳥である。
『じゃ宜しくね。公務にしておいてあげるから。もたもたしてると団長帰ってくるよ』
今回の遣いは団長不在の為のただの代役にすぎない。そんな言葉に急かされて、私はとりあえず具体的な計画はまた後で熟考しようと、街の外れにある孤児院へと向かったのだ。
――目障りな人物はいたものの、セリ殿と市井の夫婦の様に仲睦まじく洗濯物を干し、その後で気遣いが足りなかった自分を反省する場面はあったものの、充実した時を過ごした。
そして何より手強いと思っていた神官長があれほど天然だとは知らなかった。もしや彼は――では無いだろうか。思えば十を数える前から原則的に女人禁制の神殿で過ごしている(セリは成人前なので子供と言う扱いになる)と言う。それならばむしろ彼は敵では無い。ある意味自分にとって良い収穫だったと言えるだろう。
自分よりも深い艶やかな黒髪がさらりと風に靡き、白く細い首筋が露わになったあの瞬間。きくりと跳ねた鼓動を、不自然に止まった手を彼女は不審に思わなかっただろうか。
細く艶やかな黒い髪が、吸い込まれそうな瞳が自分を縛る鎖だと思い込んでいたあの苦しみから解放してくれたあの日から、彼女は『特別』になった。
『赦し』をくれた優しい少女に、幸せに健やかに日々を過ごして欲しい。
そばで願ってそれよりも、もっと近く自分が幸せにしたい、と思うまでに時間は掛からなかった。
惜しむらくは、そう思ってるのは自分だけでは無い事だが、彼女の魅力を考えればそれも当然だと言えよう。
控え目で穏やかで、その年頃では考えられない程聡明なセリ殿。何度か若い娘が好みそうな贈り物も用意したが、装飾品や衣装など個人的なものはやんわりと受取りを拒否されてしまう程、物欲も無い。返って来た品物を前に困惑し落ち込んだものの、それ以上にやはり彼女はその辺りの身を飾る事しか興味が無い貴族の娘などとは違うのだと嬉しくも思った。
……それにしても、元気そうで良かった、と思うがセリ殿に会うのは実に二週間振りで、前回は生憎不在で日が没んでから二時間程の短い間しか話す事が出来なかった。まぁセリ殿の手料理を食べられたので
(とても素朴な味で美味しかった)それはそれで良かったのだが。
去り際に笑顔で見送ってくれたセリ殿を思い出して胸の奥がふわりと温かくなる。 これならば今から顔を合わすのが、変態――いや、王弟殿下と言えども心を乱す事無く対峙出来そうだ。
ほどなくして、大きな扉の前に立ち、拳を作ってノックする。すぐに返された応えに、気を引き締めて足を踏み入れた。
「――やぁ待ってたよ」
手にしていた書類を大きな執務机に置き、傾国の美貌と言われた微笑みを惜しみなく浮かべて労りの言葉を口にしたのは、件の王弟殿下。
「遅くなりまして申し訳ありませんでした」
敬礼する様に頭を下げると、殿下は鷹揚に頷き、はい、と手を差し出した。部屋に小姓や侍従がいない事から歩み寄り直接手渡す。
それを上機嫌で受け取った王弟殿下はペーパーナイフを滑らせて慎重に中を取り出した。
一枚ずつ紙を捲る音が、部屋に響く。執務机に肘を乗せ、紙面を覗き込むその時間が経つ毎に口角は吊り上がっていく。……それ程興味深い内容なのだろうか。やはり自分も出来るなら早く読んでみたい。
時間にして半時も経った頃、読み終わったらしく、原稿から視線を戻し小さく吐息を吐き出し、それから目を閉じてトントンと執務机の表面を長い人差し指で叩く。
「……殿下」
失礼を承知で呼び掛ければ、ようやく自分の存在を思い出したらしく、ああ、と顔を上げた。
「何?」
「……私に見せて頂く事は出来ませんか」
遠慮がちにそう尋ねれば、王弟殿下は少し驚いた様に手のひらから顎を持ち上げて、私を見た。
「え、見たいの?」
「ええ。熱心に書いていらしたので、是非」
特にそう驚く事では無いのでは無いだろうか。自分がセリに好意を抱いている事は既にご存知であろうし、亡くなった母の一族の事でもある。
王弟殿下の意外そうな顔を不審に思いながら頷けば、王弟殿下は、ふぅんと頷き、暫くの間を置いて、にやぁと猫の様に笑った。
……反射的に身構える。
王弟殿下がこの様な顔をされる時は、ロクでも無い事を思い付いた時だ。
「いいよ」
けれど、一瞬後には先程まで躊躇いが嘘の様に、はい、と差し出され、それでも警戒を弱めず恐る恐る近寄る。
何にせよ気が変わらない内にと、手を伸ばし受け取ったその途端、
ぽんっと原稿から白い煙が上がった。
手のひらにいたのは白い鳩。原稿は綺麗さっぱり消え去り、……最初から読ませるつもりなど無かったらしい、と漸く気付いた。
ぽ、と嫌に短い鳴き声を上げて、ぷ、と溜め息の様な鼻息が腕を擽る。まるで馬鹿にしている様なその仕草に、飛び立とうとしていた鳩の足を、がしっと掴んだ。
一度ならず二度までも……!
先程はセリ殿の手前見逃したが、今度は許せん、羽を毟って食堂に放り込んでやる……!
くっくるっぽーッッ!!
本能的な危険を感じ取ったらしく、鳩は大きく叫ぶ様に鳴き出し、一層激しく羽根をバタつかせた。
足を縛るかと胸元を探っていたら、王弟殿下がにやにやと面白そうな顔で見ている事に気付き、はっと我に返った。足元には羽たくさんの羽が散らばり、ブーツの上に降り積もっている。
何とも情けない姿である。
「セリが読んでもいいって言った?」
絶対見ないで下さいね! と真面目な顔で自分を見上げていたセリ殿の顔を思い出して、詰まった。
「……いえ」
少し迷って短く否定する。
「だろうねぇ。ふふ、今さ、うん、って言ったら見せてあげたよ多分」
「……どういう意味ですか」
「嘘をついた罰として」
……意味が分からない。
カラタ族についてセリが書いた文章がそれ程、同族の母を持つ自分が罰と言い換えられる程の衝撃を受ける程のものだったのだろうか。
「ああそうだ、良い事考えた。クラウドお遣いお疲れ様。兵舎に戻るついでに、悪いけど女官長呼んで来てくれない」
「……はい」
問い返す間も無く中途半端に切り上げた王弟に、釈然としないままながら頷いて踵を返す。
扉をくぐろうとした所で背中に王弟から声が掛かった。
「あ、クラウド」
礼儀通りに体を王弟殿下へと向ける。
「セリが可愛く着飾ってるの見たい?」
「は?」
脈略の無い言葉に思わずそう吐き出していた。
「いや興味無いならいいけど」
「え、いえ! ぜひ見たいです!」
頭の中でもう一度再生して、話は終わったとばかりに立ち上がろうとした王弟殿下にむかって、慌てて首を振る。
「ん、じゃあ近い内に呼ぶよ」
王弟殿下はそう言うと続きの私室へと足を向ける。ぱたん、と扉が閉まり、王弟殿下のよく分からない発言に首を傾げつつも、自分も部屋から出た。
……まさか王弟殿下がセリにドレスを贈るつもりなのだろうか。
今回の歴史書についての褒美だろうとは思うが。……特殊な嗜好を持っているらしい王弟に深い意味は無いと思うが、――注意しておかねば。
しかし可愛く着飾ると言うセリ殿の姿。きっと酷く愛くるしく、私をまた魅了するのだろう。
そう思うと自然に口元が緩み、次の日は一日中、同僚に不審がられた。
2012.01.17




